お説教とお誘い


「お前バカだろ?」


 午後9時過ぎ。

 職場に戻って来た俺の元気振りを見た三弥に、あまなちゃんから『あ~ん』されたことを明かした際の返事がこれだった。


 なんだか引かれている気がする。


「いやだって……あまなちゃんの優しさが嬉しくて断り切れなくて……な?」

「な? じゃねえよ。あまなちゃんの母親と約束したことを即破るとか、バカ以外に例えようがないわ!!」

「ま、まぁ……それは確かに自分でもヤバイと思ったけどさ……」

 

 三弥の言うことは尤もで、言い返すことが出来ない。

 反論に窮して黙っている俺に、三弥はさらに畳み掛ける。


「そりゃ、あの子が寂しそうな表情をするのを見てられないってのは判らなくもねえけど、そこは心を鬼にして波風立たないようにするべきだろ?」

「ご尤もで……クソ、あのタイミングで腹が鳴らなきゃ……」

「いや、それも和がちゃんとメシ食ってれば十分防げたことじゃん」

「うぐっ……」


 まさにその通り過ぎて、俺は息を詰まらせる。

 そして分かり切ってはいるが、恐る恐る三弥にあることを尋ねた。 


「なぁ三弥」

「なんだよ」

「これ、南さんにバレたらどうなると思う?」

「通報」

「だよなぁ……」


 非常に分かりやすい返しに、俺は項垂れるしかなかった。

 こんなに意味のない問答は初めてだ。

 

 幼女からプリンを分けてもらったら、通報されて失職とか笑い話にもならねえ……。


「まぁ、前みたいに目撃者がいたわけじゃないんだろ? ならワンチャン通報されない可能性だって微レ存であるかもしれないじゃん」

「そ、そうだよな! まだ終わりって決まったわけじゃないよな!」


 確証の無さ過ぎる三弥の励ましに乗っかる。

 ぶっちゃけ藁にも縋る想いだ。

 でも後悔はしてない。


 あまなちゃんの癒しに勝るものなんて、この世にないしな!


 そう思い至って気を持ち直すと……。


 ──ピリリリリリリリリリッッ!!


 作業着のポケットに入れていたスマホが鳴り出した。


「ん? 不在あったん?」

「いや、午前中にあったけどもう済んだ。っていうかこれ自前のやつだし」


 配達の時に、家に誰もいなくて不在届けをポストに入れる時がある。

 後で受け取り人が戻って来た時に荷物を届けられるようにするためだ。

 まぁぶっちゃけちゃえば二度手間なので、出来れば家にいて欲しいというイチ宅配員からの切な願いも添えておく。


 ともあれ、三弥の疑問に答えながらスマホを取り出し着信名に目を向ける。


 着信元【南 天梨てんり

 

 ──オワタ……orz。


 ショックのあまりその場に崩れ落ちた俺を見て、三弥も相手を察したようだ。

 

 おいこら、無言で合掌するな。

 余計惨めに思えて来るだろ。


 自業自得なのを棚に上げるが、失礼な反応をする三弥に内心でツッコみつつ、大変嫌々ではあるが南さんからの電話に出る。


「も、もしもし……」

『こんばんは、早川さん』

「ヒィッ!? ゴホン……こんばんは、南さん」


 至って普通の挨拶に、強烈なプレッシャーを感じた俺は思わず小さい悲鳴を上げてしまう。

 隣で聞き耳を立てている三弥の顔色も蒼褪めている。

 アイツにも伝わるとか、これ相当ご立腹やでぇ……。


『突然のお電話申し訳ありません。今お時間は大丈夫でしょうか?』

「は、はい……」


 時間は大丈夫だけど、メンタルは大丈夫じゃないです。

 そう言いたい気持ちを抑えて了承の返事をする。

 

 しかし、怒っているというのに挨拶は丁寧だな……。


『今日もお仕事は大変だったみたいですね?』

「え、ええ。それはもう……」

『でしょうね。何せ、程みたいですから』

「うぼぁ……」


 ──アカン、全部筒抜けやん。


 完全に詰みチェックメイトを言い渡され、俺は口から魂が浮き出たような錯覚に陥った。

 三弥も見てられないとばかりに顔を逸らしてるし。

 というかコイツはいつまで聞いてるんだ?


「よく、ご存じで……」

『帰宅した際、娘に早川さんとの間にあった出来事を尋ねたら、すぐに話してくれましたよ』


 わぁ~流石あまなちゃん。

 素直で大変よろしい。

 こんな穢れた大人とは大違いだわ。


『素人目線ではありますが、いくら忙しいといっても食事くらいキチンと摂取するべきではないでしょうか? 早川さんが社会人になって何年経過しているかは存じませんが、娘に……小学生に食べ物を分けてもらっても気にしないような厚顔無恥なのですか? それは大人として情けないですし、率直に言ってみっともないです』


 ヒィィィィッ!!

 滅茶苦茶心に言葉のナイフを突き刺して来るよ!?

 言ってることが正論なだけに、めっちゃ切れ味鋭いんだけど!?


『大体、私が出した条件を軽んじられたことが酷く不愉快ですし、失望しました』

「すすす、すみません!! 忘れてたわけじゃなくて、あまなちゃんの寂しそうな表情をみたら、つい……と言いますか……」

『記憶していた上で魔が差したというわけですか。最低ですね』

「まぁ、その正当性皆無な言い訳で理解を求めるとか無理に決まってるわな」


 お前は黙ってろ!!

 そんなことは言った俺が一番解ってるんだよ!!

 通報を回避したい一心で、必死に言葉を並べようと悪足掻きするしかないじゃん!! 


『──まぁ、娘に早川さんと過剰に関わらないように言わなかった私にも、一応の責任はありますので今回だけは見逃します』

「え、マジで!?」


 唐突に訪れた九死に一生な赦しの言葉に、俺は素の口調で聞き返した。


『ですが、もし今度約束を破った場合は……覚悟して下さいね?』

「は、はひぃ……」


 最後に釘をしっかりと差し込んでから、南さんは電話を切った。

 怖かった……。


「っま、何とかなって良かったな! 南さんの信頼度はさらに降下したけど」

「他人事だからってテメェ……」


 傍で茶々を入れるだけでなんのフォローもしなかった三弥を睨む。

 実際は俺の自滅なわけだから言い掛かりだってことは自覚してるが、それでも唯一あまなちゃんのことを相談しているわけだし、何かしら助けは欲しかったよ……。


 そんな気持ちを込めた眼差しを受けても、三弥は素知らぬ顔で軽々と受け流していた。


「──ねえカズ君。ちょっといいかしら?」

「「っ!!?」」


 が、不意に聞きなれた声に背後から呼び掛けられ、俺達は揃って肩を小さく揺らす。

 ゆっくりと顔だけ後ろに向けると、そこには赤茶の髪に眼鏡を掛けた女性──堺が立っていた。


「さっき誰かと電話をしていたみたいだけれど、何か用事だったの?」

「あ、あぁ。もう済んだけど……」

「そう……」


 子持ちの女性に説教されていましたなんて言えるはずも無く、はぐらかしながら堺の質問に答えると、彼女はホッと安堵の息を吐いた。

 どうしてそんな安心するのかと疑問に思うが、堺はこちらと目を合わせて要件を告げだす。。


「カズ君。明後日の木曜日は休みよね?」

「あぁ。そうだな」

「予定とかあるのかしら?」

「いや、特には……」

「なるほど」


 堺の質問に何の躊躇いもなく答えると、何やら頷いて納得する素振りを見せると……。




「それじゃその日、私の用事に付き合ってくれる?」


 そう俺に言った。


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