南家の事情


 ──仕事上の付き合い以上に娘と自分に関わるな、かぁ……。


 当然と言えば当然だろう。

 南さんにとって娘のあまなちゃんは守るべき対象で、友達とは言え20歳も年上の俺が関わることをよく思わない。

 本音ではすぐに関係を断たせたいはずだが、そのためには俺が転職するか配達区分が変わる必要がある。

 流石にそこまで口出し出来ない分、せめてもの妥協案ということか。


「……わかりました」


 なら、俺にその条件を拒否する権利なんてない。

 他人様の家庭事情に首を突っ込む趣味も無いしな。


 けれども……。


「一つだけ、聞きたいことを教えてもらえたら条件を呑みます」

「内容によります」

「さっきから言ってる通り、何も危害を加えようとか考えてないですから」


 少しだけ警戒心を覗かせる言葉に、俺はそう前置きしてから質問を口にする。


「──あまなちゃんの父親……南さんの旦那さんのことです」

「──っ……主人のことですか」


 今まであまなちゃんの口から父親の存在が語られたことは無い。

 南さんが働いていること……これは共働きの可能性が無い訳じゃないが、そうじゃなきゃあの子が『寂しい』なんて思ったりしないだろう。

 それに勉強を見る際にあがったリビングでは、家具や食器の数があまり多くないように見えた。


 となると、南さんがシングルマザーとしてあまなちゃんを育てているのではと思い至ったわけだ。

 

 以前から感じていた疑問に、南さんは一瞬だけ悲痛気味に眉を顰めるのが分かった。

 そのまま俺から顔を逸らして、顔を俯かせる。


「ちょ、南さ──」

「いえ、もう過ぎたことですから……。主人のことを聞けば私達に深く干渉しないと約束して頂けるんですよね?」

「え、あ、南さんが大丈夫なら……」

「ふぅ……わかりました。お話します」


 やっぱり不味いことを聞いてしまったかと思ったが、彼女は沈み掛けた気持ちを持ち直して俺へ顔を向け、膝にのせていた鞄からあるものを取り出す。


 それは一枚の写真で、今より若干幼く見える南さんと一人の男性が映っていた。

 背は高めで短く切り揃えられた黒髪に眼鏡、その表情から理知的で穏和な人だと判る。

 これ見よがしに見せられれば、写真の男性が誰かくらいは解り易い。


 ──この人があまなちゃんの父親だ。


「これは私が高校生時代の写真です。主人とは元々家庭教師と生徒という関係でして、その、高校卒業の半年前に妊娠が発覚しまして……」

「おぉう、それはまたなんというか……」


 途中、南さんが言い辛そうな表情を浮かべながらも打ち明けた内容に、俺はどう返したものか答えに窮する反応しか出来なかった。


 家庭教師とはいえ先生と生徒なわけだから色々偏見の目もあっただろうし、何より学生妊娠なんて格好の的だろう。

 この写真を見る限り仲睦まじい感じではあるので、周囲の意見には屈することなく愛情を貫いたようだ。

 写真を見る俺の眼差しから考えていることを悟ったのか、南さんは思い出を見つめるように遠い目をしながら続きを語り出す。


「世間的に避難が避けられないとは自覚しています。ですが両親は優しく彼と天那を家族として迎えてくれていますよ」

「でも、この人は今……」

「ええ。天那が産まれて間もない頃に事故で亡くなっています」

「……すみません」

「先程言った通り、もう過ぎたことです。過去に縋ったまま娘を放り出すなんて出来ませんしね」


 そう語る南さんは、切なげな表情を浮かべていた。

 だが、好きな人が亡くなった事実を前にしても、娘のために気丈に振る舞う様はとても眩しく思える。


「あの子が一人前になるまで、私は母親として天那を守ると決めたんです。そのために私は頑張って働かないといけません」

「でも、それであまなちゃんに一人で留守番をさせるのは──」

「分かっています!」


 南さんの頑張りを理解しているといっても、学校が終わっても一人で留守番をしているあまなちゃんが可哀想だと告げた俺の言葉を遮り、彼女が耳に針を突き刺すような大声を出す。

 静かな喫茶店でそんな声を出せば、当然他のお客にも聞こえてしまう。


 それを察したのか、俺が何か言う前に彼女は席を立って周囲に謝罪した。

 周りの人達が興味を失くしたと見るや、再び俺の隣のせいに腰を掛けて話しを続ける。


「……すみません。ですが、知っての通り天那は賢い子です。自分の我が儘を抑えてよく我慢してくれています」


 確かにそうだ。

 まだ小学1年生なのに、あまなちゃんは大人顔負けの気配りが出来ている。

 それは誇って良いことだし、褒められる事だと思う。


 ──でも。


「我慢出来るからって、寂しくないわけないだろ」

「──っ!」


 我慢が出来ることと、寂しさを感じないことを同一視するなと告げる。

 その言葉を受けた南さんは、図星を突かれたのか口を一の字に結んで固く閉ざした。

 自分でも意地の悪いことを指摘していると思う。


 彼女の娘を想う気持ちはかなり強い。

 その想いが強いばかりに、南さんにはどこか余裕がない様にも感じた。

 女手一つで子育てをしていれば、そうなるのも無理は無いのかもしれない。


 けれど……。

 

「寂しくないのかって俺が尋ねた時、あの子はなんて言ったと思う? 『ママをこまらせるのはさびしいのよりイヤだ』って言ったんだよ」

「それは……!」

「独身の俺が言う事じゃないだろうけど、シングルマザーに限らず片親っていうのはどうしても子供と過ごす時間が取り辛いなんて解ってる。それにあまなちゃんは賢いだけじゃなくて優しい子だ。自分が我慢することで少しでもアンタの負担を軽くしようって気持ちが強いんだよ。なのに我慢? 俺からしたら親の方が子供に甘えているように見えるね」

「──っ!!」


 南さんの志や献身は立派でも、あまなちゃんの現状に良いようには見えない。

 でもそれが分かる程度には、俺もあの子と付き合いを続けて人となりを理解して来たつもりだ。

 

 そしてそれは、他ならない南さん自身も心のどこかで感じていたことでもあるんだ。

 じゃなきゃ、そんな苦虫を嚙み潰したような表情はしないはず。

 

 やがて彼女は射抜くような鋭い眼差しを俺に向けて……。


「……部外者のあなたが知ったような口を利かないでください」

「……だよな、悪い。ついカッとなった」


 彼女言う通り、部外者の俺が言うことじゃなかったな。

 あの時、寂しいと言ったあまなちゃんを思うとどうしても言わずにはいられなかった、なんて正直に言ったところで火に油を注ぐだけだろう。


 ならもう聞くことも言うこともないと判断して、俺は席を立つ。

 結局コーヒーを一杯も呑まなかったが、南さんの分の代金を財布から出して置いておく。


「2人と仕事の付き合い以上に干渉しないだったよな。提案は受け入れるよ……それじゃ」

「……」

 

 それだけ伝えて俺は店を出る。

 南さんは何も言わなかったが、これ以上話しても意味は無いだろう。

 

 対面出来たらと望んでいたあまなちゃんの母親との関係は、なんとも気まずいものとなってしまった。

 けれど、これ以上干渉しないのなら気にしても仕方ないだろうと割り切る。

    

 今後あまなちゃんと顔を合わせた時の振る舞いをどうしようか考えつつ、俺は車を走らせて自宅に戻るのだった。

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