おかあさんといっしょ

 午後9時。

 配達を終えた俺は、何度も南さんとの約束をバックレようと考えた。


 だが、いざ実行した時は警察に通報されるのが目に見えている。

 あまなちゃんに抱き着かれているところを、よりにもよって母親の彼女に目撃された時点で、俺が逃げられるはずがなかったんだ。


 ポケットに入っているスマホが、リードを付けられた首輪にしか思えないわ。

 作業着から私服に着替え、自分の車に乗ってから交換した連絡先の電話番号を選択する。


 電波が届かないことを祈るが、無情にもコールが鳴り出したことで繋がってしまった。

 

『はい、南です。連絡して来たということは、仕事を終えられたようですね。お疲れ様です』

「あ、あぁ。それで、俺はどうすれば?」

『マンションの向かいにある喫茶店はご存知ですか?』

「おう、見たことあるぞ」

『そこでお話がありますので、絶対に来て下さい。では』


 まるで事務連絡のように、南さんが言いたいこと言うだけで初電話は終了した。

 どうしてだろう……美人から『絶対に来て下さい』って言われたはずなのに、俺の心臓はトキメキじゃなくて恐怖でドキドキしている。

 

 何度も心は行きたくないと訴えるものの、体は行かなくてはとアクセルを踏んでハンドルを動かしていく。

 車を走らせること15分後。 

 いつも荷物を届けるマンションの対面に位置する、喫茶店前の駐車場に車を停める。 


 店内はTHE洋風といった感じの内装で、コーヒー豆の匂いが何とも心地よさを感じさせる雰囲気だ。

 今度空き時間にでもこういったところでゆっくりと過ごしたいと思える。


 そして入ってすぐの、目に付きやすいカウンター席に南さんの姿が見えた。

 

 格好は会った時に来ていたスーツ姿ではなく、七分袖の白いブラウスにジーンズという洒落っ気の無いラフな装いだ。

 だが、そのシンプルな服装が却って当人の美貌が際立たせていて、若さもあってとても子持ちの人妻には見えない。


 さらによく見れば、店内にいる男性がチラチラと彼女を見ているのが分かった。

 誰も声を掛けないのは南さんが高嶺の花過ぎて、恐れ多くて触れられないといったところか。


 若干の行き辛さを感じながらも、俺はお誂え向きに空いている彼女の隣へ腰を掛ける。

 それで周囲が僅かに騒めき出す。

 静かな喫茶店だから、息遣いがやけに聞こえやすい。


「お、お待たせしました」

「こんばんは、早川さん」


 女性相手に情けなく怯えながらも声を掛けると、南さんは視線だけを俺に向けて挨拶をしてくれた。

 でもその眼差しは先と変わらず冷ややかなもので、とても男女の逢瀬でするような目じゃない。

 

 ……別に俺は彼女と関係を持ちたいってわけじゃないが。

 なんて誰にするでもない言い訳を浮かべつつ、早速本題に入ることにする。  


「えっと、それで話って?」

「当然、娘との件です」


 ですよねー。

 きっぱりと情緒もへったくれもなく言い切った南さんの目は、それ以外に無いと厳かに訴えていた。

 

「夕食の後に、天那から早川さんのことを大凡聞きました。とりあえず、健全な付き合いだったことは認めます」

「ほっ……」


 ひとまず、警察に通報されることはないと言われ、ホッと胸を撫で下ろす。

 だが、南さんの表情は依然厳しいままだ。 


「ですが、仕事上の付き合いでどうしてあの子と友達になる必要があったのですか?」

「ええっと、俺は知っての通り配送業に就いていて、あの激務で心身共に疲労困憊だったところで、娘さんに助けられたわけでして……あの子から友達になってほしいって言われたんで、それがお礼になるならと思っただけで、何も疚しいことは無いですから……」

「……なるほど」


 あまなちゃんと友達になった経緯を簡潔に語ると、南さんは顎に手を当てて逡巡する素振りを見せる。

 そのまま会話が終わってしまい、やがて沈黙に耐えられなくなった俺は軽く質問をしてみることにした。


「む、娘さんってああやって人を癒すことが得意なんですね」

「え? あぁ、はい。あの子は私の生き甲斐ですので」


 臆面も無く言い切ったよ。

 気持ちはめちゃくちゃ分かるので、俺も人の事を言えないが。


「仕事で疲れた私の肩をよく叩いてくれます。どんなに高価なマッサージ機でも、腕の立つマッサージ師でも、あの子が齎してくれる癒しには程遠いですから」

「肩叩きかぁ……あんなに小さな手なのに上手だからびっくりしましたよ」


 あまなちゃん本人も母親に褒められて嬉しいと語っていたことがあった。

 そのことを朗らかに語るあの子の微笑ましさを思い出し、自然と頬が緩んでしまう。

 また肩叩きをしてもらいたいなぁ、なんて思っていると……。



「──やけに実感の篭った返事ですね?」

「あ……」


 氷河期が訪れたと同等の寒気が背中を走った。

 それは隣に座っている南さんから発せられたモノで、人って無限の可能性を秘めているのだと実感させられる程だ。

 

 というか、話の流れであまなちゃんの肩叩きを受けたことがある、と口を滑らしてしまったことをどうにかしないと。


「お、重い荷物を運ぶことが多いんで、あまなちゃんに言われるがまま体勢を変えたら、気付けば肩叩きをされていたと言いますか……」

「……いえ。少し考えれば、早川さんの業務上避けられない問題をあの子なりに解消しようとした結果だということくらい、すぐに分かるはずなのに……天那の事となるとどうしても勘繰ってしまいますね」

「それこそ親なら当然かと──って、俺は独身なんで、言う資格無いかもですけど……」

「フォローをするなら途中で折れずに最後まで通して下さい」

「はい……」


 ちゃんと経緯を話せば、ブリザードはすぐに消え去った。

 分かり切ってはいたが、南さんはホント子煩悩というか過保護と言うか……。

 あまなちゃんみたいに可愛い娘がいるなら、そうなるのも無理は無いかと思うことにした。


「こほん……天那が褒められるのは良い気分ですが、本題から話を逸らさないで下さい」

「はい、すみません……」


 咳払いをして尤もなことを言う南さんに、俺は何回目になるかもわからない謝罪を口にする。

 ほんと彼女と会ってから謝ってばっかだな、俺……。

 

 そんな自分の情けなさに呆れていると、南さんは氷のように冷たい眼差しを向けたまま、俺に対する要求を告げる。 


「要件は一つだけ、








 仕事上の付き合い以上に、もう娘と……私達親子に関わらないで欲しいという旨です」

「──っ!」


 その突き放す物言いに、俺は目を見開いて息を呑んだ。

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