第3話 ごはん
「人類はごはんの定義を狭くしすぎだと思うんだ」
隣に立つ
「おっと。わたし、その手にはのりませんよ?」
津久井さんはそう言って身構えた。
平日16時台の
「田舎のおばあちゃんに教わったんです。『主語の大きな男には気をつけな』と」
「おばあさま、若いときどんな男にだまされたんだろうね」
「だましたのはうちのおじいちゃんです」
「かわいい孫までできてたら、もうだまされたとは言わないんじゃないかな」
「『だましだまされ二人は夫婦になるんよ』と語ってました」
「含蓄のあるお言葉はありがたいけど、投げ捨てられた僕の話も拾ってほしい」
「しかたありませんね。かわいい孫が拾ってあげましょう」
津久井さんは腰をかがめ、「よいしょ」と声に出しながら僕の話を拾ってくれた。汚いものにでも触れるような手つきだったのが気になるけれど。
「ごはんの定義って、何がごはんに含まれるか、みたいなことですか?」
「そう。さっき放課後にクラスの友だちと議論になったんだ」
「センパイ、お友だちいたんですね。AIですか?」
「僕が教室で夜ごはんを食べていたら、彼女が文句をつけてきたんだ」
津久井さんのボケを軽く流して話を進める。
「『ブラックサ○ダーはごはんに入らないよ!』って」
「いや、入らないでしょ」
津久井さんは顔の前で手を振った。
「きみ、前に言ってたよね。『わたしのお昼ごはんはじゃが○こです』って」
「じゃが○こはごはんですよ。だって芋ですよ、芋。キャッサバみたいな」
「地理の授業以外で初めて聞いたよ、キャッサバ」
どんな芋なのか知らないけれど、多分それはじゃが○この原材料ではない。
「世界にはキャッサバを主食にしてる人たちがいるんです」
「津久井さん、主語が大きくない?」
「それに、じゃが○こはおかずにもできますよ」
「あれで白米食べられるの?」
「余裕です。じゃが○こ、しょっぱいもん」
試しに想像してみた。あたたかく柔らかい白米と、その蒸気で仄かに湿気ったじゃが○こ。食感は地獄だけど、たしかにあの塩気があれば一応飲み込める気がする。
「……うーん、ギリギリいけなくもない、か」
「あ、でもそれいったらブラックサ○ダーもおかずにできますよね」
衝撃だった。津久井さんの口から飛び出した黒い稲妻が、僕の心臓を撃ち抜いた。
「頭、だいじょうぶ?」
「ごはんって白いじゃないですか。色が濃いものは基本おかずにできるんですよ」
「料理は彩りが大事とはいうけど、味もそこそこ大事だと思うんだ」
「わたし、けっこう馬鹿舌なんです」
「舌のせいにするの、よくないよ」
「友だちにも、たまに言われるんですよね。味覚が死んでるって」
津久井さんが腕を組んで「んー」と唸る。
と、そのとき。
階段の上から案内放送が聞こえてきた。
「今度やってみてくださいよ、ブラックサ○ダー丼」
と言いながら、津久井さんは階段へ向かって一歩踏みだした。
「それやったら人間レベルがきみと同じとこまで下がるよね」
下北沢の駅には2本の路線が走っている。
津久井さんは井の頭線各駅停車でここから2駅、僕は
この時間、各駅停車は10分に1本走っている。
僕たちはいつも、各駅停車を2本見逃してから帰る。
その20分。駅の通路の端っこに、僕たちは立っている。
「ところで相模センパイ」
通路の真ん中で、津久井さんが振り返った。
「さっき言ってたお友だちって、実在するんですか?」
「するよ。疑うなら、教室に確かめに来ればいい」
津久井さんは指を口許にあて、「うーん」と考える仕草を見せた。
「やめときます。センパイの嘘暴くなんて失礼ですもん」
「その発言がもう失礼だけどね。ほら、早くしないと電車来ちゃうよ」
「げ。じゃあ、おつかれさまでした」
津久井さんはいつものように右手でささっと敬礼し、小走りに階段を駆け上がっていった。
「おつかれ」
遠ざかる背中に、もう届かない返事をかえす。
僕と津久井さんは、一人暮らしをしている。
そして20分の間だけ、僕たちはふたりになる。
ふたりは一人暮らし 村井なお @murainao
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