第9戦記

皆が寝静まり、発情期を迎えた猫の独特な鳴き声が響く夜空。

星々が自らの存在を象徴するように色をつける中、顔と体型を隠すための面とマントを身に付けた気味の悪い二人組がとある路地裏へと入っていった。


「分かっていると思うが、本名は厳禁だ。例え知っている者がいても取り乱すな。」


「はい」


如何にもな怪しい雰囲気の漂う中、暫く路地裏を進むと一つの扉の前で歩みを止めた。

独特なノック音を鳴らし合言葉のようなやり取りの後それは開いた。


「さあ、大人の醜い世界へようこそ」


2人が奥へ入っていくとすぐに扉は閉じ、代わりに灯がともる。

すぐに階段が出迎え地下へと人々を誘い、壁に取り付けられた蝋燭が淡い光を放ちその僅かばかりの明かりを頼りにこれを下っていくと更にもう二つの扉が現れる。

まるで門番のように座り込む屈強でガラの悪い1人の男が2人の存在に気付き進路を妨害するように立ち上がった。


「通行料を」


お金を払おうとするが、横にのびた手がそれを制止させたので見上げると首を振っていた。

ここはお金を払わなくてもよいという事だろうか。

勝手の分からない上に、奴隷オークションなどと曰く付きの危険な場において、此処は呼び出した本人に匙を投げた方がよさそうである。


「ケルベロスの晩餐」


「血肉の宴」


「流離(さすら)い歩く」


その言葉を聞いた男は向かって左側の扉をノックするとそれは開かれ、執事服に身を包んだ老人と恭しい一礼が彼らを出迎えた。


彼が首を横に振ったのはこういう意味だったのか。

金銭的なやり取りなどなくとも、合言葉1つで事足りる。

考えてみれば何もおかしいことではない。

秘密裏に行われている今回のオークションに至ってはお金を徴収せずとも勝手に多く納金されるのだ。

彼らにとって必要なのは裏切らない客と信用だ。

それさえあれば、幾らでも大金は廻る。



彼に着いてしばらく歩くと段々と歓声のような盛り上がりの声と僅かばかりの熱を帯びた空気を感じとったことで漸(ようや)く会場に到着したのだと体感するに至った。


醜さの滲み出るこのゴミだめでヒトをモノとしか捉えない悪魔の如き取引は幕を上げる。



「レディース! アンド! ジェントルマン!! 楽しい宴のお時間です! 皆さんの欲を駆り立てる選りすぐりの商品を取り揃えました!――さあさあ、挨拶はこの辺にして今宵も奴隷オークションの開幕です!」


この国の地下に競売所がまるでこの国の一部として当たり前のように存在し、エクセレスを構成しうる一つの分子として根付いていたなど今まで知らなかった。


兵士が命を懸け戦場で散り、人でないナニカになっても気づけば通り過ぎる雲と同じように何も感じることはなく、競売に参加する腐敗した屑どもは、人やモノがやり取りされるこの場を幼少期に持ち合わせた純粋無垢な無邪気さをもって楽しんでいるのだ。


綺麗にされることのない地下排水を寄せ集め、塗りたくり、人の皮を被せ、新たな生物として作り上げたのがこいつ等だ。


死神が隣で鎌を構え、振り下ろす瞬間を待ち望み、笑いながら魂を持ち帰る地獄ともいえる場で戦っている私たちが守っているのはこんなドブのような屑だとでもいうのか。

嫌気? いやそれすら通り越し虚無感とも呼べる代物が私を押し潰す。


次々とモノが出ては消える。


「どうだ、君が守っていたのはこういう奴らだとは知らなかったであろう。誰しもが誰にも言えない秘密を1つ、或いは2つ持っているものだ。彼らの生き方はとても褒められたものではないが、戦時中とあっては離れることの叶わない、いわば必然とも呼べるべき光景がこれだ。」


「熱狂ぶりを見れば嫌でも分かります。ですが、戦が終わったとしても彼らは二度と道徳に添った生き方はできません。」


「なぜ、そう思う?」


「今、この時だけは彼ら一人一人が物語の主人公だからです。自分を中心に物事が進み、競売という他者との戦場を制した快楽から抜け出すことは不可能だからです。」


「では、この現状を知って君はどうする? 軍に、いやもっと上に報告するか? それともこの場を潰すか? どんな手段をとる?」


「今の私にそのような力はありません。傍観者――それだけが私のとれる唯一の手段です。」


「賢明だ。どこの誰かもわからないモノに時間を割き、労力を働かせるのは無駄だ。世界を征服できれば少しはマトモになるのかもしれんがな――全く人間とは残酷で儚く面白いことよ。」




体中傷だらけの男、オッドアイの女、獣人や幼子(おさなご)など、既に十数人がこの世界から人格を奪われた。

彼ら彼女らがこの先、どんな運命を歩んでいくのか。

――いや、考えるのはやめよう。

考えたところで分かりはしない上に、助けることも叶わないのだ。

そうか、そういう事なのだ。

――たとえ敵国の兵士を殺め、偽りの国民や自らを守ることは出来ても本当に守るべき人々を救えない私も、こいつ等と変わらない屑なのだ。

誰も救えない。

心が苦しむ自分自身すら救えない。


勝利を収めようとも、言いようのない感情がまだ心の根っこに住まう原因は何処にある?



ここで男は仮面の下で自嘲する。

今の行動にバカバカしいと感じたからだ。

考えるのをやめたはずなのに、気づけば何かしらを考えてしまっている。

自らが決めた事項をこうも簡単に破棄できるものかと、己の未熟さに少しの憂いを感じつつ、今、芽生えた思考は案外、いいタイミングであったかもしれない。

これまで知り得なかった一つの事象を見たこと、それは自分の目指すべき道の糸口へと繋がるからだ。


どこまで考えていた?――そうだ、この現状を創作するに至った原因だ。

人格を奪い、下卑(げひ)た笑い声を上げ、狂った趣向を持つこの蛮族どもの存在そのもの。

それこそが私を不快にさせる。

この国には未だ屑が数多く住み着いている。

こいつ等を、負の感情を生産し続けるエクセレス王国の腐敗物を根絶やしにすれば少しは、この国の空気も清く吸いやすいものとなるのだろうか――。


と、ここでもう一人が口を開く。


「今後の一人を選ぶのは任せる、好きにするといい。どんな目的で、どんな力を持ち、何に使おうと君の自由だ。」


「決まっているのではないのですか」


「そうだ。だが、掘り出し物や君の構想もあるだろうからな」


「自由すぎませんか? それに私にはそれだけのお金がありません。」


「言ったであろう。価値の再評価であると。お金の心配は要らん。貸し1つでよいぞ。」


「善処いたします」


それから何人も過ぎ去るが、結局、オークションが終わるまで手を上げることはなかった。


扉が開かれ、2人の男が星空のもとへと姿をみせる。

外の空気はこんなにも美味しいものだったか。

夜風が体に染みついた彼らの恨みを洗い流してくれているのか段々と肩が軽くなる。


「お気に召した人はいなかったか?」


「申し訳ありません」


「いや、謝る事じゃない。どちらにせよ結論は出してくれ給え」


「了解」



部屋までの道のりを歩いていると、道脇に人のような置物のような何かがあった。

普段なら特に気にするわけでもなく通り過ぎるはずだが、なぜかこの時ばかりはソレに惹かれてしまった。

素通りしてみるも胸の引っかかりが拭い切れず、立ち止まり上官への失礼を詫びる。


「すみません少将。お時間よろしいでしょうか」


「構わんぞ」


了承を得てそれに近づくと布が僅かに上下に動く。

月明かりに照らされた影が謎の何かを覆う。


「お前は誰だ? 顔をみせろ」




何処からか音が聞こえる。

影?

ああ、私の目の前にいる何者かが発した声だとそこで気づく。

もう疲れた。

邪魔をするのは誰?




端正な顔立ちをした女性が私を見上げる。

月が彼女の瞳に移り住み、より美しく際立たせる。


「名前はありません」


私がなぜこのような行動にうつったのか分からない。

先ほどまで見ていた薄汚い世界を救えなかった僅かばかりの謝罪の気持ちだろうか。

気付いたら、彼女に手を差し伸べていた。


「私の部下にならないか?」


差し出された左手が意味しているものは何?

名前がなくて誰かも知らない人に勧誘をする理由は何?

何も分からない。

誰か教えて。


「すまない。私はエクセレス王国空軍本部所属ゼロ・レイエンド少佐だ。今、私は部隊を編成している途中で、その一人に君を推薦したい。どうだろうか」


空?

頭上に少しだけある星に彩られた夜の空を見上げる


「今、君が見上げている空を戦場にしている。」


「飛べますか?」


「君にその意志があるのなら。」


空を飛ぶ

それはどんな気持ちなのだろう――知りたい

それはどんな景色なのだろう――見たい

自分の欲が、忘れていた欲が芽生えだす

我儘が許されるのなら、私はそれを望みたい


「これからよろしく頼むよ。」


「リーダーよろしく」


貴方が私に空を見せてくれるのなら、私が貴方の弊害を壊し続ける事をこの奇跡の出会いに誓います――

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