第6戦記

誰もがこの場に不相応なその音を耳にした。

まさかこれ程のモノを隠し持っていようとは――

ソレは摩訶不思議な光景であった――




アブンと呼ばれる全体的に黒く、腹部が黄金色の独特な模様を持つその『虫』は人や動物に害を及ぼすことは少ない。

だが、それは彼らの繁殖時期に雑木林や水気のある所に侵入さえしなければという条件の下であり、何より森を生活拠点としない人類に限った話である。

では、この害虫は繁殖期に必要な栄養を採取するためにどうするのか――森を生活拠点とする動物や小鬼(ゴブリン)の血を吸い取る所謂、吸血という行為をもってして、およそ2~3㎝程度しかないこの虫はこれまで生き抜いてきたのだ。


しかし、文献に記載されている情報は今日(こんにち)をもってして大きく改訂をせねばなるまい。


それは単(ひとえ)にアブンの変態に他ならない。


何故、人の第1関節から、大きくても第2関節くらいまでの体長しかない筈のこの虫が人の腰近くまである小鬼を乗せて空に飛び立てるほど巨大化しているのだ。


何故、我々人類はいつまでも傲り高ぶり強者のつもりでいたのだろうか。

虫だったモノは環境に合わせ新たな進化を遂げた。


再度、周知せねばなるまい――その生態系の脅威を。

認めねばなるまい――既に彼らの独牙は私たちの首元に迫っているのだ、と。



大型アブンに騎乗した小鬼(ゴブリン)は剣や弓を頭上に掲げ、狂喜に支配された傀儡人形のごとき出で立ちで森のどこかへ向けて飛び立つ。

幸いなことにレイエンドは気付かれる事無く膨大な数が通り過ぎていくまでの時間を敵だらけの巣窟に僅かに存在した窪みへと体を刷り込ませ、ただじっと息を殺して待つことに成功した。

彼は静かにほくそ笑む。

あれほどの数が出撃したのなら、大将を守る砦は必ず薄くなる――――今しかない

――――最大の一手を敵の懐へと――――





レイエンドが森の奥でみた異常な光景の原因は今、森の外にて新たな舞台を整える役目を果たしていた。

まさに人類vs小鬼(ゴブリン)による両種族の命運を穿(うが)つ戦争が繰り広げられる直前である。

騎乗されている大型アブンのスケールに覚醒者部隊は一瞬息を飲んだが、所詮は只の虫と小鬼(ゴブリン)。

森の中でひっそりと共存共栄を培ってきた弱者同士の組み合わせ。

相加も相乗も起きはしない。

近付かなければいいだけ、今やっていたことを繰り返すだけに過ぎない。




それだけの筈だ。

それだけの単純作業に、それだけの敵だ。

それだというのに何故、こうも体に力が入らない、呼吸が浅い、手足が冷たい。




空軍本部覚醒者部隊は一塊になるが空を埋め尽くさんとする黒い影に立ち向かうには数は余りにもカナシイ。

また、敵対する小鬼と大型アブン、後(のち)に『ビーストライダー』と名付けられる敵の士気は非常に高い。



「怖気づくな!」


ガデュワンダーの咆哮が兵士の体に突き刺さる。


「貴様らの眼前に居るものはたかだか小鬼(ゴブリン)と虫の最弱コンビだ! 国から、民から、子から絶大な信頼を得ていながらこんな恥ずかしい格好をするなどあってはならん! 臆するならば今すぐこの俺が叩き切ってやる! 逃げるな! 臆するな! 戦え! 前進せよ! 進み勝利の美酒に在りつけ! いざ―― 」



戦わなければ、彼らには敵前逃亡という大罪が待ち受ける。

初めから逃げ道は存在しない。

恐怖心は心の内に逃がさねば、自我の崩壊とともに運命は選択されてしまう。

たった1つの重く冷たいレール――『命は国の為に在り』

その信念の導く先は、まさに戦場。


「突撃!!」




ガデュワンダーを先頭に舞台の幕は上がった。

雄叫びと共に彼らは大きな敵へと接近する。


倒せ! 倒しまくれ! ――その身、砕けるまで


切れ! 切り伏せろ! ――その身、朽ちるまで



――全ては国のために


――――限りある命を燃やせ――――








たった数分だ。

それだけで生らずの森の上空は誰もが知り得る、広大で壮大、そして綺麗な景色を捨て去り、血に染まりし暁の空へと変貌を遂げた。



人間の多種多様な攻撃が敵に当たれば、それだけで幾多の数が大地へと還り咲く。


小鬼(ゴブリン)の刃や矢が覚醒者部隊を襲えば1人、2人と大地へと還り咲く。


これまでの絶対的有利を無きモノとした最大の貢献者は、間違いなく彼らが騎乗する大型アブンであろう。


巨大化したことに伴い吸血管は長く鋭く成長を遂げ人の体内から血を奪い人ならざる者へと変形させる。


それは吸血の域を遥かに凌駕した凶器を備えた新たな昆虫の誕生を意味する。


また顎は人の血肉など簡単に噛み千切るほど強靱な物へと成長していた。


数の暴力と体現できるまでの圧倒的兵力差を埋められずにいながら奮戦を続けるも周りの光景により、心の奥底に閉まったはずの恐怖が顔を出し始める。


――次は誰だ

――今度は誰が


先まで仲良く談笑していた、何度も任務を組んだ仲間が地に堕ちる姿が目に映る。

思考が、心が何も教えてくれない。



ネェ、オレの番は――――――――いつ?


怖い。

怖い。

怖い。

誰でもいい。

ここから助け出してくれ。

ここから逃がしてくれ。


時を経るごとに彼らの精神は破壊され始めた。



一方、心の声など聞こえないはずの小鬼は嬉しそうに狩りを続けている。


狩られる側から狩る側の圧倒的支配感。


覚醒者部隊が顔に出す恐怖と悲観に染まった表情を見せ、地に堕ちてイくまでの全ての感触に幾度も昇天し身体をビクつかせる。

興奮冷めやらぬ彼らは自分を構成する細胞が幾度もその感覚を欲する、その純粋な欲に従い悲劇を繰り返す。


加えて今日は極上の人肉が味わえる事実に胸躍る

一匹たりともこの場から逃がしはしない。

だってそうでしょ?

あの味を知ったら、我慢などできない。






ガデュワンダーは予想以上の武力差に為す術がなかった。

貴重な戦力が、各国への牽制兵器が無残にも地へと眠るその光景に落胆する。


彼は徐(おもむろ)に、連絡用無線イヤホンを繋げた

相手は空軍本部情報管理総轄室室長・ヴァンラー少将である。


「こちらガデュワンダー中佐。ヴァンラー少将、応答願います」


「戦況を報告せよ」


「此度の戦は敗戦であります。無能者及び覚醒者部隊は共に壊滅であります――少将、もう昇進はどうなってもいいです。今の地位も要りませんから、どうか撤退の許可を。どうか、どうか!」


イヤホンから息を吐いたような音が聞こえた。


「この世と同様に稀少だからこそ値打ちが出る。特に悪の蔓延るこの時代では尚更、その価値が跳ね上がることは知っていよう。有能な者が生き永らえるために無能は存在しているのだ」


続けて性質の変わった声がガデュワンダーの鼓膜を静かに振動させる。


「ガデュワンダー中佐。貴殿は今、分岐点(ターミナル)に立っている。よく考えて行動する事を私はお薦めするよ。この意味が理解出来ない君ではあるまい?」


「俺は、俺たちは只の捨て駒という事ですか?」


「心外だよ。」


「お、俺だけでも帰ってやる、絶対に帰ってやる!」


彼の目から一筋の涙が零れ落ちる。


「戻って来た所で君の席はもうないことに気付き給え。

おや、大の男が泣いているのか? それで同情を請うつもりか? いつも皆に威張り散らし強気な君が、全く惨めなものじゃないか」


また一人、身を散らす。


「泣けば誰かが救いの手を差し伸べてくれるのか? 泣けば許してくれるのか? 皆が憧れるガデュワンダー中佐が情けないぞ」


もうやめてくれ。


「これは君自身が賽を投げて始まったことだ。その責任くらいは取り給え――ガデュワンダー『元』中佐殿」


彼は恐怖に勝るほどの怒りへ包まれる。


「だ、騙したな! ヴァンラー貴様、この俺を踏み台にしやがったな!」


「冗談はよし給え。君は殉職に伴い2階級昇進を果たし将官へと昇格、並びに世間からは英雄として崇められる。まさに君の夢、そのものじゃないか――さあ、君の最後の武勇を私に聞かせてくれ――君の命は国の為に在り」


通信はここで強制的に切られた。

悲しみか怒りか、何の感情かも分からないモノがガデュワンダーの心に生まれた。

混沌としたソレは間もなく彼と共にこの世界の何処かへと……。






数分後、朱く染まった空から地へと墜ちる一人の影が映し出された――

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