ゆめのくに(お題「小さな光景」30分)

 どう考えてもおかしい。

 落としてしまった五円玉を拾い、もう一度その穴を覗き込む。まさか、幻に決まっている。

 そして再び、五円玉を落としてしまう。

「これ、どういう原理なんでしょう?」

 震える手でなんとか拾い上げ、五円玉を田辺先生に手渡す。田辺先生は受け取ったそれを机上の作品カードの横に置き、「わからない」とため息をついた。

 ずらりと並んだ夏休みの工作は、ほぼ親が作ったであろうものから昨夜慌ただしく作ったであろうものまで様々だったが、小学校に入学して初めての夏休みということもあってか、それなりに気合いの入ったものが多かった。

 それらとは一線を画したこの作品。これは一体。

「ゆめのくに」と書かれた作品カードの文字は、のびのびと大きい。その下には小さくひょろひょろとした文字のようなものが書かれ、さらに下の段には「けしきが、目れる、おかねです」という説明文がたどたどしく書かれている。誤字はこのさいどうでもいいとして、ゆめのくにとは、今見えたもののことだろうか。まさか、こんな景色が夢?

「この子、クラスではどんな子なんですか?」

 今思えば、二学期の始業式を終え子供たちを帰したあとぐらいから、田辺先生の様子はおかしかった。職員室で昼食をとっているときも、提出物のチェックをしているときも。これを見てしまったからだったのか。

「おとなしすぎず、問題を起こすわけでもなく、普通の子よ。しいて言えば、ちょっとさみしがりやかもしれない」

 田辺先生も、わたしも、何も言えず黙り込んでしまった。しぼり出すようにしてようやく、核心に迫るような質問をする。

「これ、どなたなんですか」

「女の人はお母さんね。個人面談でお会いしたからわかるわ。男の人はわからないけど、お父さんではないのは確か」

 返ってきた答えはさらに頭を抱えたくなるようなものだった。少なくとも、全裸で交わるこの二人が、倫理に反することをしているのは確かなようだった。

「この工作、工作って言っていいのか……どうするんですか。校内作品展には出せないですよね」

 思わず素っ頓狂なことを言ってしまい、ぶっと吹き出した田辺先生は「そうね、さすがに」と苦笑いした。

「これがどういう原理でこうなってるのかっていうのは、もうどうでもいいかも。それより、くにちゃんの心の方が心配よ。これ、なんて書いてあるのかしら。木下先生、読める?」

 くにちゃん? タイトルだと思っていた「ゆめのくに」は、名前だったのか。田辺先生の人差し指の先にある作品カードを覗き込む。名前の下に書かれた、ひょろひょろとした字。どうやら、こちらが作品のタイトルだったらしい。ミミズが這うようで、文字と文字がつながってしまっているが、読めないことはなさそうだ。一文字目は「お」? 最後は「じ」? ……

「おにたいじ、でしょうか」

 田辺先生の表情が凍った。鬼退治。わたしはさっき以上に震える手で、五円玉を覗き込む。相変わらず、夢野くにちゃんのお母さんと見知らぬ男性が交尾をしているのが見える。男が時折こちらに目配せをする、男の口が動く。は、な、し、た、ら、こ、……?

 そのタイトルが一体何を意味するのか、五円玉に閉じ込められただけの小さな光景ではわからなかった。だけど名前しか知らないくにちゃんの「助けて」という声が、耳元で聞こえた気がした。


(お題「小さな光景」三十分)


𓇼‥‥‥‥𓆟‥‥‥𓆞‥‥‥𓆝‥‥‥‥𓇼


 小さな子の目にはどんな景色がうつっているのか。自分にもあったはずの目なのに、失ってしまったからもうわからない。

 でもたしか、小さな入り口から大きすぎるものを吸収していたような気がする。それが大人の目からも覗けてしまうとしたら、どうしよう。


𓇼‥‥‥‥𓆝‥‥‥𓆞‥‥‥𓆟‥‥‥‥𓇼

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