パラレルワールド、パラレルワールド。
@NatsuKanzaki
第1話 駅のホームドア
パラレルワールド、パラレルワールド。
私達の住む世界と同じ時間軸に存在する別の世界の話。
私達の住む世界では日本という国と同じ位置にある国ジャポン。この話は、そこでの話。
「人身事故発生です」
鉄道会社GRイーストの首都圏ターミナル駅であるT駅の駅長の谷村はその連絡を受けてため息を付いた。
「また、人身事故か……」
事故と言っても大抵は飛び込み自殺だ。谷村は駅長室の窓のブラインドの隙間から、眼下の改札前コンコースに見る見る間に人だかりが出来てゆくのを憂鬱そうに眺めた。ちょうど帰宅時のラッシュアワーで、駅に到着した客が事故のため運休になった路線に乗り換えることができずに立ち往生しているのだ。
「列車が運休しており、ご迷惑をおかけして申し訳ございません。運転再開の目処は立っておりません……」
部下が構内アナウンスを放送している。謝罪の言葉をマニュアルどおりに機械的に喋っているのが見え見えだ。なんの解決の糸口にもならない事務的なインフォメーションに利用客たちの憎悪がみるみる増幅していくのがわかった。
やがてここで腹を立てていても仕方がないと思い至ったのか、利用客たちは時間をつぶすために駅直結のショッピングビルへと吸い込まれていき、店に入りそこねた者たちは構内のコンビニで買った酒をコンコースやホームのベンチで飲み始めた。いつもの光景だ。
谷村は、いつもの習慣で駅長室の壁に掛けてあるカレンダーに「一九:〇五 T駅人身」と記した。壁にかかっているのは同期の山口が毎年持ってくるカレンダーだ。山口は元々谷村と同じ鉄道部門にいたが、駅長になれないまま十年前に出向した。出向先はGRイーストの子会社で、主要駅に併設されているショッピングビルを運営するGRビルだった。苦節あったろうが、今は役員の席を射止めている。GRビルは、GRイーストが民営化されたときのリストラ駅員の受入のために設立された会社で、永くGRイーストのお荷物を呼ばれていた。しかし、ここ数年で劇的に利益を上げるようになり、今や本業の鉄道に匹敵する存在になっていた。
翌日。谷村は駅構内を巡視中に、山口の姿を見かけた。
「おい。山口」
山口は谷村に気づき、「おう、谷村」と言いながら、笑顔を浮かべながら近寄ってきた。血色もよく、羽振りも良さそうだった。
「景気良さそうだな」
山口の高級スーツに目をやりながら谷村がそう褒めると、山口もまんざらでもなさそうだった。
「谷村も昨日の人身事故、大変だったんじゃないか?他人事のようになんだが、オレは鉄道部門とおさらばできて、つくづくよかったよ」
台詞とは裏腹に、山口の言葉尻には、かすかな卑屈と皮肉が漂った。
「いつものことながらな。また足が不自由なお年寄りだったよ。結局運転再開まで二時間もかかったし。事後処理もあったから午前様だったよ」
谷村は、それに気づかぬふりをして、ただ昨夜の疲労感を思い出し愚痴った。
「本当にお疲れ様だよ。うちのビルのテナントさん達もさ、平日だから店員のシフトを薄めにしていたところに、客がどっと押し寄せてきたもんだから大変だったみたいだ」
巡視を終えて駅長室に戻ると、鉄道設備機器メーカーの島津が来ていた。
「やあ、島津さん。お疲れさん」
椅子から立ち上がって「いつもお世話になっております」とお辞儀をする島津に、谷村は「まあまあ」と腰掛けるよう促し、自分もドサリと合皮のソファに腰を下ろした。
「全く、人身事故には辟易するよ」
「ホームドアを設置するのが一番ですけどね……」
「ああ確かにな。しかし、どうも車両のドアの位置が様々だったり、ホームが湾曲していたりでうまくいかないらしい。島津さんのトコで、いいやつ開発して、本社に提案してよ」
谷村の言葉に島津は「本当ですねぇ」と思わせぶりに相槌を打った。「確か五年前にGRさんのご要望に沿うような製品を開発して、うちの営業がGRさんの本社に提案させていただいたはずなんですけどねぇ。その後、梨のつぶてで。ご決断いただけると弊社にとっても大変ありがたいんですけどねぇ」
「そうなの?知らなかったな」
「駅長さんも知らされていないんじゃ、まだまだ先のことのようですねぇ」
島津と機器の定期交換のスケジュールについて打ち合わせていると、また、人身事故の一報が入った。
打ち合わせを切り上げて、事故対応の状況の把握に追われている間、谷村は先刻の島津の話を思い出し、とうの昔にホームドアが開発されているのに、なかなか導入に踏み切らない優柔不断な本社に憤りを感じた。
それから一ヶ月後、谷村は本社で開催された駅長会議の場にいた。本社の各部署の説明を一方的に聞かされ続ける退屈な会議も終盤に入り、皆が帰りにどこで一杯やろうか等と考え始めていたとき、谷村は突然挙手し、発言を許しを求めた。司会者は予定外のことに少しうろたえたが、無視をするわけにもいかないと思ったのか、「手短にお願いします」と谷村にマイクを手渡した。
「発言の機会をいただきありがとうございます。私から要望がございます。聞くところによりますと、すでに五年前にメーカーでは我社に適合するホームドアを開発しており、本社のゴーサイン待ちとのことのようですが、これ以上人身事故が起きぬよう早急に導入をご決断いただきたい」
「……本当なのか?……」、「……知らなかったな……」谷村の発言に日頃から人身事故に悩まされている駅長達はざわついた。しかし、谷村の発言に対して本社側がコメントすることなく、何事もなかったかのように会議は終わった。
数週間後、いつものように駅を巡視していた谷村は山口に呼び止められた。
「谷村、お前本社の駅長会議でホームドアの導入を進言したんだって?」
山口の茶化すような言い方を不愉快に感じた谷村はかすかに声を荒げた。
「まあな。知らされていなかったけど、設備メーカーの方ではとっくの昔に開発が終わっているって聞いたんでな」
谷村がそこまで知っていることを山口は知らされていなかったのか、動揺した山口の顔から笑みが消えた。
「それは不正確な話だ。まだ導入には技術的なネックがあるんだ。誰だそんなガセネタを流しているやつは」
「お前はもう鉄道部門じゃなくて商業部門なんだから、そんなに感情的にならなくていいだろう」
「……まあな、確かにな」
谷村になだめられて山口は我を取り戻したが、不快感を露わにスタスタと立ち去っていってしまった。
「なんであいつ、いきなり感情的になったんだ?」谷村がその背中を呆然と見つめていると、構内アナウンスが流れた。「ただいま、S駅で人身事故が発生したとの情報が入りました。このため、CH線はしばらくの間運転を見合わせます。お急ぎのところ大変申し訳ございません」……
谷村が事務室に行くと、部下達が対応に追われていた。やれやれと思いながら駅長室に入り、いつものようにカレンダーに「一八:三七 S駅人身事故」と記入した。GRビルにとってショッピングビルのセール期間は大切なのだろう、目立つようにカレンダーの日付の色が黒ではなく緑になっていた。だから先週までがサマーセールだったことが一目で分かった。「あれ?」谷村の脳裏にふとある既視感あるいは違和感が芽生えた。そして、その答えを求めるように、保管してあった過去のカレンダーを引き出しから取り出して広げた。どういう理由(わけ)だろう。セール期間やイベント日を避けるように人身事故が発生している。
暫し考え込んだ後、谷村は居ても立ってもいられない様子で駅長室を飛び出た。そして、T駅に隣接するGRビルの本社に入った。そこは、無機質な駅構内の執務場所とは異世界としかいいようがない豪華で洒落た雰囲気だった。谷村はカーペット敷きの廊下を進み、山口の部屋の重厚なドアをノックもせずに開いた。ドアの向こうには、突然の来訪者に驚いた山口の顔が見えた。
「どうしたんだ。怖い顔して」
山口はテレビを観ていたようだ。革張りのソファに座ったままメガネを外した。
「まさかとは思うが……。お前ら意図的に人身事故を起こしてるんじゃないのか?」
谷村の言葉に山口の顔は嫌悪感と興奮でみるみる赤く染まり、「なんだその言いがかりは。失礼にも程があるぞ」と背もたれに身を預けふんぞり返った。
「これを見ろ」
谷村はカレンダーの束をテーブルに乱暴に置いて、指先で叩いた。
「少なくともここ五年間、この地域で置きた人身事故の殆どはショッピングビルのセールやイベントに当たらないときだ」
「たまたまだろう?」山口は汚いものでも見るかのようにテーブルの上のカレンダーを一瞥した。
「いいや」谷村は頭を振った。「それだけじゃない。調べてみたら、人身事故は、ショッピングビルがある駅かその周辺の駅ばかりで起きていて、おまけに駅ごとの回数もほとんど同じだった。偶然にしちゃ出来すぎじゃないか。まるで持ち回りで事故を起こしていたようだ。まさか殺……」
谷村は自分の内に去来したおそろしい想像を言葉にすることが出来なかった。山口は厳しい顔をして無言のまま、じっとカレンダーを見つめていた。
「なあ、お前も鉄道マンとして安全運行こそが至上命題ってことを忘れたわけじゃないよな」
谷村の言葉に、山口は激昂して立ち上がった。
「オレはもう鉄道マンじゃないんだよ!いつまでもエリートぶってオレに対して見下げたような口のきき方をするな!いいか、今やGRイーストの利益は本体よりも、オレたちGRビルが稼ぎ出しているんだよ!お前らの給料はオレたちが泥水をすするような思いで稼いでやってるようなもんなんだよ!」
谷村は、安全運行至上主義どころか人身事故をわざと起こして、閑散期でもショッピングビルの売上を維持しようとする謀略を知って虫唾が走った。いつからだ?どの程度組織的な陰謀なのだ?事故を予防するホームドアは都合が悪いから敢えて導入されなかったのか?そうすると、GRビルだけではなく、GRイースト本体も承知していたのか?信じ難い真実に直面し、谷村の脳裏は混乱し、様々な憶測や感情が次々と溢れてきた。
そのとき、テレビから緊急速報を知らせるチャイムが聞こえた。二人が画面に目を向けるとそこには「GRイーストのJ駅で人身事故。被害者は女性と幼い子供」というテロップが映し出された。J駅も人身事故が頻発していた駅の一つだ。
「お前らは、女性や子供にまで手を出しているのか!」
今度は谷村が立ち上がって山口を怒鳴りつけた。山口の顔色は先程とは一転して青ざめ、呆然と画面を見つめたままつぶやいた。
「誤解だ。信じてくれ。これは、オレたちがやったことじゃない……」
「信じてくれ」と言われても、それまで失われた多くの尊い命のことを考えれば、信じる気にはなれないし、そもそも信じる、信じないというレベルの話ではないと谷村は思った。J駅の事故は社会的にも大きく注目され、マスコミの厳しい追及が連日続いた。そしてついにGRイーストの経営トップが、国会の場で直ちにすべての駅にホームドアを設置することを約束した。しかし、ホームドアの設置が延期されていた理由については曖昧な態度に終始し、決して語ることはなかった。そして、なぜか厳しく追求されることもなかった。
それからわずか二週間後。T駅でもホームドアの設置工事が突貫で行われ、十日足らずで全てのホームの工事が完了した。工事が終わった日の晴れ渡った早朝、谷村は島津と一緒に、始発直後でまだ乗客がまばらなホームを歩きながらホームドアの設置の具合を確認していた。
「それにしても、もう少し早く決断していただければ、あの悲劇も防げたんですけどねぇ。残念です」
島津のつぶやきに谷村は頷いた。一旦ホームドアが付いた光景を見てしまうと、それまでが信じ難いほど前近代的で危険な状態だったことを思い知らされた。
ホームの端の方まで来たとき、谷村は「おや」と立ち止まった。「なんで、ホームの端の方は柵を付けていないんだい?せっかくホームドアを付けても、ここだけ以前のようにまるで無防備じゃないか」
谷村の指摘に、島津は小脇に抱えていた図面を広げた。
「うーん、設計図面上はこのとおりになっていますねぇ」
「このままじゃあ、飛び込もうとしたら飛び込めてしまうよな」
「おっしゃるとおりで」
まさかこの期に及んで、あわよくばホームの端からでも飛び込んでもらえれば等と未練がましく忌まわしい期待をしている悪党がいるとは思いたくないが……。そう思いながら、谷村は島津に命じた。
「ここに高い柵を追加してくれ。自殺願望があるお客でも絶対越えられないような高い柵をな」
パラレルワールド、パラレルワールド。
私達の住む世界と同じ時間軸に存在する別の世界の話。
私達の住む世界でも、全ての駅に一日でも早くホームドアが設置されるといいですねぇ。
お読みいだたきありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。感想もお待ちしております。
パラレルワールド、パラレルワールド。 @NatsuKanzaki
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