第3話
「バーン!危ないよ!ここ4階なんだから落っこちたら死んじゃうよ!」
悲鳴に近い声が響いた。
「紫音に、見せたいものがあるんだ。」
左手を差し出してきた。
「こっちに来る勇気は、あるか?」
「え、でも」
「俺は信じられない…か?」
「でも」
「信じてほしいなら、自分から信じろ…。そういう自分が許せないなら許さなくてもいい。それでも、一歩踏み出そうとする勇気が、あるか?」
「バーン…」
「さあ、」
まっすぐな眼で彼女を見ていた。
金色のオッド・アイが光っていた。
彼に見つめられると不思議な気分になってくる。
自分の心の底まで見透かされているような、それでいてなんともいえない安心感のようなものがあった。
紫音は意を決して、イスの上に乗ると彼の手に自分の右手を重ねた。
温かかった。
そのままバーンは彼女の身体を抱き寄せた。
下を見ると地面がとても遠くに感じられた。
夜風に揺れるこぶしの野菜たちや修折館へ続く渡り板がはっきり見えた。
さすがにこの高さで支えが何もないと足がガクガクと震えた。
「バーン?」
彼の腕の中で彼女は見上げた。
「……」
「ど、どうするの?何を見せたいの?まさかこのまま手を離したりしないよね?」
「ご推察どおりに」
そう言った途端にバーンは手すりを持っていた手を離した。
二人は真っ逆さまに地面に向かって落下し始めた。
「きゃあぁぁ!」
声にならない悲鳴が口をついて出た。
バーンは何事もなかったように詠唱を始めた。
「『見よ』と汝らの神は宣言する!」
彼の声が響いた途端、落下が止まった。
二人の身体は空に浮かんでいた。
「我は、12の王国がその両手の上に立っている円なり。これらのうち6つは生命の座なり。残りは、鋭き鎌のようなもの、あるいは死の角のようなものなり…。」
下から彼らを支えるように相当強い風が吹き上げていた。
ちょうど上昇気流のなかにいるような感じだ。
「!?」
「これより、大地の生き物はわが両手の中でのみ生きたり、死したりする…。そして、それらは眠り、そして目覚めるなり。」
「バーン!?」
「…言ったろう。見せたいものがあると。大気と水の精霊の力を借りて、このまま上空に上る…。」
「
「それとも少し違う。精霊たちに運んでもらっている。鳥のように自由に飛ぶまではいかないけど。」
「すごいね。魔法使いみたい。」
紫音は眼下に広がる景色に目を見張っていた。
人がいないだけでいつもと変わらない風景が足元に広がっているのだ。
息をのむ以外できなかった。
二人はゆっくりではあるが、どんどん上へ上へと上っていった。
さっきまでベランダに立っていた校舎が新書ほどの大きさになっていた。
遠くには市内のイルミネーションが瞬いて見えた。
北環状線から霊園に続く道路。
自宅も駅もそこから続く道路もはっきり見えた。
そんな彼女の様子を見ていたバーンは穏やかな雰囲気でこう言った。
「そんな顔も…できるんだな…。」
「え?」
「そのほうが紫音には合う」
「?」
ちょっと困った顔で首をかしげた。
やがて上昇が止まった。
紫音はバーンから離れてしまうと落ちそうな気がして、ひしっと彼の腕にすがりついていた。
「見せたかったのは、この澄んだ空気を通して見える夜景とここまで連れてきてくれた…彼女たちさ。」
「彼女たち?」
「今、紫音にもわかるように可視化させる…。」
そう言うと不思議な音の羅列を口にした。
「BATAIVAH HABIORO AAOZAIF HTNORDA AHAOZAPI AVTOTAR HIPOTGA」
空に青い光の魔法陣が出現した。
それはちょうど自分たちの足元にあった。
「同じ神の名において、汝ら自身を高めよ、と我は言う。見よ、彼の恵みが栄えるなり。そして彼の名は我らが中にて、強大にならん。彼において、我らは話し、動き、そして降りる。汝らの創造の中にて、彼の秘密の英智を分かち合う者とならんため、我らに仕えよ…。」
「あっ!!」
思わず声を上げてしまった。
気がつくと彼らの周りは光輝く白い何かに覆われていた。
雪のように周りを囲んでいたからである。
その幻想的な景色に彼女は目を見張った。
「綺麗…ひとつひとつが光の粒みたい。これが精霊なの?」
紫音は手を伸ばしてそのうちのひとつを手のひらにのせた。
まるでたんぽぽの綿毛のようだ。
「それにあったかい。さっきまで吹いていた風じゃないみたい。」
じんわりと遠赤外線を受けているようにぽかぽかと温かかった。
下から押し上げるようだった風がいつのまにか凪いでいた。
それでも何かに支えられながらこの場に浮いることができるのだ。
「そのあたたかさは紫音を気遣ってのもの。早く元気になって、またこの大地を踏みしめて立ってほしいって…」
「私を心配してくれてるの?」
「ああ」
「大気の精霊も水の精霊も、精霊はみんなそうだけど自然の恵みをもたらすもの…。時には厳しく激しくでもやさしいんだ。自然の力を循環させていくために必要だから。」
「厳しく…やさしい?」
「君に見えないだけで、君のことを気遣ってくれる
「バーン」
「自分で気づくのは、大変かもしれないけど。」
バーンは彼女を見つめたままこう続けた。
「…日本に来て、それまで経験したことのないことや見たことのないものにたくさん出会った。この風景も、そのひとつなんだ。家々ひとつひとつに明かりがともるその瞬間が好きで、それを見ていると、どこか安心していた。日本の四季の移り変わりも同じように。」
「……」
「この世界を俺は美しい…と思う。紫音、君は自分の生きている世界のことを、どう思う?」
その問いにどう答えていいのか言葉に詰まってしまった。
「私?私は?」
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