公人と私人
元気が一杯チャージされている。だから苦手な事も辛い事も、いつもより沢山頑張れる。と、言った風のシイナは、満面の笑みでクウィッドに対峙した。
「おや、今日はどうされました?」
「番号札は」
「必要ありませんね」
「ですよね」
どこか頭の上を通り過ぎていくようなやり取りは、闖入者によって中座した。カタンとドアノブの回る音。遅れてカランとドアベルの揺れる音。入ってきたのは小柄な女性。シイナの肩までも無い。黒髪ショートのワンレングスにデコっぱち。七分のパフスリーブに踝上のワイドキュロット。素手に素足にぺったんこ。その装い全てが、この街では珍しい。見惚れるシイナの元へ、つかつかと歩み寄って両手を取った。
「あなたが新人ちゃん? 私はマーロ。よろしくね」
「はい⁉ えっと、シイナ、です。こちらこそ、よろしくお願いします」
「おっきいわねぇ。助かるわぁ。そこの陰険、容赦なく高い所に物置くのよ」
「あ、あはは」
この小さな女性からすれば、大半の人間は大きく見えるだろう。シイナとて、どちらかと言えば小柄な方なのだから。つまりは取敢えず褒めておけという例のやつ。だとしてもスラスラと並べ上げるのは大したもので、そもそも状況が飲み込めていないシイナは完全に飲み込まれた。
やり取りが途切れたのを見て取ったクウィッドが半目のままで割って入る。
「町長」
「なによ、今更返さないわよ? 品もいいし可愛いし、気に入っちゃった」
「ですから能力を基準に、いえそうではなくて」
「だって毎日顔合わせるのよ? 小憎らしい子なんて嫌」
「貴女、毎日なんて来ないでしょう。ですから、違うんです」
「違う? 新人ちゃんじゃないの?」
「彼女なら既に移動済みです。今頃はあなたの部屋に、」
「何してくれてんのよ!」
「貴女がそうしろと仰ったんでしょう。さっさと戻ってください」
「言われなくてもそうします。ごめんなさいね、驚かせちゃって」
「いえ、そんな」
「せっかくだから、また今度、ゆっくりお話ししましょ」
「はい、是非」
突然の嵐は、去っていった。取り残された二人。呆然としているシイナの背中に、気まずそうなクウィッドが話しかけた。半目が更に細くなっている。
「うちの駄目上司が、お騒がせしました」
「町長さん、ですか」
「ええ。この街全員の、悩みの種です」
「えぇぇ。えっと、オシャレな方、ですね」
「そうですか? そういった事は、私には分かりかねますが」
何かをちょっと思案して、クウィッドは、まだ立ち直れていない背中に向かって提案した。
「そうですね、もしよろしければ、訪ねてやってもらえませんか? ファッションに関しても、きっと色々聞けると思いますよ」
「え?」
やっと向き直るシイナ。何もかもが予想外なのだろう。その表情から、すっかり色々なものが抜け落ちている。これが二人とのご飯前だったら、既に心が挫けていたに違いない。
そんなのっぺらぼうの様な顔のシイナに向かって、こちらもある意味無表情なクウィッドが、心なしか熱く語りだす。
「どうせ仕事なてしませんし。お茶菓子でも持参して戴ければ、半日コースです」
「それって、拘束したい、とかですか?」
「分かっていただけますか。自由にさせておくと、問題しか起こさないんです」
「あ、はは」
「ああ、いえ、人格的には、問題ないのですが」
「そう、ですか。茶菓子……」
「ぜひ前向きにご検討いただければ」
ふんっと一息吐いて、クウィッドが元に戻る。と言っても、表面的には更待月が半月に戻った位の違いしかない。振れ幅が大きいのは、その声音。すっかり平坦な調子に戻っている。
「それはさておき、本日はどのようなご用件で?」
「あっそうだ。えっと、お店を出すのに必要な手続き、ってなんですか?」
「種類と形態は何でしょうか」
「種類? 喫茶店かな。お茶とお菓子だし。形態は、なんて答えたらいいのか」
「そうですね、飲食物でしたら、店舗か移動販売の二つでしょうか」
「移動販売? 肩から下げて、とか?」
「大抵はリヤカーの様なものを使われるのでは?」
「リヤカー……屋台? じゃあ、店舗です」
「なるほど。飲食店ですと、まず第一に推薦人が必要です」
「推薦?」
「既に営業されている方からの太鼓判ですね。それを踏まえて書類を一つ提出していただきます。条件を満たしていれば、審査を経て、問題が無ければ営業許可証が発行されます」
「なる、ほど」
説明する側にしたら何でも無い事なのだろうが、受ける側にとっては事情が違っていて、一目でそれと分かる程、シイナは既に色々と諦めている。淀みなくスラスラと語られて、分かった様な気には、なれているのだろうが。
「次に店舗との事でしたが、建物の所有者がどなたかによって変わってきます」
「所有者? オーナー?」
「ええ。ご自身の物権を行使される分には、特に追加の手続きは必要ありません。ですが、賃借されるのであれば、それに関する書類を別途提出していただく必要があります」
「そう、ですか。やっぱり長い、ですよね?」
「まぁ。手続き自体もそうですが、何より皆さん、推薦人になるのを嫌がりますね」
「そっか、責任とか、」
「どうでしょう。単に競合するからでは?」
「あ、はは」
教鞭が止まったのを切欠に、シイナが短く息を吸って強く吐いた。目つきもキリっとしていて、これからが本番ですとでも言いたげ。
「じゃあ、自警団に入って、えっと、依頼、で食料を提供するとしたら」
「その場合は、こちらでの手続きは必要ありません」
「そうなんですか?」
「ええ、まぁ。自警団さんの中で、ルールはあると思いますが」
「そっか。そうですよね」
弾んだ顔と声。それを見たクウィッドの瞳が欠けていく。これも役目と割り切っては居るだろうが、それでも、費やした労力が予防線の糧でしか無かっとなれば好い気はしないだろう。小さくため息をつくと、まぶたを半月に戻した。
「そういえば、先日提出された書類、受理されましたよ」
「じゅり?」
「住民として登録された、という事です。正確にはまだ、見込みですが」
「本当ですか⁉」
より一層弾むシイナ。今度はクウィッドも微笑む。ほくそ笑むといった方が近いかもしれない。この男は自身の扱いに慣れているようだ。
「ええ。ここ二日ほど、あの駄目上司が仕事をしてくれましたので。あの人の了承印に盾突く人なんて、いないでしょう」
「それって、」
「何か?」
「順序が逆、とか?」
「さぁ? ですがこれで、大抵の事は制限されずに済むと思いますよ」
恩着せがましいと言えば、その通り。けれど紛う事無く恩であるし、初対面時のやり取りからすれば願うべくも無かった結果なのも事実。いろいろと複雑なものもあるだろうが、結局シイナは、最も単純な言葉に頼った。
「……ありがとうございます」
「いえ、仕事ですから」
「あは……あの、お茶菓子って、何時頃がいいとか、そういうのは」
「お。引き受けてくださいますか。そうですね、ここは五時に閉めますので、それ以前でしたらいつでも」
「いつでも?」
「ええ、午前でも午後でも、その両方でも」
「あ、あはは」
やにわに熱を帯びるクウィッドの視線。冗談でも例え話でもないのは、これまでの言動からも明らか。この状況でなら、シイナも図太さが発揮できる。
「でしたら、明日、とか」
「歓迎です」
「今日と同じくらいの時間、でいいですか?」
「そうですね、問題ないでしょう」
「でしたら明日、お茶菓子を。あ、あと、お茶も持参しようと思うんですが」
「そうですか? こちらも中々良いものを取り揃えているのですが。ああ、先程お仰っていましたね。なるほど、なかなかの策士だ」
「え?」
見つめ合う二人。ニヤっとした視線を受けてポカンとする瞳。呼吸二つ分、しっかりと間を置いてから、ようやく言葉が差すものに思い至った。
「いえ、売り込みとかじゃなくって。その、感想を聞いてみたい、っていうか」
「ええ、よろしいのではないでしょうか。ですが、そういう事でしたら、少し多めに用意して戴けませんか?」
「はい、構いませんけど。どうして?」
「私もご相伴に預かろうかと」
「はぁ」
「ふむ。今日は残業が必要ですね」
「あ、はは」
分かっていても冗談にしか聞こえず、シイナとしては愛想笑いが精一杯だったのだろう。クウィッドは真剣な半目でペンを走らせ始める。書類仕事でもしているのか、予定の確認でもしているのか。
「ご満足いただけると、いいのですが」
「ご安心ください。これでも批評には、ひとかどの自信があります」
「……がんばります」
「はい。では明日、心よりお待ちしております」
”心より”の部分が強調されていたように感じたのは、果たして気のせいであったか否か。どう飲み込んだらいいのか分からない感情を抱えて、シイナはその場を後にした。役場の中には、カリカリというペンの走る音が響き続けている。
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