いつか見た

 役場は、斜面を背にして、残り三方を区画整理された木立で囲まれている。木漏れ日と、木陰と、緑の香り。根元に腰を下ろし、幹にしな垂れかかれば、優しい時間を過ごせるだろう。そんな魅惑の林、これまではただ見送ってきた風景の中へ、シイナは一歩踏み込んだ。楽しさを胸一杯に吸い込みながら進んで行く。


「ふあんさん?」


 見覚えのある姿に声を掛けたシイナへ、十二の瞳が集まる。漂うようにユラユラと頭を揺らしている先客は、寝転んだり、しがみ付いたり。そんな、まやかしの様な景色は、朗らかなようでいて、狂気と紙一重にも見える。目を奪われ、立ちすくんでいたシイナの下へ、やがて聞き覚えのある圧の強い声が届いた。


「やぁっと見つけた。ほら、行くぞ!」


 頭の先までしっかりと焦げた男性。逞しい体つきと厳つい風貌が、この場に於いては頼もしい。シイナの表情が緩んだ。


「あの、お久しぶりです」


「あ? どっかであったか?」


「はい、以前港で」


「ああ、じゃあ別人だ。またかよ、そんなに似てんのか?」


「えっ」


 どう見ても同一人物だが、そもそも一度会っただけの相手の顔など詳細に覚えているはずがない。違うと断言されてしまえばそれ迄。


「そっくり、だったと思います」


「一度会ってみてぇもんだな」


「あ、あはは」


 誰でもいいという訳ではない。ただこの、ウォーターベッドの上に立っている様なグニャグニャした雰囲気の元では、彼の様な存在が頼もしくて、彼らの様な存在は薄ら寒かった。木漏れ日は誰の元へも等しく降り注いでいるというのに。


「あの、この方達、」


「あん? 今日は大漁だな」


「獲っちゃったんですか⁉」


「あ? 嬢ちゃん正気か?」


 途端に顔を真っ赤にするシイナ。本気で言ったわけでは無いだろうが、真顔で聞き返されてしまえば仕方ない。しかしそれは焦げた男性の方も同様だったらしく、つるつるとした後頭部を撫でながら気まずそう。


「ああ、なんだ。ここまで一遍に来んのも、珍しいよな」


「そうなんですか。え、船来たんですか?」


「あたりめぇだろ。ああ、おめぇ旅人か」


「はい。えっと、数日前に着いたばかりで」


「なるほどな。今日のは定期の交易船だ。人載せるもんじゃねぇ」


「そうですか」


「積荷になりたきゃ止めねぇよ?」


「は?」


 ニカッと笑う男性。本人からすればニヤニヤ笑いなのかもしれない。つられてシイナも微笑む。


「それは遠慮します」


「だろうな」


「定期船なんてあったんですね」


「まぁな。じゃなきゃ魚なんて、まともに食えねぇよ」


「ふぅん。あの、次の客船がいつ頃か、とかって」


「さぁなぁ。あっちの都合なんて知り様がねぇし」


「そうですよね。そっかぁ」


 ゆらゆらと揺れながら、六つの頭が男性の元へ集まってくる。わらわらと足元を賑やかし、引っ張ったり、抱き着いたり。それらの一切を気にした風なく、男性がシイナの横顔を窺った。


「帰りてぇのか」


「えっ? はい、それなりに」


「住めば都だぜ?」


「あは。良くして頂いてます」


「それでもか。なら、仕方ねぇな」


「いえ、そこまでじゃないんです。先にお金稼がないといけませんし」


「なんでぇ、そいつぁ気のなげぇ話だな」


「はい」


 一頻り笑いあった後、腰までよじ登っていた一人を摘まみ上げると、そのまま肩に担いで、シイナに背を向けた。


「そいじゃ失礼するぜ。そっくりさんに宜しくな」


「あっはは。お会い出来たら、お伝えしますね」


「おぅよ、良い旅を」


 六つの塊に纏わりつかれながら、男性は何事も無いように去っていく。背中越しでも、彼の声は良く通った。残されたのは静けさ。葉擦れの音が人の囁き声の様で、林の中は、来た時に感じた優しさが薄れている。くるりと踵を返したシイナは、男性が向かったのとは反対へ、小走りに駆けて行った。

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