モドキ達

 雑然としている分、目印になるものが沢山あって、そこへ更に思い出が加わったから、シイナの足取りに迷いは無かった。ネコが居た花壇。ソフィアは猫アレルギーだと言っていた。ガラス張りの建物。ちょっと前まで商店だったが、今は家主が不在らしい。釣瓶付きの井戸。流石に飲料用ではないはずだが、詳細は不明だそうだ。そして正面、立て看板付のお店。カーテンを閉め切っているのは、商品を傷めない為だとは思うが、それならそれでもう少しやり様があったのではないか。そんなぼやきを聞きながら入った場所。


「こんにちは」


 ダニアのお店。モドキ屋さん。


「忙しい日だよ、まったく」


 開口一番がそれだった。昨日と同じ場所に座っている。顔がしわしわしているので表情が読みづらく、声もガラガラしているので感情を受け取りづらい。つまり今まで通り。それでもシイナは、言葉そのものを聞き捨てる事が出来なかった。


「えっ、出直した方がいいですか?」


「いいや、構やしないよ」


「あれ、どなたかいらしてるんじゃ」


「今はあんただけだよ」


「あ、はは」


 つまりただの憎まれ口で、深い意味などこれっぽっちも無かった。シイナが赤くなっているのは怒りによるものか、それとも馬鹿正直に対応した自分への恥ずかしさによるものか。その顔色はダニアにも見えているだろう。見た目に反して五感は冴えわたっているのだから。


「朝方、支部長殿がいらしてね」


「しぶちょ、あ、ソフィア」


「なんぞピーチクパーチク囀ってったんだ」


「それで、ご機嫌が」


「ったく、厄介なもん連れて来てくれたよ」


「あ、あはは」


 口ではそう言っているが、本気で嫌がっているのかは疑わしい所で、そこまで含めての悪態だとしたら何とも厄介な性格だ。少なくともシイナとは逆方向の志向なので、立場の違いを加味すればやり難くて仕方ない事だろう。


「で、何の用だい」


「はい、あの、ご相談したいことがあって」


「はぁ?」


 表現が悪かったのか、時機が悪かったのか、それとも単にダニアが意地悪なのか。口元の皺を深めながら手の甲を振る。心なしか声に張りがある。


「色恋沙汰なら余所行っとくれ」


「え、なんで」


「違うのか?」


「違います、私は、」


「あんた位の年頃なら、頭ん中お花畑だろう?」


「それは、いえ、そうじゃなくて」


「満更でもなさそうじゃないか」


「全然、そんな事、」


「なんだい、つまんないね。いい人の一人や二人いないのか」


「なんで急に、ん? さっきは、余所行けって」


「ちっ」


「えぇぇ」


 流石のシイナも、もはや泣き出しそうな顔になってしまった。感情の向きを定められないと、心はどうしても脆くなる。その辺りを揺すって愉しんでいるのは、生来の性格によるものか、重ねた年月によるものか。満足はしていないようだが、引き際は心得ているらしい。実際に泣き出されては、その方が面倒だとでも思っているのかもしれないが。


「で、菓子だったか?」


「はい……他の香料も試したいなって」


「だったらほれ、そっちの、その瓶」


 ダニアが指し示したのは、バニラモドキと同じ列。その一番端。茶色い棒状。


「シナモン?」


「擬きだ」


「ですよね。これ、効能ってありますか? 防腐?」


「なんだ、知ってるじゃないか。後は、そうだね、虫よけかね」


「虫よけ。獣除けにもなったり、とか」


「馬鹿言ってんじゃないよ。そいつは食いもんだよ?」


「そうですよね、あ、はは」


「まぁ、元は獣除けだがね」


「えっ」


 今日のダニアは調子がいいようだ。一々シイナを弄ぶ。それほどソフィアと険悪だったのか、又はその逆か。いかんせん表情も感情も伝わってこない。遊ばれる方としては堪ったものでは無い筈だが、シイナはもう切り替えている。開き直れば無敵なタイプ。


「もしかして、毒?」


「安心しな。そいつはハナから食いもんだ」


「良かった」


「あん?」


「いえ、なんでも。他にもありませんか? もう一つ位試してみたいなって」


「他ねぇ」


 ゆったりと店内を見回すダニア。名札なんて付いていないから、何処に何が有るのかは頭の中に収めているのだろう。値札も無いから、それも含めて。

 バニラモドキの列の反対側、ダニアから見て店の左端の棚で視線を止めた。


「ああ、あれか。ほれ、奥の列の」


「これ? え、なにこれ」

 

 緑色の小さな粒が沢山。乾燥していて、平行脈が浮き出ている。ぱっと見た限りでは別の生き物を連想してしまい、人によっては苦手な外見だろう。シイナも少し嫌そうだ。


「開けてみな」


「うっ」


 もわんと匂ったのはスッとした香り。メントールとは違う癖のあるもの。思わず顔を顰めたシイナは、しかし脳が励起された。


「あれ、どこかで。あっ、箪笥の匂い」


「樟脳なんて使ってたのか。いい家に生まれたねぇ」


「しょうのう? え、小脳?」


「癖は強いが、柑橘と併せるとすっとするよ。薄荷とは違うね」


「柑橘。レモン、とか」


「いいんじゃないかい。好きな奴はそれだけでも使うがね」


「これだけ、かぁ」


 嫌そうな顔。どうにもこの匂いが苦手らしい。ただ、食わず嫌いという可能性もあるし、試すというなら冒険する事も必要。何より、紹介してもらっておいて断るというのは、この場に於いては難しい。つまり買うしか無い訳で、どう使うかを悩んでいるようだ。主にこの匂いを目立たなくする方向で。


「ああ、言っとくが、割って種だけ使うんだよ。皮も匂うが、混ぜたら質が落ちる」


「これを、一個一個、ですか?」


「そうさ。いいもん食いたきゃ、手間惜しむんじゃないよ」


「がんばります……そうだ、これ、効能って」


「消化剤さ。ああ、毒消しにもなるね」


「毒消し⁉」


「何でもかんでもって訳にゃいかないがね。何度も世話になったもんさ」


「あ、消化剤って事は、食が進んで……」


「大食らいには薄荷の茎でも噛ませときな」


 調理場の棚に吊るされている。柔らかい部分は一緒に食べてしまっていたが、主軸は切るのにも硬かったので、ポプリか何かにしようと乾かしていた。意外な使い道があったらしい。


「あ、はは」


 曖昧に笑うシイナ。口一杯に茎を詰め込まれたカノンの顔でも想像しているのだろう。その様子を見て、ダニアは何か違うものに思い至った。


「時にあんた、持ってったもんはどうしてんだ」


「え、食べて、ますけど」


「当たり前だろうが。そうじゃない、どうやって保管してるんだ?」


「えっと、ミント、モドキは、干してます」


「甘ささげは?」


「あま? あ、バニラモドキは、そのまま」


「ふぅ」


 今日初めてダニアの感情の色が伝わった。真っ青。落胆。すうっと下がった温度に、シイナが委縮する。別段悪い事をしていた訳でもないのに。こういう所が損でもあり美徳でもある。つまりシイナらしさ。


「すいません」


 耐えきれなかったらしい。いたずらな謝罪は褒められた事では無いのだが、この街では概ね良い結果になっている。今回もそう。お互いが善人なら、素直なのが一番だから。


「そこに積み上げてるの、持ってきな」


「え、でも」


「貸してやる。割ったら弁償しな」


「ありがとうございます」


「今日持ってくのも入れりゃ、四つか? 背負や平気だね。ほれ、袋」


 陳列棚に並べられている瓶よりも一回り小さい。背負い袋を受け取ったシイナは、その一つを拾い上げようとして呻いた。


「重っ」


 片手で持てるサイズだし、そもそも昨日は、一回り大きいものを店に居る間中抱えていたというのに。漬物石でも動かすようにひと瓶ずつ袋へ仕舞っていくシイナ。お構いなしのダニア。


「要るのはそれだけかい?」


「はい? あ、はい。まずはこの二つで試してみます」


「そうかい。それじゃ十五銅でいいよ」


「これでお願いします」


「はいよ」


 穴無しの四角形を二枚手渡して、穴無しの円形五枚を手渡される。財布代わりの包みに仕舞って、バッグに押し込むと、瓶を背負おうとして再び呻いた。


「うくっ、重っ」


 どうにか四つん這い。そこから何とか二足立ち。壁を支えにしながら必死に歩く。


「割るんじゃないよ」


「はい、あの、また、きます」


 ガラス同士がぶつかり擦れるガチャガチャという音を立てながら、シイナはよろよろと店を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る