ランチタイム
青白い建物へ続く人の列。この時間になって尚途切れないという事は、余程人徳のある人物だったのだろう。傾きの感じられない坂を下ったシイナは、時計塔広場を右に折れ、役場前を経由して市場へ向かった。
港側から入ると、市場をまっすぐ突っ切る事になる。あまたの誘惑を耐えながら、シイナは屋台広場にやって来た。途中で確認した織物製品の値段に目を回しながら。一銀貨、それは銅貨千枚。シイナの生活費役三十日分。それが数百枚。右に提げたバッグを両手で抱えて慈しんだ。
「なんで?」
「シイナ、こっちこっち」
「シイナ、こっち空いてますよー」
すこし浸っていたシイナを、異なるテーブルに背中合わせで座った二人が出迎えた。一フレームに収まっている辺り、思惑が透けていて大変面倒くさい。
「えぇぇ」
みるみる萎びてゆく。けれど図々しさでは他の追随を許さない。顔を上げたシイナの目には、ハッキリとした意思が宿っていた。そうはいかない、と。
「私買って来るから、悪いけど、”二人とも、この席”、取っといてくれる?」
自分の目前にあったテーブルを指し示し、二人の返事を待たずに屋台へ向かった。先立つ物が出来た故の一手。席自体も、建物の陰になっていて涼しそうだから、拒絶する理由が見当たらない。完全に言いくるめられてしまった二人は、無言のまま移動する。せめてもの抵抗と言わんばかりに、椅子を移動させてシイナの席を限定した。
そういう時だけ息が合う。
トレイを持って戻ってきたシイナは、果たして二人の間に腰掛けた。本人も元々、そのつもりだったのだろうが。
「ほんとに名前出すだけでいいんだね」
四本ひと包みのサブマリンサンドを見ながら、顔を引き攣らせたシイナが呟いた。値段が三倍で済んでいたのは、ジュースが一杯だからだろうか。
「いやぁ、私って有名だから」
「この辺のブラックリストに載ってるんですよ」
「お前のだろ」
「カノン?」
「え? ぬぅ。ソフィアさんのリストに、載せられてるんじゃなくて?」
「もちろんですよ、カノンさん」
「お約束みたいになってきたね」
「誰のせいだっつの」
ほくそ笑みと微笑みに見守られながら、一々律義に従うカノン。それでもやっぱり歯噛みした。可愛らしい様子を堪能した微笑みの主が、ふと思いついたように話題を変える。
「そういえばここ、メニューないよね」
「どこもそうじゃない?」
「あー、昨日の話ですか?」
「うん、ちょっと、気になっちゃって」
「頼んでおけば作ってくれますよ」
「ウチもそうだしねぇ」
「それだと、みんな知る人ぞ知るなんじゃない?」
「それは、違くない?」
「このお店はこれーって決まってる感じですかねー」
「いっぺんに色々やると、在庫管理が厳しい」
「だからこそ、シイナのアレは強みなんですよ?」
「だねぇ。おんなじ物なのにガラッと変わるし」
「バリエーション……」
「おやー何か考えてますね?」
「えっ。あ、はは。レパートリー増やそうかなって、思ってたんだけどね」
「いいじゃん」
「でも、今の話だと」
「だって基本一緒でしょ? 小麦粉、卵にぃって」
「うん」
「そーでなくても、試しておくのはいーんじゃないですか? 実際使うかどうかは別として、選択肢増やしておくのは大事ですよ?」
「そっか。そうだよね」
「私らしかお客いないんだしね」
「お世話になります」
「良きに計らぇ」
昨日と同様に、ソフィアの食べるペースが一番速い。自覚もあるようで、今日も今日とて、半分を残して一人ジュースタイムを始めた。シイナは無心に食べている。追い付こうとしてもいるのだろうが、下手に話題を振るとカノンが必死に飲み込んで入って来ようとするので、可哀そうだというのが大半だろう。ある程度食が進む迄は、三人とも静かに味わっていた。今日は日差しが強いから、日陰の席が丁度いい。キラキラ揺れる葉っぱを眺めながら、麗らかなランチタイムが流れていった。
やがて三人一並び。カノンが最後のかけらを口に入れるのを横目に、ソフィアが残り半分を食べ始めた。一足先に飲み込んだシイナが、話し始める。
「二人とも、よく来るの?」
「えっ。私は、ほら、その、へへへ」
「何?」
「私はそーでもないかなー。今日は偶々近くに来てたんで、帰り道がてら」
「でも、二日続けても平気な位には好きなんだ?」
「あーははー」
「そうだ。カノン、今日も調理場、借りていい、んだよね?」
「うん、大丈夫」
「じゃあさ、今日カノンが作ってみない?」
「スパルタか」
「何で?」
「あれでしょ、ほら、寝るたびに起こしながら作らせるんでしょ?」
「あっははは、違うよ。違う香料買ってみるから」
「あー、人体実験ですね」
「そっちは、お願いね?」
「え?」
「違うって事は効果が変わるの?」
「多分。聞いてみないと分からないけど」
「眠くならなければ何でもいいよ」
「またそうやって」
「眠らせといたほーがいーですよ。起きてると食べつくしますから」
「失礼な。ちゃんと我慢できてるじゃん」
「え、今も?」
「そうだよ?」
「ほら、寝かせといたほーがいーでしょ?」
「あ、はは」
ソフィアが最後の欠片を口にした。ウサギと亀の逸話そのまま。モグモグと噛む間隔が短いから、レタスでも齧らせたら似合いそうだ。咀嚼に合わせて髪飾りがサカサカと揺れている。今日はリボン製のクラウン。薄っすらと桃色の白いリボンは子供っぽくて、小動物感を強めている。
見入ってしまっているシイナに、ゲンナリ顔のカノンが問いかけた。
「で、どんなん買うの?」
「まだ決めてない。私詳しくないから、ダニアさんに相談しようかなって」
「レパートリーかー。今晩も楽しみですね」
「ソフィア、実験台だよ?」
「……」
「シイナ寝ちゃったら、どうしようも無いしね」
「うん。だから、カノンにも作ってみて欲しくて」
「私が作る側にーっていう選択肢はないんですか?」
「え、作れるの?」
「ちょいちょい私に失れー過ぎません?」
「ごめん、イメージが」
「まーやった事無いんですけど」
「あ、はは」
「何で言ったし」
みな食べ終わり、飲み終わり、包みと紙コップを纏める。重ねたコップに畳んだ包みをしまうと、片手で持てる一塊になった。廃棄ついでに、カノンがジュースのお替りを持ってくる。一口飲んで溜息。動きがシンクロした。一頻り笑った後、シイナが切り出す。
「あっ。ソフィア、この後って、」
「あー、今日はちょっと、戻らないといけなくて」
「そっか。カノンも、だよね?」
「んだねぇ。日課みたいなもんだし」
「一人かぁ。ダニアさんちょっと、怖いんだよね」
「え。シイナが怖がるって、どんな鬼なん?」
「ちょっと?」
「ふつーのおばーさんですよ。そっかー、シイナはあーいうタイプが苦手ですか」
「なんで楽しそうなの? 弱みとかじゃないよ?」
「いやいやー、誰だって苦手なものの一つや二つ、」
「バニラモドキって鞘が一番効くんだっけ?」
「みたいだったね」
「ソフィアのにだけ、入れようか」
「組み合わせの実験? でも、あれはちょっと流石に」
だらしなく緩んだ頬と、艶やかな吐息。同性だからこそ、見る側が痛々しい醜態。
唯一晒して晒されたカノンが、とても辛そうで、それがソフィアの不安を助長した。
「しんよー、ね? 大事なのはしんよーですからね?」
「大丈夫、信じて?」
「ダメなやつでしょ、それー」
食後の一杯が終わり、解散となると、カノンとソフィアは連れ立って去っていく。なんだかんだいがみ合っていても、それなりには交流があるようで、それ以上に因縁があるのだろう。二人の背中を見送るシイナは、少し寂しそうだった。
二人が景色の一部になってから、一人静かな方へ向かう。今日はまだまだ燃料たっぷり。温かいお腹を抱えながら、ゆったりと歩いて行った。
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