レパートリー
片手で持てる幅の、口が広い密閉瓶が四本と、よく乾いた香辛料が二握り。重さにすれば一キログラムにも満たないが、シイナの足取りはやけに辛そうだった。身の丈よりも大きな荷物を背負っているかのように前へ傾き、一歩一歩を踏みしめながらえっちらほっちらと宿へ向かう。距離にして約一キロメートル。普段なら十五分も掛からない道のりを、一時間近くかけて辿り着いた時には精も魂も尽き果てていた。途中で一切休憩を挟まなかった事は良し悪し。一度立ち止まってしまっては、再び歩き出せなかったかもしれないし、無理を押したからこそ、ここまで燃え尽きたとも考えられる。いずれにせよ、杖か何かを突くべきだったろう。
まだ閉じている戸板を朦朧と見やりながら、壁に手をついて崩れ落ちる。道端に横たわり荷物を下ろすと、なんとか姿勢を四つん這いに戻して、そこで力尽きた。陽が沈んでいく。
やがて戸が開き、カノンが顔を出して驚愕した。
「うおっ」
膝と肘と額を地に着け、蹲っている塊。
「何、大丈夫?」
「息は、あるよ」
「え、安心するとこ? どうしたの?」
「自分の、無力さに、打ちひし、がれてた」
「なにそれ。いつから?」
「明るかっ、たよ」
「え、それ、三十分以上経ってるよ⁉ 大丈夫なの?」
「息は、」
「わかってるから。立てる? とりあえず中入ろ?」
背を摩りながら、補助をする。シイナが四つん這いになると、カノンは荷物を預かった。トートバッグと背負い袋を纏めて肩に掛ける。
「あ、それ、」
「ん?」
「重く、ない?」
「全然?」
「そう。割れ物、だから」
「うん、瓶だね」
そんな事はいいから自分の体をどうにかしろ、と顔に書いてあるカノン。壁を支えに立ち上がるシイナの危なっかしさにハラハラしながら、肩を貸して調理場まで先導した。
丸椅子に腰かけるなり、作業台にべったりと張り付くシイナ。水を口に含むと、多少顔色がマシになった。声に張りも戻ってきている。それでもまだ、額にべったりと張り付いた前髪が辛そうで、カノンは上着を無理やりはぎ取る。
「襲われ、る」
「襲ってやる。ほら、脱げ」
額をついて俯せて居るシイナの、首と後頭部に絞ったタオルを載せ、びっしょりと濡れて、透けた肌着が纏わりついた背中を、うちわでパタパタと仰ぐ。
「何したの?」
「帰って、きた」
「いや、おかしいでしょ」
「瓶が、重くて」
「これが? シイナ今度さ」
「何?」
「水桶とか持ってみない?」
「持ったよ、ここ、来た日」
「そっか。良かった」
「うん。両手で、がんばった」
「……」
汗は引いたようだ。乾いた空気と布の特性が相まって、生地も僅かに色身を取り戻している。これ以上はむしろ、体に障りそうだった。
「シイナ、着替え」
「ない」
「え」
空白。シイナの呼吸が整ってきたのがハッキリ分かる程の静けさ。
「いいや、とりあえず脱げ」
「無理」
「無理じゃない」
両手を掴んで万歳。裾を掴んで、スポッと引っこ抜く。当然肌着の方を。
「無理、ほんと、無理」
「いいから」
絞ったタオルで、無造作に背中をこする。
「つめっ」
「はい、これ着て」
渡されたのは、いつもの割烹着。服の上からでもぶかぶかなもの。
「人、きたら」
「来ないから」
「そう、だった」
「なんだ、なんか腹立つぞ」
「ごめん、私」
「いいから、着ろ!」
ノロノロと上体を起こし、紐を縛ろうと悪戦苦闘する姿にカノンが焦れた。首紐をひったくって、結ぼうとする。そして申し訳なさそうな顔になる。そのまま腰紐も結んでやった。
「シイナ? その、ごめん」
「何が?」
「いや、色々」
「気持ち悪い」
「酷くない?」
「違う、肌触り。さわさわする」
「楽しんで?」
「そんな趣味、ない」
「マシになった?」
「大分。なんなの、ほんと、嫌になる」
「もうちょっと休んでなよ。私が作るんでしょ?」
「そうだね。バッグの中、入ってるから。それなら、寝ないみたい」
「これ? うお、なんだこれ」
筋張った緑色。小指の指先程のほおずき型。苦手にな人にとっては、とことん苦手な外見。
「中の種だけ、すり潰せって」
「一個一個割るの? めんどくさいぃ」
「私が、」
「いいよ、やるよ。くっそぅ」
ゴリゴリと石臼を回すカノンの横で、シイナは机にもたれ掛りながら本をめくっていた。シナモンモドキはどうにでも使えるが、緑の方は名前が分からないので困っている。匂い自体が好ましくないのも手伝ってるのだろう。結局無難に、ビスケットを焼くことにした。
定められた分量を量り、定められた順番に混ぜ合わせ、定められた温度のオーブンで、定められた時間だけ焼く。再現性の高さ、それがレシピの肝。だから誰が作ってもほぼ同じ結果になる筈。二人の場合は材料どころか、場所も道具も同じなのだから猶の事。
「できたよぉ」
「匂い、どう? お腹、減る?」
「ずっと減ってるけど」
「違う、匂い、嗅いで、どうか」
「ねぇ、悪化してない?」
「そう、かな? そうかも」
「うわ。あ、昨日の残り食べてみたら?」
「昨日? 何?」
「残り。バッグの中だよね?」
「多分」
「まぁいいや。漁るよぉ」
「うん」
「あれ、実のしかないじゃん」
「だって、それしか」
「そうだね、私だね。いいから、これ食べて寝よ?」
「食欲、ない」
「ねじ込むから」
「ちょっと、まっ」
顔だけを横に向けて机と一体化しているシイナの口へ、カノンがマドレーヌの破片を近づける。抵抗を諦めたのか、抵抗できないのか、大人しく受け入れるシイナ。しかしモゴモゴと咀嚼するばかりで飲み込めずにいる。
「流し込む?」
「むぅ、むぅぅ」
とてもフラットな表情と声に戦慄しつつ、両手を支えに頭を浮かせて上半身を波打たせた。
「はい、水」
「んぅ。お茶は?」
「寝たら淹れる」
「絶対企んでるじゃん」
「元気になったね」
「え? 嘘だよ。なにこれ?」
「マドレーヌ。あんたのお手製」
「知ってるよ」
「残りも食べたら?」
「うん」
普通に腰かけなおしたシイナは、残りを一口に頬張った。あまり行儀のよいものではないが、あっという間に食べ終わる。水を一口含んで、一息つくと、すっかり血色も良くなっていた。
「これって魔法でしょ?」
「本気で言ってる?」
「だって、こんなのおかしいよ」
「あれだよ、ほら、滋養強壮」
「こんなにすぐ効く?」
「風邪ひいた時の栄養ドリンク」
「あぁ。え、あるの?」
「売ってないね。チャンスじゃん?」
「もし寝ちゃったら?」
「責任とって」
「そしたら、ピンチじゃない」
「ねぇ、今日のは何?」
「そっちが長持ち。こっちがお腹が減る、はず」
キツネ色の焼き目が美味しそうな、クリーム色の塊。そう、塊。どうして個性を出してしまったのか、シイナの手の平程の大きさになっている。それが二枚。片方は目印に卵黄が塗布されていて、艶々している。小さく欠いて、それぞれを一口ずつ食べるカノン。
「普通に美味しい。でも渇くぅ」
「お腹減らない?」
「ずっと減ってる」
「効いてないかぁ」
「どういう意味だ?」
ひょいひょいと欠片を口に放り込みながらジトーっとした視線をシイナへ送るカノン。最初の一口以来、テカテカしたシナモンモドキ入りの方ばかり食べている。その様子をじっと見ていたシイナは、ごく自然にすっと立ち上がった。
「私も作ってみる」
「大丈夫なん?」
「うん。もうすっかり。絶対おかしいよ」
「お菓子だし」
「ねぇ、これって、ずっとなの?」
「えっ」
「元気になるやつ。効果切れたりしない?」
「ああ。うん。どっちかって言うと、疲れが抜けた感じしない?」
「そうかも。これの事だったんだ」
「うん。幸せでしょ?」
「なるほど。あれ、じゃあ私、ずっと疲れてなかったって、」
「別にいいじゃん」
「今日からは、身を粉にして働きます」
「何言ってんの」
苦笑い。怒ったり呆れたり忙しい。飽きが来ないというやつだろう。そうやって観客無しの漫才を繰り広げる二人の元へ、聞きなれた声が届いた。三人の中では一番高い声。雑味のない鈴のような音。
「こんばんはー」
食堂に移動した二人を待っていたのは、予想通り笑顔のお下げ。やはりリボンが子供っぽい。
「変な匂いですねー」
「来たな実験台」
「出鼻をくじーてきますね」
「ソフィアもね?」
「あれ、何かありました?」
「ん? ちょっと」
「シイナの弱点が見つかった」
「ほほー?」
「ソフィア?」
「いや、ほら、そのー」
「シイナね、めっちゃ非力」
「は?」
「……」
「バッグにこっそり水筒でも仕込めば、のびるよ。へろんへろんに」
「へろんへろんですか。え、本気?」
「我が身の貧弱さを痛感しました」
「そーですか。細いなーとは思ってましたけど。でもなー、そーゆーのじゃないんですよねー」
「ソフィア?」
「へ? あーほら、あるじゃないですか、イジり合いみたいな」
「シイナ、時間時間。そろそろオーブン見ないと」
「今行く。後でゆっくりお話ししよ?」
「あーはは……」
素敵な笑顔で約束を強制して奥へ消えていった。足取りはまだ重たい。残された渋い顔二つ。
「実際の所、どーしたんですか?」
「荷物が重くて、って言ってたけど、半端じゃなかった」
「重さが?」
「様子が。重さは全然。指で持てるよ」
「あなた基準にされてもね。普段そんな感じじゃないのになー」
「いやいや、本当なんだって。空き瓶四つよ?」
「運んでる時は中身あったとか?」
「それにしたって、ちょっと休めば治るでしょ」
「そんなに酷かったんですか。ふーん」
「ほんと、へんな子」
「伝えておきますね」
「何を?」
「自覚なしか。つまんねー」
「お待たせ」
カノンが砕いた塊だったものを袋に詰めて、腰から下げたシイナが戻ってきた。透明な袋は、ぎっしり詰まった中身が丸見え。
「重くないんですか?」
「え? 流石に、これ位は」
言い淀みながらトレイを置く。そこには無駄なくびっしりと敷き詰められたビスケット。縦横十二列。
「多くないですか?」
「試してみたかったから。保存効くのだし」
「こっちは私が作ったやつ」
「ま、そーでしょーね」
「いや、元はちゃんとしてたんだって」
「どうせ巨大なの作ったんでしょ」
「んっ」
「上半分が長持ちで、下半分が食欲増進」
「長持ち? どれくらいですか?」
「それは、これから調べる」
「なるほど。ビスケット自体そーとー持ちますしね」
「そうなんだよね。選ぶの間違えたなって」
「こっちのは変わった匂いですね」
「私これむりぃ」
「そーですか? 私はあんまりてー抗ないんですが。おばーちゃんちの匂い」
「だよね、箪笥とか」
「確かにー。あと着物」
「何それ」
「虫よけらしいよ」
「へ? こっちじゃなくて?」
「違うの。食べ物じゃなくて」
「でも、見た目は岩塩っぽいんですよね」
「へぇ。じゃこっちも虫よけになるんじゃない?」
「そうかも。ダニアさんは言ってなかったけど」
「ちなみにこれ、何ですか?」
「あ、はは。名前聞きそびれちゃって。えっとね、これ」
粒。単品になると余計に際立つ外見の類似性。けれど間違いなく乾燥した植物で、間違いなく食品。
「え、冗談、ですよね?」
「やっぱり毒なの?」
「違いますけど、これ、花茗荷の実ですよ?」
「はなみょうが? 茗荷? え、茗荷⁉」
「こんなカルダモンみたいな匂いだったんですね」
「それだ! ってことは、これもモドキなんだ」
「でしょうね。あの店ほんと、とんでもないですね」
「あ、はは」
乾いた笑いを交わし合う二人の横で、カノンが実際に乾いていた。
「ちょっと、カノン、何してるの⁉」
「んぐ?」
右側三列。艶有も無しも関係なく消え去っている。
「だめだよ、卵塗ったのは保管するんだから」
「んごっ、んぅ。ふぅ。そうだった」
「本しょー現しましたね。ん? 食欲増進ってこと?」
「半分には折っておくから」
「何が⁉ ちょっ、シイナ?」
おもむろにバッグの中から緑の茎を取り出すシイナ。それは裏の調理場で吊るされていたはずの物。それを力強くバキッと半分に折る。弱々しさの欠片も無い。
「茎が効くんだって。ダニアさんが言ってた」
「だからって、それ硬くて、ちょ、まって、お茶、お茶がいい!」
「これ噛んでからね」
茎を顔の横に掲げて笑顔。空いている左手でカノンの肩を掴む。自分の肩と、”笑顔の茎”とを交互に見やり、混乱したカノンは手を振り払えずにいる。
「水分、水分をね、ほらビスケットって、渇くじゃない?」
「大丈夫水気タップリ。フレッシュだよ?」
「まって、ねまって、せめて火を、火を通して? 生は嫌ぁ!」
ソフィアはそっと目を背けた。
「渋いぃ」
「ほんと、硬いし苦いし、美味しくないね」
皺の寄った眉間が二つ。辛さは半分こ、と残りの一部を齧ったシイナがウンザリしている。ソフィアの瞬きが激しいのは、自分も噛んでみたいと言い出すかどうかを、迷っているのかもしれない。
「飲み込んだよ。飲み込まされたよ?」
「だって、そうしないと治らないし」
「ミルクティーで良かったじゃん」
「作ってる間に食べきっちゃいそうで」
「そうでした」
「相変わらず恐ろしい程効きますね」
「毒消しの方も、そうだといいんだけど」
「ちゅー毒しょーじょーの緩和ですかねー」
「そうかも。ダニアさんも使ってたんだって」
「ねぇもう普通にお茶しよう?」
「そだね。淹れてくる」
「はーい」
「はやく、一刻もはやくお願い」
楽しそうに調理場へ向かうシイナ。再び残された二人。力なく項垂れるカノンと真面目な顔で考え込むソフィア。
「シイナのだけ、ですか」
「そう。しかも匂いでやられた」
「自分のも食べたんですよね?」
「うん。何ともなかった」
「シイナ居たんですよね?」
「居た。言われた通りに作った」
「手が違う、位ですか」
「だね。あれか。不思議な粉でも出てるのか」
「止めてくださいよ。それ食るんですよ?」
「いーじゃん。美味しいんだし」
「あなたは、そーでしょーけど」
「魔法ねぇ」
「こっそり何か混ぜてるんじゃ」
「だから粉が、」
「んんっ」
ポットとカップをトレイに載せて、しっかりとした足取りのシイナ戻ってきた。
「お待たせ。どうかした?」
「いやー、この人がまた馬鹿な事を」
「私? いいよ、わかったよ。シイナ、手見せて」
「いいけど、なに?」
差し出された手の平を熱心に観察するカノン。自分の頭を動かして、角度を変えている。不審な動き。シイナの顔がゆがむ。
「うーん」
「何なの?」
「可愛い手だね」
「えっ」
ばっと手を引いて、胸の前で抱える。半身が逃げている。
「ちょっ、そこまでしなくても」
「だって、何かやらしいよ?」
「ああ。可愛い、」
「何で言い直すの?」
「何が違うんだろうねー、って話です。あ、いただきます」
「召し上がれ。何でだろう。全部一緒だったのに」
「だからシイナが魔法使いかって話に、」
「なってませんからね? うーん、いよいよりょー産は難しいですかねー」
「そういえば、ダニアさんの所、行ったんだね」
「えーまー、確認の為に。でもダメですね。あの人もあの人で試してたみたいです。あの人の菜園でしか芽吹かなかったって」
「そのお婆さんとシイナが、実は同じ血筋で、」
「魔法使いの話はもーいーですから」
「あ、はは」
「という訳で、とー面は受ちゅーせー産という事でよーすを見て、」
「あっ、あのね、自警団入れてもらえそうなの」
「おー」
「おぉ、良かったじゃん」
「今忙しいみたいだから、落ち着いたら、なんだけど」
「あー、でしょーね。でもそれなら、依頼で済みますね」
「そうなの?」
「口コミって制御できませんし、私がちゅー介すると手すーりょー戴かないといけないしなんで迷ってたんですよ」
「そうなんだ?」
「なになに、お茶会も依頼制になんの? 予定日とか決めてさ」
「そんなの、直接頼めばいーじゃないですか」
「でもお金遣り取りしてんじゃん」
「そりゃそーですけど、友達どーしで集まるのにどーこー言われる筋合いは、」
「へへへっ」
「なんですか?」
「仕方ないなぁ。そこまで言うなら、」
「シイナとお友達です」
「二人って息ぴったりだよね」
「んぐっ」
「くっ。まー、回転が速いのは認めますけど? 頭のほーだけに、しといてほしーですね」
「あんたこそ舌の回転を止めろぉ!」
「あっははは」
今日何度目にもなる、チリンチリンという鈴の音。今回はマドレーヌが焼き上がった報せ。主役を迎えて、いよいよ本番。主に話題を提供するのはシイナ。自警団本部での出来事と、その流れでルカとファティウスの話。カノンとソフィアも、当然二人と面識があって、特にファティウスの”噂”について盛り上がった。身持ちが硬いと有名らしい。シイナは笑うしかなかった。
マドレーヌが売り切れ、ビスケットも保存分として丁度いい程度に残っている。二人が苦手としていた艶無しの方は、ソフィアが大変お気に召したようで、消費のバランスが取れていた。結果として三人ともご満悦。食事を忘れていた程に。
「忘れないうちに、今日の分です」
「多くない?」
「そーですか? ビスケットの分と、あとミルクティーとマドレーヌ二つ、」
「うそ、カノンだと思ってた」
「ちょいちょい酷いよね?」
「でもあなた、けっこー食べてましたよ?」
「あぁ、まぁ、五つ、」
「六つですよね?」
「六つだよね?」
「把握してんじゃん」
「だって私、一個しか食べられなかったんだもん。でもそっか、ソフィアが気に入ってくれたなら、次はもうちょっと作ろうかな」
「それはー、ちょっとご遠慮したいといーますか。有れば有るだけ食べてしまいそーなので」
「カノンが?」
「くそぅ、言い返せない。ほら、お代だ、有り金全部もってけぇ!」
「ピッタリですね」
「ちくしょぅ」
「あっははは。じゃあ、今日はお開き、あ」
「あー」
「どした?」
「お開きですね、うん」
「お開きだね」
「なによ? なんかマズそげ?」
「別に、いーんじゃないですかね。ビスケットの観察日記、楽しみにしてますね」
「日記? 一応、毎日見るけど」
「数が減ってないかどーかも」
「大丈夫。ミントモドキで囲っとく」
「私は害虫扱いっすかぁ」
「自覚あるんじゃないですか……」
「だって、匂いかいだら我慢できないかもしれないじゃない」
「否定できねぇ……」
「んー、明日はメニュー変えてみようかなぁ」
「いーですね。香りの組み合わせも増えましたし」
「がんばれよぉ、実験台」
「……」
「同じのばっかりじゃ飽きちゃうしね」
「そう? まだまだ全然だけど」
「だからこそでしょーが。飽きてからじゃ遅いんです」
「熱心だねぇ」
「じゃー私は帰ります。また明日ー」
「え、ご飯は?」
「……」
「……」
「何この空気」
お菓子だけでは体に悪いと言われてしまえば、強くは逆らえなかったようで、結局二人はスープをご馳走になっていた。代金の計算が面倒だと一人前を注文し、スープを二人でわけ、パスタをカノンが平らげる。それとは別に一人前も食べていたから、見守った二人の方がゲンナリしていた。流石に特盛では無かったのだが。
今日もやはり、なぜか三人並んで洗い物をする。満足そうなソフィアを見ても、もはやカノンは何も言わない。そしてやはり、夜道は危険だからとシイナが主張し始めた。引き留めこそしなかったが、道順の確認やら、何かあったら大きな音を出せだのと言い聞かせようとするから、やっぱり保護者だと揶揄われていた。定番が生まれつつあった。
薄い雲に覆われた月が、山の上に居座っている。ゆらゆらと輪郭を滲ませながら、どっしりと構えていた。道の途中で振り返る者。勝手口を出て見上げる者。窓越しに覗き見る者。それぞれに全く違う感想を抱きながら、それぞれの夜が更けていった。
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