顔見知りな人
ドアを開くとカランコロンと音がした。見上げれば上の角にベルがついてる。昨日の今日の行動力。
「なんだ、しくじったか」
「こんにちは。その、成功はしたんですが、し過ぎたっていうか」
草臥れた声と溌溂とした声。どちらもよく通る。シイナは香りのごった返した中へ、躊躇うことなく足を踏みいれた。今日は一人ではない。
「それと、今日は友人を紹介したくて」
「はぁ?」
「ダニアさーん。お久しぶりですねー」
コロっと余所行きになっているその顔を見るなり、ダニアと呼ばれた老女の目が開かれた。カッと。
「これはこれは、支部長殿。茶でも出した方がいいか?」
「お構いなく。そんな事よりシイナ、甘い薬の材料って」
「バニラ、ね。えっと、ダニア、さん?」
「なんだい」
「私、シイナです」
空白。おかしな物でも見るように、マジマジとシイナの顔を確かめてから、ダニアは瞼を下ろした。昨日と同じようにあごをしゃくる。
「知るか。ほら、そこだ」
「はい。あっ。あの、これって」
「好きにしな」
「ありがとうございます。はい、これ」
瓶を持ち上げ蓋を開いてソフィアに向ける。向けられた方は、顔を近づけて手で扇いで、そして首を傾げた。
「うーん、確かに甘いんですけど」
言いながら今度はシイナの袖口を扇ぐ。シイナが反射的に手を引いた。
「シイナ程美味しそーじゃないですね」
「それ、やめない?」
「他に基準が無いですしー。ところでダニアさん?」
「あん?」
「これ、ササゲモドキですよね?」
「擬きの擬きだ」
「どこで見つけられたんですか?」
何かを手の甲で払うような仕草をするダニア。浅い溜息をつきながら。
「作ったんだよ」
「こー配種ですか? どーりで」
「言っとくが、生じゃ毒のまんまだよ」
「毒⁉」
聞き捨てならない単語に、シイナが敏感な反応を示した。言い放ったダニアも、聞いたソフィアも平然としていて、瓶を抱えたシイナが一人であたふたしている。
「本当に?」
「はい。ササゲモドキって毒そーなんですよ」
「晒して干して、それでやっとさ」
シイナが瓶の口を体から遠ざけた。さんざん食べておいて今更どうにも出来ないだろうに。顔をひきつらせたソフィアは、苦笑いを浮かべながらダニアに向き直ると、表情を引き締めて目を見つめた。
「どーして、そこまで?」
「はんっ」
ダニアの表情は読み取りにくい。刻まれた皺の奥へ、瞳と表情が隠れてしまっているから。やがて、黙って次を待っていた二人のうち、シイナの方へ視線を向ける。
「えっ」
「そのこまっしゃくれた嬢ちゃんと一緒だ」
「私、かな。あ、はは……」
「どーゆー事ですか?」
「ここは手に入らない物が多すぎるんだ」
「耳の痛い話ですねー」
「そうじゃない。物はある。だが違う。あたしの欲しい物じゃない」
「有るけど、違う……」
「だから作ったと? そんな危ない事、よく出来ましたね」
「好きに言っとくれ。痛い目も見たさ」
「そーですか」
それきり口を閉じるダニア。唇に拳をあてて黙り込むソフィア。重苦しい沈黙の中、瓶を抱えたシイナがまごつている。二人を交互に見やっては、俯いて瓶の口を覗き込む。
「あっ。ダニアさん」
「あん?」
「これ、なんて名前なんですか? バニラモドキ、とか」
「通じりゃ、なんだっていいさ」
「そう、ですね。じゃあこのバニラモドキって、どれくらい強いんですか?」
「は?」
「あーえっと、眠くなる、って」
「強いってあんた、薬じゃないんだ。言ったろ? 気が緩むんだよ」
「はい、あの、香った瞬間バタリ、みたいな」
「夜なべでもしてりゃ、そういう事もあるだろうさ」
「よなべ? ……徹夜?」
「要はそいつがどんだけ気張ってるかさ」
「睡眠不足だと満腹ちゅーすー壊れるって言いますしね」
「あ、はは。ほんと、カノン相手だとキツイよね」
「甘い顔すると店が潰れるんですよー」
「あぁ、そういう」
「用は済んだかい? ならさっさと帰っとくれ」
盛り上がりかけた二人に、冷や水が浴びせられる。声の調子は変わらず、乱暴な言い回しも初めからなので、ダニアが機嫌を損ねているかどうか分からない。ただ、無駄に居座るのが失礼なのも事実。
「ごめんなさい、まだ」
「さっさとしとくれ」
「ダニアさん、昨日のお代ってお幾らですか?」
「昨日?」
眉間に皺が深くなる。眉根はすぐに離れたが、刻まれた痕はそのまま。
「ああ、ありゃ土産だ。代金なんざ要らないよ」
「土産……あっ。それじゃバニラモドキと、ミント、モドキ? ってお幾らですか?」
「なんだ急に。ああ、そうか。律義な子だね」
「え?」
「そうだね、じゃあひと房ずつで、合わせて八銅でいいよ」
「安っ!」
黙って聞いていたソフィアが、突然割って入った。表情が明らかに慌てている。
「それじゃ捨て値じゃないですか!」
「実費と言っとくれ。これでも色はつけてある」
「もーけは副産物? はぁぁ」
深く長い吐息。空気の抜けた分、前にのめっている。顔を上げずに、そのまま言葉を繋ぐ。
「一つ確認させてください」
「あ?」
斜めに見上げるソフィア。真っすぐ見下ろすダニア。
「まともに卸す気はないんですか?」
「あたしの気分なんざ関係ないさ。こいつらみんな生きもんだ」
「そーですか」
再び項垂れた。覗き込むシイナ。胸に抱えた瓶の中身が、カサッと音を立てる。
「ソフィア?」
「え? あー、あっはは」
「えっと……ダニアさん、ひと房ずつ下さい」
「はい、よ」
立ち上がり、段を降り、シイナに近づくダニア。確かな足取りと、張られた背筋が、刻まれた皺の深さにそぐわない。差し出された瓶の口を掴んで引くと、シイナは体ごと持って行かれた。
ひと摘まみ、それがバニラモドキのひと房。無遠慮なひと掴み、それがミントモドキのひと房。それぞれに包み、まとめて差し出す。シイナは片手で銅貨を手渡しながら、バッグの口で受け取った。続いてダニアがお釣りを突き付ける。穴無しの丸型は一銅貨。それが二枚。今度はちゃんと、手のひらで受け取る。
「さ、もう用は済んだろ。帰った帰った」
「えっ、はい、お邪魔しました。また来ます」
「お邪魔しましたー」
甲を向けて指を払うダニアに促され、追い出されるようにして店を出る二人。結局ソフィアは、あれからずっと下向きだった。
「ごめんね」
扉が閉まるなり、シイナが口を開く。痛そうな顔。
「へ?」
間抜けな返事と共に顔を上げるソフィア。まんまるの目。
「あんまり役に立てなかったかな、って」
「いーえ、成果はじょーじょーでしたよ?」
「そう、なの?」
「はい」
店の中に居た時とは違って、声が弾んでいる。笑顔も、化けの皮が剥がれた方になっている。
「まー可のーせーの段階ですけど」
「そう、なんだ」
「足掛かりにしては出来過ぎな位です。それにまだ、シイナのお薬見せてもらってませんし」
「普通のマドレーヌなんだけどなぁ」
「何かが噛み合って薬こーが生まれるなんて良くあることですし」
二人並んで歩き始めた。太陽はずいぶんと低くなっていて、もう間もなく夕焼けが広がりそう。途中までは、向かう先が同じ。
「ちょっと楽しみになってきました」
「やってくれるんだ? 実験台」
「……」
パチパチと瞬きが加速する。その横で、空を見上げたシイナが、独り言のようにつぶやいた。
「毒、だったんだ」
「元は、ですね」
「そうかな?」
「痛い目って言ってましたし、さんざん自分で試したんでしょーね」
「そこは、信じるんだ?」
「あの人はせー実な人ですよ。少なくとも、自分の仕事に対しては」
「そうなの?」
「いろいろありましたからー」
「ふーん。ソフィアって」
「はい?」
「嫌われてるよね」
「んぐっ。いーますか、そーゆー事」
「んー? ふふっ」
「笑って誤魔化せるのは野ろーだけですからね?」
「そうかな? 誤魔化せるかな?」
「ちょっと? 話逸らそーとしないでください」
「ソフィアそういうの得意そう」
「なんで重ねて来るの? ちょっと遠慮なさすぎません?」
「そう? そうかな。ふふっ」
「だからー、もー」
二人が赤い屋根に着く頃には、空も同じ色に染まっていた。
「セネカさんの所へ行けばいーんですよね?」
「うん。もうカノンのお店も開いてるだろうし」
「カノンの? まーわかりました。それじゃ後程ー」
「またね」
独りの道。けれどシイナの頬は、ずっと緩んだままだった。
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