仲間
モドキとは言っても、見た目も匂いもうり二つ。本物と並べれば間違い探しを出来たかもしれないが、ここではそれも叶わない。バニラビーンズと呼ぶ位だから中身の方が本命で、鞘は本来料理には使わないのかもしれない。
そういった話をきっかけに、シイナとカノンの二人は鞘と実を分けて粉に引いた。昨日は気づかなかったが、
一方で、予想外の事も起きた。カノンが一切眠気を訴えなかったのだ。もちろんシイナも。共に昨日の残りを口にしてみても、やはり効果はない。ただ美味しいだけ。真剣な表情で考え込むシイナの横で、溢れんばかりの笑顔と共にカノンが片っ端から頬張っていった。一番のお気に入りは、やはり実だけの物らしい。時折発される独り言のような問いかけに相槌を打ちながら、カノンがひょいひょいと平らげていく。シイナが気付いた時には、残すところ後三つになっていて、しかも実だけの物は売り切れていた。
「うそぉ」
開いた口が塞がらない。温度が下がると、パンパンに張った風船も萎びてしまう。食べ物を詰め込まれた胃袋では、それに気付けない。
「実だけが一番美味しいね」
笑顔が咲き誇るカノンを前に、シイナの表情が冷え切っていた。
「ありがとう。でも、一つは残して欲しかった」
「あっ。ごめん」
「生地残ってるから、いいけどね」
「でしょでしょ。焼く予定だったでしょ?」
「タイマー」
「はい」
「実だけのが一番美味しかったんだよね?」
「そうそう。一番匂いが強くて」
「じゃあ、値段も一番高くしないと」
「えっ?」
真面目な顔で言うものだから、カノンの表情が凍り付く。どこ吹く風とばかりにオーブンの温度を確かめ、トレイごと生地をセットするシイナ。
「タイマー入れてー」
「いれた。ねぇ、冗談だよね?」
「んー?」
目を合わせることなく、空になったボウルを水で濯ぎ始めた。背中越しでは窺えない。お互いに。
「今日ちょっと手持ちがね?」
「んー」
「あ、じゃあ、ツケ分と相殺しよ? ってセネカさんだ。どう説明するよ……」
「んっふふ。んふふふ」
「へ?」
「こーんーばーんはー」
「来た来た。行こう?」
「うん。え、担いだの? ちょっと?」
二人は跳ねるようにして調理場を後にする。食堂には真剣な顔のソフィアが立っていた。
「ソフィア、いらっしゃい」
「さー煮るなり焼くなり好きにしろー」
「ほんと、ただのお菓子だから。ね、カノン」
「まぁ、今日は全然平気だね」
「あれ、何かありました?」
「べっつにぃ」
「んふふふ」
「何かご機嫌なのよ」
「あー。さっきもそーでしたね」
「そう?」
チリンチリンという鈴の音。ゼンマイ式のタイマーが報せる、お菓子の焼き上がり。
「取ってくるね。二人とも座ってて」
「はーい」
「うーぃ」
スキップでも始めそうな足取りで、フードを弾ませるシイナ。むすっとした顔とぽかんとした顔が残される。
「人変わり過ぎでしょ」
「いー事でも有ったんじゃないですか」
「逆じゃん? 今日、自警団行くって言ってたし」
「あー。でも、会った事すら無いんじゃ?」
「だとしても、いい気しないじゃん」
「まー」
九つのマドレーヌが載ったトレイが運ばれてきた。先程からほんのりと漂っていた甘い香りが、もわんと破裂する。
「お待たせ」
「凄っ。もう甘いですね」
「カノンと同じこと言ってる」
「えっ」
「えっとね、バッテンのが鞘だけ、一本線が実だけ。それでこれが全部入り」
「いよいよ実験ですね」
「骨は拾ってやる」
「ちょっと、人聞きの悪い」
「はー」
「大丈夫、もし寝ちゃっても、目覚ましのお茶があるから」
「……えーい、虎穴に入らずんば!」
覚悟の宣言と共に、一番左、バッテンが刻まれたマドレーヌを手に取りかじった。斜め上の宙を見つめながら、むぐむぐと味わっている。固唾を飲んで様子を見守る人。涎を飲み込んでマドレーヌを見つめる人。静まり返った部屋の中で、ソフィアは何事も無く完食した。
「おいしーですね、これ」
「でしょ。良かったぁ。何ともないんだね」
「ほらね、幸せでしょ?」
「確かにー。これは、しあわ、」
すぅっと言葉を途切れさせて、こてんと首を傾げた。呼吸に合わせて上体がゆらゆらと揺れている。
「それ、呪文かなにか?」
「えぇぇ。自分にゃ効かないけど」
「昨日は効いてたじゃない?」
「そうだった?」
「取敢えず、お茶淹れるね」
「折角だしさ、他のやり方で起こせないか試そうよ」
「私はいいや。もうやったし」
「へ? え、何したの?」
「あんまり酷い事はしないであげてね?」
「ちょっと、ねぇ、私何されたの?」
「変な事はしてないってば」
ポットの中には飴色の液体。揉まれた緑の葉が、長いこと浸されていたから少し苦みが効いているはずだ。カップに注いでソフィアの口へ近づける。細長く立ち上る湯気にくすぐられて、小さな小鼻がひくひくと伸縮した。けれどそれだけ。心地よさそうな寝息を立て続けている。
「え?」
「飲まないとダメとか?」
「だって、昨日は湯気で」
「そうだね、飲んだらシャッキりだったね。なんでだ?」
「効果が無い? そんな今更」
「どっちの使ったの?」
「どっち? あ、両方。昨日の使い切っちゃいたかったから」
「なんだろ。濃くするとか?」
「んがぁ。ごっ。んんっ、んふぅ」
たるみ切った表情から、艶やかな吐息が漏れる。
「うおっ」
「忘れてあげて」
シイナの顔が赤い。カノンの頬が青白い。
「昨日言ってたのって、」
「うん。これとか、いろいろ」
「シイナ、今すぐ寝よう。寝るまで食べよう」
「まってまって、先にソフィアを起こさないと」
「がんがん煮出して、濃いの作ろう」
「渋くて飲めないんじゃ」
「何かない? れ、すぴ?」
「まって、えーっと」
椅子に座わらされていたバッグから、百科事典モドキを取り出してペラペラめくる。食べ物の章、お茶菓子の節、お茶の項。その中の一つ、ありふれた飲み物。
「ミルクティー?」
「レシピって程じゃないけど」
「味見しながらやったらいいじゃん?」
「やる?」
「まずは書いてある通りにしようか」
「んんぅ。んふぅ」
「きっつぅ」
「急いで作ってくる」
「じゃあ私は鼻摘まんどく。せめてもの慈悲じゃ」
「危ないから駄目」
湯が沸騰したら軽くもんだ葉を加え、火から下ろす。空いたコンロでミルクを温め、沸かない程度に保ちながら甘みを整える。両者を適量混ぜ合わせたら、カップに注いで生の葉を2枚浮かせた。
胡桃色の液体から立ち上る香りは、先程より強く鼻に抜ける。
「んがっ。ふぁー。いーにおい」
「やった!」
「うわぁ。薄っすら覚えてるわ」
「あ、はは。ソフィア、飲んで? 熱くないけど、咽ないように気を付けてね」
「ふぁーい」
「あぁぁ……」
「あつっ」
カップを両手で包みながら、ゆらゆらと船を漕ぐソフィア。頭の方を近づけたものだから、鼻先が液面に触れてしまった。介助するシイナにとっては見た光景。頭を抱えるカノンにとっては思い出したくない光景。
程なくして、ソフィアの背筋に芯が通った。
「なるほど。確かに幸せ、」
「ちょ、だめ」
「はい?」
「あれ、あ、ううん、何でもない」
「何かいけませんでした?」
「え? あ、はは。幸せって言うと寝ちゃうんじゃ、って」
「そんな、呪文じゃないんですから。それにしてもー」
「残りは下げるね」
「へ? いえいえ、いただきますよ?」
「いいの?」
「はい。危ない感じがしないです」
「同じこと言ってる」
「んぐっ」
「でも、ソフィアが言うなら、そうなのかな」
「ちょっ、聞き捨てならないよ?」
「だって、カノンは食べたいだけでしょう?」
「ぐっ、直球か」
渋い顔のカノンを尻目に、ソフィアは残り二種類のマドレーヌの、その先っぽを千切って順に食べていった。効果を試すだけならは、それぞれを順に食べきる必要は無いのだから。二つ目を食べて頬を緩め、三つ目を食べて目元を緩めた。
「困りましたねー。ふわぁ」
「あぁあぁ、飲んで、これ」
「ふぁーい。これ、三番目のも、ふわーっとしますね」
「一と三なら、鞘?」
「一番よりはやさしー感じでしたけど」
「一回寝たからじゃないの?」
「カノンは食べるたびに寝てたよ?」
「そうでした」
「あの細っちーのの実ってことは、大りょーには獲れなさそーですね」
「うん。半分よりも少ないかな」
「そーするとちょっとー、難しいかなー」
「何が?」
「金儲けよ、金儲け」
「大事な事でしょー、採算が合うかどーかって」
「そっか」
「私は、安てーがモットーでして。一過せーのものはギャンブルだと思ってるんです。限てーせー産ってするには信用を築かないといけませんし、主軸に置くのは難しいなーって」
「そうだよね。作ればいいってものじゃないよね」
「いやでも可のーせーは有ると思うんです。美味しーのは確かですし、効果もちゃんと分かってれば物凄い事ですし」
「時間、かかるね」
「それは仕方ないですよ。あーだったら、とー面は個人的に買い取ります」
「え?」
「だってふつーに美味しーですし。実だけの奴なら寝なくて済みそーですから」
「待って待って、シイナ? 私が先だからね? 私が先」
「あは。ありがとう」
「良ければ価格設てーもそー談乗りましょーか?」
「ほんと⁉ それが一番困ってたの」
「ティーセットとしてなら、うーん、マドレーヌ二個とミルクティー一杯で十銅位かなー」
「そんなにするの⁉」
「ノーブランドって事で結こー安く見積もったんですが」
「単品は? 単品はどうよ?」
「同じ十銅で四個詰めとか」
「よし買った。あるだけ買った。あ、でも、実だけのは高いんだっけ?」
「ごめんて、それは冗談」
「実際材りょー違ってるわけですし、こーきゅーと、つーじょーで分けますか?」
「あっ、ミント味にしたら」
「いーですね。コストの話になっちゃうんで、その辺は上手くやって貰って、同じ値段で二つの味」
「あれ、なんかいい感じじゃん?」
「だから可のーせーは有るんですって。問題はきょーきゅーの安てー」
「メニューに載せるのは止めとけってことね。知る人ぞ知る隠しメニューか。へっへへ」
「なんで不穏な感じにしたの?」
「この人結こー、コスいですから」
「お前が言うな」
「カノン?」
「なに?」
「名前」
「くっ。ソフィアさんに言われたくありませんわ!」
「いえいえカノンさんこそ」
「くっそぅ。あれ、これって私が作ったらどうなるんだ?」
「寝るんじゃないですか? ちょー理ちゅーに」
「それは、大惨事だわ」
「その辺含めて危ういですからね。一人でってのは止めたほーがいーでしょーね。なんで私も呼んでください」
「それ絶対、下心あるやつじゃん」
「ふひっ」
それぞれに皮算用して盛り上がる二人の間で、シイナが静かに微笑んだ。本当に嬉しそうに。独りだった午前中、一人じゃ無かった午後と今。
「ありがとね」
「え?」
「へ?」
「明日もう一度ダニアさんの所行ってみる」
「どした?」
「いろいろ試してみようと思って」
「あー、あんまりエグいのは、流石にー」
「その辺も、相談してみる」
「でもまーそーですね。ダニアさんも個人でなさってますから、常に在庫があるとは限りませんし」
「あんた、ソフィアんとこじゃ入んないの?」
「そーしたかったんですけどね。そっちも、ちょっと難しそーで」
「あぁ……」
「何か失れーな事考えてますよね? まーいーですけど。それよりシイナ、お代を」
「あ、ごめん、把握してない」
「ちゃっちゃとけー算しちゃいますか。そっちの底無しが二個で、」
「ソフィアが来る前に六個」
「把握してんじゃん」
「んー?」
「二十銅ですね」
「ぬぅ」
「足りないんですか?」
「有るっつの。違う、まだ食べたいんだ」
「あー。どーします? 実のやつだけ高くします?」
「カノンだけでいいんじゃない?」
「なんなの? 二人して何なの?」
「だって、食べ過ぎは良くないよ」
「程々にしないと、すとーんとしちゃいますよ?」
「何の話だ。分かったよ、有り金全部持ってけ!」
穴無しの四角形は十銅貨。それが三枚。
「あと四個?」
「ミルクティーが飲みたいです」
実験改めお茶会。結構な量を食べたはずなのに、三人はそのまま夕食へ移行する。次は食後にしようと取り決めて。
いつも通りに大盛りなカノンに唖然としながら、シイナとソフィアは一人前を二人で分けた。それ位ならペロリと行けた。
三人並んで洗い物。必要ないと突っぱねるカノンを、説き伏せたシイナを、ソフィアが押し切ってこうなった。カノンは終始訝しみっぱなし。大した作業量でもないので、さっさと済んでしまう。それでもソフィアは満足そうだった。
そして最後のひと悶着。夜道は危ないと主張するシイナに、唖然とする二人。感覚の違い、常識の違い。終いには送っていくと言い出したから、二人がかりで説得していた。決め手は「そういうものだ」の一言。シイナの扱い方を一つ覚えた二人。殆どまんまるの月が東の空によく見える。そんな静かな夜だった。
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