ひもじさ

 青空から振り注ぐ輝き。足の裏に感じる熱気。歩くシイナの額がじんわりと汗ばんでいる。朝食より今まで、何も飲み食いしていない。空腹はまだしも、渇きは堪えてはならないもの。向かった先はセネカの宿。補給に戻ろうというのだろう。けれど、扉は閉ざされていた。

 玄関の前にできた、ちょっとした日陰で涼んでいる。右肩と頭を戸板に預け、右わきに抱えたトートバッグのクチを弄びながら。弾力に似たハリのある布地は、指ではじかれる度に元へ戻ろうと僅かに抵抗する。しかし志半ば、今度は指でつままれ引っ張られた。解放されると、重力の助けを借りて元居た場所へ帰ろうとするが、それでも願いは叶わない。そして上から押し込まれた。くしゃっと拉げると、かつての友に裏切られ、そのままへたれた。醜態をつつかれる。つんつん、つんつん。

 シイナが跳ねた。首を起こした勢いで直立すると、昨日ルカと来た道、港へ向かう道を歩き出した。建物から伸びた、僅かに伸びた陰を渡り歩き、昨日ルカとあった場所に着く。ここにはやはり人気ひとけが無いが、その向こうには人通りがある。なにより、数少ないシイナの知った顔があった。


「あれ?」


 先方もシイナの姿をみとめた。立ち止まった動きに合わせて、肩にかかる日に焼けた髪がふわりと舞う。


「凄い」


「何が?」


「私、持ってると思う」


「うん? あ、色、かわいいね」


「だよね。これ図書館でお借りしたんだけど、肌触りが凄いの」


「へぇ、いいなぁ」


「市場で売ってるって聞いたよ?」


「ここで? ……え、ヨスカロぉ⁉」


「よすかろー?」


「うん。えっと、ほんとは町の名前なんだけど、」


「織物が盛ん?」


「そうそう。ウールなんてふわっふわで。そんでブランドみたいになってて、ちょっとお高い」


「……」


「大事にしなね」


「そうする」


 持ち手を握っていた手を放し、胴を両手で包むように持ち替える。力尽きているクチを指で撫でつけると、カノンへ向き直った。


「そうそう。この後時間ある?」


「今からお昼だけど、それでもいい?」


「うん。ちょっと相談したいことがあって」


「相談? ああ、シイナちんお昼は?」


「えっ。あ、あはは」


「だよねぇ。鳥とチーズ平気?」


「大好き、だけど、何か私、集ってるよね、これ。ほんとごめん」


「大丈夫大丈夫。今回からは全部帳簿つける」


「ありがとう、そうして下さい」


「えっ、その反応は、ちょっと微妙な気分」


 二人がやって来たのは、真っすぐな細い道を抜けた先の、ちょっと開けた一画。椅子やテーブルが青空の下に並べられており、食事をする人、談笑する人、転寝る人、とそこそこに賑わっている。シイナにすれば、この街で初めて見る、人々の居る景色。


「二人ぶぅん!」


 辺々に並んだ屋台の中で、角に居たリヤカーへ向けてわき目も振らず歩み寄ったカノンが、元気な声で告げた。見た限りメニューの類が無い。

 やがて手渡されたのは、透明な液体の注がれた白い紙製のコップと、白い薄紙にくるまれたサブマリンサンドイッチ。『二人分』のはずだが、カノンの包みには四本のサンドイッチが埋まっている

 両手を塞がれた二人は、最寄りの空席に向かい合って座った。真っ先に喉を潤すシイナ。


「おいしい。これ、なに?」


「ココナツ」


「えぇぇ、知ってるのと全然違う」


「そうなの? 産地の違い?」


「かなぁ……」


 カノンは包み紙の一部を千切り取った。それを使ってパンの開いている方を押さえる。だから、齧り付いても具材がはみ出さない。真似したシイナは大きく千切り過ぎて、パンの閉じている方を素手で押さえる羽目になった。被害は無いが、耳の先に朱がさしている。何をするにも、加減というものは難しい。


「相談って、何だった?」


「そうそう。レシピ見つけたの」


「れし……ああ」


「ほんとはもっと色々載ってたんだけど、取敢えず、ね?」


「ほほぅ?」


「焼き菓子の作り方があったら、どうかなって」


「ほぅほぅ。じゃぁシイナちんもアレ書くんだね」


「あれ?」


「ここに住んでますぅって」


「あぁぁ。やっぱり必要なんだ」


「らしいよ。よく知んないけど、セネカさんに言われた」


「そっかぁ」


「なになに、なんかマズそげ?」


「えっ、ううん、そうじゃないけど。住民登録って、ちょっと重くない?」


「住民? あれって、そうなの?」


「そうじゃない? 名前と住所を役所に届けるんでしょ?」


「うわぁ」


「あ、はは」


「それは重いね」


「だよね。それでちょっと、引っかかってて」


「私の時は、『商売したけりゃ届け出な!』だったから」


「あっは、目に浮かぶ」


「まぁ、でもいっか。困った事無いし」


「そっか」


「出てくときは放っておけばイイみたいだし」


「そうなの?」


「うん。実際居たしね。ふらぁって居なくなる人」


「えぇぇ……」


「自警団の人達が確認してるらしい」


「ふぅん。そんな事までするんだね」


「依頼があるんだろうね。自警団イコール依頼」


「そっか」


 お日様に見守れながらの食事は、決して衛生的では無いのだろうが、なぜかいつもより美味しく感じる。味とは得てしてそういうもの。二人の食が進むにつれて、周囲の人影もまばらになっていった。

 やがて包み紙をくるくる丸めるたカノンが、ジュースのお替りを持って持ってきて、恐縮するシイナに、笑顔で『ツケだから』と言い放った。


「いただきます」


「ねぇねぇ。焼き菓子って、どんなの? マドレーヌとか?」


「うん、それもあった。あとはマカロンとかスフレとか」


「いいねいいね。私お菓子作るの苦手でさぁ。なんか、甘いだけのごはんになる」


「そっか、香料が要るんだ」


「そうなの? じゃあこの後見てく? 一緒には行けないけど、ウチの名前出せば後払いに出来るはずだよ」


「えっ、あ、はは。そっか、材料。あの、貸してもらっても、」


「そんなん気にしなくていいよ。小麦粉とバターと、あと牛乳と卵ならあるから。あ、もちろん、お砂糖もね」


「えっと、ベーキングパウダーは、」


「あるある」


「そっか。ありがとう。お借りします。じゃあバニラだけどうにかすれば、」


「バヌ、バ、え?」


「えっ、バニラ、だけど。甘い香りの」


「それがキモなんだね。今の組み合わせじゃ、パンケーキにしかならないし」


「甘いごはん……」


「でしょぉ? ね、それでそれで、何が出来るの?」


「マドレーヌでよければ」


「よぉし、早速今から、はお仕事なので。お店開けたらでいい?」


「もちろん。私こそお願いする立場だし。って、開店後なんだ」


「うん。準備はちゃんとしないとね。お客さん来ないけど」


「あ、はは」


「あっでも、明日から忙しくなる」


「どばぁっと?」


「そうそう。設備点検に出てた人達が帰ってくるって」


「巡礼団、だっけ?」


「そっちは、もちょっと先じゃないかな。週明け位?」


「へぇ。じゃあ暫くはお客さん、一杯なんだ?」


「だねぇ。だから今日が勝負、だからね?」


「何かあるの?」


「お菓子だってば!」


「やっぱり、お客さんいる時はだめ?」


「流石にね。火元全部埋まっちゃうし。先に言っておいたら、注文入ってたかもしんないけど」


「そっかぁ」


 すっかり閑散とした広場。いくつかの屋台は片づけを始めている。その隅っこに居る二人。コップの中は既に空っぽ。


「試供品って配るのはアリかもだけど、それだとシイナちんタダ働きだし」


「ね、お店忙しいなら、」


「そっか。あっでも、届け出してないとマズそげ」


「だよね。もういいかな。なんか、何するにしても言われそうだし」


「まぁねぇ。でも、明日ね、明日」


「今日だとダメなの? 時間?」


「だから、お菓子だってば!」


「そっ、か」


「バ、バネラ? 見つけてね?」


「う、ん、がんばる。バニラ、ね」


「バヌラ?」


「バニラ」


「バネ、バネィ、バ、あぁもうっ」


「あ、はは」

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