まち歩き
そよぐ街路樹。砂踊る道。来た時と同じ
酒場の裏の、手入れされた林を抜けると、シイナの胸程まである縦板張りの柵があった。奥と横へずっと伸びていて、ここからでは終わりが見えない。そんな広大な区画を埋め尽くすように、壁も屋根も灰白い箱が建っている。パーティクルでも混ざっているのか、陽を照り返してキラキラしていた。
「ここが役場」
「大きいね」
「大きい?」
「ほら、横に」
「ああ。え、言うか? 言うか」
「言うよ」
今日のシイナはよく笑う。たじろぐルカを余所に、眩しいだとか綺麗だとかはしゃいでいる。挙句、柵と背比べなぞするから、慌てたルカに置いて行かれた。そしてまた笑う。
昨日に比べて随分と歩みの早いルカの先導で、二人は役場の斜向かいに着いた。ひらけた区画の中央あたりに、ちょこんとモニュメントがある。実際には大きくて背が高いのだが、ずんぐりしているので遠目には”ちょこん”として見えた。回り込んでみれば、それは大きなアナログ時計。文字盤は三面型。
「これが時計塔」
「え、か、可愛いね」
「どこが⁉」
「なんだろ、雰囲気?」
「いや、全然わかんねぇ」
「ねぇ、これ、港とか関係なくない?」
三方を囲む造成林よりは頭が抜けているが、見上げるのでは葉の陰になる。
「あ? ああ、南側からだとそうでもないんだよ」
「坂道?」
「いや?」
「えっと、なんで?」
「何で、って……ああ、傾斜が緩やかだから。高くはなってる」
「へぇ」
右は広い葉、左は細い葉。手入れの行き届いた高木の間を進む道。縮んでいく木々を見送ると、突き当りは確かに小高くなっていた。人は緩やかな変化に鈍感らしい。木々の頭はいつの間にか、足の下にある。
「な?」
「わぁ……」
そこからは、街の北側が見渡せた。足元から広がる緑色の先に、土気色した屋根が一つ。灰色の中でハッキリと分かるそれは、セネカの宿。他にも幾つか色づいた四角形が見えるが、目立って大きなものは二つ。左手に赤茶。右手に濃いグレー。そしてその向こうに、海が広がっていた。今日は幾分黒っぽい。
「凄い。のぼった気、全然しなかった」
「まぁな。十往復目位から、坂なんだってわかるけど」
「十って、」
「そういう訓練がある」
「訓練かぁ」
「別に自警団だけのじゃないから、安心しろ」
「え? それ、むしろ、」
「強制じゃないけどさ」
「えぇぇ」
萎びるシイナを尻目に、踵を返したルカは黒い建物へ近づいて行った。凹の字を真ん中で左右に割った様な形をしている。
「え? あれ? ルカ?」
「ん?」
「うそ。何で置いてくの⁉」
「へ?」
「行くなら声かけてよ」
「ああ、悪い?」
既に入り口に着いて居たルカとは、声を張らねば届かない程度には距離が開いていた。おまけに、黒い建物の陰だから景色に溶け込んでいる。ルカからすれば、よく見えていただろうが。
「こっちこっち。ここが自警団本部」
「そぉですか」
「ほんと、悪かったって」
「もうやめてね?」
「分かったって。ちゃんと声かけるから」
「……うん、お願いね」
急に大人しくなったシイナを連れて、二人が訪れたのは左側の屋舎。細長い外観のそのままに中が打ち抜かれていて中柱が一つもない。壁にめり込んだ側柱が梁を下から押し支え、出来上がった四角い枠の上に屋根が乗っている。お陰で天井がとても高いが、地震が起きたら崩れそうだ。窓は無く、梁の下が定期的に穿たているのみで、照明も無いから薄暗い。
ルカが立ち止まった。小さく背を跳ねさせたシイナも、一歩遅れてそれに倣う。
「遅くなりました。こいつが昨日話した、」
「先にその子に説明してあげなさい」
「え、はい。シイナ、この人が団長で、」
ルカが示した先には、暗がりに佇む男性が二人。一人は口髭を蓄えた、いかにも熟練といった体のご老体。もう一人は長めに髪を整えた、背の高いすらっとした男性。ご老体は額に手を当てため息をついている。
「お前は……」
「ルカ、そういう事じゃないと思うんだ」
「何が?」
「あの! 初めまして、シイナ、と申します」
「これはご丁寧に。私はキリウス。ここの
「僕はファティウス。小間使いその一、かな」
「本日はお招きにあずかり、」
「いやいや、そこまで畏まり召さるな。お会いしてみたかったというだけの、ただの年寄りの我儘ですよ」
「はい。よろしくお願いします」
「こちらこそ。しかし、少々事情が変わってしまいましてな。茶でも振舞いながらお話を伺いたかったのですが」
「いえ、お気遣いなく」
「そう言っていただけると有難い。それでは、この場にて」
「俺、椅子持ってきます」
暗がりに紛れていったルカ。ファティウスも続く。残された二人。
「上品な振る舞いをなさいますな」
「ありがとうございます」
「それだけに、
「え?」
「ここにいらっしゃったという事は、ずいぶんと窮屈な思いをなさったのでしょう?」
「……」
「願わくば、良い旅とならんことを」
「……はい。ありがとうございます」
しんみりとする二人。共に何かへ思いを馳せているらしい。そこへ両手に丸椅子を提げたルカ達が帰ってくる。シイナもキリウスもどこ吹く風。
「どう並べますか?」
「円陣でよかろ」
キリウスの隣にファティウス。その隣にシイナ、更にその隣にルカ。ファティウスとシイナの間があいていて、シイナとルカの距離が近い。そんな歪な円陣。
「――登録、ですか」
「左様。依頼をするにも受けるにも、その身元を立てていただく必要があります。」
「……」
「なに、拘束するものではありません。一過性の、この街に居る間は此処に居ると、届けていただくだけの事です」
「どうしても、でしょうか」
「そうですな。少なくとも金銭の授受は難しいでしょう」
「考えてみます」
「そうされるといい。無理強いするものでも、ありませんしな」
「はい」
「では、年寄りはこの辺りでお暇をいただきます。ルカ、ちょっとおいで」
「はい。悪い、行ってくる」
「うん。いってらっしゃい」
ゆったりとお辞儀し、椅子ごと退室していくキリウス。自称するわりには、その立ち居振る舞いも含めて頼もしい。遅れて立ち上がったルカも椅子ごと続く。残された二人。シイナがそわそわしている。
「ファティウスさん、でしたよね」
「うん? そう言う君は、シイナさん、だったね」
「え? はい」
「もし悩んでるなら」
「はい?」
「そんなに堅苦しいものじゃないから、取敢えず、でもいいと思うよ」
「はぁ」
「そんなに重く受け止めずに、ってこれだと勧誘だな」
「ファティウスさんも、」
「うん?」
「ファティウスさんも、ここで働いた方がいいって、思いますか?」
「僕はここしか知らないから」
「……そうですか」
噛み合わない会話。重たい空気。何かを言いかけてはやめるシイナと、宙を彷徨うファティウスの視線。吹き抜ける風が擦れて音になり、広い空間で木霊している。ひゅうひゅうと。
「ルカ遅いですね」
「うん? そうかな」
「ファティウスさんは、団長さん待ちですか?」
「うーん。僕もある意味ルカ待ちかなぁ」
「あ、それなら、」
「うん?」
「この後、どうされるんですか?」
「後? ……あー、僕は一緒に行ってあげられないかな」
「いえあの、」
「依頼なら受けるんだけど、お金無いよね?」
「……」
「だから、ルカと仲良くするといいよ。君の頼みなら、」
「あの、もう、結構ですから」
「そう? はは……ふぅ」
鉛色の雲がもくもくと。ああ雨が降る。雷も鳴るだろう。そこへ、不穏な表情のルカが戻ってきた。
「あー、シイナ?」
「それじゃ、僕は失礼しようかな」
「あ?」
椅子ごと消えていくファティウス。その後ろ姿をたっぷりと見送ってから、ルカがシイナの方へ向き直った。
「なんだ? なんかあった?」
「ううん、なんにも。そっちこそ、何か言い掛けなかった?」
「あーうん。悪い、案内ここまでで」
「そっか」
「いや、ほんとごめん! 予定では今日一日自由だったんだけどさ」
――仕方ないだろ、仕事なんだから。
「やめて」
「ごめん、急な用事で」
「その言い方は、嫌」
「そっか、ごめ、いや、埋め合わせ、埋め合わせするから!」
「は?」
「二、三日離れるけど、戻ったらさ」
ぽっかりと口を開けたシイナの顔が、みるみる茹っていく。小鼻の脇から耳の先まで真っ赤に染まる。
「あ……あぁあぁ、えっと、その、全然。そんな事全然、気にしないで」
「そんな事、か」
「違っ、そうじゃなくて、私の事なんて、って」
「なんてね」
「だからっ、え?」
「よし、今回は俺の勝ち」
「勝ち?」
「ああそうだ。図書館はここ出て左。真っすぐ行った右手側」
「えっ、まって、えっと」
再び「出て左」と繰り返しながら空中をなぞったルカにつられて、シイナも頭ごと指を振る。鏡写しなので動作は間違っているが、言葉は頭に叩き込まれただろう。
「じゃあほんと、急ぎだから、俺、これで」
「うん。えっと、気を付けてね」
「おぅ。またな!」
「え? また、ね?」
暗がりに飲み込まれていくルカを見送ると、シイナは頭を垂れて動かなくなった。風鳴がぴぃぴぃと五月蠅い。
やがて目元にだけ赤みを残した顔を上げると、立ち上がって立ち尽くした。椅子を持ったきり困惑している。暗がりと座面の間で、数度視線を往復させた後、壁際にそっと置いて、そそくさと部屋を後にした。物音どころか、足音すら立てず。
外に出ると、お日様が随分高くなっていた。それだけ陽射しも暖かい。けれど気温はそれ程でもなく、風がそよぐ分だけ肌寒い程。からっとした空気は水気を奪っていく。目を細めていたシイナは、やがて意を決したように「出て左」へ向けて歩き出した。
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