初めての朝
――女である前に一人の人間なんだから。人としての幸せを探しなさい。
――ちっちゃくやったんで。その、プライベートな感じで。
――他の人の言う事なんて気にせずに、正しいと思った事をしなさい。
――要らない感じですよね、俺ら。いやいや、楽させて貰ってます。
――人に頼らず、自立して、
――流石、お偉い人は違うね。あたしら、みんな馬鹿だからさ。
――自分の道を行きなさい。
――いやぁ出来る人は違うなぁ。真似できないわぁ。
開けっ放しの窓。陽射しというには弱々しい光。薄ぼんやりとした室内には、張られた紐と、そこに掛けられた下着に肌着に外衣。まるで
無防備な寝台の上にはしかめっ面が一つ。掛布を握りしめながら仰向けに呻いていたが、やがて射し込む明かりが強さを増すと、流石に耐えかねたのか薄っすらと目をあけた。上体を起こすなり、両手で顔を覆って震え始める。この時間はまだ肌寒い。
空が十分に青くなった頃、ようやくシイナは伸びをした。
ベッドから降りると、干してあった服を回収し、そのまま部屋を出ようとして立ち止まった。湯浴みにゆく気なのだろう。流石に気付いて、紐は結びなおしたが、結局カギは置いて行ってしまった。誰も居なくなった部屋。窓から射し込む日差しがぽかぽかと暖かい。ドアが開け放たれると、風がよく通る。
すっかり身支度を整えたシイナが食堂に顔を出すと、案の定誰も居なかった。解放された玄関口を見て、左のポケット叩いて確認する。カノンから預かった本も手伝って、くっきりと鍵の形が浮いている。
昨夜二人で盛り上がっていた場所には、食器ひと揃えとカゴに入った丸いフランスパン。コンロの上には蓋の乗った小さな片手鍋が一つ。中にはスープが入っていた。
縦に薪を差し、危ない手つきで火を着けると、スプーンでぐるぐるかき混ぜる。温まった鍋ごとマットに載せると、ちぎったパンをふやかしながら食べていった。
「おはようございまーす」
壁の向こうへ下げた食器を水につけ、戻ってきた時ルカの声がした。カウンターの端をすり抜けるシイナ。もう跨いだりはしない。
「おはよう」
「おぅ、おはよう。早いな」
「そう? 今何時?」
「8時過ぎだと思う」
「ここ時計なくて」
「どこも大体無いんじゃないか?」
「そうなんだ。ルカはどうやって知ったの?」
「広場の時計塔」
「そんなのあるんだ」
「そうか、港からだと見えないな」
「ふぅん」
「あー、よければ、案内、しようか?」
「え、いいの?」
「ああ」
「例えば、図書館、とか」
「同じ方向だな」
「良かったぁ。お遣い頼まれてて」
「そう、それ。団長が一回、話したいって」
「そうなの? 場所は? 近い?」
「近い」
「そっか。わかった」
「内容はいいのか」
「そうじゃないけど、会ってみたかったし」
「へぇ」
随分とシイナの当たりが柔らかい。たった一晩で態度を改められては、ルカも違和感があるのだろう。ずっと視線が泳いでいる。ただ、耳の先が赤いから、他にも理由が有るかもしれない。
「おはようさん。二人とも早いね」
戸板を中へ引き込んで、あの出入り口からセネカが現れた。
「おはようございます」
「おはようございます、セネカさん。着替え有難うございました」
「着替え?」
「寝巻、でしたっけ。あとタオルとか」
「あれか。あっははは。当たり前じゃないか。あんた客なんだよ?」
「ツケ、ですけど」
「そう思うんなら、さっさと稼いできとくれ」
「あ、はは。はい」
「んなことよりも」
「え?」
「ちゃんとドアと窓はお閉めよ。年頃の娘が、まったく」
「あ、」
「あたしだったから、いいようなものを。時間によっちゃ人が通るんだ。せめて着替える時くらい、」
「あ、あぁあぁ、あのっ、今日団長さんとお会いしてきます」
「団長? どこのだい」
「え、」
「うちのです。職無しの文無し見つけたって報告したら、」
「言い方……」
「そうかい。まぁ、それが間違いないだろう。うちはこの通り、暇だしね」
「ああ、そういや、明日か明後日、七番帰ってくるそうですよ」
「おや? 料理長殿に張り切って貰うか」
「ななばん?」
「なので、明けたら合同でアンプスまで」
「あんぷす?」
「そんな急がなくても」
「エニさん達がその辺に居るらしくって」
「えにさん……あの! セネカさん」
「なんだい?」
セネカが目を丸くしている。それ位にシイナの声は大きかった。ルカが口の中で「あー」と呟いている。
「この後図書館に連れて行って貰うんですが、何かお遣い、ありませんか?」
「図書館? 特に無いねぇ」
「そうですか……」
「あ、ああ、それじゃ、俺らそろそろ行きます」
「そうかい? じゃあ、気を付けるんだよ」
「へ?」
「いってきます」
「いってらっしゃい。良い一日を」
「ありがとうございます。セネカさんも」
見送るセネカの笑顔。そこに含まれた寂しさの色に、二人は気づいていない。眉を顰めるルカに続いて、シイナが外へ出る。二人が出ていった西向きの玄関口。その向こう側は眩しかった。
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