清掃

 右壁沿いにずらりと並んだ収納棚。左壁沿いに立て掛けられた板やら棒やらあれやこれ。出入り口より一回り大きい通路は右にカーブしているようだ。奥が見えない。足取り重いシイナは、右手を棚に添えながら進んだ。

 分岐は無く迷いようがないから、後は時間の問題。ようやく見えてきたには入ったのと同じ形の出入り口。化かされたような錯覚を覚えるが、その先には確かにセネカが居た。あっちへこっちへ、上げたり下げたりと忙しそうだ。どうやら部屋を片付けているらしい。


「セネカ、さん?」


「来たね」


「遅くなりました」


「そうかい? じゃあ代金に上乗せするか」


「え、それ、あ、はは。お手柔らかに」


「あんたハズレクジ引かされるタイプだろ」


「えっと、」


「あたしなんて全然だからね。もっと我張らないと、やってけないよ?」


「はい、肝に銘じます」


「そういう所さ」


 唐突に歩き出したセネカを、慌てて追うシイナ。歩幅が違う。容赦なく先を行くセネカに追いつこうと、シイナは小走りになっていた。


「着いたよ」


 不意に動きを止めた山吹色の背中。前のめりになりながら踏みとどまるシイナ。橙色のフードがふわりと跳ねる。


「いつまでいる気か知らないが、ここ使っとくれ」


「はい、ありがとうございます」


「んじゃ頼んだよ」


「え?」


「掃除さ。道具はさっきんトコにあったのを使っとくれ」


「この部屋、なんですね」


「何かマズいかい?」


「いえ、ぜんぜん、そういうのではなくて。てっきり、さっきの部屋でお手伝いをするものだと」


「ああ。それでもいいんだけどね。ここ、閉めっきりだったからさ。この時期客なんていやしないし」


「そう、ですか」


 木材と布の匂いが充満した部屋は、ホコリやカビの臭いがしない。閉め切る前にきっちりと清掃したのだと窺い知れる。それにしても物がない。ベッドとクローゼットと吊られたランプ。それ以外の調度品は無く、ラグすらない床は板張りのむき出し。ベッドには広げられた敷布の上にクッションと畳まれた肌掛けのみ。寒くは無いのだろうか。


「ここを片したら今日の分はチャラ。明日からはツケ。それでいいかい?」


「はい。それで、その、一日分って、おいくらですか?」


「十銅だね」


「安っ」


「あっははは。素泊まりだからね。飯が食いたきゃ、食堂で買っとくれ」


「最初の所ですか?」


「最初? ああ、そうそう。あんた達が入ってきた所だ。うちはあっちがメインでね」


「メイン……」


「ん? ああ、あの惨状はたまたまだよ。昨日は大口があったからね」


「いえ、ぜんぜん、そういうのじゃ」


「あっちは料理長殿に任せておけばいい。さぁ始めた始めた」


 背中を叩かれたシイナがつんのめる。お構いなしのセネカに続いて、シイナも来た道を戻った。二人の向こうには、先程と同じ色違いの壁と木製レリーフがあった。

 アナログな道具ばかりが並べられた中で、雑巾二枚とハタキを手に取り、横木の刺された手桶に詰める。手渡されたエプロンと三角巾を身に着け、何処とはいわず空いた隙間を絞った。


「水場はそこ」


 左手でハタキと雑巾を握りしめ、開いた右手蛇口をひねる。けれど並々と水が張られた木製バケツは、片手で持ち上げられないらしい。


「うそでしょ……」


 ハタキと雑巾をエプロンに巻き込んで、両手でバケツを持ち上げるシイナ。それでも足元がおぼつかない。膝までしかない大きさのバケツを、両手でもってなお懸命な姿は滑稽でしかない。

 ようやくたどり着いた宿泊場所で、息も絶え絶えといった体のシイナは、ふらふらしながら窓を開けた。部屋の中の一つと、部屋の外の通路に据えられたもう一つ。丁度ドアを挟んで向かい合う二つが解放されると、風がふわりと流れ始める。緑の匂いがした。お日様も大分低くなっている。

 そこからは手慣れたものだった。パタパタはたいて、バサバサはためかせて、ボスボス払ったら、さらさらと拭いて行く。滞りなく進んでいたが、水拭きを始めた頃には、赤い光が射し込んでいた。

 全てを終えても、何も変わった気がしない部屋の中央で座り込むシイナ。窓からは既に星が見える。くっきりとした輪郭。しばらくそうして、間抜けな顔で呆けていたシイナの、腹が悲鳴を上げた。


「やだ」


「お疲れさん。んーいい匂いだねぇ」


「あ、あはは」


「それで? あたしゃ構わないけど、あんたはどうなんだい?」


「え?」


「あんたが使う部屋なんだ。あんたが決めな」


「それは、」


 パチパチと瞬きしながら俯くシイナ。見つめるセネカの顔が少し厳しい。


「もうちょっとだけ、やってみます」


「そうかい」


 顔を伏せたままのシイナと、僅かに口角を上げたセネカ。


「ああ、もう、あたしに確認しなくていいからね。あとこれ」

 

 手渡されたのは手の平サイズの金属で出来た軸の長い葉っぱ。見慣れない形状だが、用途は容易に思いつく。


「カギですか?」


「この部屋のね。無くすんじゃないよ、高いんだから」


「気を付けます。ちなみに、」


「無くしたらツケだね」


「あ、あはは」


「それからこれ。ちゃんと綴じときな」


 またも金属製の、けれど今度は赤くて薄い板。先の欠けた涙型で、桜の花びらを先に向けて絞ったようなシルエットをしている。一面には模様が、もう一面には記号が刻んであった。


「これ、なんですか?」


「ここと、あたしの名前だね」


「え、とじるって」


「さっき選んだろう。あれに押し込むのさ」


「あ、手帳ですね」


「そう言うのかい? それも無くすんじゃないよ」


「ツケ、ですか?」


「いくらか聞くかい?」


「後程、で」


「あっははは。ああ、それ、そこに仕舞って、爪でこするんだ」


 透明なポケットは、擦られた所から金属板へ密着した。気を良くしたのか、シイナは輪郭をなぞり、下から上へと一方向になぞっている。途中何かを思いついたように頁をめくったが、金属板の入っていない頁に変化は無い。最後には押し花のしおりの様のなものが出来上がった。


「どうなんってるですか、これ?」


「さぁ?」


「あ、はは」


「一息ついたら食堂に行きな。話はしてあるから、今日の分は食える」


「ありがとうございます」


「明日以降は、料理長殿と相談しな」


「がんばります」


「それじゃあたしは行くよ。そろそろ忙しくなるからね」


「はい、何か何まで、ありがとうございました」


「あっははは。まだまだこれからだろうに。精々頑張んな」


 セネカが去ると、部屋が静まり返った。物音どころか、虫の声一つしない。シイナは自らの頬をペチっと叩いて立ち上がった。丸い月が上り始めている。

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