年下の男の子

 シイナの足取りは軽かった。灰色の港を跳ねるように進み、立木に挟まれた石段を駆け上がる。砂っぽくて広い道と濃く茂った街路樹。原色の中に埋もれるモノトーンの建物たち。立ち止まったシイナは、深呼吸をした。潮と緑、どちらの匂いがするのだろう。

 あてどなく歩き出したシイナは、閑散とした中に背中を一つ見つけた。歩みを止め、肩を竦め、二の腕を摩りながら、目を伏せる。背中がどんどん小さくなる。

 やがて顔を上げると、髪やら何やら指先で撫でまわして駆け出した。背中がどんどん大きくなる。


「あの、すいません」


 背中が立ち止まり、振り返る。青年だった。その整った顔を、自ら指差すす。


「ん、俺?」


「はい。あの、えっと、宿場はどちらでしょうか?」


「しゅくば? ああ、お前ここ初めてか」


「えーっと、その。お前、は止めていただけると」


「へ? ああ、悪い。俺はルカ。あんたは?」


「え。あ、はは。えっと」


 シイナの瞳が、右へ左へ忙しくなる。増えるまばたきと、胸の前で組まれた両手。不自然な空白に、ルカと名乗った青年が気まずそうに頭を掻いた。


「あ、あはは。シイナと言います。それで、宿場はどちらに?」


「しゅくば、ね。そういうの好きなの?」


「はい?」


「まぁいいや。宿はこっち。案内するよ」


「いえ! そこまでは」


「俺の目的地もそこなんだよ。折角だし、一緒に行こうぜ」


 顔を伏せたシイナは己の前身を両腕で覆った。肩を掴む右手がもぞもぞと忙しない。一方のルカはそれ以上言葉をつなげず、静かに返事を待っている。

 やがてシイナが胸を張った。


「それじゃ、エスコートして戴こうかしら?」


「はぁ? あっははは。やっぱり変な言いまわしなのな」


「うそ」


「ああそれと、タメでいいよ。そんな変わんないだろ?」


「タメ?」


「タメ口」


「え、変わらないって、」


「とし」


「あなた、おいくつ?」


「今年十八だけど?」


「私そんなに若く見えるの?」


「若いっつうか。え、お前フアン何かなの?」


「お前、は」


「悪い。シイナ、だったよな」


「はい。フアンではないんだけど。えっと、鏡ないかな?」


「いや。むしろ持ってないのか?」


「あ、はは。着の身着のままで」


「マジか。船で来たんだよな?」


「そう、ですけど」


「すげぇ。まあ部屋にゃあるだろうし、とりあえず移動しね?」


「そうで、だね」


「念のため聞くけど、金はあるんだよな?」


「あ、あはは」


「マジかよ、どうすんだ?」


「どうすればいいんでしょう?」


「っ、知るかよ」


 下から見上げられたルカは、ふいっと咄嗟に目を背けた。シイナがくすくすと笑う。


「とりあえず案内してもらってもいい? その後は、うーん、なんとか」


「はぁ。俺はいいけど」


 並んで歩き出した二人は、そのまま進んで三差路を右に折れた。川沿いの道から海沿いの道へ。

 シイナからすれば、ぐるっと回って元の場所に戻ってきたことになる。見比べてみれば、確かにこちらの方が道が太い。


「自警団?」


「そ。中身は何でも屋」


「ふぅん」


「人手は全然足りねぇし、内容によっちゃ稼げるし」


「私に出来るのかな」


「出来る事をやればいいさ。宿屋手伝いも悪か」


「ふぅん。もしかして、」


「ん?」


「私と一緒に働きたいんだ?」


「おまえっ」


「お前はやめて、って」


「今のは仕方ないだろう。はぁ、そういう事言う奴、初めて見たわ」


「だよね。何言ってるんだろう」


「は? ああ、旅先の、か」


「かも。気を付けます」


「別にいいんじゃね? いや、気を付けるに越したこたないか」


 明後日を仰ぐルカの向こう側には、相変わらず街路樹が並んでいる。けれど少し前から、その奥に網目のフェンスが立ち始めていた。隙間から覗くのは何かの設備。塔から塔へ張り巡らされた線と、絡みつかれた大きな箱。

 突然シイナが向きを変えた。フェンスへ向かう足取りはふらふらと覚束ず、伸ばされた右手の指先は、何かを摘まもうとして空を切る。気付いたルカが訝しんだ。


「あ? おい……おい!」

――いくなっ


「え、何で?」


「何でって。急にどうした?」


「え? あ、あはは。ごめんなさい、見覚えあるなぁって」


「あっそう。びぃっくりした」


「あれって、電気?」


「ん? 多分」


「ふぅん。何か違和感」


「なんだそれ」


「イメージに合わない感じ、しない?」


「そうか? そう、か」


「そういうの無さそう、っていうか」


「まぁ確かに、車もないしな」


「なんで?」


「無いからじゃね?」


「無いんだ」


「無いなぁ。あった方が便利なんだけど、無くても困んねぇっつうか」


 頭の後ろで手を組んだルカの歩みはまったりしていて、シイナは時々追い越していた。その度に足を止めては、ちらちらと辺りを観察している。ここまで他の誰ともすれ違っていない。


「そういえば、この服、変じゃないかな?」


「へ? まぁ」


 シイナは、上着の裾を摘まんで広げた。返事をしたルカが、躊躇いがちに身形を確認する。そんな二人はどちらも似たような装いをしていた。フードのついた、広口の三分袖チュニックにパンツスタイル、膝下の厚手なレザーブーツに手首まで覆う薄手のレザーグローブ、とシルエットは変わらない。違いと言えば、いくつかの仕立てや装飾と、その上着の色。ルカは暗がりに浮かぶ葉の様なくすんだ深い緑色をベルトで締めている。一方のシイナは、柿渋染めの様な柔らかい橙色が元々絞られていて、飾りベルトが巻かれていた。二色並ぶと、どことなく美味しそうだ。


「それ、こっちに合わせたのか?」


「かな。うん」


「元はどんなん着てたん?」


「えっと……スーツとパンプス、ばっかり」


「なんだそれ」


「仕方ないじゃない、」


 燦燦と輝く太陽が、少し低くなっている。風に押された砂粒が、二人の足元をすれ違っていった。

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