3rd phase-1

「……暑っ」

 最近の季節の温度変化に、私、鬼道佐久弥は悪態をついた。

 梅雨に入って早々、じっとりとした湿度を伴うこの日本の気候は、私の天敵だ。

 汗はかくし、肌に布が張り付く感覚が不快だ。

「……」

 だが、こういう感覚は大切にしたい。

 こういった不快感を嫌うことは、私がいまだに人間だという証明だと思う。

 変な幻覚を見ることは、最近は極端に減ってきている。

 なんでなのかはわからないが、まあいいだろう。

「……お疲れ様です」

 そう言って、事務所に入る。

 いつもの『JSA』の事務所。

 いつもの光景に変わりはない、が。

「あら、お疲れ、サクちゃん」

 気さくに話しかけてきたそれは、筋骨隆々の巨漢だった。

 黒と紫のメッシュの入った髪を伸ばした巨漢は、ただでさえ目立つ風貌なのに、さらに目立つバーテンダーの服を着て自分のデスクでファッション誌を眺めていたようだ。

 念のために言っておくが、この人は別に不審者というわけではない。いやまあ、街中で話しかけられたくはない人物ではあるのだが。

「……お疲れ様です、分毫寺さん」

「いやん、サクちゃん。あたしのことはちゃんと『紫苑しおん』って呼んでちょうだい」

 そう言ってウィンクする分毫寺ぶんごうじ大悟だいごさんこと、紫苑さん。

 彼、あるいは彼女はこの『JSA』の古株のニューハーフだ。

 最近は経営しているカフェ&バー『サミュエル』が忙しく、組織に顔を見せれなかったのだが、今日は久しぶりに顔を見た。

「なんだか久しぶりですね。お店の方はいいんですか?」

「そうなのよ。だいぶ経営も安定してきてね。今度よかったら遊びにいらっしゃい。安くしとくわよ」

「……善処します」

 若干引き気味に返す。

 別にトランスジェンダーの方々に偏見があるわけではないが、この人の経営してる店に一人で行くには勇気がいる。

 もし行くなら、『JSA』の誰かを誘っていくことになるだろう。

 ……行くなら、所長以外を誘おうか。

「そういえばサクちゃん、学校の方はどうなの?」

「? 学校ですか? いつも通りですけど」

 そう言うと、ため息をついてかぶりを振るう紫苑さん。

「そうじゃなくて、部活とかやってるの? いい人はできた? 所長、そういうところは抜けてる人だから、気になっちゃって」

「?」

 部活? いい人?

 確かに部活はいろんなものがあったな。

 いい人、とはどういう意味だろうか。

「あ~、その顔はわかってない顔ね。ダメよ、まだ若いんだから、今を生きなさい。この組織が全てじゃないんだから」

「……はぁ」

 生返事が出る。

 私には目的があって、この組織にいるのだ。

 父の死の真相を探す。

 この目的達成のために、ここにいる。

 他のことに現を抜かす暇なんて、

「今、うつつを抜かしてる暇なんてない、って考えてるでしょ?」

「……!?」

 心を読まれた!?

「……紫苑さんは読唇術でも使えるんですか?」

「馬鹿ね、女の勘よ」

「……」

「何か言いたげな顔ね」

 まあいいわ、と言う紫苑さん。

 確かに思わずつっこみそうになったが、言わぬが花だ。

「でも、何もなかったわけじゃなかったのね。そこだけ安心したわ」

「?」

「あなた、前に見た時よりも表情が柔らかいわよ。気づいてないかもしれないけど」

 そうなのか?

 意識したことなかったが、そう見えるのか。

「……なんか、やっぱりいい人できたの? ちょっと、あたしに教えて……」

「やあやあ、みんな、お疲れ~!」

「……」

 話をぶち切るように入ってきたのは、所長と風間さんだった。

 さて、今回も仕事だ。今回こそ、父について何かわかればいいのだが。

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