1st phase-2

 今日は学校が午前中だけだったので、帰宅部の私は授業が終わると荷物を手早くまとめ、足早に教室を出た。

 何だか嘉村が何か言いたげにしていたが、すでに予定があった私は彼を無視して学校を出る。

 学校から歩いて十数分で着いたその場所は、とある雑居ビルだ。

 一階はエレベーターだけで、その上の階から居酒屋やカラオケ、小規模なビジネスオフィスが軒を連ねるこのビルのエレベーターに、私は乗った。

 他に乗る客がいないことを確認し、エレベーターの扉を閉め、1階のボタンを長押しした。

 しばらくすると、エレベーターが動き出し、本来存在しないはずの地下階へと降りて行った。

 いまだに思うことだが、このビルの設計者は地下階まで考えてこのビルを設計したのだろうか。

 まあ、これから会うはずの男に尋ねても、おそらく返答は返ってこないだろうが。

 そうこうしているうちにエレベーターは目的の階にたどり着き、扉が開く。

 目の前に映る光景は、言葉で表すならとても不自然だった。

 一般的なトランプの裏側の模様を連想させる壁紙の部屋には、豪奢な広めのデスクの他には一般的な事務デスクがいくつも並ぶ。真面目さと不真面目さが同居しているようであり、この部屋の主の性格を如実に表しているように映った。

 それぞれのデスクには個人の私物だろうか、千差万別のものが置いてあり、どれが誰のデスクなのか一目でわかるようだ。

 この組織の名は、『日本サイバージェンス協会』。通称『JSA』。

 とある大企業からの依頼を請け負う、少数精鋭の秘密結社だ。

 この組織に所属する者達は、ある事情持ちしか所属することが許されない。

 依頼される仕事の大半は裏家業に関連するものばかりなため、仕事内容やその成否が表沙汰になることはまずない。

 それが、私の属する組織だ。

「はーい、サクたん! 勉学お疲れ様でーす!」

 怖気が走るほど寒いことを溌溂はつらつと言う声は、予想通り豪奢なデスクから聞こえた。

 デカデカと『所長』と書かれた豪奢なデスクに座るその人物は、一見するとまるで道化師だ。

 細身の体に纏う純白のスーツに銀色に光る怪しげな目元を隠す仮面。そして服装とは反対の真っ黒なシルクハット姿の男だ、おそらく。

 自信がないのは、この男の素顔を私は見たことがないからだ。

 名前は桔梗院ききょういん歌留多カルタ

 あからさまな偽名で胡散臭いことこの上ない変人だが、最悪なことに、こいつは私の後見人なのだ。

「どうしたのかな、サクたん? そんなに人生に辟易しているような顔をして? ダメだよ~。まだまだ人生は長いんだから、一朝一夕でへたばってちゃあっ!?」

 うざいことこの上ないセリフを吐き終わる前に、私は手にした荷物を所長に向かってぶん投げていた。

 所長の顔面にカバンが命中して、そのまま倒れたことに一瞬の満足感を得る。

「もう、痛いじゃないかサクたん! まだほぼ新品のカバンだよ! 物は大事にしなさいっていつも言ってるじゃないか!」

「来て早々にうざいことを言う後見人に、ちょっとした罰を与えただけよ」

「そんな!? こんなに君のことを大切に思ってるのに!」

「それが気持ち悪いって言ってんでしょうがっ! この変態っ!」

 この叫びだけでどれほどのカロリーを消費したのだろうか。思わず出た激昂に息が切れる。

 さめざめと顔を覆いだした男を無視して、私はようやく自分のデスクに座った。私物という私物が何もないのが私のデスクだ。

 デスクに座り、一息つく。何だか学校以上に疲れた気分だ。

「……」

 そんな私に近づいてくる人影があった。

 振り返ると、真っ黒な巨漢がそこにいた。

 2メートル近くあるその巨体は、細身ながらも筋肉質な外観。

 そして、何より黒かった。

 喪服を連想させるほどのダークスーツに同色の皮手袋。そして黒のつばの広めの中折れ帽。

 わずかに覗く無精ひげが生えた鋭い眼光をもつ顔が白く見えるほどに黒い。本人は生粋の日本人なのだが。

 名前は風間かざま重一郎じゅういちろう

 伝統派空手『林崎流はやしざきりゅう空手』の実力者であり、その筋では『黒拳こっけん』の二つ名をもつこの男は、とにかく無口だ。

 私の人生経験などたかが知れているが、ここまで寡黙な男は見たことがない。

 何しろ、この組織においてこの男が食事以外で口を開いたところを、私は見たことがない。

「……」

 無言で先程投げつけたカバンを私に渡す。どうやら届けに来てくれたらしい。

「あ、ありがとう、ございます」

 僅かに驚いている私が片言の礼を言うと、風間さんは軽く一礼して自分のデスクに戻っていった。

 そして席に着くと、先程までずっとしていたらしい読書を再開した。

 この寡黙な男の趣味は読書であるらしく、ブックカバーをした本をよく読んでいる姿を見かける。ジャンルは問わないらしく、本の大きさがよく変わる。

 たまにおすすめの本に出くわすと、読み終わった後に手渡してくることがある。私もおすすめされたことがあるのだが、

――……『癒し探偵ニャンゴローの事件簿 地獄の三毛猫パラダイス』なんて本をおすすめされたら、反応に困る。

 あまりにも本人の素行とかけ離れた本を渡され、困惑したのは記憶に新しい。

 そんな男から視線を外し、私はカバンから教科書とノートを取り出す。

「おやおや? ここで宿題かい? 頑張り屋さんだねぇ、えらいえらい」

 振り向かなくてもわかる。私の罵倒による精神ダメージから復活した男だ。

「明後日までの課題だから。今回のは難しいから、集中したくて」

「う~む。そっかそっか。それは大変だね~」

 わざとらしく頷くこの男を無視しようとした。

 しかし、

「だけど、悪いけどそれは後にしてくれるかな?」

 所長の発言に、私と風間さんは発言主に視線を向ける。

「サクたん、重一郎君」


「『仕事』だよ」


 そう言って、所長はニヤリと嗤った。




「今回の仕事は、早い話が『契約の阻止』だ。今日の深夜、ここから3キロ離れた港の倉庫街で、半グレ集団『スティッキーズ』と中国マフィア『遜館そんかん紅龍会こうりゅうかい』との麻薬取引が行われる。『スティッキーズ』は麻薬の売買で自分達の支配する支店の利益拡大のため。『遜館紅龍会』の連中は、これを機にこのあたり一帯に根を張る腹積もりらしい。そこで、今回はこの契約をぶっ壊して、悪党連中の頼みの綱を切っちゃいましょ~う、という作戦です」

 相変わらずうざい口調で、しかも指人形まで用意した仕事の説明に私は辟易としながらも聞いていた。

「……」

 隣で佇む風間さんは、重々しい雰囲気のまま説明を聞いていた。

「今回の任務は、私と風間さんだけですか?」

「そうだよ。他のメンバーは別の任務にあたってもらってるから、今回は君達だけだ。

大丈夫だよ。そっちが終わっただろう時間に迎えに行くから」

 誰もそんなこと心配していないのだが。

 無視して続けて質問する。

「予想される敵の装備はどのくらいですか?」

「連中の兵装は、たぶん最大でアサルトライフルかな。先日、『スティッキーズ』の連中がAK-47の劣化コピー品とその弾薬を大量に発注していたという情報が、セミちゃん経由で流れてきてね。彼女経由の情報なら間違えないだろう。

 一方で、『遜館紅龍会』の兵装はサブマシンガンだと思う。中国本土から最近、この地域のヤクザとの抗争用かもしれないけど、イングラムとその弾薬を仕入れてた履歴が連中のサーバーに残ってたらしいよ。もし持ってくるとしたら、この辺が主な兵装になってくるんじゃないかな。

 まあ、具体的なことはサクたん、君の『眼』で確かめたらいいよ」

「……」

 所長の言葉に、私は思わず眼帯に触れる。

 やはり、今回もこの『眼』を扱うことになるらしい。

 もう慣れてきたとはいえ、少し憂鬱になってしまう。

 そうしていると、ふと私の肩に手が置かれる。

「……」

 風間さんが私に視線を僅かに向けていた。

 それはどこか、優しくも僅かに悲しそうに見えた。

「サクたん、いいかい? 君が何を気にしているかはある程度わかるよ。でも、僕も君も、この組織でやらなければならない目的がある。それを、忘れないようにね」

「……」

 やんわりと言い聞かせるように言う所長。

 このやり取りも、たまに行われるが、いつもの光景だった。

 そして、私の答えはいつも決まっている。

「……親面しないでください、変態」

「ひどい! サクたんがひどい! 聞いた重一郎君!? この娘いつまで反抗期引っ張る気なのかな!? そんなんだから胸も大きく……」

 所長がセリフを言い終わるよりも早く、私の渾身の一撃が顔面を捉えた。

 複数回回転した変態仮面を尻目に、私は自分のデスクに改めて座った。

 さて、任務開始時間まで時間がある。さっさと宿題を終わらせないと、今後に響きそうだ。

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