第140話 教師として

-side 柏木奈々-


 教師としては1度目、生徒の頃を含めれば2度目の修学旅行。


 それは額面だけ見ると、非日常的なもので。思いもよらぬサプライズや、ハプニング的な何かが起きてしまうのではないか、と小心者の私は少し心配をしていたのだけれど。


「はい、先生。缶コーヒーっす」


「……お、おう。ありがとう」


 なかなかどうして。手渡されたブラックコーヒーを片手に彼と並んでベンチに腰掛けていると、笑ってしまうくらいに日常を感じてしまう私なのであった。


「ふぅ。しかし11月ともなると、風が冷たいですねぇ。おー、さむさむ」


 ハリネズミのように体を縮め、ふーっと息を吐きながら、ホットココアを開栓する田島。


「カレンダー的には秋のはずなのに一体なんなんですかね、この寒さは。地球が風邪引いてるんですかね」


「ふふ、地球が風邪を引いていたら体温が上がって、逆に熱くなるはずなんじゃないのか?」


「あ、確かに。地球が高熱出したら、温暖化も相まって灼熱地帯になっちゃいますね」


「はは、それはご遠慮願いたいものだな」


 いつものように他愛の無い相づちを打ちつつ、私もコーヒーを開けて一口分、喉に流し込んでみる。


「……」


「ん? どうしました、先生? 眉毛をハの字にして固まっちゃって」


「……あ、い、いや、別になんでもないぞ?」


 首を傾げてキョトンとこちらを見やる彼に対し、努めて冷静に言葉を返す。


 実を言うと、なんでもないというわけではない。しかし教師と生徒と言う関係の手前、ナめられるわけにはいかない私は『何ともない』と返すことしかできなかったのだ。


 だって……ブラックコーヒーは苦いから苦手、なんて恥ずかしくて言えるわけないじゃない。言ってしまったら、絶対にからかわれるもの。


「ほんとになんともないんですか?」


「ほ、ほんとになんともないぞ?」


「ほんとのほんとに?」


「ほんとのほんとに!」


「ほんとのほんとのほんとに?」


「あー、もう! しつこい! ほんとのほんとのほんとになんともないの!」


 ゼーゼーと息を荒立てながら、ひたすらに誤魔化し続ける。


 というか、思った以上にしつこい。


「あ、分かりましたよ先生。俺、完全に分かりまくリングしました」


「進行形か過去形かどっちかにしなさい……で、何が分かったって?」


「先生、アレでしょ」


 そう言って、ピシッとこちらに人差し指を向けた瞬間。


「──ブラックコーヒー、苦手なんでしょ?」


 確信めいたように、彼は私の心を言い当てていた。


「……」


「アレ、先生? もしもーし」


 「おーい!」と、固まる私に向けて田島が手を振る。


 ……なぜバレた。


「先生アレでしょ。苦いのが苦手なんでしょ。飲んだ時に眉間にシワが寄って、美しいお顔が少しだけ歪んでましたよ」


「……お前は本当に人のことを良く見ているな」


「いぇい、やっぱ当たりだったんだ」


 へへ、と鼻を掻いて笑いながら彼が言う。


「そ、そうだよ。私はブラックコーヒーが飲めないんだ。でも生徒である君がわざわざお土産用の資金を崩してまで買ってくれたのに言えないだろ、そんなこと」


 まあ、本当は恥ずかしくて言えなかっただけなのだけれど。


「えぇー、ホントはただ恥ずかしくて言えなかっただけなんじゃないんですか?」


 ……この子はエスパーなのだろうか。


「べ、別に恥ずかしいってわけじゃ……お、大人だって苦手なものくらいあるし……」


「はっはっは。いやいや先生、顔真っ赤にしながらソレ言われても説得力ないっすよ?」


「なっ!?」


 彼に言われ、慌てて頬に両手を当ててみる。


 ……少しだけ熱かった。


「いやー、しかし相変わらず奈々ちゃん先生は恥ずかしがりやさんですね。そういう照れ屋さんなところ、かわいくて好きですよ」


「っ! 教師をからかうんじゃない……!」


「あ、また赤くなった」


「なっ! お、お前ってやつは!! あんまり調子に乗っていると本当に怒るんだからな!!」


 ああ、ケタケタと愉快に笑い飛ばす彼を見ていると……本当に嫌になってくる。


 ──君だけが。


 ようやく教師として尊敬される地位を築いた私を、未だにからかってくる。


 ──君だけが。


 弱さを偽って誤魔化している私の心を、いとも簡単に見抜いてくる。


 ──君だけには敵わなくて。それがとても悔しくて。


 けれど、心のどこかでそれを嬉しいと思ってしまう自分も居て。


 そうやって胸の中をかき乱してくる田島は……やっぱり、特別いやな存在だ。


 ああ、そうだ。私は彼が笑ってくれているだけで嬉しいのだ。


 記憶を失って学校に戻ってきた“あの日”に、不安が溢れだしそうな表情で『失礼します』と職員室を訪れた君を、私は見ていたから。


 その顔を見た瞬間に、私は『君の青春を手助けするんだ』と固く決意していたから。


「ん? どうしたんです、先生? 突然ニヤニヤしちゃって」


「……ふふ、なんでもないよ」






 ──こうして青春をリスタートできた君を見ていると、私はたまらなく誇らしい気分になってくるんだ。

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