第138話 リンの片鱗
-side 田島亮-
和の街、京都。お天道様がちょうど、頭の真上を通過するような時間帯。
「ねぇ、田島はアリス部長とどうなりたいと思ってるの?」
語尾を変えて、キャラを変えて。おかっぱ頭の中華少女が俺に投げかけてきたのは、本気で俺を好いていてくれる可愛い先輩の話だった。
「……リンさんは、知ってたんだね。文化祭の時に俺がアリス先輩から本気で告白されたってこと」
この状況を考えれば、彼女は既に知っていると考えるべきだろう。『知ってたの?』などと、無駄な問いかけをするのは避けておく。
「うん、知ってた。文化祭終わってから、明らかに部長の様子がおかしかったし。だからすごく心配になって、部長に何かあったのか聞いたら……ね。全部話してくれたの」
「……そっか」
普段は『ダーリン』なんて、こっちが恥ずかしくなるような呼び方で共に過ごしていたアリス先輩。しかしそんな大胆で明るい彼女も、一世一代の告白を終えたことを、たった独りで胸の内にしまっておくのは耐え難いことだったのだろう。信頼のおけるリンさんや瀬奈ちゃんに打ち明けるのは、自然なことだと思える。
派手な見た目で、いつも元気なアリス先輩も……根っこは1人の、か弱い女の子なのだから。
「それで、話を戻すけど……田島はアリス部長のこと、どう思ってるの?」
そして。先輩と一番長い時間を過ごしてきた彼女が、今この場で俺の気持ちを知りたがっているのもまた、当然のことだと思えた。
「……難しい質問だね」
「ごめんなさい。それは私も分かってるの。でも、私は部長のことも田島のことも好きだから……田島の、部長への気持ちが知りたい」
胸の前で両手をギュッと握りしめ、俯きがちに言葉を紡ぐ彼女。そこには、いつものようにふざけて冗談を言っている時のような雰囲気は一切無く、この瞬間、俺は彼女の隠れた一面を垣間見たような気がした。
「……あのね、きっと部長はもっと早く田島に『付き合って』って言いたかったんだと思うの。でも、優しい部長は4人で楽しく過ごせる時間を守るためにずっと、田島との関係を変えようとしなかった。本当はすぐにでも想いを全部伝えたかったはずなのに、私と瀬奈に気を遣って、4人で居ることを優先した。言ってしまえば4人の関係がそのままってわけにもいかないから。4人で居られる心地良い時間が、壊れてしまうから。だから……気を遣わせてた私が、部長に無断で田島の気持ちを聞くなんて、許されないかもしれないけど。でも……それでも私は……!」
「……俺の気持ちが知りたい、ってことだよね」
黒髪を揺らし、彼女が首を縦に振る。
「うん。リンさんがそう思うのは普通のことだと思うよ。許されない、なんてことも無いと思う。リンさんはアリス先輩の大事な後輩だし、俺の大切な友達でもある。今更遠慮なんてしなくて良いんだよ?」
そもそも一番悪いのは、未だに告白の返事をできていない俺の方だ。彼女が後ろめたさを感じる必要なんて、どこにも無い。
大切な先輩を気にかけるのは、当然のことだ。俺が先輩との今後をどう考えているのか気になるのも、当然のことだ。
──そして俺には、偽りのない気持ちを目の前の友人に伝える義務がある。
「え、えー、コホン」
咳払い、のちに深呼吸。覚悟を決めた俺は、意を決して重い口を開いた。
「文化祭の時にアリス先輩から『彼氏になって』って言われて、そ、その……キスもされてさ。正直、あれから毎日すっげぇ悩んでるよ。でも、どれだけ悩んでも答えが出なくてさ。早く返事しなきゃってのは分かってるのに、まだ自分の気持ちが分からないんだ」
アリス先輩と付き合えば、楽しい日々が過ごせるのだろう。『付き合いましょう』と一言返せば、バラ色の日常が訪れるのだろう。美人で、明るくて、スタイルも良くて。本来なら平凡な俺には手が届かないくらい、アリス先輩は高嶺の花なんだ。
でも……それでも、俺は。
「綺麗事かもしれないけど、中途半端な気持ちで返事をするのは絶対ダメだと思うんだ。『かわいいから付き合う』とか『とりあえず付き合う』とか、そういうのは良くないと思うんだよ。考えまくって、悩みまくって、自分と向き合って。時間をかけて答えを出さないとアリス先輩に失礼なんじゃないか、って。そう思うんだよ」
アリス先輩は、本気で気持ちを伝えてくれた。ならば俺も全身全霊をもって、本気で応えないといけない。
そして、彼女の気持ちに本気で応えるためには。きっと俺にはもう少しだけ悩む時間が必要だ。
リンさんから見れば、先延ばしにしているように見えるかもしれないけれど。迷っている今の俺にはきっと、まだ返事をする資格が無い。
「……分かった。田島の気持ちはよく分かったよ。ちゃんと考えてくれてるみたいで、とりあえず安心した。ありがとね」
「いやいや、別にお礼なんていいよ。むしろ優柔不断でホントに申し訳ないと思ってる」
コレばかりは、恋愛初心者な自分を呪いたくなってくる。失った15年分の記憶データに検索をかけて、過去の恋愛経験を引っ張りだしたい気分だ。
……まあ、事故に遭う前に俺が恋愛してた保証はどこにも無いのだが。
「ねぇ、田島? 最後に一つだけ聞いてもいいかな?」
「ん? 別にいいけど」
未だに『アル』と『ネ』が語尾に付かないことへ違和感を覚えつつ、彼女の依頼を受諾する。
「え、えー、コホン。じゃあ、遠慮なく」
なんて具合に、彼女は咳払い交じりに言うと、
「田島にとって、アリス部長ってどんな存在なのかな?」
先の質問に引き続き、これまた答えるのに難儀しそうな質問をぶつけてきた。
……が、しかし、不思議なこともあるもので。この問いに限っては、返すセリフが勝手に喉元から飛び出し始めていた。気づけば、反射的に口が開いていたのである。
「まあ一言で言えば、アリス先輩は無茶苦茶な人だよ。初対面で壁ドンしてくるし、抱き着いてくるし、謎の情報網でウチの住所特定してくるし。バレンタインの時は特大チョコケーキ用意しちゃうしさ。はは、いつも行動が予想外で、嵐みたいな人だよね」
一緒に居て疲れることも多いし、本当にメチャクチャな人だと思う。振り回されることも多いし、大変なことも多かった。
──でも、それを悪いと思ったことは一度も無かった。
「変わってる人だとは思うけど、こうやって1つ1つの出来事を笑いながら思い出せてるのは、やっぱりアリス先輩と一緒に居るのが楽しかったからなんだと思う。リンさんや瀬奈ちゃんと出会えたのもアリス先輩のおかげだしさ。だから……アリス先輩は大事な存在だよ。沢山の物を失った俺に、新しい思い出を沢山くれた、たった1人の俺の先輩だ。はは、照れくさくて先輩の前じゃ、絶対こんなこと言えないけどね」
多くを失った俺は、多くの人に救われた。そして彼女は間違いなく、俺を救ってくれた人たちの輪に入っている。
──まだ答えを探している途中の俺でも、それだけは断言できた。
「……ふふ、ありがとうアル。それだけ部長のことを大事に想ってるなら、ワタシも瀬奈も田島の選択を尊重できるネ。だから、オマエは遠慮なく悩むことアル。ワタシたちに気を遣わずに、自分の気持ちに嘘をつかずに部長の気持ちに応えて欲しいネ。それがどんな結果になろうとも、ワタシと瀬奈は全部受け入れるアル」
気づけば、いつもの語尾に戻っていた彼女。
しかし、その表情と言葉は、どこか儚げな優しさを帯びていて。普段はぶっきらぼうに暴言を吐く彼女も、人知れず俺や先輩に気を遣っていたであろうことが伺えた。
◆
-side リン・ユーチン-
一通りの尋問を終え、「先に行っておいてほしい」と田島に伝えた私。1人で京都の街をゆっくりと歩きつつ、彼の背中を眺める。
……もっとも、話相手が居ないというわけでも無いのだけれど。
「もしもし、部長? とりあえずさっきので満足かな?」
『え、えっと、うん……とっても満足……ていうかまだドキドキしてる……』
「あはは、それは良かった」
ずっと通話状態だったスマホを耳に当てて、大好きな先輩に呼びかける。反応から察するに、先輩からの依頼は無事達成できたと考えて良さそうだ。
──まあ、依頼といっても、『田島の本心を探る』っていう単純なものだったのだけれど。
最近の部長ったら、『ど、ど、どうしよう! いきなりキスなんてしちゃったし、もしかしたら嫌われちゃったかな!?』なんて、口癖みたいに言ってたからね。挙句の果てには『修学旅行中にダーリンの気持ち探っといて!』って私に頼みこんでくるし。
で、だったらいっそのこと直接田島の声を聞かせれば良いんじゃないかなーと思って、こっそりスマホを通話状態にした状態で田島との会話を部長に聞かせてたってわけ。田島には本当に申し訳ないと思うけど、このままだと部長の胃に穴が空きそうだったし。同じ班になれたのは本当にラッキーだったと思うわ。
「えーっと、『アリス先輩は大事な存在だよ。沢山の物を失った俺に、新しい思い出を沢山くれた、たった1人の俺の先輩だ。はは、照れくさくて先輩の前じゃ、絶対こんなこと言えないけどね』だったっけ?」
『もうっ! リンちゃんのバカ! また思い出してドキドキしちゃうから辞めてよ!!』
「あはは、でも良かったじゃん。嫌われてなくて」
『そ、それはそうだけどぉ……!』
まあ、私は最初から部長が嫌われてるなんて、微塵も思ってなかったけどね。あんな、絵に描いたようなお人好し男が部長を嫌うわけないもの。ていうか、田島が誰かを嫌いになることってあるのかしら?
『でも、リンちゃんは良かったの? ダーリンの前で“素”の話し方をするなんて』
「……まあ、アレは礼儀みたいなものだよ。だから全然大丈夫。真剣な話だったし、変な語尾つけて話すのも田島に失礼でしょ?」
普段の『アル』や『ネ』を語尾につけて、強気に話す口調。それは昔から男子とのコミュニケーションを苦手とする私が、日本に来た時に身に付けた対人スキルのようなものだ。
部長や瀬奈のように仲の良い女の子なら普通に話せるけれど、私は昔から男子と話すのがとにかく苦手だった。そもそもコミュニケーション自体が苦手ではあるけれど、特に男子とは目も合わせられなかったのだ。男子の目があるだけで委縮してしまうくらいに、私は異性が苦手だった。
そんな中で、『普段から強気な自分を演じてみるのはどう?』という部長のアドバイスから生まれたのが、今の口調。語尾を変えると、なんとなく弱気な自分も変われた気がして、おかげで男子と事務的な会話をする分には困らなくなった。
そして部長のおかげで、私は男子の田島と友達になることもできた。
「田島って人畜無害のお人好しだから、“素”の私で話しても大丈夫だったよ。全然怖くなかった。さすがにちょっと戸惑ってたみたいだから、最後は口調戻したけど」
『ふふ、なんだかんだでリンちゃんもダーリンのこと気に入ってるのね』
「さあ、どうなんだろうね」
と、部長の声色がいつもの調子に戻ったことに安堵しつつ、私は腕時計を確認。柏木先生たちと別行動を取り始めてから随分と時間が経ったことに気づく。
「ごめん、部長。そろそろ切るね。私、班の皆と合流しなきゃだから」
『うん、わかった! わざわざ修学旅行中に変なこと頼んじゃってごめんね! こっちの心配はもういらないから、ダーリン達と目いっぱい楽しんで!! えっと、あとは……私の告白が先延ばしになったのは別にリンちゃんたちに気を遣ったとか、そういうわけじゃないからね! リンちゃんは何も気にしなくていいんだからね!!』
「ふふふ、わかったよ。ありがとう。じゃあ、またね。お土産買って帰るから」
そして私は、1つ肩の荷が下りたような感覚を感じつつ、部長との通話を終えた。
【アリス先輩は大事な存在だよ。沢山の物を失った俺に、新しい思い出を沢山くれた、たった1人の俺の先輩だ。はは、照れくさくて先輩の前じゃ、絶対こんなこと言えないけどね】
それと同時に。少し先に見える彼の背中を見つめつつ、私は先ほどまでの会話を思い返す。
正直、なんの臆面もなくアリス部長について語る田島を見ていると、こっちも少しだけドキドキした。真剣な田島の表情を見ていると、なんだか私まで恥ずかしくなった。
「恋、かぁ……」
部長が田島を想うように、いつか私も誰かのことを想う日が来るのだろうか。ワケが分からなくなるくらいに心揺れ動く経験を、未来の私はしているのだろうか。
仮に私が部長と同じような形で田島と出会っていたら。もしかしたら、私はアイツのことを……
「……って、何考えてんだ、私?」
危ない危ない。乙女全開な部長のせいで、私まで恋愛脳になりかけるところだった。
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