第90話 『田島亮』
-side 田島亮-
「ねぇ、亮ちゃんはこの1年間を...事故に遭ってからの1年間をどんな風に過ごしてきたの?」
観覧車に乗った直後、俺の正面に座ったユズ姉は先ほどまでの小悪魔モードとは打って変わり、真剣な表情で俺に尋ねてきた。
「もちろん亮ちゃんが話したくないことは無理に話さなくても良いよ。記憶を失ってから亮ちゃんが経験したことを個人的に知りたいって思ってるだけだから。嫌だったら何も話さなくても良いよ」
「...別に嫌なんかじゃないよ。ユズ姉は俺の従姉なんだから。今の俺のことを知ろうとしてくれるのは純粋に嬉しいよ」
これは偽りの無い本心だ。俺は記憶を失う前に関わった友人、家族には責任を持って接するべきだと思っている。
ユズ姉もその例外ではない。たとえ俺が覚えていなくとも、彼女は俺の幼少期に実の姉のように接してくれた人物なのだ。彼女が俺のことを知りたいと言うのなら、俺は責任を持って自分のことを話さねばなるまい。
だが、しかし。ここで1つだけ懸念がある。
「もちろん俺がユズ姉に今までのことを話すのは構わないよ。でも楽しい話ばかりじゃないし、ユズ姉が嫌な気分になる話もあるかもしれない。それでもユズ姉は俺の話を聞きたいと思う?」
俺も出来ることならユズ姉には楽しい話だけを聞かせてあげたい。けれど、どうしてもそういうわけにはいかないのだ。
確かにこの1年間で俺は楽しい思い出を沢山作ってきた。でもそれと同時に様々な悩みを抱えて苦しんだことがあったのもまた事実なのである。
『今の俺』は楽しい思い出、そして辛い経験を経て形作られている。この1年間を語る上で、その辛い経験について話すというのは避けて通れない道なのだ。
--だから俺はユズ姉に楽しい話だけを聞かせることは出来ない。
「......うん。私はそれでも良いよ。明るい話ばかりじゃないっていうのはなんとなくわかってたことだから。覚悟は出来てるよ」
ユズ姉は拳を握って真剣な眼差しで俺を見つめている。彼女の『覚悟が出来ている』という言葉に嘘は無さそうだ。
「分かった。じゃあ話すよ。俺がこの1年間をどんな風に過ごしてきたのかを」
そして俺も彼女の覚悟に応えて自分語りを始めることに決めた。
「まず記憶を失って最初に思ったのは『どうすれば分からない』ってことだったかな」
何も覚えていない。家族の顔も友達の顔も分からない。分からない尽くしで自分が何を為すべきなのかも分からない。目覚めた直後に自分の心に到来したのはそんな感情だった。
「でも入院してる間に色んな人からメッセージをもらったりしてさ、それで少しずつ前向きになっていけたんだよね」
こんな俺と。何も無い俺と関わろうとしてくれる人が居る。その事実を知った俺はいつまでも挫けているわけには行かないと思ったのだ。
...あ、咲さんがお見舞いに来たのは今でも鮮明に覚えてます。アレは色んな意味で衝撃だったんで。
「それで、まあ退院した後は学校に行き始めたんだよね。そして学校に行き始めて思ったのは...やっぱ学校の先生とか友達が大事だってことかな」
翔、仁科、咲、岬さん、アリス先輩、そしてRBIと新聞部員達。今まで俺は皆と楽しい高校生活を過ごしてきた。
奈々ちゃん先生も俺にとっては大事な存在だ。時に優しく、時に厳しく俺に接してくれる、かわいくて頼りになる担任の先生。
先生が登校初日に『私は今まで通りお前と接するつもりだからな』と言ってくれたのは今でも鮮明に覚えている。あの言葉は初登校時に不安になっていた俺を本当に勇気づけてくれた。奈々ちゃん先生にはマジで感謝しかない。
「それで先生とか友達と関わっていく上でさ、なんか色んなことが分かっていったんだよね」
「色んなこと...? 例えばどんなこと?」
今まで黙って俺の話を聞いていたユズ姉は、ここで初めて俺に問いを投げかけてきた。
「例えば...うーん、苦しんでいるのは俺だけじゃないってこと...とかかな」
「...もうちょっと詳しく聞いてもいいかな?」
「いや俺は最初さ、自分のことを不幸だって思うことがあったんだよね。俺が1回体調を崩して『頭が痛い』って言った時、友恵が不安になって泣いちゃったこともあったりしてさ。俺のせいで友恵が泣いているのを見るのとかもうメチャクチャ辛くて。それで俺は皆よりも辛い人生を送っているんじゃないか、とか思うこともあった」
「それは...とても辛かったね...」
「あとは...多分俺はユズ姉にも辛い思いをさせたんじゃないかっても思ってる。それは...本当にゴメン」
「いや、いいんだよ、亮ちゃん! だって亮ちゃんは何も悪くないんだもん...!」
「...ありがとうユズ姉。そう言ってもらえるだけで結構救われた気持ちになるよ」
はは、ユズ姉は全然小悪魔なんかじゃないな。小悪魔にしては優しすぎる。
「まあ、それで話の続きなんだけど。俺は色んな人と関わって行くうちにさ、皆も何かしら悩みとか不安を抱えながら生きているってことに気づいたんだよね。」
仁科唯は自分の弱い部分を周囲に見せることをひどく恐れ、理想の自分を演じながら生きていることを俺は知った。
岬京香は周囲の目を恐れ、長い前髪で目を隠しながら生きていることを俺は知った。
市村咲は俺との幼少期の思い出を大事に思っており、俺がその思い出を忘れてしまったことで彼女を深く傷つけてしまったということを知った。
渋沢アリスは周囲から『ハーフの女の子』としてばかり見られ、自分の中身を見てもらえなくて悩んでいるということを俺は知った。
そう。誰もが何かしら悩みを抱えながら生きている。俺だけが苦しい目に遭っている訳じゃないんだ。
「だから俺は最大限自分に出来る努力をしながら皆と一緒に助け合って前に進んでいこうと思うことが出来た。いつまでも過去のことを引きずっていたらダメだと思ったんだよ」
俺には仁科のような陸上の才能は無いし、咲や岬さんのように勉強ができる訳では無い。きっとどこまでいっても俺はただの凡人だ。
--でもそんな俺にも出来ることはある。
俺だって落ち込んでいる友達を励ましてやることくらいなら出来るし、妹が泣いていたら頭を撫でて慰めてやることくらいは出来る。
まあ確かに俺は特別なことは出来ないかもしれない。でも誰かのために行動することくらいなら俺にだって出来るんだ。
俺は岬さんのために行動した結果、記憶を失った。誰かのために行動した結果、自分を傷つけることになった。だから、もしかしたらそれは正しい生き方ではないのかもしれない。
でも。それでも。
俺は常に誰かの為に行動出来る自分でいたいと思うし、これから先の人生でこの生き方を曲げようとは思わない。
......なぜなら。
--きっと田島亮とは記憶を失う前からそういう人間だったのだから。
「...なんか結構暗い話になっちゃったけどさ、なんだかんだで今は楽しくやってるんだ。はは、まあ人間関係に恵まれた結果かな」
「亮ちゃんは...心が強いんだね」
「いや、そんなこと無いって。結局俺は周りに人が居なかったら何も出来なかったんだし」
「それは...皆一緒だよ。人は1人じゃ生きていけないんだから」
「あー...確かにそうだね」
「私はね、むしろ心が弱い人ほど1人になってしまうんと思うんだ。心が弱かったら人に頼るのも怖くなってしまうと思うし」
「うん...それはそうかもね」
「そして困っている人を放って置けない亮ちゃんはそういう人達の力になってあげられるような子なんだと思う。今まで亮ちゃんに救われた人も結構居るんじゃないかな」
「...そうだったら嬉しいな」
「うん、きっとそうだよ」
そう言うと、ユズ姉は優しく微笑みながら俺の頭に手を当ててきた。
「...ユズ姉? 急にどうしたの?」
「亮ちゃん......いや、田島亮くん」
「は、はい」
そして俺の返事を聞くと、彼女はどこか儚げな笑みを浮かべながら俺にこう告げた。
「君はこれからも変わらないままでいてね」
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