第85話 前に進むために

-side 東雲柚子葉-


 7年ぶりに会った亮ちゃんは昔よりも随分とたくましくなっているように見えた。


 背もかなり伸びたみたい。昔は私より頭1つ分くらい小さかったのにね。今は私より亮ちゃんの方がちょっと大きいんじゃないかな?


 顔つきも凛々しくなった。昔は童顔で愛嬌があって可愛かったけど、今は目元がキリッとして男らしい顔つきになってる。ふふ、カッコよくなったね。


 うん、やっぱ久しぶりに亮ちゃんと会えたのは嬉しいな。


 ...でもやっぱり亮ちゃんは私のこと覚えてないんだよね。


 確かに友恵ちゃんが言ってた通り、性格は変わってないんだと思う。それは亮ちゃんが『久しぶりだね、ユズ姉』って言ってくれた時になんとなく分かった。きっと亮ちゃんは私に気を遣ってフラットに接してくれたんだよね。そういう細かい気遣いができる優しさがあるのは昔と同じなんだと思う。


 ...でも私は亮ちゃんが少し迷っているようにも見えた。


 確かに亮ちゃんは笑顔で私に『久しぶり』って言ってくれた。でも少しだけその笑顔にぎこちなさがあるように見えたのも事実で。


 ...それで私はその笑顔を見た時になんとなく分かっちゃったのよね。


 --ああ、やっぱり亮ちゃんは昔のことを忘れちゃったんだな、って。


 もちろん元々知ってたことだから今さら大きなショックを受けてるって訳じゃないの。でも改めてそれを実感するとね...やっぱりちょっと悲しくなっちゃったな。


 ...それでもいつまでも落ち込んでいるわけにはいかないわよね。


 --だって私は未練を残したまま日本を去るわけにはいかないんだもの。





-side 田島亮-


 ユズ姉は俺と一言だけ挨拶を交わすと、友恵と一緒に2階に行ってしまった。おそらく友恵の部屋に向かったのだろう。


 まあ7年ぶりの再会らしいしな。積もる話もあるんだろう。しばらくは下に降りてこないかもな。


 というわけでリビングに取り残された俺は少し落ち着いて今後の自分の身の振る舞い方について思考を巡らせていた。ユズ姉がウチにいる間に俺はどんな感じでユズ姉に接していくのか、というのは今現在俺が抱えている最重要課題なのだ。ここはじっくり考えなければならないだろう。ユズ姉がウチに来た直後に友恵の部屋に行ってくれたのはある意味ラッキーだったな。


 うーん、でもいくら考えたってしょうがないようにも思えるんだよな...そもそも俺がユズ姉と話す機会があんまりないかもしれないし...


 俺には親戚と交流するって経験があまり無いからよく分からないんだけどさ、年の近い親戚が同じ場所に集まった時は同性同士で仲良く遊ぶイメージがあるんだよな。


 というわけでユズ姉は友恵と話したり出かけたりするだけで俺とはあまり関わらない、という可能性も大いに考えられるわけだ。


「ってことはどの道今色々考えたところで大した意味は無いってことか...」


 結局のところ、俺は今後のユズ姉の態度次第で自分の身の振る舞い方を決めるしかないようだ。今思考を巡らせたところで大した意味はないだろう。




「...おい、亮。暇なら父さんと将棋やらないか」


 軽く自分の中で結論を出した刹那、友恵の占領から解放されたソファーに座っている父から声を掛けられた。


「将棋か。別にいいよ」


 どうせ今色々考えても意味が無い。ちょうど暇だし父の相手でもしてやるとするか。


「よし、今回も父の力を思い知らせてやる」


「言っとくけど半年前に対戦した時は結構父さんに接待してたんだからな。今回は本気出すから覚悟しとけよ。ボコボコにされても文句は無しな」


「え!? お前アレ本気じゃなかったのか!? え、どうしよ...やっぱやめようかな...」


「えぇー、息子相手にビビってんの?」


「は、はぁ!? ビビってなんかないわい! いいからお前はさっさと自分の部屋から将棋盤を取って来い!」


「はいはい、分かった分かった」


 そして俺は父を煽りつつ、仰向けになっていた身体を起こして将棋盤を取りに2階の自室へ向かったのであった。



-side 東雲柚子葉-



「ねぇ、ユズ姉はどうしてわざわざ北海道からウチに来たの?」


 友恵ちゃんの部屋に招かれ、2人でベッドに腰掛けた直後。いきなり彼女からストレートな質問が飛んできた。


「え、えっと、それは...」


「...兄貴に会うため?」


 うっ...いきなり図星を突かれた...


「え、えっと...う、うん...もちろん友恵ちゃんに会いたいっていうのもあったけど...やっぱり亮ちゃんに会いたいっていう気持ちは強かった...かな」


 特に嘘をつく理由も無かったので私は自分の気持ちを正直に話した。


「やっぱそうだったんだ...あ、ごめんね、ユズ姉。なんかいきなり変なこと聞いちゃって。でもどうしても気になってたんだ。高3で忙しい時期のはずなのにユズ姉はなんでわざわざ北海道からウチに来たのかなって」


「い、いや全然謝らなくてもいいんだよ! そこが気になるのは当然のことだと思うし!」


「でもどうして今日ウチに来ようと思ったの? 兄貴がその...記憶を失ってからは大体1年くらい経ってるわけじゃん? どうしてそのタイミングで急に兄貴に会いたいと思ったの?」


「そ、それは...来年はもう私が日本から居なくなってるから...かな」


「え...? それってどういう...」


「実は私って高校を卒業したらアメリカに留学することになりそうなんだよね。アメリカの大学から直々にオファーが来てるのよ。『君のランナーとしての実力をアメリカで磨かないか』って言われて」


「え!? アメリカ!? ユズ姉って来年からアメリカに行くの!?」


「うん、それは間違い無いと思う。滅多に無いチャンスだもん。ランナーとして自分の実力が世界にどこまで通用するのか試してみたいと思ってる」


 オファーを断って日本に残るという選択肢ももちろんあった。でも私には将来マラソンランナーとしてオリンピックに出るという夢がある。そしてその夢を叶えるためには早いうちから海外の選手と競い合って実力をつけた方が良い。


 だから私は迷わず今回のオファーを受けるという決断を下した。


「え、えっと...それで日本に未練は残したくないなって思ってね。私が今回亮ちゃんに会いに来た理由はそれが大きいかな」


「え...? じゃあもしかしてユズ姉ってまだ兄貴のことが好きなの!? 兄貴に告白するためにウチに来たってことなの!? 未練ってそういうことなの!?」


「ち、違うよ友恵ちゃん! そ、そりゃ確かに昔は亮ちゃんのことが好きだったけど! さすがに今はそういうわけじゃないよ!!」


「え、じゃあユズ姉の未練っていうのは一体何なの...?」


「そ、それは...恥ずかしいから言いたくない」


「えぇー! ここまで来たら全部教えてよぉー! 気になるじゃーん!」


 や、やっぱ友恵ちゃんも女の子なのね...こういう話には興味あるんだ...


「...じゃあ友恵ちゃん、今から私がどんなことを言っても笑わないって約束できる? 約束できるなら教えてあげる」


「するする! 約束する!」


「わ、分かったわ。じゃあ教えてあげる...」


 そして私はなぜか今日イチ高いテンションになっている友恵ちゃんに『私が田島家に来た本当の理由』を教えてあげることにした。

  




「......い、1回2人きりでデートがしてみたかったの。亮ちゃんと」


「...え?」


「え、えっと! 私今まで部活漬けだったから全然恋愛とかしたことなくて! 女の子的には1回くらい誰かとデートしたかったなぁ、なんて思って! それでほら! なんか初恋の人とデートってロマンチックじゃない!? 夜景を見ながら『実はあの時好きだったんだよ』とか言っちゃったり! いや、亮ちゃんが私のこと覚えてないっていうのは分かってるんだけど! 私が記憶を失った亮ちゃんに昔のことを教えてあげるっていうのも素敵なことなんじゃないかなぁとか思ったりして! それで! えっと、あとは...あとは...!」


 高3にもなって2つ年下の女の子に『デートをしてみたい』という乙女チックなことを言ってしまった私の羞恥心は臨界点を突破。結果、自分でも何を言っているのかよく分からない状態に陥ってしまった。


「うぅ...は、恥ずかしい...」


 きっと友恵ちゃんには笑われるに決まってる。だって普段はクールぶって『ユズハ様』とか呼ばれてる私が変に初恋を引きずって乙女チックなことを言っちゃってるんだもん。こんなの絶対笑われちゃうよ...


「や、やっぱこんなの変だよね! 高3にもなってこんな事考えちゃうのなんておかしいよね! だから友恵ちゃん! さっき私が言ったことは忘れて...」


「初恋の人とデート! いいじゃんそれ! 私全力で協力しちゃう!!」


「...え?」


 なんか友恵ちゃんの反応が思ってたのとちょっと違った。


「わ、私を笑わないの...? さっき結構恥ずかしいこと言ってた気がするんだけど...」


「え? 全然恥ずかしくなんてないと思うよ? 今まで恋をする暇が無かったから1回くらいデートがしてみたいってことなんでしょ? 別におかしいことじゃなくない?」


「そ、そうなの...?」


「うん、そうだよ。まあ兄貴とデートしたいっていうのはちょっと意外だったけどね。ほら、その...兄貴はユズ姉のことを忘れちゃってるから...」


「...うん。それは分かってるよ」


 確かに亮ちゃんは私のことを覚えていないのかもしれない。それでも私はちゃんと『あの時好きだった』っていうことを亮ちゃんに伝えておきたいって思ってる。


 もしかしたら今の亮ちゃんに『それ』を伝えるのは迷惑なことなのかもしれない。でも7年前に自分の気持ちがちゃんと伝わらないまま引っ越しちゃったのがまだどうしても心残りになってるのよ。こんなのおかしいって自分でも分かってるんだけどね。


 私は日本に未練を一切残さずにアメリカに旅立っていきたいの。前だけを見つめてこれからランナーとしての実力を磨いていきたいの。


 --そのためには亮ちゃんとの過去を完全に精算しなきゃいけない。


 


 だから私はこの夏に初恋をちゃんと終わらせる。海を渡った後に後悔しないようにするために。そして未練を断ち切って前に進んでいくために。

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