HEAT UP.



 アメリカから帰ってきても、学校自体は夏休みのはずなのに、補講だ補修だなんだで忙しいのが教師ってもんで。


 折角休みでも、サヤ子は実家に帰ったり田舎にお墓参りに行ったりで。


 俺ん家に遊びに来ても、泊まらずにきっちりアパートに帰る始末で。


 つまり、未だにプラトニックだったりする。


 だってさー、サヤ子にあんな風に言わ れたら襲えるわけないじゃん。待つしかないじゃん。嫌われたくないじゃん。辛抱たまらんじゃん。誰か、マジで俺の事褒めて。褒め称えてよ。



 そんなこんなで明日始業式です。


 身体が異常に重くて怠い。


 …何これ、風邪ってヤツですか?


 「鼻水で溺れそう。助けて、サヤ子」


 こんな時、イヤ、こんな時じゃなくても、でもこんな時だからこそやっぱりサヤ子に甘えたくて電話した。


 『分かった。すぐ行くね!! 何か食べた? 何か欲しい物ない?』


 「果肉たっぷりみかんゼリー」


 『1番美味しいの買って来るね。あ、熱何度?』


 「計ってない。サヤ子が来るまでに計っとくよ」


 『はーい』


 電話を切って体温計を探す。


 ドコに片してあるの? 瑠美、ドコに?


 取り敢えず引き出しを上から順に開けてみる。3段目を開けた時、


 「うわ、だっさ」


 去年瑠美と旅行に行った時に、瑠美が『記念に』と言って買った、微妙な趣味のキーホルダーが出てきた。


 そういえばこの部屋、瑠美の私物こそないけれど、瑠美が選んだものとかが結構ある。


 …サヤ子、なんとも思っていなかっただろうか。


 キーホルダーを手に取り、考え事をっしていると、玄関のチャイムが鳴った。


 サヤ子だ!!


 そのキーホルダーをポケットに突っ込んで、玄関に向かった。


 「具合、どう?」


 玄関のドアを開けると、マスクをしたサヤ子が、ビニール袋を持って立っていた。


 「サヤ子、治して」


 サヤ子の肩の顔を寄せてもたれかかると、サヤ子が『よしよし』と俺の頭を撫でた。


 心地よい。風邪も悪くないな。


 「中どうぞ」


 「おじゃまします」


 サヤ子を招き入れると、サヤ子はビニール袋をテーブルに置き、窓を開けた。


 「え? 折角エアコンつけてたのに」


 「空気入れ替えたらまた閉めてエアコンつけるから。あ、翔太は寝て寝て!!」


 サヤ子は俺をベッドに寝かせると、今度はテーブルに置いていたビニール袋から買ってきたものをひとつずつ取り出した。


 「てゆーか、何そのマスク」


 「風邪が移らないように」


 本格的で立体的な可愛げのないマスクをしたサヤ子が、可愛げのない返答をした。


 「こんな時、世間のカップルは『私がその風邪もらってあげる』とか言ってキスするもんですよ?」


 サヤ子に向かって唇を突き出してみたけれど、


 「私が翔太の風邪をもらって自力で治すの?」


 サヤ子は『何わけ分かんない事言ってんだ、コイツ』とばかりに、呆れた顔を俺に向けた。


 「サヤ子が風邪ひいたら、俺がもらうし」


 「風邪移し合ってないでちゃんと治さないと、ずっとどっちかが風邪ひいてるって事じゃん」


 サヤ子が若干面倒臭そうな表情をしながら『そろそろエアコンつけよっか』と言って窓を閉めた。


 「薬飲みながら風邪移しあってれば、そのうち消滅するでしょ」


 「その話はまだ続くのかな?」


 完全に面倒くさくなったサヤ子は、テーブルに出したみかんゼリーを冷蔵庫に入れるべくキッチンへ行こうとした。


 「待って。今食う」


 サヤ子を呼び止めると、サヤ子がゼリーの蓋を開けて俺に手渡そうをした。


 「サヤ子、あーん」


 「…翔太、めんどくさい」


 ついに『めんどくさい』と口に出したサヤ子は、そう言いながらもどこか嬉しそうスプーンでゼリーを掬うと、俺の口に運んだ。


 てゆーか、これくらいのラブラブさがあってもいいでしょーよ。


 「あ、熱何度だった?」


 サヤ子が、ゼリーを持っていた左手にスプーンを挟み、右手で俺の額に触れた。


 「体温計が見つかんなくて計ってない」


 「じゃあ、アパート戻って取ってくるよ」


 サヤ子が、ゼリーをテーブルに置いて立ち上がった。


 「待って、どっかにあるんだって。瑠美がどこかに…」


 体温計を取りに行くだけですぐ戻って来るって分かってるのに、サヤ子を帰したくなくて咄嗟に出た言葉がこれだ。俺、阿呆すぎてホント嫌。


 「…そっか。どこに片してあるんだろうね」


 サヤ子が苦い顔で笑った。


 「…確実にどっかにあるから、適当に棚開けて見てみて。あ、あそこに引き出しには無かった」


 挙句、サヤ子に探させようとするし。


 俺、何がしたいんだろう。


 「…体温計はいいや。翔太だって、他人に色んなとこいじられるの嫌でしょ」


 「他人って…」


 サヤ子の突き放した様な言い方が引っかかる。


 「いくら付き合っていても、うちらは他人でしょ? まぁ、他人じゃなくてもプライバシーは守る主義」


 サヤ子はテーブルに置いたゼリーを手に持つと、またスプーンで掬った。


 「…いいのに。サヤ子に見られて困るものなんかないし」


 「私が見たくないの。翔太と桜井先生の思い出とかに触れて嫉妬したくない」


 サヤ子が悲しそうにぎゅうっとスプーンを握った。


 サヤ子、この部屋居心地悪いのかな。俺だって、サヤ子と元彼との思い出を知ったら、やっぱり嫉妬するだろうしな…。


 「サヤ子、引っ越して一緒に住まない?」


 「え?」


 サヤ子が俺の口に運ぼうと、ゼリーを掬ったスプーンを持つ手を止めた。


 「サヤ子が色んな棚を普通に開けれるように、新しい家具とか買ってさ」


 「イヤイヤ、教師が同棲はダメでしょ」


 結婚どころか同棲までもあっさり断られた。


 さすがに不安になる。


 付き合いだって、小学生並みに清いわけで。


 サヤ子と何にも繋がってない気がした。


 「…サヤ子、俺の事…好き?」


 確認したくなった。


 『嫌い』とは言わない事は分かってるけど。


 サヤ子は人が嫌がる事は言わない。


 サヤ子は何て答える?


 「…翔太は特別。特別好きで、特別大事」


 サヤ子が真っ赤な顔をしながら『言わされた』と言って、山盛りに掬ったゼリーを食わそうとした。


 照れ隠せていない。


 かくれんぼだったら、1番に見つかってるレベル。


 「知ってた」


 不安だったくせに余裕かまそうとする俺も、多分嬉しさ隠しきれてない。


 でも、顔の赤みを抑えるのに必死なサヤ子は気付いてないんだろうな。


 風邪なのに、嬉しくて楽しくて仕方ない。





 あぁ、ドリカム聞きてぇ。


 うれしいたのしいだいすき聞きてぇ。


 もう、歌ってしまおうか。


 のど、ガッラガラだけど。多分、のどちんこひき千切れるけど。





 この日サヤ子は、仮眠をしながら朝まで俺を看てくれて、一旦アパートに戻って着替えてから学校に行った。





 『始業式早々、風邪で休みって…どんだけ浮ついてるんですか』


 始業式が終わった頃、安田から電話が来た。


 「浮わついていた事は否めないけどなー」


 『否めよ』


 実はサヤ子と付き合えたその日に、アメリカから安田に報告の電話を入れたくらいに浮かれまくっていた。


 その時も日本時間など考えもしない程に、足が地上から2~3cm宙に浮いていただろう俺は、森田同様安田にも相当ウザがられた。


 でも、安田にはいち早く報告したかった。


 当て付けとかではなくて、安田と飲んだ時から、安田の事が大好きなわけで。ただ単純に安田に聞いて欲しかった。


 安田もサヤ子が好きなのに、とんでもない時間に、安田にとってはろくでもない話をされて迷惑もいいとこだっただろうに、安田は『俺は切り替え上手い方じゃないので全く祝福出来ないけど、青山先生を選んだサヤ子センセを後悔させないように、今度こそ青山先生が後悔しないように』って言ってくれた。男前過ぎる。男前って過ぎる事があるんだなってあの時思ったし。


 『で、具合はどうなんですか?』


 ほらね。なんなのこの優しさ。風邪ひいた先輩をさりげなく心配してくれるとか。


 「んー。さっきまで寝てたからだいぶ良くなった」


 『そっか。…今日ってサヤ子センセそっち行く予定?』


 「うん、多分。安田も来てくれたり?」


 『2人が付き合った事って、朝倉先生に言ってなかったり?』


 安田の質問を質問で返すと、また違う質問が返ってきた。


 てか、何で急に朝倉先生が出てくるの?


 「安田とサヤ子が言ってないなら知らないんじゃん?」


 『朝倉先生、さっき家庭科室で『これは風邪に効く』って言って、お手製野菜スープ煮込みまくってましたけど…』


 朝倉先生の気持ちはすごく嬉しいんだけど。


 なんか面倒くさい事になりそうな予感が…。


 サヤ子の居ぬ間に朝倉先生が来たりしたら、サヤ子に変な誤解が生まれそうだし…。


 「安田、飲み物がない。何でもいいから買ってきて。サヤ子と朝倉先生と3人で持って来て」


 『魂胆見え見えすぎてだるい。…飲み物だけ? 他に必要なものはないですか?』


 文句を言いつつ、やっぱり優しい安田。 


 「取り敢えず大丈夫」


 『じゃあ、俺らが来るまでまた寝てて下さいよ。なんか足りないもん思い出したらLINEしといて下さい。じゃあ』


 電話を切る間際にも優しさを垣間見せる安田。本当にいい奴。風邪治ったら、安田の好きなもん何でも奢ってやろう。


 携帯をテーブルに適当に置いてまた一眠りした。




 何時間眠っただろう。眠気が浅くなり、寝返りを打とうとした時、玄関のチャイムの音に気付く。


 学校、終わったのかな。もうそんな時間なんだ? 俺、だいぶ寝たなー。


 安田たちが来たのだと思って、インターホンに出ずに玄関のドアを開けた。


 「悪いな、安…瑠美」


 そこにいたのは、俯いた瑠美だった。


 「…具合悪いって聞いて…。心配で…。大丈夫なの?」


 申し訳なさそうに聞く瑠美は、きっとここに来る事を迷ったのだろう。


 別れても俺なんかの事を心配してくれたんだ…。


 「もう平気。1日中寝てたから」


 「熱はもうないの?」


 心配そうに俺を見上げる瑠美。


 そういえば計ってない。つーか、体温計どこに片したか忘れたし。


 「多分。計ってないから分かんないけど」


 「翔太、まだ熱あるんじゃない? Tシャツぐしょぐしょだし、着替えた方がいいよ。ちょっと、顔下げてみて?」


 何も考えず言われるがまま顔を下げると、俺のおでこに瑠美が自分の額をくっつけてきた。




 「…玄関前で何してるんすか?」


 安田の声に、慌てて瑠美から顔を離す。


 …なんでこのタイミングで。


 眉間に皺を寄せる安田の隣で、サヤ子は俺と目を合わせようとしなくて。


 朝倉先生だけは『桜井先生みたいな女、嫌いじゃないなー』と意地悪な顔で笑っていた。


 …なんかもう、悪い予感しかしない。


 「…私、帰るよ。私がいても役に立たないし」


 サヤ子は安田にそう言うと、エレベーターの方へ向かおう戻ろうとした。


 サヤ子が完全に誤解している。


 「サヤ子、待…「また逃げる気? 高村先生」


 「え?」


 サヤ子を呼び止めようとした時、朝倉先生が目を丸くしたサヤ子の腕を掴み『おじゃましまーす』と言いながら、俺を横ぎり勝手に中へ入って行った。


 「青山先生の顔に鼻くそでもつけようかな」


 安田が鼻をほじる真似をした。


 「は?」


 「俺、ゴリラだったら迷わず間違いなく確実に、青山先生にウンコ投げつけてたわ」


 「だから違うんだって、さっきのは…「取り敢えず中入りましょう、桜井先生」


 安田は俺の話を遮って、瑠美に部屋に入る様に促した。


 「俺に言い訳してもしょーがねぇっつーの。まじ、しっかりしてください」


  安田は軽く肩で俺をど突くと、中へ入って行った。




 あぁ、こんな時ドリカムの何を聞けばいいの?




 遅れて俺も中へ入ると、サヤ子の手首を掴んだままの朝倉先生と目が合った。


 「野菜スープ作ってきたんですけど、温めますか?」


 「イヤ、今お腹空いてないから後で食う。どうもありがとな」


 「じゃあ、冷蔵庫入れときますね」


 朝倉先生はサヤ子の腕を放すと、キッチンへ行った。


 朝倉先生から開放されたサヤ子が、小さく溜息を吐いたのに安田も気付いた。


 安田は朝倉先生に『これも一緒に入れといて、ぬるくなったから』とペットボトルを渡すと、サヤ子の隣に行きサヤ子の肩をポンポンと叩くと、いつもの可愛い子 スマイルを向けた。


 安田はきっと、サヤ子がまた朝倉先生に捕まらないように傍に行ったのだろう。サヤ子は安田の笑顔に引っ張られるかの様に少し笑うと、小さな声で『私、今日もダサイ』と言って下を向いた。


 「かわいい事言うねぇ。サヤ子センセってなんかほっとけないタイプだよね」


 安田が今度はサヤ子の頭をクシャクシャと撫でた。


 「私、『お前はひとりで生きていける』って言われて捨てられた事ありますけど」


 安田に言い返すサヤ子。


 会わなかった10年間に、サヤ子にだって彼氏がいたのは当たり前なわけで。


 でもやっぱり、サヤ子と元彼とのやりとりなんか聞きたくなかった。


 「うん、サヤ子センセはほっといてもひとりでたくましく生きて行けるタイプ。でも、ほっといたらひとりで傷つきながら姿消しちゃいそう」


 安田の言葉にサヤ子は少し苦笑いを浮かべた。


 「私、すぐ逃げるしね。でも、今まで逃げた道はどれも正解だった。留学も、転職も」


 「転職、後悔してないんだ? こんな状況なのに」


 安田の意地悪な質問にサヤ子が寂しそうな表情をした。


 「安田は私と出会わなくても良かった? 私は出会えて嬉しかったよ。転職しなきゃ関わる事もなかったんだよね、うちら」


 「サヤ子センセこそ…」


 今度は安田が寂しそうな顔を見せた。


 「サヤ子センセこそ、そういう事は好きな男にだけ言っとけって。勘違いしたくなる」


 『サヤ子センセこそ』の内容はきっと、俺がいない時の2人だけの会話だ。


 俺の知らない話で、困った様に笑い合う2人を見て胸がざわついた。


 早く誤解を解かないと。


 「サヤ…「翔太、体温計る?」


 サヤ子に話しかけようとすると、瑠美が俺の近くに寄って来た。


 「体温計、薬箱の中に入ってるよ」


 「薬箱、どこ?」


 今までどれだけ瑠美に甘えてきたのだろう。


 自分の家なのに、どこに何があるのか分からない。


 瑠美は少し笑ってキッチンの上の棚から薬箱を取り出した。


 キッチンて。そりゃ、分かんないって。


 瑠美は俺に体温計を手渡すと『着替えとタオル持ってくる』と今度はクローゼットを開けた。


 「着替えはいいよ。自分で用意出来るから」


 「病人なんだから寝てた方がいいよ」


 瑠美は俺の制止をサラっとかわすと『ベッドに行って』と俺の背中を押した。


 その時、ポケットから何かが飛び出し、フローリングの上に転がった。


 それを、瑠美が嬉しそうに拾い上げた。


 「このキーホルダー、まだ持ってたんだ」


 サヤ子の目がそのキーホルダーに留まる。


 サヤ子の視線に気づいた瑠美が、サヤ子にキーホルダーを見せながら笑いかけた。


 「これ、去年2人で旅行に行った時に買ったんですよ。ダサイのは分かってたんですけど、何か記念になるものが欲しくて…」


 瑠美が俺に『懐かしいね』と笑顔を向けた時、何て返してよいのか分からず『うん』と答えてしまった。


 ----桜井先生との思い出を知って嫉妬したくない。


 サヤ子が嫌な気持ちになることは分かっていたのに。


 「おもしろい形だね、安田」


 サヤ子は俺とは目を合わせてくれず、ただただダサイだけのキーホルダーをマイルドにフォローすると、安田にだけ同意を求めた。


 「…うん。逆にオシャレかも。1周して最先端かも」


 安田の無理矢理な共感は、逆に『ダサイ』を強調してしまっていたけれども。


 そんな事より、俺をシカトする様なサヤ子の態度に少し腹が立った。


 「…私、帰ろうかな」


 サヤ子は自分の鞄を拾うと『じゃあ、俺も』と安田はサヤ子の鞄をさりげなく持った。


 俺の目の前で繰り広げられる『いいよ、自分の鞄は自分で持つよ』『いいから、いいから』等というサヤ子と安田の馴れ合いに、腹が直立した。


 「なんで帰んの? 何なんだよ、サヤ子。何、今の。当て付け? 言いたい事あるなら言えばいいだろ」


 言いたい事を何も言えずに、サヤ子の誤解を何一つ解いてもいない俺のブチ切れに、驚いたサヤ子と安田がピタっと動きを止めた。





 「嘘吐き」


 腕を組みならがそう言ったのは、朝倉先生だった。


 「『私の事を好きって言っておいて嘘吐き。玄関前でイチャついてみたり何なの!?』って言いたいんじゃないんですか? 高村先生は。でも、高村先生はいい人ぶりたいのかなんなのか分かんないけど、言わないでしょうね」


 棘のある言い方をしながら、朝倉先生がキッチンから俺たちの方に移動してきた。


 朝倉先生、俺がサヤ子と付き合った事、安田に聞いたのかな?


 安田の方へ目配せすると、安田は口パクで『言ってない』と言いながら小さく首を振った。


 俺らの様子が目に入った朝倉先生が、呆れた様に息を吐いた。


 「イヤ、見てれば分かるでしょ、普通。桜井先生だって気づいたから、わざと高村先生が嫌な気分になる様な事をしたんでしょうよ」


 朝倉先生の言葉に、瑠美が渋い顔をした。


 「まぁ、桜井先生の行動は同じ女として共感しますけど。青山先生が好きだからこそしたことだし。だけど、 高村先生の態度はかなりムカつきますね」


 「え?」


 朝倉先生に怒りの矛先を向けられて動揺するサヤ子に構うことなく、朝倉先生は毒を吐き続ける。


 「『私はもう青山先生の事は諦めました』みたいな素振りしておいて、実はネチネチ好きでい続けて、挙句桜井先生から略奪しておいて、ちょっと気に食わない事があると悲劇のヒロインぶって安田に縋るし」


 「…ヒロイン気取れる容姿なんて持ち合わせてないのにね。無意識でやっちゃうって、どんだけ勘違いしてるんだろう、私。すみませんでした」


 朝倉先生に謝るサヤ子は、一体何に対して謝罪してるんだろう。


 勘違いしてた事に対して? なんかズレてね?


 吹き出しそうになったのを堪えたつもりが、やはりニヤつきが口元に出ていたらしく、安田と目が合うと白い目を向けられた。


 そうだ。笑ってないでサヤ子を庇わなければ。


 サヤ子に対して腹は立っていたけれど、サヤ子が朝倉先生にここまで責められなければいけない理由はない。


 「悪いのはサヤ子じゃなくて俺…『そんなの分かってますよ』


 言い終わる前に、安田と朝倉先生が同じ言葉を同じタイミングで発し、遮った。


 同じ年に生まれ、同じ時代を生きると、打ち合わせなしで息を合わせられるものなのか・。


 にしても、先輩に向かってコイツら…。


 「青山先生が悪いのなんて分かってますよ。どんだけ人傷つければ気が済むんスか」


 安田が朝倉先生に加担しだした。


 「てゆーか、まだ私、高村先生に言い足りないんですけど!!」


 朝倉先生によるサヤ子への攻撃は続行するらしい。


 「高村先生、何なんですか? 『私を好きなら他の女に目もくれるな』って言えばいいじゃん。ウジウジうじうじ気持ち悪い!! 青山先生はエスパーじゃない上に、軽くアホなんですよ!? 言わなきゃ伝わるはずがない。それなのに、自分の思う様にいかないからって他の男に寄りかかるとか、クズだね」


 言いたい放題の朝倉先生に呆気にとられてしまった。 何気に俺の悪口まで盛り込まれてるし。


 「…あったまくるなー」


 そんな朝倉先生に、ボソッとサヤ子が静かにキレた。


 「朝倉先生は自分が可愛いって自覚があるからそういう事が言えるんだよ!! 私がそんな事言ったらただの痛い女でしかないじゃん!! だいたい、朝倉先生の可愛さがより引き立つのなんかねぇ、私みたいな人間がいるおかげなんだよ!! 文句言われるどころか感謝されてもいいくらいだよ!!」


 ずっとおとなしく朝倉先生の言い分を聞いていたサヤ子が、遂に反撃に出た。


 サヤ子がブチ切れてるの見るの、久々かもしれない。イヤ、初めてかも。


 キレ慣れていないせいなか、論点がズレにズレまくっているサヤ子。


 そして、朝倉先生による俺の悪口に対してのフォローがない。という事は、サヤ子も俺の事『軽くアホ』だと思ってるのか?


 予想だにしなかったサヤ子のズレ方に、半笑いになるのを堪える安田と朝倉先生。もう笑って終わりにしていただきたい。


 つーか俺が風邪ひいてる事、忘れられてないか?


 真っ赤な顔でキレるサヤ子を宥めようと、サヤ子に近寄ろうとした時、瑠美に着替えとタオルを手渡された。


 「ねぇ、翔太。なんでキスした時、泣いたの?」


 ねぇ、瑠美。なんでそれを今ぶっ込むの?


 目まで赤くさせ薄ら涙を滲ませたサヤ子は、怒っているのか哀しんでいるのか分からない。イヤ、どっちもか。


 「サヤ子。言っとくけど、サヤ子と付き合う前の話だから」


 「そこじゃねぇし」


 俺の弁解にすかさず安田が突っ込んだ。


 分かってるし。前置きしないと更に誤解されるだろうが。


 「別れ話してて…」


 「別れ話でキスすんの?」


 安田、ツッコミすぎ。


 「…青山先生は、別れたくなかったんじゃないのかな」


 大学の時と一緒だ。


 サヤ子が俺を苗字で呼ぶ時は、俺との間に壁を作ったという合図。


 「別れたくないのに、なんで別れ話するんだよ」


 俺の言葉に、瑠美が今にも泣きそうな顔をした。


 瑠美の事、大好きだった。なんでみんなの前で瑠美を振る様な事を言わなきゃならないんだよ。なんでまた傷つけなきゃいけないんだよ。


 「…お前らには関係ない話だろ」


 俺が言い放った言葉に、サヤ子の血の気が引いたのが分かった。


 「ばっかじゃないの?」


 朝倉先生が俺に向かって言い捨てた。


 「なんで答えないの? 桜井先生はトドメ刺して欲しいんじゃないの? どうせその別れ話で、変な優しさ見せたりしたんでしょ? 青山先生アホだから。そんな事されたら諦めきれないでしょうが。それとも、いつまでも自分の事好きでいて欲しかったとか? 別れ際の無駄な優しさは残酷なだけ。余計に傷つく」


 朝倉先生は本当に可愛い。そして本当に口が悪い。でも、正論しか言わない。


 そうか、俺は『嫌な奴』になりたくなくて、綺麗事を言っていただけなのかもしれない。


 「…もう、好きじゃない?」


 瑠美が俺を覗きこんだ。


 好きじゃなくなるわけがない。でももう『そういう好きじゃない』なんて言ってはいけないと思った。


 「…うん」


 小さく頷くと『…うん、分かったよ』と言って瑠美は走って玄関を出て行った。


 「俺、心配なんで追いかけます」


 やっぱり優しい安田は、瑠美を追って部屋を出て行った。


 「私も5分経ったら帰りますね」


 朝倉先生が腕時計に視線を落とした。


 朝倉先生の言葉に首を傾げる俺に、朝倉先生が『なんで分かんないかなー』と呆れる。


 「私が今出て行って、あの2人と鉢合うわけにいかないでしょうが」


 と、言われてもやっぱり分からない俺に、朝倉先生が面倒くさそうに続ける。


 「こんな時、何だかんだでやっぱり同性より異性に慰めて欲しいもんでしょ。それが安田みたいな優しいイケメンだったら、桜井先生の傷も少しは癒えるんじゃないかと思って。邪魔したくないじゃん」


 『しっかりやれよー、安田』と安田が出て行った玄関を見つめる朝倉先生。


 やっぱり朝倉先生はいい奴だ。ただ、辛辣なだけで。


 「朝倉先生って、言う事厳しいけど見た目も中身もいい女だよね。言う事厳しいけど」


 サヤ子が朝倉先生に微笑んだ。


 「いい女な事は知ってます。サヤ子先生だって、まぁまぁいい女ですよ。てゆーか、『言う事厳しい』をなぜ2回も言ったんだ? 感じ悪」


 強気な事を言いながら少し照れる朝倉先生。


 「『サヤ子先生』?」


 サヤ子は『まぁまぁいい女』には引っかからなかった様だ。


 「今度からそう呼ぼうかと思って」


 「いいの? 私の事嫌いなんじゃないの?」


 興奮気味に朝倉先生の両肩を掴むサヤ子。


 「私、嫌いな奴なんて完全無視ですよ。サヤ子先生の事は、たまにイラっとするけど割と嫌いじゃない」


 朝倉先生は笑いながら『落ち着いて』とサヤ子の手を下ろした。

 

 「私も朝倉先生好きですよ!! てゆーか、むしろ呼び捨てでもいいし!!」


 大喜びのサヤ子に、さすがに引き気味になる朝倉先生。


 「さすがに呼び捨ては…。じゃあ、『サヤさん』にします? 私の事は『優たん』でいいです」


 「自分のあだ名だけなんか可愛くない?」


 「だって私、可愛いし」


 「確かに」


 さっきまでいがみ合っていた2人が仲良く笑い合って、しかもあだ名で呼び合うまでになった。 女ってミステリー。


 

 朝倉先生はサヤ子と談笑した後、本当に5分後に帰って行った。


 サヤ子は朝倉先生と一緒に帰りたがっていたが、朝倉先生に『追って欲しくて逃げるフリする女は共感するけど、目の前でやられると不快』と怒られて留まった。


 …どっちが年上なんだか。


 「良かったな、サヤ子。朝倉先生と仲良くなれて」


 「『優たん』だよ♬」


 サヤ子の肩に手を置くと、サヤ子はついさっきキレられていたというのに、嬉しそうに『ふふふ』と声を漏らして笑っていた。


 よかった。これで一件落着-----


 「よし、じゃあ私も帰ります」


 ----ではなかった。


 スッキリした表情をして、玄関に行こうとするサヤ子。


 「は? なんで帰るの?」


 咄嗟にサヤ子の手に持たれていた鞄を奪う。


  さっきの朝倉先生とサヤ子の会話を盗み聞き(つーか普通に聞こえた)してたから、サヤ子は帰るの止めて欲しがっているのだろうと思ったが、


 「返して下さい」


 どうやら本当に帰りたいらしく、さっきまでホクホク顔だったサヤ子が、全く笑うことなく俺に『鞄をよこせ』とばかりに手を前に出した。


 「サヤ子、敬語はペナルティ」


 冗談っぽくサヤ子のオデコを軽く叩くと、サヤ子の目に涙が溜まった。


 「ごめん、そんなに強く叩いたつもりじゃなかった。痛かった?」


 慌ててサヤ子のオデコを撫でると、サヤ子はスッと顔を背けた。


 「ねぇサヤ子、言わなきゃ分かんない。何が気に入らないの?」


 『こっち向け』とサヤ子の顔を両手で挟んで無理矢理俺の方を向かせると、サヤ子は視線を反らせたまま口を開いた。


 「…私は『関係のない人』ですが、桜井先生は関係あるから、桜井先生にはさっきの返答した方がいいと思います」


 サヤ子が自分の顔から俺の手を剥がそうとした。


 「さっきのって?」


 サヤ子の顔をガッチリ掴んだまま聞き返す。


 「…キスして泣いた理由」


 サヤ子がポツリと呟くように零した。


 「色んな気持ちが混ざってた。ハッキリした理由は自分でも分からない」


 本当にそうなんだ。


 泣いた事に自分も驚いてたくらいだし。


 「色んな気持ち?」


 サヤ子がやっと俺と視線を合わせた。


 サヤ子の黒目が左右に揺れ、目に貯まる涙を目尻から押し出さんばかりだった。


 「サヤ子が…「ごめんね。嫌なのに無理に話させようとしてすみません。…でも、手は放してもらえませんか? 首が痛いです」


 俺の話を遮り、『放す』っと『話す』をこんな状況でも上手い事かけてくるサヤ子が、涙目のまましたり顔をした。


 泣きそうなドヤ顔って…サヤ子、なかなか高度。


 サヤ子の顔から手を放すと、サヤ子は本当に痛かった様で、首を摩りながら苦笑いした。


 「『他人のプライバシーは守る主義』とか言っておいて、いざ『関係ない』って言われると切なくなるもんですね。私、ダサイくせにカッコイイ事言ってみたかったんです。結局尚更ダサくなるハメになりましたけど。…やっぱり私は青山先生の特別にはなれない」


 「なれるよ!! なってるよ!! サヤ子は会ったときからずっと特別だったよ。さっきから何言ってんの? サヤ子」


 サヤ子の二の腕を掴んで前後に揺らす。


 「関係ないって言ったじゃん」


 俺があまりにも揺らすから、バランスを崩したサヤ子が倒れそうになるのをいいことに、そのまま抱きしめた。


 「俺、理系だからあの時の上手い切り抜け方が分かんなかっただけだし。サヤ子が関係ないわけないっしょ。だからシカトすんな。壁作んな。敬語使うな。苗字で呼ぶな」


 「全然意味分かんない。そして注文多すぎ」


 サヤ子が俺の胸に顔を埋めて背中に手を回した。


 ヤ子の顔を見ようと身体を離そうとすると、サヤ子は力を強めて更に俺にくっついてきた。


 サヤ子が鼻をすすってるのが分かった。


 サヤ子は泣き顔を見せる事が嫌いだ。


 涙目のサヤ子は見た事あるけど、泣いてるサヤ子は数える程しか見た事がない。


 女の涙なんて、すげえ破壊力のある武器なのに。もったいない事するよなーと思いながら、サヤ子の頭を撫でた。


 そんなサヤ子が、やっぱり好きで好きで、大好きだ。


 「マジですいません。あんな言葉でサヤ子がこんなに傷つくって思わなかった」 


 「傷つくよ!! お見舞いに来てみたら、桜井先生と青…翔太が顔くっつけ合ってるし、思い出のキーホルダー、ポケットに入れて持ってるし、『関係ない』って言われるし。…本当に帰りたくて帰りたくて、帰りたかった」


 どんだけ帰りたかったんだよ、サヤ子。


 さっきの国語力はどうした?


 「瑠美とは顔くっつけてたんじゃなくて、オデコくっつけてただけ。それは本当に軽率だったと思う。瑠美に『ちょっと顔下げて』って言われて、なんとなく下げてしまいました、すいません。

 キーホルダーは、本当にたまたま。体温計探してる時に見つけて、なんも考えずにポケットに突っ込んだ。本当にそんだけ。いつも持ってたわけじゃなくて、むしろ1年振りにお目に掛かった。

 『関係ない』って言ったのは、みんなの前で瑠美を『振られる女』にしたくなかったから。みんなの前で言う事じゃないと思ったから」


 サヤ子は俺の胸の中で黙って俺の話に頷いた。


 「キスして泣いたのは…俺、瑠美の事大好きだったけど…でも俺、本当に今までサヤ子以上に好きなった人っていないんだよ。瑠美の事、大好きだったのに、幸せに出来なくて、やっぱりサヤ子を好きでい続けて…悔しくて、申し訳なくて、情けなくて…泣いた…のかも。俺にもよく分かんない」


 「…そっか。翔太ゴメン。寝よっか。翔太の息、熱い。風邪ひいてるのにゴメンネ」


 鼻を赤くしたサヤ子が、俺を見上げて微笑んだ。


 「納得した? サヤ子」


 「私はね。風邪治ったら、桜井先生にも話そうね」


 サヤ子が俺の手を引き、ベッドに連れて行こうとした。


 その手を引っぱって後ろから抱きしめた。


 止まんない。止まんない。つーか、止める気もない。


 後ろからサヤ子の首筋にキスを落とす。


 嫌われたくない。でも我慢出来ない。


 サヤ子の首筋を往復すると、サヤ子の身体がビクっと震えた。


 感じているのか、怖がっているのか。


 耳を甘噛みすると、サヤ子が『…ん』と小さい声を出して身体をよじった。


 サヤ子の向きを変えてキスをしようとした時、サヤ子が口を開いた。


 「早く風邪治してよ」


 「…まだダメなの?」


 サヤ子さんよ、この盛り上がった気持ちをどうしてくれんの?


 「早く治して。…翔太とキスがしたいから」


 サヤ子が恥ずかしそうに俯いた。


 「キス…だけ?」


 サヤ子の顔を覗き込む。


 「……したい。翔太とエッチ…したい」


 サヤ子が、赤面しながら消え入りそうな声を出した。



 お願い神様、早く治して。一刻も早く風邪治して!!



 「サヤ子、本気出してよ!! 全力で治して!! 俺の風邪!!」


 即座にベッドに潜り込む。


 「…そんなにエッチがしたいんだ…」


 サヤ子が白い目で俺を見た。


 「したいよ! したいに決まってんじゃん!! どんだけ我慢してると思ってんの!?」


 「…なんか、がっかり感がハンパないです」


 サヤ子があからさまな溜息を吐く。


 「なんでだよ!! 好きな子触りたいのは普通じゃん!!」


 「誰にでも触ってたじゃん」


 サヤ子め…なんだかんだ根に持ってるし。


 ベッドから起き上がってサヤ子の前に立った。


 「ぶっちゃけ触れますよ。でも、もうサヤ子に嫌われたくないからしないし。サヤ子だけでいいし!!」


 「わーかったから、いちいち起き上がってないで寝てって。あ、やっぱ寝る前に着替えて、汗臭い」


 適当にあしらっている様に見せてるけど、サヤ子が相当照れてるのが分かった。


 顔も耳も首までもが赤くなってたから。


 おとなしく着替えてベッドに入ると、サヤ子が体温計を俺に渡した。


 「じゃあ、お熱計って下さいねー…ハッ!!」


 「何!?」


 突然変な声を出すサヤ子に、普通にビビった。


 「イヤ、今無意識に看護師ぶちゃったよ、恥ずかしい…」


 サヤ子がクルっと後ろを向いて『冷えピタ取ってくる』と冷蔵庫へ向かった。


 あぁ、コスプレさせたい…って思う俺って変態かな。


 体温計を脇に挟みながらサヤ子の後ろ姿を眺める。


 体温計から『ピピッ』と計測終了の音が鳴り、脇から抜き取る。


 「看護師さーん、37度8分でしたー」


 「あ、はーい。微熱辛いですねー…って、本当にヤメテ。看護師7年もやると染み付くもんだねー」


 コントの様に見事に引っかかたサヤ子が『私で遊ぶな』と言いながら、俺の額に冷えピタを貼り付けた。


 「いい看護師だったんだろうな、サヤ子」


 看護師をしているサヤ子の姿を見てみたいなと思った。


 「どうでしょう? でも、今はいい先生になりたいな」


 優しく微笑むサヤ子につられて微笑み返すと、サヤ子が俺の頬にキスをした。


 「…ゴメン。…なんか辛抱たまらんくなった」


 サヤ子さんよ。俺を生殺しする気?


 どうすんの? どうしてくれんの? 俺のこの気持ちは。


 あーーーー。俺、まじ悶絶。


 「…私ね」


 俺の悶絶にも気付かず、湯気が出そうな勢いで赤くなったサヤ子が、恥ずかしそうに口を開いた。


 「ん?」


 「私、本当はどっかで期待してたのかも」


 「何を?」


 自分から話し出したくせに、モジモジモジモジするサヤ子のモジモジを止めるべくサヤ子の手首を掴んだ。


 サヤ子は困った様に照れ笑うと、ゆっくり話出した。


 「あのね…実はずっと覚えていた事があって…。 翔太、高校の時に『衛星にも興味あるけど、医療ロボットにも興味がある』って言っててね、会わなくなってしまってからも『医療関係で一緒に仕事出来るかも』とか『一緒に働く事がなくても、翔太の作ったロボットを使って仕事したり出来るかな』とか、期待してたんだ、本当は。考えもしなかった形で一緒に働けて…凄く不思議」


 サヤ子はきっと俺を殺す気だ。悶殺し。


 俺、悶死しちゃうよ、サヤ子さんよ。


 サヤ子は、風邪の俺を喜ばせてどうしたいの?


 思わずサヤ子の腕を引いてベッドの中に引きずり込んだ。


 驚いたサヤ子が俺の腕の中から逃れようと、胸を押してきたけど、


 「ちょっとだけ。風邪、移さないから」


 ぎゅうと力を強めて抱きしめた。


 「…移す気ない人のする行動じゃないでしょ。でも…うん。ちょっとこうしていたい」


 サヤ子がに自ら俺の方に身体をくっつけてきた。


 サーヤー子ー!!


 ちょっと…てか、10年ってちょっとじゃねーな。


 10年会わない間に可愛い事言うわざ覚えやがって。


 …ずっとこうしてちゃダメっすか?


 「…あ!! お土産で思い出した!! 私、みんなにアメリカ土産渡してない!!」


  突然大き声を出すサヤ子。


 「遅!! お土産のキーホルダーのくだり、だいぶ前じゃん」


 サヤ子の尋常ではないタイミングのずれ方に、笑いながら突っ込む。


 アメリカからの時差ボケが未だに続いているかの様な、タイムラグ。


 …アメリカかぁ。


 「アメリカと言えば、俺、サヤ子に言ってない事あるわ」


 「え…何?」


 サヤ子が不安そうな顔で俺を見つめた。


 「別に、ハメたわけでも、2人で仕組んだわけでもないんだけど、サラさんが『1つしか部屋空いてない』って言ったの嘘だったりして」


 悪びれもなく(悪い事したとも思ってないし)サヤ子にニヤっと笑いかけると、サヤ子が俺のほっぺを摘まんで引っ張った。


 「知ってましたー。教会から帰ってきた後、翔太がお風呂に入ってる時にサラさんに聞いたし。おかしいなーって思ってたもん。あんなにおっきい家で部屋が1コしか空いてないのに、1人もホームステイの人と会わないなんて」


 「なんだ、知ってたんだ。これで全部。もう、隠し事はないはず。ザッツオール!!」


 外国人っぽく大きいリアクションでもぶっ放そうと、両手の親指を立ててサヤ子の方へ突き出した。…は、いいが、このポーズくそダサい。


 「無理矢理英語入れなくていいし」


 ダサさに気づいたサヤ子が、静かに俺の両手を布団の中に入れた。


 「俺も英語喋れる様になりたいー」


 「私もなりたいー。じゃあ、早く風邪治して2人で英語の勉強しよっか」


 サヤ子のが俺の真似をしながら、笑って俺の髪を撫でた。


 「その前に愛育まないとねー。サヤ子先生の辛抱堪らんらしいから」


 サヤ子をいじめると、サヤ子は真っ赤な顔で俺を睨みつけた。


 「くそばか翔太」


 サヤ子はケンカが下手だ。 


 幼稚園児並の悪口しか言わない。


 そこがサヤ子のいい所。そんなサヤ子がやっぱり好きだ。


 「いっぱい触らせてね」


 きっとサヤ子が悶絶するだろう言葉を、敢えて選んで言ってみる。


 案の定、目までもが血走る程に赤面したサヤ子は、何故か自分の太ももを『ばしばし』叩いては顔を手で仰いでいた。多分、サヤ子なりに相当悶だえまくっている。


  面白がってサヤ子の様子を眺めていると、サヤ子が横髪をとかす様に顔を隠しながら小さな声を出した。


 「…いっぱい触って。私もいっぱい触りたい」


 返り討ちにあった。


 俺、身悶えハンパない。

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