in USA.



 それから淡々とした日々を送り、夏休みを迎えた。


 明日からサヤ子とアメリカだ。


 アメリカまで飛行機で半日以上かかる旅路も、サヤ子となら楽しい。…けど、サヤ子は俺に目もくれず本を読んでいた。


 「何の本?」 


 「あ、これ? 単語帳。英語、いっぱい忘れてるから悪あがき」


 なんなら赤ペンまで握り締めて、ガチで勉強モードのサヤ子。


 かまってよ。折角邪魔者いないんだから、かまってよ。


 「頼りにしてますよ、サヤ子センセ」


 そう言って目を閉じる。


 最早ふてくされて寝るしかない。…イヤ、全然眠くない。ぶっちゃけ、ウキウキしすぎで眠れない。


 チラっとサヤ子に方を見ると、俺の視線の気付いたのか、サヤ子と目が合った。


 「青山先生、眠れないの?」


 「うん。てゆーか、『青山先生』ヤメテ。ここ、学校じゃない」


 「さっき、私の事、『サヤ子センセ』って言ってたましたけど」


 「ハイ、ワンペナー。敬語禁止のはずでしょ」


 サヤ子のオデコを軽く『ペシッ』と叩くと、サヤ子が『ぬーん』と変な声を出して唸った。


 『ぬーん』て。俺、悔しい時にそんな声出ない。つーか、普通出ないだろ。やっぱりサヤ子は面白い。


 「ペナルティ、何です…あっぶな!! 何?」

 

 サヤ子が自分のほっぺたを『パシン』と叩いた。


 何その古いリアクション。 


 「イヤイヤ、今のギリアウトだろ。つーか俺、サヤ子に敬語使われたの、何回か見逃してやってんだけど」


 「こういうのは現行犯だから、見逃した分は無効です。…じゃなくて無効!!」


 何そのサヤ子ルール。


 「イヤイヤイヤ、今の完全にアウトだろ」


 「セーフだよ。細かいなぁ」


 サヤ子があからさまに面倒臭そうな顔をした。


 「俺、A型だし」


 「O型じゃん」


 「覚えてたんだ」


 「…違う。たまたまだよ。たまたま覚えてただけで…」


 サヤ子が一気にテンションを下げ、俯いた。 覚えててくれて嬉しいのに。


 「サヤ子もO型で、昔のアダ名は『ナイジェ』で、理数系が苦手で、右手の手のひらに握ると隠れるホクロがあって、つむじが2コあって・…俺、サヤ子の事、もっといっぱい覚えてるよ」


 俯くサヤ子の2つのつむじを指で押すと、サヤ子が目を丸くしながら少し後ずさった。


 「ペナルティ決めた。サヤ子が覚えてる俺との思い出、忘れないで。覚えていて欲しいんだ。

 俺、サヤ子の事を気持ち悪いとか思ってたら、一緒にアメリカ行きたいなんて言わないよ?」


 どうしたらこの誤解は解けるんだろう。


 サヤ子はストーカーなんかじゃなかったのに、未だに気にしている。


 「ありがとう、青山くん。…私、寝るね」


 サヤ子がブランケットを被って向こう側を向いた。


 ブランケットの中から鼻をすする音が聞こえた。






 空港に降り立ち、バスと電車に乗ってホストファミリーの家へ。


 サヤ子がいてくれて本当に助かった。


 俺1人だったら、バスとか電車とかどこで降りればいいか分からない。


 辿り着いた家は、さすがアメリカという感じでデカくてオシャレだった。


 玄関のチャイムを鳴らすと、


 「SAYAKOー!! LONG TIME NO SEE」


 ふくよかで明るそうな女性がサヤ子に抱きついてきた。


 「SALAー!! MISSED YOU!!」


 あぁ、この人が“サラさん”か。と久々の再会を喜び合っている2人を眺めていると、サラさんと目が合った。


 ペコっとお辞儀をすると、サラさんは俺にウインクをしてサヤ子に何かを話し始めた。


 サラさんの話に慌てふためくサヤ子。


 しかし、英語がさっぱり出来ない俺には何が起こっているのか分からない。


 暫くして、 困り果てたサヤ子が俺の方に来た。


 「…あのね。サラさん、私が女友達を連れて来るんだと思ってたみたいで…空いてる部屋、1コしかないんだって。でもね、ベッドはちゃんと2つあるし…やっぱ嫌だよね? 私、ホテル探してみる!!」


 サラさんのウインクはこういう事か…。 


 つーか、サラさんって透視出来んのか!? なんで俺がサヤ子を好きだって事が分かったんだろう。


 「空いてるホテルなんかあるわけないじゃん。俺は全然いいし」


 「…でも、青山くんは…」


 サヤ子は瑠美の事が引っかかるようだった。


 「WHAT IS DOING? COME IN!!」


 サラさんがそんな俺たちを呼ぶから、


 「行こ、サヤ子」


 「……」


 戸惑うサヤ子の腕を掴んで家の中に入った。


 「ハロー、アイム ショータ」


 そして完全なカタカナ英語を、元気良くサラさんにぶっ放す。


 「YOU ARE NOT TO WASTE MY ASSIST」


 サラさんが俺の背中を『パシッ』と叩いた。


 何? あー、なんで俺、英語出来ないんだよ。サラさんの英語、分かんねーよ。


 「何の事?」


 サラさんの英語を聞き取ったサヤ子が、不思議そうな顔を俺に向けた。


 「サラさん、なんて?」


 「『私のアシスト、無駄にしないでよ』って」


 やっぱり空いてる部屋がないとか、嘘だったんだ。


 全く英語喋れないくせに、勢いでサラさんに駆け寄る。


 「ユーアー ライヤー バット サンキュー ソー マッチ…ワット ディジュー ノーティスドゥ?」


 知ってる英語を懸命に並べてみたが、上手いことサラさんには伝わらず、首をかしげるサラさん。


 「あ!! プリーズ ウェイト!!」


 現代の携帯には翻訳という便利な機能があるではないか!!


 『嘘、上手ですね。でも本当にありがとう。なんで気付いたんですか?』


 ポケットから携帯を引き抜き、 急いで打ち込み、翻訳して携帯の画面をサラさんに見せる。


 『フッ』サラさんは少し笑って『貸して』手を出した。


 携帯をサラさんに渡すと、サラさんは何かを打ち込み翻訳して俺に渡した。


 『私のこと、どれほどバカだと思っているの? 普通に考えて、好きでもない女にアメリカまでくっついてくる男なんていないでしょ』


 携帯の画面を見た後サラさんに、


 「ユー アー ライト」


 と親指を立てると、サラさんが豪快に笑った。


 「なになに?」


 話が飲み込めないサヤ子が、サラさんと俺の服の袖を引っ張った。


 サラさんは俺に視線を送った後、口の前で人差し指を立てると、


 「SECRET OF ME AND SHOTA」


 サヤ子にウインクをした。


 カッコよすぎでしょーよ、サラさんよ。





 その日は旅疲れで2人共即刻寝た。


 サヤ子はあんだけ俺と一緒の部屋だという事に戸惑ってたくせに、俺より先に眠りについた。


 サヤ子の寝顔を見るのは久々で、思わずほっぺに触ってしまった。


 サヤ子は起きなかったけど。


 もっと触りたいな。昔はあんなに簡単に触れていたのに…。


 サヤ子の髪を撫で、俺も目を閉じた。






 翌日、サヤ子と一緒に森田に会いに行った。


 待ち合わせの場所に森田はいた。…金髪美女と一緒に。


「LISA!! I AM GLAD SEE YOU」


 サヤ子がリサ? に抱きついた。


 え? 知り合い?


 「よう、翔太」


 わけが分からない俺に、森田が軽く手を振りながら近付いてきた。


 「誰。あのビューティブロンドさんは」


 「リサ? 俺の奥さんになる人。」


 「え?」


 森田の返事に目が点になった。


 「えー!! 聞いてねぇ!! 森田、結婚すんの!? なんでサヤ子は知ってんの?」


 「翔太さぁ、普通先に『おめでとう』とか言うだろ」


 大興奮の俺に、森田が呆れた視線を送る。


 「おめでとう。で?」


 「ありがとう。電話とか、日本に行った時に話そうと思ってたんだけど、翔太の事を驚かそうと思って、サヤちゃんに黙っていてもらったんだ。ちなみにリサとサヤちゃんは、俺のSNS通して友達になってた」


 幸せそうに微笑む森田は、リサの事が好きで好きでたまらないんだと思う。


 「なるほど。俺、あんまりSNSとかしないから全然気付かなかったわ。森田がアメリカ人とねー」


 「リサはイギリス人」


 「あー、だからか。森田のジェントルマンぶり」


 『なるほどなるほど』と1人で納得していると、『プッ』と森田が突然吹き出した。


 「翔太さぁ。俺がサヤちゃんと2人きりで会うんだと思って、焦ってアメリカまでくっついて来たんだろ」


 「森田、うるさい」


 見事結婚にまで辿り着いた森田には、恋愛でじたばたしている俺が面白く見えるらしい。超感じ悪いわ、森田。


 「ネェ、ドコカデ ショクジデモシマセンカ?」


 話題の森田の婚約者・リサが、森田にいじられ続ける俺の方にやってきた。


 「リサ、日本語喋れんの?」


 「ベンキョウチュウ」


 懸命に日本語を話す、健気なサラ。可愛い。


 「ナニ タベマスカ? チンカスショウタ」


 「は?」


 チンカス?


 『ぶはッ』と吹き出しながら、森田がお腹を抱え、


 「リサに、翔太が大学時代にサヤちゃんにした事話したらさ、『そういう事する人を日本語で何て言うの?』って聞かれたから『チンカスって言うんだよ』って教えてやった。つー事で、リサは翔太にあんまりいい印象ねぇから」


 俺が何故リサに『チンカス』呼ばわりされているかを説明した。


 森田め、余計な事を。


 「ダカラ、ナニタベタイノ? チンカスショウタ」


 「チンカスやめて。可愛い顔になに言わせてんだよ、森田」


 軽く森田に肩でど突くと、


 「あはは。NOT CALLED HIM CHINKASU. LISA.」


 森田はリサの唇に人差し指をそっと当てた。


 唇を尖らせて可愛く拗ねるリサ。その唇にキスをする森田。


 「DO YOU HEAL YOUR MOOD?」


  森田がそう言うと、リサは『フフ』と笑い、2人の世界に入ってしまった。


 …きっつ。ドきついわ。


 サヤ子、どこ行った? このアメリカかぶれ、ことごとくしんどい。


 サヤ子を探すと、サヤ子は持ってきたデジカメで風景写真を撮りまくっていた。


 「サヤ子」


 「青山くん、3・2・1」


 サヤ子を呼ぶと、サヤ子は突然カウントをしたかと思えばシャッターを押した。


 「ははは。青山くん、素だし。笑うか変顔するかカッコつけるかすればいいのに」


 サヤ子が笑いながら撮った画像を俺に見せた。


 デジカメを覗くと、なんとも言えない表情の俺が写っていた。


 「…消去。」


 サヤ子からデジカメを取り上げて画像を消す。


 「あ!! あーあ、消しちゃった。森田くんとリサにも見せようと思ってたのに」


 サヤ子が残念そうに肩を落とした。


 …俺もサヤ子の写真欲しいな。


 肩に掛けていた鞄から自分のデジカメを取り出し、左手をサヤ子の肩に回した。


 「え?」


 驚くサヤ子を尻目に右手でカメラをSET。


 「サヤ子、3・2・1」


 シャッターを押し、撮れた画像を2人で覗く。


 「消して下さい」


 写された画像には、キメ顔で笑う俺と真っ赤な顔でキョドるサヤ子がいた。


 「サヤ子、何このビックリ顔。てゆーか、今敬語使わなかった?」


 「気のせい。早く消して」


 「無ー理ー」


 デジカメを奪おうとするサヤ子に届かない様に、右手を高く上げるも、諦めの悪いサヤ子は俺をくすぐってでも、無理矢理デジカメを取り上げようとした。


 「俺が力でサヤ子に負けると思ってんの?」


 逆にサヤ子をくすぐり返す。


 「ひょーッッ!!」


 異国の地で奇声をあげ、悶絶するサヤ子。


 ヤバイ、楽しすぎる。 


 「オジャマ カナ?」


 「何やってんの、お前ら。つーか、アメリカの方々に日本人がおかしな人種だと思われるから変な事すんなって」


 2人の世界を満喫し終わった森田とリサがこっちにやって来た。


 「イヤー、面白い写…『なんでもない。なんにもない。全くない』


 デジカメを森田たちに見せようとする俺を、サヤ子が必死で阻止した。


 「ま、なんでもいいけど、何か食いに行こうよ。何が食べたい?」


 「…て言われても、アメリカの食いモンってハンバーガーしか思い浮かばねーし」


 森田に聞かれた事に素直に答えると、


 「イヤ、翔太に聞いてない。サヤちゃん、何食べたい?」


 レディファーストの森田は俺をスルーし、サヤ子に問いかけ直した。


 そんな森田の態度に、リサが俺の方をチラっと見て『クスッ』と笑った。


 …感じわるー。


 「うーん・…森田くんのおすすめのとこに連れてって」


 結局サヤ子も何も思い浮かばず、4人で森田行きつけの店に行った。




 

 食事を終えると、サヤ子とリサは買い物に繰り出して行った。


 「女って人種関係なく買い物好きなのな」


 街中の広場で森田と買ってきたコーヒーを飲む。


 俺、なんかアメリカ人みたいじゃね?


 「確かに。リサも好きだねー、買い物」


 森田がコーヒーを飲みながら笑った。


 「リサ、スゲエな、日本語。森田が教えてんの?」


 「ウチの親さ、俺には日本人と結婚して日本に戻ってきて欲しかったみたいでさ、俺たちの結婚反対してるんだよ。で、『なんとか認めてもらいたい』ってリサ、日本語の勉強すごく頑張ってて…。俺、それがリサに無理させてるみたいで嫌でさ、俺は積極的には教えてなくて…そしたらリサ、俺のSNS通じてサヤちゃんと仲良くなって、サヤちゃんと日本語でやり取りし始めて…」


 「サヤ子が教えてんの?」


 「教えてるってゆーか、サヤちゃんとのやり取りで色々覚えてる部分はあるかな。リサ、日本語学校行ってるから、習った事をサヤちゃんに使い方確認してるみたい」


 困った様に笑うけど、嬉しそうな森田。


 「この前日本に帰ったのは、俺1人で親に話つけようと思って。…ダメだったけど。これ、リサには内緒な。仕事って言ってあるから」


 「なんで連れてかなかったんだよ。リサ、俺にはあの態度だけどスゲエいい奴じゃん。森田の親だって気に入ると思う」


 「俺もそう思う。でもウチの親、俺がアメリカに永住するのはどうしても嫌らしくて…。それはリサがどうとかの問題じゃないじゃん。だから1人で解決したかったんだけど…失敗した。でも、諦めないけど。俺は翔太と違うから」


 森田が意地悪く笑った。


 「翔太、いつになったらサヤ子ちゃんの誤解解くの?」


 森田が少し馬鹿にしたように俺を見る。


 「誤解の解き方が分からん」


 「はぁ??」


 うなだれる俺に半ギレる森田。


 「正直に全部話せばいいだろうが」


 「『サヤ子の事好きだったけど、他の女とヤリたくて、ついサヤ子をストーカーに仕立てあげました』って? そんな事言ったらサヤ子が傷つく」


 「はぁ!? 翔太、ふざけてんの?」


 最早、ガンギレの森田。


 「なにが『サヤ子が傷つく』だよ。翔太がサヤちゃんに軽蔑されたくないだけだろ。サヤちゃんの事、ずっと『ストーカーだった女』のままにしておくつもりかよ」


 森田が俺を睨みつけた。森田の言葉が鋭すぎて痛い。


 「いい加減腹括れ、翔太」


 「…うん」


 力なく変事をする俺の背中を森田が『バシッ』と背中を叩いた。


 「…森田、サヤ子に腹括る前に森田にも括っとかなきゃいけない事があんだけど…」


 「はぁ?」


 森田が再びイラつき始める。


 「大学の時、森田がサヤ子に告ろうとしてたの、邪魔した。サヤ子が森田のバイトあがりを待っている時に偶然会って『彼氏でもない男をずっと待つとか、ストーカーみたい』って言った。…ごめん」


 「お前、まじで最低だな。ごめんじゃねーよ」


 森田が『キレる』どころの話しではなく、怒りに満ち充ちていた。


 「俺が邪魔しなかったら、森田とサヤ子は…」


 「何に謝ってんだよ、今。俺じゃなくてサヤちゃんに謝る事だろ」


 「サヤ子に謝ったら『森田くんに謝れ』って言われた」


 『サヤ子に言われたから』なんて小学生みたいな事を言う俺を見て、『ふー』と森田がそれはそれは大きな溜息を吐いた。


 「俺にはリサがいるから、『翔太が邪魔しなかったら』とかどうでもいいんだよ。まじでもうサヤちゃん傷つけんなよ」


 森田に強い口調で念を押された。


 サヤ子は森田にとって大切な『好きだった人』。


 俺はサヤ子を傷つけながら、森田にも嫌な思いをさせていたんだ。


 「森田、俺、今日腹括るわ」


 コーヒーを飲み干して森田に高らかに宣言。


 「地面に頭擦りつけてでも謝り倒せよ」


 イラついていた森田が優しく笑った。






 …緊張する。


 ドリカム聞きてぇ。


 『決戦は金曜日』聞きてぇ。


 今日、火曜日だけど。






 あの後、サヤ子たちと合流して夕食を食って解散した。


 サラさんの家に帰ってお風呂に入り終わったサヤ子は今、目の前で今日撮った写真を眺めて笑っている。


 …どう話を切りだそうか。


 「…サヤ子」


 「うん?」


 呼んだはいいが、完全なる見切り発車。何を言えば良いのか分からない。


 「…サヤ子」


 「なに?」


 「俺、サヤ子が好きだ」


 うっかり謝る前に告ってしまった。


 「…どうしたの? なんか、告白っぽく聞こえるからビックリするじゃん」


 困りながら笑うサヤ子。


 「告白したんだよ、今」


 「青山くんには何人彼女が必要なんですかねー」


 サヤ子は呆れながら、またデジカメを見始めた。


 「1人だけ。サヤ子だけ」


 「青山くん、お酒飲んだ?」


 「飲んでない」


 「……」


 サヤ子の眉間に皺が入る。


 「青山くん、今の冗談は全然面白くないよ」


 「冗談なんかじゃないよ」


 「……」


 サヤ子は『はぁ』と小さい溜息を吐いてデジカメをテーブルに置くと、俺の正面に来た。


 「冗談じゃないなら何なんですか?」


 サヤ子が不快感を露わにした。


 「本気だよ」


 サヤ子の目を見つめる。


 「じゃあ、私の事が本気なら、桜井先生は何?」


 「別れた。瑠美とは別れたんだ」


 「…なんで?」


 「やっぱり、サヤ子が好きだから」


 「……」


 サヤ子が涙目で睨む様に俺を見る。


 「…なんなの? 何の為の嘘なの? その嘘で誰が得をするの?」


 「嘘じゃない。嘘なんか言ってない」


 「青山くん、私の事なんか好きじゃないじゃん」


 「好きだよ!! 本当に!!」


 思わずサヤ子を抱きしめると、


 「放して」


 サヤ子が俺の胸を押した。


 サヤ子を 逃がさない様に腕の力を強める。


 「聞いて、サヤ子。お願いだから」


 「じゃあ放して。聞くから、放して」


 サヤ子から身体を離すと、サヤ子は少し後ろに下がった。


 「高校の時も、大学の時だって、ずっとサヤ子が好きだった」


 「…意味が分からない」


 サヤ子は俺の顔なんか見たくないのだろう。俺に背を向けて壁にもたれながら泣いていた。


 「大学の頃、サヤ子の事大好きだったのに…俺、サヤ子が傷ついていたのも分かってたのに、サヤ子はいつでも許してくれたから…好きでもない女の子と遊び回ってた。…あの日も女の子と遊びたくてさ…『サヤ子ちゃんって、彼女なんでしょ?』って聞かれて『うん』って答えたら遊べないんだろうなと思って…ついサヤ子のこと『ストーカー』って…」


 「ついって…」


 サヤ子が振り返って、呆れた様に涙を流しながら笑った。


 「…私は、青山くんがつい何気なく言った事を気にし続けてきたんだ?」


 笑っているのに涙は止まらなくて、苦しそうな表情を見せるサヤ子。


 「…ばかみたいだね、私」


 サヤ子は笑いながら泣き続ける。


 「…違う。青山くんがばかなんだ」


 サヤ子が顔を上げて、俺と視線を合わせた。


 「うん」


 サヤ子の瞳に、どうしようもなく馬鹿な俺が映っていた。


 「青山くんは、私の事なんか好きじゃなかったよ。だから、色んな子に目が行ったんだよ」


 悲しそうに笑うサヤ子。


 そうじゃないのに。違うのに。


 サヤ子の事、好きだったのに、大好きだったのに浮気した。


 この矛盾を理解しろと言うのが矛盾している。


 分かってる。分かってるけど…。


 「サヤ子の事、本当に好きだった。大好きだった。今だって」


 説明も言い訳も出来ない。


 でも、この気持ちは本当なんだ。


 「信じられないよ。私、もう傷つきたくないよ。あんな思いしたくない」


 サヤ子が肩をガタガタ震わせて泣いていた。


 「約束する。もう、泣かせないから」


 震えるサヤ子の肩を掴んで抱き寄せようとした時、サヤ子が俺の手首を握って止めた。


 「そんなに簡単じゃない」


 当然だ。サヤ子が、俺の言葉を簡単に信じられるわけがない。


 「…ごめん、頭痛い。…寝かせて」


 サヤ子は俺から離れると、ベットに潜り、声を出さない様に泣いた。


 これみよがしに号泣してくれればいいのに。


 こんな最低な俺なんか、罵倒して追い詰めてよ。


 その夜は、サヤ子の鼻をすする音と、小さくしゃくり上げる声がずっと聞こえていた。





 翌日目を覚ますと、隣のベッドで寝ていたはずのサヤ子の姿がなかった。


 リビングに居るのだと思って向かうと、サラさんと旦那さんのダンさんがコーヒーを飲みながら談笑していた。2人の方へ歩み寄ると、


 「GOOD MORNING. SHOTA」


 サラさんが俺に気付いた。


 「グッモーニン」


 なんとなく英語っぽく挨拶してみたが、やはり恥ずかしいくらいのカタカナ英語が飛び出す。


 「ドゥー ユー ノウ ウェア イズ サヤコ??」


 続けざまにカタカナ英語をもう1発。


 合ってる? 『サヤ子はどこ?』ってこの英語で合ってる??


 こんなに簡単な英語にさえ自信がないのが情けない。


 「SAYAKO? SHE WENT TO CHURCH IN THE NEIGHBORHOOD」


 サラさんにはなんとか伝わったらしい。


 『CHURCH』って言った? 教会?


 「サンキュー ソー マッチ」


 確か、すぐ近くに教会があったはず。


 「SHOTA!!」


 玄関に向かおうとした俺をサラさんが呼び止めた。が、明らかに何かを言いたげなのに、英語の分からない俺に何て言えばいいのか分からない様子のサラさん。


 全くもって申し訳ない。


 …俺、サラさんのアシスト、無駄にしちゃったな。


 ポケットから携帯を取り出し、『あなたのアシストを無駄にしてしまいました。ごめんなさい』と打ち込んで翻訳してサラさんに見せた。


 「PLEASE GIVE ME LITTLE TIME. OK?」


 そう言うと、サラさんは急いで隣の部屋に行った。


 「SHOTA」


 リビングにいたダンさんが、俺の分のコーヒーを淹れながら手招きをした。


 呼ばれるままリビングへ行くと、隣の部屋からサラさんがノートパソコンを持ってこっちにきた。何やら打ち出すサラさん。


 『ごめんなさい。私が日本語を話せたらいいのに。携帯だと打ちづらいからパソコンで翻訳させて下さい』


 サラさんがノートパソコンの画面を俺の方に向け、打った文章を見せた。


 俺が頷くと、サラさんはまたキーボードを叩き始めた。


 『サヤ子が行った教会は、サヤ子がホームステイしていた時に毎日行っていた教会です。私はサヤ子に「私は、大好きな人に卑劣な事をし続けてしまいました。私はカトリックではないけれど、反省したら救ってくれはしないだろうか」と聞かれたので「イエス様はケチな方じゃないわよ」って答えたの。そしたらサヤ子は「そうですね」と言って毎日祈りを捧げに行ったのよ』


 パソコンの画面に並ぶ文字に、胸が、頭が、喉が、痛い。


 『サヤ子は今も救われていないみたいね』


 『あなたが救ってあげて』


 サラさんがパソコンの画面を見せながら優しく笑いかけた。


 「…俺じゃ救えない」


 でも俺は、笑い返す事など出来ない。


 「WHAT?」


 「アイ ライドゥ トゥ ハー シー イズント ナッシング バッド」


 「……」


 俺のめちゃくちゃな英語に、サラさんが首をかしげた。


通じない。情けない。なんで何にも出来ないの、俺。


 サラさんのパソコンに手を伸ばし、


 『俺がサヤ子に嘘を吐きました。何も悪くないサヤ子を傷つけました』


 そう打とうとした時、


 「I KNOW」


 ダンさんが俺の手を止めた。


 「WAS SHE IN LOVE WITH YOU?」


 『彼女が好きだった人って君?』って事かな。


 「ディファレント ナウ」


 今は違う。昨日、拒絶されたから。


 「WE CAN NOT CHANGE THE PAST BUT YOU CAN CHANGE THE FUNNY STORY TO HER PAINFUL PAST」


 ダンさんが俺の肩を掴み、俺の目を見た。


 ダンさんが言った言葉は不思議と訳せた。


 …不思議じゃねーか。普通に小学生でも訳せる単語並べてくれたんだろうな。


 俺、かっこ悪。ダンさん、かっこ良すぎ。


 「GO SHOTA」


 ダンさんが優しく俺の背中を叩くと、ダンの隣でサラさんが頷きながら微笑んだ。


 「アイム ゴーイング」


 リビングを飛び出し、教会へと走る。




 『過去は変えられないけど、辛い過去を笑い話に変える事は出来る』


 ダンさんが言った言葉。訳が間違っていなければ。


 『地面に頭擦りつけてでも謝れ』


 地面に穴あけてでも、頭蓋骨カチ割ってでも、許してもらえなくても、サヤ子の過去を、記憶を、思い出に変えてくるから。


 あの頃、サヤ子が毎日見ていた風景の中を駆け抜ける。





 教会の大きな扉を開けると、そこには誰もいなかった。


 サヤ子、どこ?


 ポケットから携帯を取り出す。が、またしまった。


 …俺、教会って初めて入ったかも。


 ここでサヤ子は毎日祈っていたんだ…。


 サヤ子に謝るのは、キリスト様に懺悔してからにしよう。


 左右対象に並ぶ長椅子の真ん中の道を、十字架に向かって前へと進む。


 ゆっくり歩いていると、斜め右の長椅子で何かが動いた。


 何!?

 

 恐る恐るその長椅子に近づくと、サヤ子が横たわって眠っていた。


 サヤ子の上まぶたは、蜂にでも刺されたかの様に腫れ上がっていて、頬には涙を流した跡が残っていた。


 サヤ子を通り過ぎ、1番前で祈る様に懺悔した。


 『サヤ子の痛みを全部俺に返して下さい』


 深呼吸してサヤ子の所へ戻る。


 涙に濡れたサヤ子の髪を撫でると、サヤ子が目を開いた。


 「ゴメン、起こした」


 慌てて手を引っ込める。


 「…寝ちゃってたんだ」


 サヤ子は乱れた髪を、顔を隠す様に整えた。


 「サヤ子に昨日言い忘れた事があって…」


 そう言うとサヤ子は『ビクッ』と身体を震わせて俺を見た。


 もう、いいや。


 サヤ子の辛い気持ちがなくなるだけでいいや。


 こんなに苦しそうなサヤ子に、『また俺の事、好きになって』なんて言えるはずがない。


 「ずっと、ごめん。嘘吐いて、裏切って、嫌な思いばっかりさせて本当にごめん。許してくれなくていいんだ。俺の事、信じてくれなくていいんだ。でも、サヤ子は何も悪くなかったって事は本当。これだけは信じて」


 サヤ子の顔が見れなくて、謝りながら下げた頭をなかなか上げられない。


 そんな俺の頭をサヤ子が優しく撫でた。


 あぁ、止まんない。 


 やっぱり、好きだ。


 でも、これ以上苦しめられない。



 「サヤ子、俺の事……振って」


 「…勝手」


 「…サヤ子?」


 ゆっくり顔を上げると、サヤ子が涙目で怒った表情をしていた。


 「浮気されて、迷惑がられて、それでも好きだった私の気持ちなんか分からないでしょ!?」


 サヤ子が両手で俺のシャツを掴んだ。


 「青山くんと同じ職場になって、普通に接してくれるのが嬉しくて、もう気持ち悪がられたくなくて、好きになっちゃいそうなの堪えて…」


 みるみる真っ赤になるサヤ子の顔。


 「昨日、嬉しかったのに…また辛い想いするのが嫌で…思い出しただけで苦しくて…」


 サヤ子が更に強く俺のシャツを握り締める。 


 サヤ子の唇が小さく震えている。


 その唇が、ゆっくり動いた。




 「…振らなきゃダメかな? …私…やっぱり、青山くんが…好きだ」




 心臓が、止まるかと思った。


 こんな事、好きで好きでしかたない人に涙目で言われて、心臓鷲掴みにされないヤツなどこの世にいるのだろうか。


 「俺も、好き」


 シャツを掴むサヤ子の手を、俺の背中にまわして抱きしめる。


 あぁ、もう今日ここで結婚式して帰りたい。


 つーか、決めた。ここで挙げる。 


 サヤ子にキスをしようと身体を少し離して顔を近づけると、


 「ねぇ、青山くん」


 喋るし。サヤ子、喋るし。


 「『青山くん』ヤメテ。結婚したら、サヤ子も『青山』だし」


 「けっこん!?」


 サヤ子が大きく目を見開く。


 …そりゃそーだ。


 自分だけ舞い上がって、結婚式シュミレーションを勝手に繰り広げてしまっていた。でも…。


 「…しないの?」


 これ、プロポーズなのかな。


 「だって、今日付き合ったばっかじゃん」


 これ、断られてるって事かな。


 「2回目じゃん」


 「え?」


 え? ってサヤ子。え? って。


 「誤解、解けたんじゃないの? 高校の時付き合ってたでしょ? 俺ら」


 「10年前じゃん」


 「サヤ子、変わってないじゃん」


 「変わったよ」


 何故かムキになり始めるサヤ子。


 「サヤ子は『こけしナイジェ』のまんまだよ」


 俺の言葉にサヤ子の右眉が『ピクッ』と動いた。


 「こけしじゃないよ!! 今なんて前髪のばして斜めに流してみたりしてるもん。こういう前髪、看護師の時は出来なかったんだよね。ピンで留めるか切るかしなきゃだったから」


 ヤバイ。サヤ子、話が脱線し始めている。


 「サヤ子、ゴメンだけど今サヤ子の前髪事情とかどうでもいいかも」


 話を戻そうとするも、


 「青山くんが『こけし』って言い出したんじゃん」


 話が逸れている事に気付かないサヤ子は、そのまま話し続ける。


 「『青山くん』じゃなくて『翔太』」


 どうでもいいけど、付き合ったなら名前呼びして欲しい。


 「…しょ…翔…無理でしょ。今更無理でしょ」


 名前を言いかけて拒否するサヤ子。


 なんで『好き』って言えて『翔太』は言えないんだよ。


 「無理無理ムリムリ。ずっと『青山くん』とか絶対嫌」


 ここで『青山くん』を容認してしまったら、これから先も『青山くん』のままになってしまう。


 「…翔…名前呼んだら、昨日撮ったキョドリ顔の写真消してくれる?」


 何だかんだ理由をつけて俺を名前で呼ぼうとしないサヤ子。


 「分かった。写真はこれからいっぱい撮れるしな」


 サヤ子の頭を『ポンポン』と撫でると、サヤ子は『ヴゥん、あー、あー、あー』と喉を慣らし始めた。かと思えば『ふーふー』深呼吸し始めるし。


 名前呼ぶのって告白するより緊張するの?


 今にも血が吹き出しそうなほど真っ赤な顔のサヤ子が口を開いた。


 「……しょう…た」


  涙目になりながら俯くサヤ子の顔を『グイッ』と持ち上げキスを…。


 「あの…」


 またも喋り出すサヤ子。


 空気読めよ。今、キスするとこだろ。どう考えても。


 …サヤ子、キスしたくないの?


 「私たちは…キスとか…するのでしょうか?」


 意味の分からない質問をするサヤ子。


 「逆に、しないのでしょうか?」


 サヤ子に質問返し。


 「…今更出来なくないですか?」


 「出来なくないですよ」


 むしろしたいですよ。やる気満々ですよ。なんなんだよ、さっきから『今更』って。


 「今まで自分の事をストーカーだと思ってたから…今更そんなに簡単に切り替えられないよ。ストーキングしてた人に、そんな事できないよ」


 「誤解だって言ってるじゃん。サヤ子はそんな事してない」


 「…うん。でも、今まで思い込んできた事を急にひっくり返されて…頭がついて行かない。でも…それでも私、翔…太が好きなんだ。ちょっとだけ、気持ちを整理する時間くれないかな…」


 俺を見つめるサヤ子の瞳から戸惑いが読み取れる。


 俺、何1人で浮かれてんだろ。


 「…待つ…けど、手は繋いでもいい?」


 サヤ子の返事を待たずに、サヤ子の指の間に自分の指を絡める。手だけでも触れていたい。


 「翔太…恥ずかしい。…もう、何もかもが恥ずかしい。今更名前で呼ぶとか恥ずかしい。手とか、すっごい汗出てきたし。もう、どうしたらいいか分かんない!!」


 なんだかんだ調子を取り戻してきたサヤ子。


 照れるサヤ子はやっぱり面白い。照れてなくても面白いけど。


 「何か食いに行かない? 俺、腹減った。久々に走ったし」


  繋いだ手を引っ張ると、


 「うん」


 サヤ子が握り返してくれた。


 手繋いだの、いつぶりだろ。


 この歳になると、女と手を繋ぐなんて事もなくなっていたけど、手って、繋ぐだけでなんか楽しい気持ちになるもんだったんだな。…とか、考えていた帰り道。


 隣のサヤ子はと言うと、


 「安田を呼ぶノリで『翔太』って言っちゃえばいいのか!! 文字数一緒だし。なんか私、イケるかも!!」


 などと『ナイジェ』を彷彿とさせる独り言を連発していた。


 うん。やっぱり俺は、サヤ子が大好きだ。


 手を繋ぎながら、サヤ子が留学していた時によく行っていたというパスタ屋さんに行った。


 いつも食べていたというパスタを食べながら、その頃の話をいっぱいした。


 ニコニコしながら思い出を話すサヤ子。


 「俺も一緒に留学したかったな」


 「え?」


 「あ、イヤ。留学決めたの、俺のせいだって分かってるんだけどさ。サヤ子、楽しかったんだなーって。その時間、俺も一緒にいたかったなーって。…自業自得なんだけどさ。でも留学してもっと英語喋れてたら、ダンさんやサラさんやリサとだって、もっと会話弾むのに色々もったいない事したなーって後悔した」


 後悔の余りパスタ巻すぎて、フォークに分厚く絡まる始末。


 「…それ、どうやって口に入れるの?」


 すかさず突っ込まれるし。流石サヤ子。


 「は? 余裕ですけど」


 後悔がやけくそに変わり、強引にパスタを口に運んだ。…事をやはり後悔する。


 口の中いっぱい過ぎて、まず咀嚼困難。故に飲み込めない。


 そんな俺を見て『ニヤリ』と笑ったサヤ子は、ここぞとばかりに鞄からデジカメを取り出しシャッターを押した。サヤ子、爆笑。


 「私、今すっごく楽しい。こんな事を言うと、私の人間性を疑われ兼ねないんだけど、翔太が後悔してくれた事、なんか嬉しかったりする」


 大好きな人が、目の前でこんなに可愛い事を言っているのに、何故俺の口はパスタでいっぱいなんだろう。


 情けなくて、情けなくて、すげぇ楽しい。


 


 食事が済み、パスタ屋を出ると、サヤ子が通ってた道を散歩した。


 サヤ子の留学の話、看護師の頃の話。俺の大学院の頃の話、教師になってからの話。手を繋いで歩きながら、お互いの知らない時間を埋める。


 全然話が尽きなくて、それどころか話足りなくて、時間を忘れて楽しい時間を過ごしていた…ら、夕方になっていた事に気付く。俺ら、どんだけ?


 サラさんの家に帰ると、手を繋いだままだったらを俺見て、ダンさんがニヤニヤしながら自分の肘を『このこのッ』と言わんばかりに俺に擦りつけてきた。


 この世代の人間は、アメリカ人でも『このこの』ってやるんだな。


 俺の背中をカッコイイ言葉で押してくれたはずのダンさんは、夕食時でさえニヤニヤが止まらず、ついにはサラさんにおでこを叩かれる始末。


 いいなぁ、この夫婦。


 「いいなぁ、この夫婦」


 俺が思った事をサヤ子が口にした。


 「なろうよ。俺らも」


 隣に座るサヤ子の手を、ダイニングテーブルの下でそっと握ると、サヤ子が俺を見てニコっと笑い、


 「HE SAID…『オイ!!』


 今俺が言った事をサラさんとダンさんに訳そうとした。のを慌てて止めた。


 そんな俺に驚くサヤ子。イヤイヤ、俺の方がですよ。俺を辱める気かよ、サヤ子。と、こんな様子でさえダンの目にはラブラブに映るようで、最早ニヤつきが止められないようだった。ので、サラさんの2発目のデコビンタをお見舞いされていた。よっぽど、そっちの方がラブラブに見えますがねぇ。本当この夫婦、最高だ。


 「本当この夫婦、最高」


 サヤ子が笑いながら、また俺が感じた事と同じ事を言葉にした。


 夕食を食べ終え、サヤ子がお風呂に入っている時に森田に電話をして事の成り行きを報告。


 『…教会で、告って、実って…キスなし…クックック。そして手繋いで帰宅…って幼稚園児か!!』


 森田、大爆笑。何故かリサの笑い声まで聞こえる。


 「リサ、なんで笑ってんの?」


 『え? この電話、スピーカーにしてるから』


  何か問題でも? くらいのテンションの森田。


 「はぁ!? この話聞いたらまたリサにバカにされんじゃん」


 『はぁ? 何? リサだけ仲間外れにする気かよ、チンカス翔太』


 あぁ、ここにも厄介なラブラブ色ボケバカ野郎がいたよ…。


 『でもよかったな、翔太』


 「うん。サヤ子、勘違い激しいし鈍感だからマジ苦労したし」


 『ハァ? ナニイッテルノ? コノウンコヤロウ』


 この祝福和やか空気の会話の中を、リサが割って入る。


 チンカスからウンコヤロウになってるし。


 『ゼンブ ショウタノセイデショ!! サヤコハ イママデ ダレカカラノ コウイヲウケテモ “カンチガイシチャイケナイ” ッテオモッテイタンダカラ!!  ソウサセタノ、アンタデショーガ!!』


 キレながらこんなに日本語が出てくるリサは、きっとものすごく日本語勉強しているんだろうな。…つーか、そうじゃなくて。


 「…そっか、俺まじでバカ」


 本当にバカだ。


 サヤ子は、勘違いしない様に鈍感になるしかなかったんだ…。


 『ワカレバイイヨ ジャア』


 ――――プ。


 …本当に俺の周りの人間は、電話の切り方が雑。






 「翔太、電気消すよ?」


 「うん」


 サヤ子が風呂から上がり、俺も風呂に入り、そのあとまた喋り倒してもう2時を回っていた。


 それぞれのベッドに潜り、寝ようとしたけど、


 「…サヤ子、そっちに行ってもいい? 何もしないから」


 どうしても1人で寝たくなかった。サヤ子の匂いや温もりを感じながら眠りたい。


 「…うん」


 サヤ子は一瞬戸惑いを見せながらも、身体をずらして俺のスペースを空けてくれた。


 サヤ子のベッドに入り、サヤ子をそっと抱きしめる。


 そして後悔。


 これ、まじで拷問。…って、自ら招いた拷問だけど。


 やっぱダメなの? これ以上しちゃダメなのか?


 「サヤ子…ダメ?」


 「え? …ダメってゆーか…ちょっと、本当にもうちょっとだけ待って」


 「…だよな。ごめん、おやすみ」


 あぁ、もうふて寝するしかない。ぎゅうっと目を瞑り、欲求に耐える。


 何でこんな事に…って俺のせいだし。


 「…翔太」


 サヤ子の声が聞こえる。


 「……」


 が、返事をせずに寝たフリを決め込む。


 「寝た?」


 「……」


 これ以上起きてるとしたくなる。もう寝かせてくれとばかりに、サヤ子に返事を返さずにいると、俺が眠ってしまったと思い込んでいるサヤ子が、


 「好きだよ、翔太」


 と呟くと、俺の唇に何かが当たった。


 目を開けるとそこにはサヤ子の顔があって、俺から唇を離すサヤ子と目が合った。


 「…うわぁぁぁぁあああ!! 寝たんじゃなかったの!?」


  悲鳴をあげながら後ずさるサヤ子。


 「うるさいよ、サヤ子。何寝込み襲ってんの?」


 俺と距離を置こうとするサヤ子の腕を掴み、自分の方に引き寄せる。


 「…イヤ…練習しようかと…」


 恥ずかしいのか、布団の中に潜ってしまったサヤ子。


 練習て。じゃあ目開けなきゃよかったじゃん。


 「もっとする?」


 わざと布団を捲り上げて、サヤ子の顔を見ようとすると、


 「ッッツ!!」


 咄嗟にサヤ子が顔を背けた。


 サヤ子の頭を撫でると、頭皮が熱くなっていて、サヤ子の体温が上がってるのが分かるくらい、サヤ子の周りの布団の温度が高い。


 恥ずかしさの余り、悶絶するサヤ子をいじめたくなった。


 「あんまり焦らすとまた浮気しちゃうよーん」


 笑いながら冗談を言った…つもりだった。


 『グスッ』サヤ子の鼻を啜る音が聞こえた。





 「……しよう、翔太」


 サヤ子が俺のTシャツを握った。


 何やってんの、俺。ばかじゃねーの、俺。


 待つって言っておいて、何回嘘吐くの? 何回傷つけるの?


 「サヤ子が気持ちよくなきゃ意味ないじゃん」


 泣きそうなサヤ子を抱きしめる。


 「…いいの? しなくて」


 「うーん。イヤ、良くない。正直、サヤ子と出来ないこの状況は、心から残念極まりない。でも、サヤ子が俺を『好きだ』って言ってくれるだけで、心の底から幸せこの上ない。…だけど、できれば早く心の整理してね」


 サヤ子の頬を撫でると、サヤ子は安心した様に俺の背中に手を回した。


 「…翔太が好きだ。…幸せ?」


 「うん。幸せ。俺もサヤ子が好きだ」


 気持ちを伝えあって、抱き合いながら眠った。




 それから、サヤ子と色んな所へ行って充実した日々を送り、帰国する日が来た。


 森田とリサが空港まで見送りに来てくれ、サヤ子とリサは抱き合って号泣中。


 「森田、泣かないん?」


 「翔太こそ、泣いとけよ。今、泣き時なんじゃね?」


 今生の別れかの様に涙を流す女2人に、若干引き気味の男2人。


 「なぁ、翔太」


 「ん?」


 「言っなかったけど、俺。大学の時サヤちゃんに告って振られてんだよね。なんか翔太、『自分が邪魔したせいで』みたいな勘違いしてたみたいだから一応言っとく」


 森田が今更な事を今更言った。


 「何故もっと早く言わんの? つーか、いつ告ったん?」


 「留学する直前。どうしても言っておきたくてサヤちゃん、待ち伏せたよねー」


 俺がずっと気にしていた事を、あっけらかんと話す森田。


 よねーって…。


 「つーかさぁ、森田はサヤ子とずっと連絡取り合ってたんだよな? 『実は翔太の事は誤解で…』的な話にはなんなかったわけ?」


 「あぁ、翔太の話は暗黙の了解で禁句みたいになってたし。サヤちゃんがしたくなさそうだったからなー」


 更に森田は、俺が傷つく事もサラっと話す。


 え? かなりショックなんですけど。そんなに嫌われてたんだ、俺。


 森田が、あからさまにうなだれる俺を見て笑った。


 「まぁ、誤解解けたんだからいいじゃん。もう泣かすなよ。つーか、搭乗時間だし」


 森田が俺の背中を叩いた。


 「おう。またな。ありがとな、森田。めっさ楽しかった」


 「俺も」


 森田とリサに手を振って飛行機に乗り込んだ。




 「俺、英語勉強するわ。サヤ子、教えてよ。つーか、リサってどんくらいであんだけ日本語喋れる様になったの?」


 予想以上にアメリカが楽しすぎた。来年の夏休みも…というか、冬休みにも行きたい。その時には、もう少しサラさんやダンさんとコミュニケーションを取れる様になっていたい。


 「んー。2年くらいかな。まぁ、リサは気合が違うじゃん」

 

 サヤ子が隣の席でブランケットを膝の上で広げながら、何の気なしに応える。


 「と、言いますと?」


 「リサ、『私が日本に住めば何の問題もなく結婚出来るから』って言ってた」

 

 リサ、知ってたんだ。森田の親が森田のアメリカ永住を反対してる事。


 つーか…え!?


 「つーか、なんでそれ早く言わないかな!! リサ、アメリカ離れても別にいいって?」


 「元々イギリス人だしね」


 シレっと答える、サヤ子。


 「森田、リサがそんな事を考えてるって知らないから、めっさ頑張って、親を説得してアメリカ残ろうとしているんだよ。早く森田に教えてやらないと」


 まだ離陸前だったのを、『今がチャンス』とばかりに、ポケットから携帯を取り出し、森田にメールを打とうとすると、サヤ子が携帯の画面に手を置き、メールの作成を阻止した。


 「リサが自分の口から言わない事を、翔太が伝えてどうすんの。もう少し発音が上手に出来る様になったら、直接森田くんの両親に挨拶に行くって、リサが言ってた」


 「カッコイイな、リサ」


 「森田くん、いい子捕まえたよね」


 サヤ子の言う通り、リサは確かにいい子。だけど、


 「俺の方がいい子捕まえたし」


 俺にとっては、サヤ子の方がいい子。サヤ子の手を握ってチラっとサヤ子に目を向けると、


 「…恐縮です」


 サヤ子が照れながら、でも嬉しそうな顔をした。


 「ねぇ、サヤ子。大学の時、なんで森田の事振ったの?」


 リサはいい子。森田もいい奴。なんでサヤ子は森田と付き合わなかったのだろう。


 サヤ子の顔を覗き込むと、サヤ子はフイっと窓の方に顔を向け、


 「…翔太の事、しぶとく好きだったからだよ」


 ポソっと小声で答えた。


 窓には恥ずかしがるサヤ子の顔が映っていて、もう、愛おしくてたまらない。


 あぁ、愛おしすぎて食べてしまいたい。


 人が何故キスをするのか分かった気がする。食べたい願望からだ。絶対。


 でもこれを口に出すと違う意味にとられて、サヤ子がまた変なプレッシャーを感じてしまうだろうから敢えて言わない。





 あー、もう。違う意味でも食いてぇ。

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