コケシ is ナイジェ。
〔金曜日19時、ココ。サヤちゃん、絶対連れて来いよ〕
後日来た森田のメールには店の名前と地図が添付されていた。
メールの文面から、サヤ子が森田に飲み会不参加を表明したことが伺える。
翌日、自転車で登校するであろうサヤ子を、職員用駐輪場で待ち構える。
サヤ子をストーカーに仕立て上げた張本人が、平気でストーカー行為をする。
こうでもしないと、あんだけキレた俺をサヤ子は避けるだろうと思ったから。
てゆーか俺、サヤ子に嫌われたかも。
つーか、そもそも嫌われてたのに、サヤ子は優しい奴だし仕事を円滑に進める為にも、嫌々俺と接してくれていたのかも。
俺、嫌われて当然の事してきたしな。
「青山先生? お…おはようございます。何してるんですか??」
考え事をしていると、サヤ子が自転車を引きながらやってきた。
引き攣る顔を無理矢理笑顔にしている様に見えるサヤ子。
「サヤ子の事を待ってた」
「…え?」
サヤ子の自転車を停める手がビクッと震えたのが分かった。
そんなに怯えなくても…。
「サヤ子金曜日、来ないの?」
「あ、はい。やっぱり私がいたら邪魔だろうなと思って…」
考える素振りもなく、あっさり『はい』と返事をするサヤ子。
久々の森田との再会の期待より、俺といる嫌悪感の方が勝るって事だろうか。
「俺を嫌がるのは分かるけど、久々に帰国する友達に会わないとか、酷過ぎねぇ?」
言ってから後悔。俺、何で揚げ足取ってんの。
「そうじゃなくて「ゴメン。朝っぱらから嫌な事言って。森田もサヤ子に会いたいだろうし、俺もサヤ子と飲みたいんだけど」
サヤ子が何か言おうとしていたのは分かったけれど、またサヤ子に謝らせそうだったからわざと被せた。
チラっとサヤ子の顔を見ると、サヤ子は一瞬迷って、
「…金曜日、楽しみにしてます」
と、困った様にだけど、少しだけ笑ってくれた。
良かった。サヤ子を連れて行ける。
----―――――金曜日、サヤ子と一緒に森田が予約してくれた店に向かった。
そこは、ちょっと小洒落たバル。森田、久々に日本に帰ってきたっていうのに、バル。別に好きですけどね、バル。黒ビール飲みたいですしね。
心の中で色々と森田に突っ込みを入れながら、店員の案内で店の奥に進むと、
「久しぶり。サヤちゃん、翔太」
森田は先に来ていて、『ヘイヘイ、カモンカモン』くらいの手招きをされた。
「久しぶり。森田…なんかワイルドになってね?」
久々に見た森田は、日焼けなんだか日サロなんだか分からないが、ちょっと小麦色になっていて、さっきの手招きの件も合わせて日本人離れしてしまい、かといって何人なんだか分からない風貌になっていた。
「確かに。なんか、日本人っぽくなくなってるかも」
サヤ子と意見が合致し、2人で吹き出してしまった。
一緒に笑えた事が、なんか嬉しい。 出オチさんきゅう、森田。
「久々に会って1発目の言葉がそれかよ、2人共。つーか、注文するの面倒だから、コース料理にしといたよ。飲み物だけ決めて」
森田は呆れながら、俺らにドリンクメニューを手渡した。
森田が色々仕切ってくれて助かる。
森田に促されるまま、サヤ子と飲み物を注文し3人で再会を乾杯。
「サヤちゃん、キレイになったね。翔太は相変わらずだな」
森田が、サヤ子には微笑み、俺にはしょっぱい表情をしてみせた。
そういえば、森田も昔サヤ子の事が好きだったんだよな。
俺が邪魔したんだけど。てゆーか俺、その事について謝ってないじゃん。
…にしても、サヤ子に気がある奴がサヤ子を褒めるって、なんかムカつく。
「それは褒め言葉なのか、元々が相当ヒドかったのか…」
とは言いつつも、森田の褒め言葉に明らかに喜んでいるサヤ子。
「かっわいくないなー。素直に喜べがいいのに」
「喜ばねぇよ。俺、『相変わらず』なんだろ?」
なんかイラっとするから、サヤ子と森田の会話にちゃちゃを入れる。
「俺だって『日本人っぽくなくてワイルド』なんだろ? 俺、何モンなんだよ?」
森田と俺の会話にサヤ子がお腹を抱えて笑った。
サヤ子が楽しそうにしてると、俺も楽しい。
暫く談笑をしていると、
「そういえばサヤちゃん、夏休み来れる事になった?」
「でも、本当にいいの?」
「もちろん♬ 溜まったマイル、サヤちゃんが使ってくれないと無効になるだけだし」
森田とサヤ子が訳の分からない話を始めた。
「何の話?」
「あぁ、『今年の夏休み、俺のマイル使ってアメリカにおいでよ』って話をサヤちゃんにしてたんだよ」
『ねー』とサヤ子に同意を求める森田。
何だそれ。森田、電話でそんな話1回もしてねぇじゃねぇか。
「…聞いてねぇ」
「言ってないし。今俺が住んでるとこ、サヤちゃんが留学してた時にホームステイしてたとことそう遠くないからさぁ。久々にホストファアミリーに顔出しに行くのもいいんじゃん? って話してたんだよ」
『ねー』と再度サヤ子に向かって首を傾ける森田。
コイツ…。俺の知らない所でこそこそと。
「サヤ子も俺に全然言ってくれないのな」
サヤ子もサヤ子だ。この話といい、安田とのキスといい、何故俺に隠すんだ。…イヤ、報告の義務はないんだけれども。モヤモヤするだろうが。
「この前言おうとしたんだけど…」
あ、そういえば、駐輪場でサヤ子が何か言おうとしたの遮ったかも。
あぁ。あれは『アメリカで森田に会えるから、今日は遠慮します』って言おうとしてたのか。
…てことは、俺と飲むのが本気で嫌で、今日の飲み会断ろうとしてたんだ。
ヤバイ。相当ショック。
「…森田くんに甘えてアメリカ行かせてもらおうかな…」
「うん♬ おいでよ。つーか、約束。今の言葉に変更は許しません」
俺が落ち込んでる間に、サヤ子と森田の話は進んでいた。
…アメリカで、サヤ子と森田が2人で会うの?
森田…実はまだサヤ子が好きなのか?
…無理!! 絶対無理!!
「俺も行く」
『え!?』
俺の予想外の言葉に、サヤ子と森田が驚いて俺を見た。
「どうでもいいけど、マイルはサヤちゃんの分しかないぞ。翔太は自腹」
「いいし!! 問題ないし。真面目に先生やってるから、アメリカ行くくらいのお金あるし」
異国で気分が盛り上がた男女に何か起こっても不思議じゃない。
2人きりになんてさせない。
教員のボーナスナメんなよ、森田。『自腹』と言われて怯む俺じゃねぇんだよ。
「イヤイヤ、『真面目に』は嘘だろうが。つか、今からホテルなんか取れるかな?」
次はホテルの話を持ち出してグダグダ言い出す森田。
「森田ん家泊めろよ」
「はぁ? 無理。」
「何でだよ」
森田、俺のアメリカ行きを阻止しようとしてんのか?
「…ホストファミリーに聞いてみよっか? サラさんの家、お部屋いっぱいあったし、青山くんも泊めてくれるかも」
森田に拒否られ続ける俺を見かねたのか、サヤ子が助け舟を出してくれた。
「まじか!! 是非とも聞いて。今すぐ聞いて!!」
すぐさまその船飛び乗ろうとするも、
「今すぐ!?」
俺のがっつき具合に引き気味になるサヤ子。
「今すぐ!!」
それでもグイグイ責める。だって、サヤ子からこんな事言ってくれるという事は、俺、そこまで嫌われてないのかもしれない。
二重で嬉しい。
俺の勢いに押されて、サヤ子が携帯を取り出し、メールを打ち始めた。
「今日中には返事来ないと思うから、サラさんから連絡きたら教えるね」
メールを送信し終わり、携帯を鞄にしまおうとするサヤ子の手を止めた。
「イヤ、メールじゃなくて電話しろよ」
待ってる時間がそわそわするだろーが。
「翔太ー。だから、時差考えろって」
森田が呆れながら頬杖をついた。
そうだった。時差がある事をまたすっかり忘れていた。
「だな」
サヤ子の手をそっと離すと、
「早ッ!! 返信来た。OKだってさ」
サヤ子が携帯の画面を俺の目の前に翳した。
が、しかし携帯の画面見せられたところで、英語ばっかで何が書いてあるのかさっぱり分からない。
「じゃあ、青山くんの分もチケット取るよ?」
とりあえず、泊まれる場所は確保出来たらしい。
「お願いします♬」
何はともあれ良かった。
やばい。楽しみすぎる。今年の夏休みはサヤ子と旅行だ♬
「青山先生、夏休みにサヤ子センセとアメリカ行くんですね」
月曜日の放課後、帰宅準備をしていると安田に話し掛けられた。
「あ、サヤ子に聞いたんだ?」
「…まぁ。サヤ子センセに桜井先生との事、話してないんスね」
安田は、夏休みに胸を躍らせている俺の態度にイラっとしている様で、面白くなさそうな表情をしていた。
「何で?」
「サヤ子センセ、気にしてましたよ」
安田のまどろっこしい話し方に、俺も若干イラつく。
「何を?」
「『大学時代の共通の友達に会いに行くとはいえ、2人で旅行に行って、部屋は別でも同じ家に宿泊とか、桜井先生にとっては絶対嫌だと思う』って」
安田の言葉に、1人浮かれていた自分が恥ずかしくなった。
でも、サヤ子らしいなと思った。
「『それは青山先生がなんとかする問題だから、サヤ子センセが気にする事じゃない』って言っときましたけど」
安田のサヤ子に対する返事が引っかかった。
安田は、サヤ子と俺が旅行に行く事は嫌ではないのだろうか。
「『じゃあ行かなきゃいいじゃん』とは言わないんだ?」
「青山先生が行くの辞めれば、サヤ子センセだって気兼ねなく行けるって事、分かってます?」
安田は、やっぱりサヤ子と俺が一緒に旅行するのは嫌らしい。
「サヤ子センセも桜井先生も、青山先生に傷つけられなきゃいけない理由なんかないのに、2人共心を痛めてるのが青山先生には分からないんですか?」
そして、俺を責める安田。
安田の言葉が胸に刺さる。でも、
「俺は『分かんない』わけじゃねぇ。ただ、『気付けない』だけ。確かに安田の言う通りだな。言われるまで考えもしなかったわ」
俺は昔から、事を未然に防げない。何かが起こってからでないと、事態の悪化に気付かないくらいの無神経な人間だ。
「え? ばかなの?」
カチンとくる安田の言い方。でも、その通りだから言い返せない。
「それに、アメリカには絶対に行かなきゃなんねーの」
「なんで?」
間髪入れない安田の返し。
なんでって…話すと長くなるしなぁ。
「…奢ってやるから飲み行くぞ」
空き腹の放課後に、恋愛話を繰り広げられるほど青春真っ只中ではないし、この年でこの手の話は、酒でも入らないと恥ずかしすぎて出来ない。
「今日、月曜ですけど」
しかし、つい最近まで青春しまくっていた安田は、別に恥ずかしいとは思わないらしく、『今ここでして下さいよ』くらいのテンションだ。
「安田、この前まで大学生だったろ。毎日合コンしてたっしょ。曜日とか気にすんなよ。明日の仕事なんか若さと気合で乗り切れって!!」
『早く行くぞ!!』とばかりに、テンション低めの安田のケツを『バシッ』と叩いた。だって、酒の力がなければ喋れる気がしない。
「もー。この先輩めんどくさい」
安田はダルさを全面に押し出しながらも、しぶしぶ自分の鞄を持った。
明らかにウザそうな顔をされたが、気にしない。つーか、敢えて気に止めない。そして空気だって読む気なし。
「じゃ、行くべ」
安田の肩を『ガシッ』と勝手に組む。
「いつから仲良しになったんだっつーの」
そんな安田の言葉も聞こえなかった事にして、そのまま学校を出ると、渋ーい顔の安田を飲み屋まで引きずった。
「で?」
席につき、乾杯もせずに本題に入ろうとする安田。
「ハイ、お疲れー」
そんな安田をスルーし、ビールを持った手を突き出し乾杯を促す。
「あー。もー。自分が世界の中心かよ、このヒト。ハイ、お疲れ様でーす。かんぱーい」
安田は面倒臭そうにビールを持ち、俺のグラスにぶつけ、勢いよく喉を鳴らしながら飲んだ。
あっという間にビールを飲み干した安田が口を開く。
「で、青山先生がアメリカ行かなきゃいけない理由って? あ、すいませーん、生中と串盛りと漬け盛りと刺し盛りくださーい」
完全にスイッチの入った安田が注文をしながら俺に話かけた。
盛り盛りもりもり、腹ペコか、安田。
「盛ってばっかだな。あ、生中もう1つ。んーとな、アメリカの友達ってゆーのが、まぁ、大学時代にサヤ子の事好きだったわけ」
俺も負けずにグラスを空ける。
「だからか。その…森田さん、でしたっけ? とサヤ子センセは付き合ってはなかったんですか? ほい、どーぞ」
安田は店員が運んできたビールを受け取ると、俺の方に置いた。
さりげなく食べ物も俺が取りやすい位置に置く安田。
俺、コイツ嫌いじゃないかも。
「付き合ってはない。…俺が邪魔したから」
ビールに口をつけながら邪魔した内容を安田に話す。
「ふーん」
「『ふーん』て」
「だって、好きだったらそれぐらいするっしょ。まぁ、やり方幼稚だなーとは思ったけど」
そう言いながら、空いたグラスを店員が持っていき易い位置に片す安田は、俺より気が利く分、俺より傷つけてきた人も少なく、俺より大人なのかもしれない。
「サヤ子センセは、なんで自分の事をストーカーだと思っているんですか?」
「大学の時さ、俺、サル期でさ。サヤ子の事大好きだったのに他の女とヤリまくってて…んで、狙ってた女に「彼女いるくせに」的な事言われて『サヤ子は彼女じゃない。付きまとわれてるだけ。ストーカーかと思う』みたいな事言ってたのをサヤ子が聞いてた」
「……最低すぎる」
『はぁ』安田が溜息を吐いた。
「ホントにな」
気まずさの余り、串盛りを訳もなくいじり倒していると、安田が箸で串から肉を抜き取って小皿に入れて俺に渡した。
安田は70%の水分と29%の優しさと1%の生意気で出来ているに違いない。
「…お前、イイ奴すぎない?」
「普通でしょ。青山先生は基本いい人だと思うし、勉強も仕事も出来るけど、致命的に中身がコドモ」
安田が『フッ』と笑った。
「安田って長男だろ? 面倒見良すぎ」
「当たり。弟が1人いますよ。青山先生ってひとりっこでしょ」
「うわー。滲み出ててたか!! ひとりっこ気質が!!」
「イヤ、溢れ出てる。大洪水。」
安田がケラケラ笑った。
けなされてるのに何故か楽しくなってきてしまった。
アルコールマジックか?
「青山先生って、高校の時もサヤ子センセの事を好きだったんですか? あ、枝豆とほっけと、揚げ盛りとウーロンハイくださーい。青山先生、グラス空いてるじゃないッスカ。何飲みます?」
安田が店員を呼び、メニューを俺に渡してきた。
だから、なんなの? なんでこんなに気が利くの? これって普通なの? 俺が人一倍気が利かないだけなの?
「安田って『なんとか盛り』好きだよな。あと、ジントニックと厚焼き卵も。高1からずっと好きだったんだなー、サヤ子の事」
「『なんとか盛り』のお得感、最高っしょ。つーか、何その年季入ったサヤ子愛。昔のサヤ子センセって今と違うの?」
酔っ払い始めた安田は、俺に友達感覚で話し掛け始めた。
それが、全然嫌じゃなくむしろ楽しい。
「サヤ子、今は真面目ぶってるけど、本当は変態か? ってくらい面白い奴でさー」
「あー、その片鱗はあるね。分かるわー」
安田は頷きながら、運ばれてきたものを綺麗にテーブルに並べた。
酒入っていてもこんな事を無意識で出来る安田は、絶対にA型と密かに断定。
「俺、高校デビュー組でさー、目立つ男子グループに入ってはギャルな女と騒いでた様な奴で。サヤ子はギャルでもダサくもなくフツーの女子高生で。でも、サヤ子はいっつも笑って楽しそうだったんだよ」
「見えるわー、チャラつく青山先生」
安田が目を閉じ、想像の中の俺をケタケタ笑った。
「サヤ子はいっつもリブってコと一緒いて、ちなみにリブとサヤ子は同中で、リブからサヤ子は『ナイジェ』って呼ばれてて」
「リブ? ナイジェ?」
安田は首を傾げながらも興味深々だった。
「リブは中学の英語の授業で『KEN IS READING THE BOOK IN LIVING』を現在系にしろって問題でまさかの『LIVING』の方のINGを取ったらしくて、英語大好きサヤ子が『LIV』ってドコやねーん!! って突っ込み入れた事から『リブ』になったらしい」
「やっぱ、サヤ子センセの友達も面白いヤツだったんすネ」
安田は壁にもたれながら笑っていた。
「サヤ子の『ナイジェ』の方がヒドイ。サヤ子って理数系が残念なくらい出来なかったんだよ。で、中学の時化学の授業を自分なりに楽しくしたかったんだろうな。化学記号の表の1番上に謎の『ナイジェリア』って文字を書き込んでたらしくて」
「?」
「ナイジェリアって一夫多妻制だろ? で、水の『H2O』ってHが両手広げてOと手繋いでるように見えるじゃん。『H2O』の記号の下に『さすがHってだけあってOという妻2人』ってゆー謎の物語を書いてたらしい。そこから『ナイジェ』」
「やめて。腹よじれる」
安田が腹を擦りながら笑う。
「サヤ子の伝説はまだまだあんだよ」
「聞きたい、聞きたい」
前のめりの安田。サヤ子、サヤ子の知らないとこで笑い取ってゴメンよ。
「サヤ子、英語好きじゃん? で、高校受験まで1ヶ月を切った頃、リブに突然『黄色人種飽きました』ていう理解不能の宣言したらしくて」
「もー。何ソレ」
「その頃の女子って、ギャル化に命かけ始めるじゃん。なのにサヤ子は外人になろうとしたらしくてさぁ。なれるわけねぇのに。で、普通やるとしたら、鼻にシャドー入れて鼻高く見せたりとかじゃん」
「うんうん」
「サヤ子は眉毛全部抜いて目の近くに眉毛書いたらしいよ」
「まぁ、外人って眉と目の間の距離近いもんね。もー、息出来ない」
笑いすぎて呼吸困難な安田。
「それが入試前だったから担任にすげぇ怒られたらしくて、サヤ子、それからしばらく眉隠しの為に強風ふいてもビクともしない、めっさ厚めの前髪作らされてた。だから、出会ったころのサヤ子はこけしバリのパッツン」
「写真ないんすか?」
「んー、実家帰った時探してみよっか?」
「本気で必死で探して!! 全力で見たい」
肩どころか手までも震わせて笑う安田は、上手く箸で唐揚げを掴めない様で、遂には挟むのをやめて唐揚げに箸をブチさして口に入れた。
「そんな、こけしサヤ子は外人に憧れてただけあって『ナイジェ』ってゆーあだ名、お気に入りだったんだよなー。呼んでくれるヤツなんかリブしかいなかったけど」
『ぐほッ』最早、安田に物を飲み込む力は無かったらしく、笑いながらも吐き出さない様に必死で口を両手で押さえていた。
「ウーロンハイで流し込め」
安田にグラスを手渡すと、安田はむせながらもグラスに口をつけた。
「で、サヤ子が『バシッ』
安田が投げたおしぼりが、俺の顔面を直撃した。
『サヤ子』って名前を聞くだけで笑ってしまうらしい。
安田、悶絶。どうにもこうにもも飲み込めずにいる。
しばし安田が落ち着きを取り戻すのを待つ。
「あー。お待たせしましたー。まじ窒息しかけた。あぶねー」
安田、生還。ようやく笑いを押さえ込んだ安田は、俺の分までホッケをほぐし始めた。
「話題変えっか」
サヤ子のオモシロ話はまた今度の方がいいだろう。もっかい話たら多分復活出来なさそうだし。などと、安田のほぐしたホッケを遠慮なく食いながら思っていると、
「変えなーい。サヤ子センセと青山先生って高校時代は付き合ってたの?」
懲りない安田は、サヤ子の話をやめないらしい。
「付き合ってた…はず」
「は?」
「俺、サヤ子に告ってないんだよね。だから『ストーカー事件』の時、サヤ子は一切否定しなかった。自分の事、ストーカーって思い込んじゃった…スイマセン、麒麟山」
落ちる気持ちを酒で誤魔化す。
「うーわ。ポン酒行っちゃたよ。そこ、割愛してイイッス。さっき聞いたし。じゃなくて、きっかけ聞きたい」
「…サヤ子を好きになったきっかけなんて、サヤ子にも話した事ないな」
サヤ子に話しておけばよかったな。
俺はなんでサヤ子に何も話してこなかったんだろう。
「安田は?」
「俺は…初日に既に好きになりましたね。俺、男の新人が俺しかいないって知ってたから、『俺が引っ張ろう』って意気込んでたんだけど…まぁ、空回っちゃって…そんな俺を楽しげにサヤ子センセが見てて…もっと笑わせたいなーって」
その時の事を思い出したのか、安田が柔らかく笑った。
「俺は…俺、高校の時もカッコつけてばっかでさ。さっきも言ったけど、人気ある男子とつるんで、ギャルかカワイイ系の女子と戯れるのがイケてると思ってたわけ。だから、スゲエ楽しそうにしてるサヤ子と喋りたかったのに、仲間の目が気になってなかなか話かけられなかったのな」
「ははは、ありがち」
安田が枝豆を食いながら相槌を打った。
そしてさりげなく、殻入れを俺側に置いた。
安田を躾けた親の顔が見てみたい。てゆーか、俺がこんなヤツになる前に俺の事も躾て欲しかったわ。
「で、どうにかしてサヤ子と喋りたくて、理由付けて放課後の進路相談の順番、サヤ子の次にしてもらってさ、サヤ子が俺を呼びに来る一瞬の2人だけの時間に賭けたよね」
「頑張ったねー、青山少年」
安田が『よしよし』と俺の頭を撫でた。
「イヤ、青山少年の頑張りはこっからだから」
自分の頭の上にあった安田の手を止めると『それでそれで?』と食いつく安田。
「サヤ子の志望大学を聞き出そうとして失敗して、そうこうしてたら担任が呼びに来て、サヤ子は帰ろうとするしで…でも、このチャンスは逃せねぇと思って、担任に『高村は俺と同じ大学に行く』って言って無理矢理サヤ子の志望校変えさせて…」
「強引極まりないな」
「『なんで?』って戸惑うサヤ子に『完全に勢い余った』とも言えずに『サヤ子だったら絶対夢叶えると思ったから、俺も頑張ろうって思えるから』ってカンジの臭い上にわけ分からんセリフぶっ放して…」
「くっさ。激臭。目にくる」
安田が目頭を抑えた。
「でも、サヤ子は顔真っ赤にして喜んでたし。だから、サヤ子は俺が毎日サヤ子達の会話を盗み聞きしてサヤ子を好きになったとは思ってなくて、『夢を追うサヤ子の姿』を好きになったと思ってたんじゃねぇかな」
「なんか、サヤ子センセが残念。高校の時は浮気しなかったんだ?」
「リブ、女子ボクシング部だったし」
『フッ』と吹き出した安田は『リブ』でもウケるらしい。
「ナルホド。しっかし、何故そのガッツを大学でも発揮しなかったかねぇ」
安田の言葉、耳が痛い。反射的に耳を覆う。
「塞ぐな塞ぐな、耳!!」
安田が俺の両手を耳から引き剥がした。
「サヤ子の事を傷つけ過ぎてどうすればいいか分かんなくなってさ。俺が頑張って近づいて、サヤ子の夢まで邪魔したくなかったし。…というのは建前で、本当は『このままサヤ子に会わなかったら、サヤ子の事忘れて違う子を好きになるだろう』って思ってたり…。実際、瑠美と付き合ったし」
「桜井先生の事、好きで付き合ったんですよね?」
さっきまで穏やかだった安田の目に力が入っていた。
「好きだったよ。凄く。正直、空気に流されてなんとなく付き合ったんだけど、だんだん好きになっていった。でも、瑠美が結婚を意識しだした時に正直迷った。瑠美の事好きだし、瑠美とだったら平穏な生活が出来るんだろうなって思ったけど…」
「けど?」
安田が刺す様な視線を向けてくる。
「…俺、サヤ子と別れてからサヤ子以上に好きになった奴いないんだよ。それなのに瑠美と結婚して、俺は幸せになれんの?? 瑠美を幸せに出来んの? ってさ」
「そんな時にサヤ子センセ登場?」
「まさしく。…すいません、越の寒梅」
どうしようもなくダメな俺がポン酒を求める。
「桜井先生にとっては、そんな事知ったこっちゃないっすネ」
安田の言う通りだ。
俺の事を本当に好きでいてくれた瑠美に、こんな話は受け入れられなくて当然だ。
「でも、青山先生に桜井先生は幸せに出来ないと思う。桜井先生には自分の気持ちとか、事実とかを話すんじゃなくて、桜井先生が納得出来る説明を、桜井先生が最大限傷付かない言葉でするべきだと思う。今まで青山先生を好きでいてくれて、大事にしてくれてきた人でしょ? 桜井先生は」
安田の言葉にハッとした。
俺、瑠美に一方的に自分の気持ちを話しただけだ。 何にも気遣う事なく。
確かに好きだった。間違いなく大切な人だった。瑠美の事。
『ずっと想い続けてあげられなくてゴメンくらいの気持ちでいて欲しいです』
朝倉先生の言っていた言葉を思い出す。
俺の方が年上なのに、安田や朝倉先生のほうがよっぽど人間が出来ている。
悔しい上、恥ずかしいけど…。
「安田も朝倉先生も、どんだけいい奴なんだよ。サヤ子がウチの学校に来た時『奇跡起こった』って思ってたけど、2人に会えたのも神様に感謝かも」
「ヤメテ。恥ずかしすぎてサブイボ止まんない。つーか、なんで朝倉先生? あ、いーや。本人に聞くから。あーもう!! ほんっとキモイ」
俺の感謝の気持ちは安田にとってはキモイのか…。
ショック。そして眠い。でもショック。ポン酒強ぇえ。
---------気がついたら、俺のマンションの玄関前にいた。
「鍵、鞄の中? スーツのポケット?」
どこまでも面倒見の良い安田が、酔いつぶれた俺を連れてきてくれたらしい。
「鞄に入ってる。つーか、自分で開けれるし」
鞄から鍵を取り出し、鍵穴に差し込もうとするが、穴に擦りもしない。
「おいおい。」
安田が呆れながら俺の手から鍵を抜き取り開錠すると、鍵さえ満足に開けることの出来ないベロベロな俺を玄関口に運んでくれた。
「あとは一人で大丈夫ですか? 水とかないなら買ってきますけど」
散々迷惑をかけているポンコツな俺に、最後まで気遣いを見せる安田。
「水、あるから。まじでゴメン。ありがとな。安田、最高にいい奴なのな」
「全然でしょ。俺、普通にまだサヤ子センセの事好きですよ? だから、青山先生から俺の知らないサヤ子センセの話聞けて嬉しかったし。それに、俺はいい奴なんかじゃないから、サヤ子センセの好きな人が誰なのか教える気ないですもん」
安田が不敵に笑った。
「安田、知ってんの!?」
「じゃ、おやすみなさーい」
安田が俺の質問を無視して、笑いながら手を振り玄関のドアを締めようとした。
「めっさ生意気だけど、みんなに自慢したいくらい安田はいい奴!!」
そう言うと、締まりかけのドアの隙間から照れ笑う安田が見えた気がした。
「痛って」
朝起きると、頭も痛いが身体も痛い。
昨日、ベッドにたどり着けなかった俺は、あのまま玄関で寝たらしい。
奇跡的に寝過ごす事もなく、むしろ早めに起きれた為、シャワーを浴びる時間も充分あり、着替えをしていつもの少しスカした青山先生にSETする。
…アレ、俺、昨日の金どうした? 奢るって言っておきながら払ってなくね? やっべ。今日安田に返さないと。
『やっちまったなー』と頭をボリボリ掻いていると、スーツのポケットに入れていた携帯が鳴った。
「はい」
『青山先生? 起きられました?』
安田のモーニングコールだった。コイツは本当に、どんだけ親切やねん。
「起きれはしたけど、昨日のお金!! 学校行ったら返すな」
『いいっす。次奢ってくれれば。バス乗るんで切りまーす』
俺が起きたかどうかを確認したかっただけの安田は、自分の用件が済むと、俺の返事を待たずに一方的に電話を切った。イヤイヤだから、安田といい森田といい、もうチョイソフトな切り方があるだろうよ。
つーか、まだバス乗るには時間早いだろーよ。
という事で、携帯の画面をタップし、安田の番号をリダイヤル。携帯を耳に当て、何コールか待っていると、
『もー、何ですか!? 青山先生』
優しい安田は鬱陶しそうな声を出しながらも出てくれた。
「ちゃんと返すし。俺、先輩だし。じゃあ、学校でな」
『どんだけ負けず嫌…『ブツッ』
切ってやったぜ。俺からかけておいて切ってやったぜ。
…って何やってんの、俺。…歯磨いて学校行こ。
職員室に入ると既に安田は出勤していて、サヤ子と楽しそうに笑っていた。
「おはよう。安田、昨日のお金。ありがとな」
2人に近づき安田にお金を渡すと、
「お…はようございます。…青山先生、安田にお金借りたんですか?」
サヤ子が不思議そうな顔で俺を見上げた。
「昨日、青山先生と飲みに行ったんだけど『俺が奢る』って言ってたくせに先に潰れたんだよ、青山先生」
安田は『大変だったー』と子猫の様な目をサヤ子に向けると、サヤ子は『よしよし』と安田の頭を撫でた。
…『よしよし』じゃねぇし。
「いつの間にか仲良くなってるし。私、安田と青山先生は気が合うと思ってたんだよね」
サヤ子が嬉しそうに笑った。サヤ子が笑うとなんかつられて笑ってしまう。
「しっかし、安田って顔だけじゃねーの。中身も相当な男前」
「もう黙って、青山先生。男に褒められても嬉しくない」
折角褒めたのに冷たい安田。
「褒めてんのに。俺が女だったら絶対落ちてたと思うもん。なんでサヤ子は…」
ここが職員室だった事を思い出し、慌てて手で口を押さえ、語尾を消した。
「安田が男前な事なんて、言われなくても分かってますよ。…青山先生には一生私の気持ちは分からないと思います」
サヤ子が俺に視線を向けることなく小さく呟いた。
「朝から無神経、青山先生」
安田が呆れながら『ふう』と息を吐いた。
「イヤ、教えてくれなきゃ分かんねぇだろ、普通」
そんな俺の言葉に、安田とサヤ子が目を見合わせた。
「手に負えない」
「なんか、私…色々ツライ」
今度は安田がサヤ子の頭を撫でた。
簡単にサヤ子に触れる安田が正直羨ましい。
「元気出して『ナイジェ』」
「ッッツ!!」
安田の言葉に、サヤ子が自分の頭の上にあった安田の手を掴んで止めた。
そして顔を真っ赤にしながら俺を睨んだ。
「しますかね!? 普通、その話しますかね!?」
恥ずかしさの余り、若干涙目のサヤ子。
「サヤ子センセは本当に隠し事好きだよねー秘密主義なこけしサンだ事」
「ッッツ!!」
焦るサヤ子の横で面白がる安田。
「秘密主義じゃない!! 抹消したい過去くらい誰にでもあるでしょ!!」
『抹消したい過去』。サヤ子にとって俺との思い出は抹消したい過去なのだろうか。
「でも、『ナイジェ』はお気に入りのあだ名だったんでしょ?」
安田が『落ち着いて』とサヤ子の肩に手を置いた。
「あの時はね。でも、大人になって振り返るとアホ丸出しだったなーと…」
「そぉ? 俺はますます好きになったけど」
『ッッツ!!』
シレっと言いのける安田に、驚く俺の横でサヤ子は首まで真っ赤になっていた。
本当に安田は、やる事言う事全部が男前で困る。
安田が振られてんのに、俺はサヤ子に好きになんてなってもらえるのだろうか。
『ナイジェ話』暴露で俺の評価もまた下がっただろうし。
「そろそろ朝礼」
安田が俺たちから離れた。
「これ以上余計な事言ったら、チケットキャンセルしますから」
サヤ子もそう言って離れようとした。
「取れたんだ、チケット。ありがとな!!」
そう言うと、サヤ子は少し笑って頷いた。
早く来い!! 夏休み!!
-----―――――早く来いって言ったって、そんなに早く来ないのが夏休み。
期末の問題作らないとだし、その後の採点もだし。
そんな事より、瑠美の事をしっかりしないと。
結局何を言っても傷つける。でも、安田や朝倉先生が言ってた通り『誠意』を伝えたい。
どうする? 俺。
喉が渇いたから来た自販機の前で、何を買うかさえも決められない。
「買うの? 買わないの?」
振り向くと瑠美がいた。
「あ。ゴメン、先いいよ」
順番を譲ると瑠美は迷う事なくミルクティーのボタンを押した。
「相変わらず好きだな、ミルクティー」
何も考えずに発した俺の言葉に、
「私は何でも一途」
瑠美の意思の入った返事がきた。
「…どうしても、高村先生がこの学校に来なかったらって思ってしまう」
瑠美がミルクティーを強く握りしめた。
「瑠美…ちょっといい?」
生徒が通るかもしれないここでは話せない。
瑠美と資料室に向かった。
資料室のドアを締めると瑠美が抱きついてきた。
俺は何度もこの温もりに安らいできた。
『桜井先生が傷つかなきゃいけない理由なんかない』
『自分の気持ちや事実を伝えるんじゃなくて、桜井先生が納得出来るような言葉を』
安田の言葉を思い出す。
『付き合う事は出来ないけど、大好きで大切なんだって気持ちを伝えたかった』
サヤ子の気持ちが今なら分かる。
『ずっと想い続けてあげられなくてゴメンって気持ちでいて欲しいです』
朝倉先生が言っていた誠意を、今伝えなければ。
抱きつく瑠美の肩は震えていて、顔は見えないけれど泣いてるのが分かった。
「…確かに、サヤ子がこの学校に来たことは大きなきっかけだったと思う。でも俺、それより前から瑠美との結婚に迷いがあった」
「結婚なんかしなくていい!! 一緒にいられるだけでいい!!」
背中にまわる瑠美の手に力が入ったのが分かった。
「ダメだよ。俺、瑠美の責任はとらないって言ってんだよ?」
「責任なんてとらなくていい!!」
瑠美の肩を掴み身体を離すと、そこには顔をグシャグシャにした瑠美がいた。
大好きだった、大切だった瑠美が、壊れそうに泣いていた。
「…よく『海に瑠美とサヤ子が溺れてたら、どっちを助けるか?』って質問あるじゃん」
「……」
「俺、迷わず瑠美を助けるよ」
瑠美が俺の目を見て、大粒の涙を零した。
「俺は瑠美を助けて、サヤ子と死ぬ」
俺は瑠美を見殺しになんかしない。どうか、瑠美に俺の誠意が伝わって。
「…何それ」
瑠美がその場に崩れ落ちた。
「俺、サヤ子とだったら死でもいい。でも、瑠美とは死ねない。瑠美には幸せに生きていてほしいと願うから」
「…例えが重いよ」
瑠美が泣きながら呆れた様に少し笑った。
「確かに」
「…ばか」
「ホントにな」
瑠美が持っていたミルクティーに手を伸ばし、蓋を開けて瑠美に手渡す。
「泣きすぎて喉渇いただろ」
「ばか…誰のせいよ」
瑠美は俺からミルクティーを受け取ったが、口を付けることなくとめどなく出る涙を流し続けていた。
「好きだよ、翔太」
瑠美が泣きながら零した言葉。
「俺も好きだよ。瑠美の気持ちに応えていられる俺でいたかった」
これが真実だ。
瑠美が大好きだ。泣かせたくなんてなかった。
この、悔しさに似た感情が瑠美に伝わって欲しい。
この気持ちはなんて名前なの? 名前がないなら伝える術を誰か教えて。
目の前のかけがえのない人に伝えたいんだ。
「…もし、私と高村先生が溺れていたら、高村先生を助けて2人で生きてね。私を助けて自分は高村先生と死ぬとか…残酷すぎる」
そう言って瑠美はゆっくり俺に近づきキスをした。
瑠美のキスは、涙の味で苦くてしょっぱかった。
瑠美は唇を静かに離すと、何も言わずに資料室を出て行った。
泣いていたのは俺だった。
俺の涙の味だった。
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