キスとペナルティ。



 --------あっという間に週末は過ぎ、月曜日が来た。


 けたたましく鳴る目覚まし時計に起こされるも、目は開いているのに、布団から出られない。…学校行きたくないな。


 『仮病』が頭を過ぎる。が、保健室教員たるもの、それはさすがに出来ない。


 土曜日の事をみんなに謝らなきゃな…。青山くん、あの後みんなに何か話したかな。みんな、どう思っただろう。


 重い身体を起こし、ベッドから出る。


 気分を上げるべく、ノリの良い音楽をかけ、身支度をすると、元気を出すべく、冷蔵庫に冷やしておいた大好きなチョコをひとかけ口に放り込んだ。


 「よし」


 気合を入れて玄関を出ると、アパートの脇に置いている自転車に跨った。


 さっきまで聞いていた曲を口ずさみながら、学校へと漕ぎ出す。


 いつも通りの時間に学校に到着し、いつもの場所に自転車を停め、職員玄関に行くと、


 「高村先生、おはようございます」


  靴を履き替えていた桜井先生が私に気付いた。


 「桜井先生、おはようございます。…あの、一昨日は本当にすみませんでした。楽しい時間をぶち壊してしまいまして…」


 どうしても強張ってしまう頬の筋肉を無理矢理上へと引き上げた。


 「…高村先生は、なんで看護師辞めてまでこの学校来たんですか?」


 「…え」


 桜井先生の質問に、内履きに履き替えようと脱いだパンプスをしまう手が止まる。


 「…それは「本当に知らなかったんですか? 翔太がいること」


 素直に答えようとした言葉に、桜井先生が更なる質問を被せる。


 きっと、また私が青山くんをストーキングしに来たんだと思っているのだろう。


 本当の理由が言いづらい。何を言っても嘘っぽく聞こえてしまいそうだ。


 「本当に知りませんでした」


 「本当に?」


 案の定、正直に答えても桜井先生は私の事を疑っている様で、どことなく煙たい顔をした。


 「知っていたらもっと早く行動してるでしょ」


 そんな私たちの会話に加わる様に、後ろから声がした。


 振り向くと、朝倉先生がいて、私たちに『おはようございます』と挨拶をすると、淡々と靴を脱ぎ、靴箱に片す朝倉先生。


 「別に諦める事ないと思いますよ。桜井先生は青山先生から聞いたんじゃいんですか? 青山先生も私も安田も、誰も諦めてないんだから桜井先生だって諦める必要ないですよ。あ、高村先生は諦めたんでしたね」


 朝倉先生の言葉に、桜井先生の表情が変わった。


 『桜井先生は』と言うことは、 朝倉先生と安田は全部を聞いたわけじゃないのだろうか。


 というか、私だけ諦めたって、何の事だろう。


 朝倉先生の言っている意味が分からない。


 「…あの、私が帰った後、何かあったんですか?」


 青山くんは私の過去の話を、どんな風に話したのだろう。


 『……』


 私の問いかけに、2人は口を閉ざした。


 シカトされているのかな。やっぱり、さすがに『ストーカー話』は引くよな…。


 「私、先に行きますね」


 桜井先生だって私だって行き先は職員室なのに、朝倉先生は私たちをおいてひとりで行ってしまった。3人で楽しく会話しながら職員室へいける状況ではないけれど、桜井先生と2人きりにされるのも、かなり気まずい。


 「わ…私たちも行きましょうか」


 だからと言って、2人別々に職員室に行くのも不自然なので、桜井先生と一緒に行く事にしたのだが、


 「あの、高村先生」


 桜井先生に呼び止められた。


 「…はい」


 今度は何を言われるのだろう。青山くんに関する事に決まっているけれど、どんな言葉を返しても信じてもらえそうにない。


 「翔太、高村先生に罪悪感があるんだと思うんです。だから『そういう事じゃない』


 ポツリと話し出した桜井先生の言葉を遮ったのは、青山くんだった。


 「もう1回話そう。俺の勝手な言い分だから、瑠美が納得出来るまで何回でも話すから」


 私たちに近づき、桜井先生に何やら深い話しをし出す青山くん。


 部外者な私がここにいていいのか分からなくて、そーっと1人で職員室に行こうとした時


 「サヤ子先生、今日ちょっと話せる?」


 青山くんが私の腕を掴んで止めた。


 「…あ、はい」


 青山くんは、私に何の話があるのだろう。


 私の腕を握る青山くんを、どうして桜井先生は泣きそうな目で見ているのだろう。




 --------3時間目が始まるチャイムが鳴った。


 今日は体調不良の生徒もけが人もいなかった為、引き出しに常備しているグミをつまみ、パソコンでネットニュースを見ながら伸び伸びしていると、


 「サヤ子センセ、1人?」


 保健室の扉が開き、安田が入って来た。


 「うん。どっか具合悪い? 授業は?」


 グミ食ってたくせに、サボってるのがバレるのも何となく嫌で、ノートパソコンをそっと畳んだ。


 「4限の英語と3限の世界史の授業入れ替わったから、今の時間は授業ないの。サヤ子センセ、元気かなーと思って、顔見に来たー」


 安田は、私が落ち込んでいないか心配してくれたらしい。


 「元気だよ。グミ食べてるし。…安田、引いたよね。あの話」


 『食べる?』と安田にグミの入った袋を差し出すと、


 「何の話でしょ?」


 安田は笑って知らないフリをしながら『食う食うー』と袋を受け取り、『何味にしよっかなー』とグミを選別した。


 本当に安田は優しいヤツだ。


 安田の笑顔に和んでいると、


 「サヤ子先生、今、大丈夫? あ、安田いたんだ」


 今度は青山くんが入ってきた。


 「青山先生も今の時間授業ないんですか?」


 さっきまで可愛く笑っていた安田が、一瞬にして不機嫌になった。


 「まぁ…。あからさまにそんな嫌な顔されると逆に気持ちいいわ」


 青山くんがそんな安田の頭をポンポンと撫でて笑った。


 そのあしらいに、安田の機嫌が更に悪化した気がした。が、その様子を気に留める事なく、青山くんは私たちの傍の椅子に腰を掛けた。


 「サヤ子、朝、瑠美と何を話してたの?」


 早速口を開いた青山くんの話したい事は、桜井先生の事だった。


 「『なんで看護師辞めてこの学校に来たんですか?』って聞かれただけ…です」


 桜井先生の質問にはきっと『青山くんのストーカーだった人間に、この学校に来て欲しくなかった』という気持ちが入っているんだと思う。


 「なーんかちょっと、質問が否定的な気がするね」


 安田が『んー』と唸った。


 「…やっぱり安田もそう思う?」


 意気消沈の私に、青山くんが追い打ちをかける。


 「俺もそれは疑問だった。サヤ子、看護師になるのずっと夢だったじゃん」


 桜井先生が嫌がっているのだから、青山くんが私を気持ち悪くないはずがない。


 「私、もうすぐ三十路なのに昇格も結婚も出来てなくて…。ある日後輩がね、『高村さんみたいになりたくない』って影で言ってるの聞いちゃって…。なんか、惨めで恥ずかしくて。このままでいいのかなって考える様になって…。それで、通信で養護教員の資格取って、色んな学校に就活して採用もらえたのがここだったんですよ。…本当に青山先生に付きまとおうとして来た訳じゃないんですよ」


 桜井先生に否定的に捉えられても仕方のない転職理由を、言い訳の様に並べる。


 「看護師、夢だったのにそんなで理由で辞めたんだ」


 呆れただろう青山くんの言葉に、喉の奥が熱くなった。


 逃げ足の早い私は、逃げた先でも惨めな思いをする、救いようのないバカだ。


 「サヤ子センセ、看護師に戻る気ないの?」


 眉間に皺を寄せる安田は、私を心配してくれているのだろうか。それとも、私が看護師に戻った方が良いと思っているのだろうか。


 「もう少しこの仕事続けたい。今の仕事、好きなんだ。でも看護師の仕事も好きだったから、いつか病院じゃなくても町の診療所で働かせてもらえたらいいな」


 奥歯を噛みしめながら作った笑顔は、どんなに情けなく見えただろう。


 私の居場所はここにもなかったのかもしれない。


 「…良かった。まだ看護師に戻らないでよ。俺、サヤ子センセと一緒に働きたい」


 安田が、やるせなく笑う私に笑顔を返してくれた。


 嬉しくて、歓迎されていないんだと思っていたからホッとして、ちょっと泣きそうになった。


 「『すぐに投げ出す奴』って軽蔑しないの?」


 だけど、安田は優しいから、本心を伏せてくれている様な気がした。


 「サヤ子が簡単に昔からの夢捨てる奴に思えなかったから、安心した。ちょっと疲れちゃったんだろ? だから、1回看護師の仕事離れたかったんだろ? 俺もサヤ子と一緒に働きたい。だから、まだ看護師に戻んないで」


 安田に聞き返したはずの私の疑心を、青山くんが払ってくれようとするから、涙腺が崩壊しかけてしまう。


 「つーか、俺が教師になった理由なんてもっとしょーもないもん。大学時代、バンド組んでてさ『バンドで食ってく』って思ってたけど、どっかで自信なくて、才能もなくて。自分で薄ら気付いてたから教職課程取って保険かけて。で、結局保険使っちゃたよねー」


 私に気を遣ってわざと自虐してくれる安田。どこまでも優しい。


 しかし、この見た目でバンドマンだったのか、安田。引くほどモテただろうな。と、想像しただけでちょっと引く。


 「安田って、軽音の顧問なんだよね? じゃあ、安田の指導で、生徒たちが安田の代わりに夢叶えてくれるかもね」


 教師になった事を後悔している様にも見えないし、何らかの形で安田の夢が叶えばいいなと思った。


 「もー。サヤ子センセ、抱きしめていい?」


 両手を広げて私に抱きつこうとする安田。


 安田はここ最近、キスだのハグだのをよく分からない脈略で行おうとする。若い子の間では普通なのだろうか。私が三十路になりかけだから理解出来ないのだろうか。


 ただ、看護師時代に毎日患者さんを抱き抱えてたりして仕事をしていた為、抱っこには抵抗はない。安田、犬っぽくて可愛いし。


 ウェルカムな感じではないが、特に逃げる事もしないで動かずにいると、ハグをしかけた安田の後ろから青山くんの手が伸びてきて、安田の頭を鷲掴み、ハグを阻止した。


 「痛った!! 首、『グンッ』って言った!! 『グンッ』って!! サヤ子センセー!!」


 首を摩りながら私に泣きつこうとする安田。


 「学校だっつーの」


 青山くんが、そんな安田の頭を掴み、自分の方に引っ張った。


 「だから、痛いって!! ほんっとにいっつも青山先生って邪魔」


 「あぁ!?」


 いがみ合っているのか、じゃれ合っているのか。なんだかんだ青山くんと安田は気が合うと思う。


 「まぁ、俺も他人の事言えないんだけどなー。俺、大学院残ってロボットの研究とか開発とか続けようとしたんだけど…。ロボット工学ってさ、工学とか数学出来るだけじゃダメなんだよな。発想力がないと。俺にはそれがなくて…。諦めて教師になった」


 しょっぱい顔で笑う青山くん。


 青山くんの言った『諦めて』が引っかかった。


 「青山先生って…『アレ? 高村先生って身体測定の準備で今日保健室空けるんじゃなかったでしたっけ?』


 喋りかけた時、保健室に誰かが入って来た。


 「川田くん、完全に予定表見間違ってるよ。それ、夏休み明けだよ」


 入って来たのは1年の保健委員の川田くんだった。川田くんの後ろでは、川田くんにしなだれかかりながらくねくねしている女子もいた。


 コイツら、私がいない隙に保健室に来るという事は…。


 「お前ら、サヤ子センセがいない日を狙って来るとか、保健室はラブホじゃねぇぞ」


 安田が呆れながらため息を吐いた。


 やっぱりそういう事か…。


 「体育倉庫のマットは空いてなかったのかよ」


 青山くんはふざけるし。


 「本当ですよね。しゃあしゃあとベッド使おうとしてんじゃねぇよって話だわ」


 安田は乗っかるし。やっぱりこの2人は馬が合うらしい。


 イヤ、そうではなくて。


 「川田くん、何の用事だったの?」


 分かってはいるが一応聞いてみる。違う理由かもしれないし。というか、別な理由であって欲しいという希望。


 川田くんに問いかける私を見て、くねくね女が『フッ』と息を漏らして笑った。


 「だから、青山先生と安田先生が言った通りだし。なんか、高村先生みたいな優等生タイプって経験少なそー。イイ歳して結婚出来なくて、溜まってるっしょ? 私、高村先生みたいな惨めな女になりたくないなー」


 女子高生に完全に見下されている。


 正直めちゃめちゃ腹立つけれど、一応教員なので先生らしくしなければならない。


 「だから、私みたいにならない様に、こんなとこでイチャつこうとしてないで勉強しなって。今、授業中でしょ?」


 平静を装いながら諭す様に話した。つもりだったけれど、


 「高村先生って勉強しすぎでそうなっちゃたんじゃないんですか? 今、欲求不満なんでしょ」


 『プッ』生徒2人が目を見合わせながら爆笑した。


 悔しいけれど言い返す言葉もない。


 確かに高校時代、死ぬんじゃないか? というくらい勉強した。青山くんをストーキングする為に、寝る間も惜しんで勉強して、叶えた夢も投げ出して、今、こうなった。


 高校生相手に何も言えずにいると、


 「お前らいい加減にしろよ」


 さっきまで面白がっていた青山くんが、イラついた様な低い声を出した。


 一瞬にして生徒たちは笑い声を消し、只ならぬ空気が漂う。


 青山くんの怒った顔を見るのは、今日が初めてかもしれない。高校・大学時代は、とにかく青山くんの事が大好きで、嫌われたくなくて、青山くんを怒らせる事はしない様にしていたから。まぁ、怒らせはしなかったけれど、気持ち悪がられはしましたが。だから、怒る青山くんに驚いて、ちょっと怖いと思った。


 「お前ら、ほーんとお似合い」


 変な空気に気付いていないのか、はたまた気が付いていてわざとなのか、安田が2人の生徒に笑いながら近づくと、キスしそうな勢いで女子生徒に自分の顔を近づけた。


 「くそガキだなー、お前。全然そそらない」


 安田はびっくりして目を見開く女子生徒から顔を離すと、川田くんの方へ視線を向けた。


 「お前らみたいなカップルを、俺とかサヤ子センセたちが羨まく感じる思う?」


 生徒たちをバカにしながら、笑っている様に見えた安田の目は全然ニコりともしていなかった。


 どんどんおかしくなる保健室の空気に焦っている私に安田が近づいてきて


 「やっぱ、そそるね」


 安田が私にキスをした。


 …キスをした?


 安田と私がキスをした!?


 唇を離すと『やっと出来た』と笑いかける安田。


 「キミが今のサヤ子センセと同じ歳になった時、俺みたいなイケメンな後輩に迫られるような女になれているとは到底思えない」


 目を見開き固まる私を他所に、安田は馬鹿にした様に女子生徒に言い捨てた。


 「はぁ!? 教師が生徒の前で何してんの。信じらんない。行こ!!」


 安田に憤慨した女子生徒は、川田くんの手を引くと、保健室の扉を乱暴に開け、出て行った。


 「ビックリした?」


 硬直したままの私に無邪気に笑いかける安田。


 「アイツら、面白がって言いふらすかもな」


 『笑ってる場合じゃねぇだろ』と青山くんが肩で安田をど突いた。


 ヤバイ。確実に処分対象だ。ぼーっとしている場合ではない。


 「サヤ子センセは心配しなくて大丈夫だよ。俺が勝手にした事だし、呼び出しかかったら俺に任せて」


 安田がポンと私の肩に手を置いた。


 『任せて』って、社会に出たての若者に、責任を押し付けるわけにいかない。


 「さっき、私の事庇ってくれたんだよね? それなのに、更に助けてもらうなんて出来ない。私が何とかする」


 『何とかする』と言っても何の案もない。


 でも、処分されるなら前途有望な若者より私の方が良いに決まっている。


 「サヤ子センセ『1人で処分受けよう』とか考えてないよね? それはまじで許さないからね」


 安田が私の両腕を掴み、強い口調で念を押した。


 「私、自己犠牲に幸せ感じるタイプじゃない。てゆーか、もう3時間目終わるよ。戻って次の授業の準備しなよ」


 安田を宥める様に笑う私に、青山くんは『嘘吐き』と小さな声で言うと『安田、行くぞ』と、私の腕を掴んでいた安田の手を解き、そのまま引っぱって保健室を出て行った。




 あっという間に噂は流れ、安田と私は昼休みに校長室に呼び出された。


 校長室は教務室の奥にある為教務室に入ると、教師陣の刺すような視線が一斉に私に向いた。


 ベテランの教師たちには『今年採用組は失敗だった。新学期早々に問題起こすなんて』『安田先生はともかく、高村先生は30手前にもなって何を考えているのかしら。常識がないのかしらね』と敢えて聞こえるコソコソ話をされた。


 「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」


 肩身の狭い思いをしながら先生方に頭を下げ、身体を起こした時、青山くんと目が合った。


 難しい表情をしている青山くんが、なんとなく怖くて、すぐに視線をはずし、そそくさと校長室へ急いだ。


 「失礼します」


 校長室のドアを開け中に入ると、既に安田はいて、校長先生と向かい合ってソファーに座っていた。私が座れる様に、奥に少し身体をずらしてくれた安田の隣に腰を掛ける。


 「早速ですが、生徒たちが噂している話は知っていますね?」


 私が座ると、校長先生が口を開き、担当直入に質問をしてきた。


 「はい」


 淀む事なく返事をする安田。


 安田は優しい。優しすぎる。きっと…いや、絶対1人で責任を被ろうとしてるに違いない。


 どうしよう。『私が誑かしました』とか言ってみる?


 イヤイヤイヤ、私に若いイケメンくんを誑かす魅力がどこにあるっていうんだ。


 誰も信じるわけがない。


 「噂は本当ですか?」


 確信に迫る校長先生。


 何て言おう? 何て言おう!?


 言い訳を編み出せずにいると、隣で安田が喋りだそうと口を開けたのが見えた。


「噂は…「それは私が『バタン』


 何の弁解も思い付いてないくせに、話出そうとした安田を遮ぎった時、校長室のドアが開いた。

 

 「失礼します。その噂はガセですよ。その場には私もおりましたので」


 開いたドアから入ってきたのは、青山くんだった。


 「なぜ青山先生が保健室にいたのですか?」


 突然の青山くんの登場に、校長先生も少し驚きながら、青山くんに質問を返した。


 「高村先生に蛍光灯の交換を頼まれておりましたので。でも、私が保健室に行った時には既に安田先生が取り替えてくれていました」


 淡々と嘘を吐く青山くん。呆気にとられてしまう。


 「3限の授業中、男女2人の生徒が今日を高村先生が保健室を空ける日と勘違いしてベッドを使いにやって来まして、その事を我々に指導された事を根に持った上での腹いせかと思われます」


 そして、嘘の中に事実を織り交ぜだした青山くん。ここまでくると、最早関心。


 「そうですか。安心しました。今後はあらぬ噂を流されぬ様、指導の仕方に気をつけて下さい。下がっていいですよ」


 青山くんの流れる様な自然な作り話に、校長先生はあっさり納得してしまった。


 あまりにシレっと嘘を突き通した青山に茫然としてしまい、立ち上がるのを忘れていた私の腕を『行くぞ』と青山くんが引っ張り上げた。


 「失礼しました」


 青山くんに連れられ校長室を出ると、


 「おいしいとこ持ってくなー。青山先生は」


 安田がため息混じりに笑った。


 「青山先生、よくあんな話を顔色変えずに出来たましたね。私、軽く寒イボ出ましたよ」


 ぶつぶつになった腕を宥める様に摩ると、


 「ホントだー。サヤ子センセの毛穴大騒ぎじゃん」


 安田が私の腕を見て笑った。


 「…オイ。俺、お礼言われても悪口言われる筋合いねぇぞ」


 そんな私たちに白い目を向ける青山くん。


 「あ、すみません!! 本当にありがとうございました!!」


 一気に緊張が溶けて、うっかり安田と和んでしまった。ガバっと頭を下げると、


 「どういたしまして」


 私の頭を、青山くんがクシャクシャと撫でた。


 ゆっくり 顔を上げると、そこには全く笑っていない青山くんがいた。


 完ッッ全に怒っている。さすがにさっきのは失言だったよね。どうしよう。…あ!!


 「あの、お昼奢らせて下さい!! あ、でも桜井先生のお弁当がありますよね。今日の夜とか、予定ありますか? 良かったら桜井先生も一緒に…あ、でも私とゴハンとか嫌かも…。あ!! 美味しいレストランを知ってるので、予約しますから2人で行って下さい!!」


 我ながら名案だ。これなら喜んでもらえるはず…と思ったのに、


 「そういうの、どうでもいいから。俺、やる事あるから行くわ」


 青山くんは余計機嫌を悪くして、教務室から出て行ってしまった。


 何が気に障ってしまったのだろう。


 何がいけなかったのだろうと、青山くんが出て行った方向を見ながら考えていると、


 「罪深い女だねー。サヤ子センセは」


 安田が訳の分からない事を言いながら、私の肩にポンと手を置いた。


 「それ、モテ女に言う褒め言葉でしょ。使い方間違ってるし。私はただ、他人を不快にさせただけだし。私、保健室戻るね」


 『はぁ…』溜息を吐き、自分も教務室を出て行こうとすると、


 「俺も行くー。ちょっと探し物させて。ネクタイピン落としちゃったみたいなんだよね。あれ、人から貰った大事なモンだからさー」


 安田が私の後をついてきた。


 正直、噂が消えていないのに安田と2人になるのはちょっと抵抗があったけど、大事な物を探したいって言われて断るのもおかしい。

 

 「そっか。保健室には落ちてなかったと思うけど、ちゃんと探してみよっか」


 ネクタイピンを一緒に探そうと、安田と一緒に保健室に戻った。


 保健室の扉を開くと、

 

 「良かった。誰もいなくて。探し物し易いね」


 中は静かで、人の気配もなかった。


 パッ見る限り、床に落し物はなかった為、ベッドの方へ行き、布団を持ち上げベッドの下を覗いていると、


 「あ、ゴメン。探し物の件、全部嘘」


 私の背後で安田がケラケラ笑った。


 「はぁ!?」


 振り向きざまに安田を睨む。


 「だって今日のキス、なかった事にされちゃったの嫌だったから。ちゃんと告おうと思って」


 ついさっきまで笑っていたのに、急に真面目な表情になる安田。安田の真剣な表情に、心臓がうるさいくらいに強く鳴る。


 「サヤ子センセ、好き。付き合って」


 安田が真っ直ぐに私を見た。冗談を言っている様には見えない。


 「…ごめん」


 安田の事は本当に大好きだ。でも、私の『好き』は安田の『好き』よりぬるい。それに…。


 「まだ、青山先生が気になる?」


 安田にはお見通しだった。


 「…うん」


 だって、ストーカーになってしまったくらい好きだったから。


 青山くんと一緒にいると、また好きになってしまいそうな自分がいるんだ。


 私なんかを好きになって告白してくれた安田に嘘を吐きたくなくて、正直に答えた。


 「でも、昔好きだったから気になるだけだよ。もう、つきまとったりしないよ」


 青山くんを好きになってはいけない。ちゃんと分かっている。だから、自分に言い聞かせる様に、安田にも宣言する。


 「だったら俺と付き合おうよ。俺はむしろ、サヤ子センセにだったらつきまとわれたいもん」


 安田は、私の気持ちを知っても好きでいてくれる。


 だからこそ、青山くんの代役みたいな事をさせるわけにいかない。


 「安田がもっと嫌な奴だったら付き合えたのに。安田はすごく大事な人だから、付き合えない」


 「褒めながら振るし」


 安田は小さい溜息を吐いた後、切なそうな顔をしながら少し笑った。


 「これ以上粘ると、サヤ子センセに嫌われそうだから男らしく諦めるよ。サヤ子センセの気持ち、分かったから」


 「それはない。私が安田を嫌うことは一生ない。大事だって言ったじゃ…」


 言い終わる前に、安田に腕を掴まれ抱き寄せられた。


 「サヤ子センセ、卑怯。振るならそういう事言わないで」


 安田が私の首に顔を埋めた。


 安田の息が肩にかかる。自分の体温がどんどん上がってくのが分かる。


 …って、甘い空気に飲まれてる場合じゃない!!


 「誰か入ってきたら、今度こそヤバイから!!」


 安田の肩を押して身体を引き剥がすと、安田が苦しそうに顔を歪めた。


 「折角青山先生が助けてくれたのに?」


 安田は私の左頬に手を当てると、


 「もうしないから…もう1回だけ…いい?」


 と、顔が近づけてきた。


  逸そうと思えば逸らせる。…でも、安田を拒みたくなかった。


 「サヤ子センセ、いいの?」


 自分から仕掛けてきたくせに、逃げない私に少し同様する安田。


 少し動けばキスしてしまう距離に安田はいる。


 安田とは付き合えない。でも、安田が大好きで大事で可愛くて仕方ないって気持ちはどうすれば伝わるだろう。


 付き合えないのなら、伝える必要ないのかな。


 でも、『好き』のカタチは違ったけど、私も安田が好きなんだって伝えたい。


 この説明しづらい気持ちをどう伝えたらいいんだろう。


 「…安田、私からしていい?」


 「え?」


 私の問いかけに、 安田が目を丸くした。


 「さっき、安田からだったから。今度は私からするGIVE&TAKEっていうか…。 付き合わないのにキスするってどうかと思うけど…安田への気持ちが言葉に出来ないから…。私、頭悪いから『安田が大事』以外の言葉が見つからないっていうか…」


 自からキスするって言ったくせに、緊張と恥ずかしさで喋りまくってしまう。


 「……」


 安田は何も言わず私の手を引いてベッドに腰を掛けた。


 腰を掛けた安田と私の顔の高さが近くなる。


 ドキドキしすぎで目が泳ぐ。


 「…キスくらいサラっと出来る大人になりたかったよ。私、心臓はち切れそう」


 緊張の余り涙目になる私をみて、安田は少し笑うと、私がキスをし易いように私の腕を自分の肩に回した。


 「あんま焦らさないで。俺、心臓もたない」


 私の髪を撫でると、安田が目を閉じた。


 全力疾走したのか? ってくらいに心臓が苦しい。落ち着け!! 私!!


 小さく深呼吸をして、安田の唇の位置を確認して、自分も目を閉じ、安田の唇にそっと自分の唇を重ねた。


 「っん?」


 安田の腕が私の腰に回った。そして、安田の舌が私の歯茎を這う。


 「待っ…」


 口を開くと安田の舌が口の中を動き回った。


 「は…ん…」


 安田の腕の力が強くて身体が離れない。というか、力が入らない。


 足の力が抜けてしまい、バランスを崩しかける私を安田がしっかり抱きしめる。


 最早パニック。


 普通の三十路より圧倒的に場数の少ない私は、こんな時どうすればいいのか分からない。 全く頭が働かず、されるがままの状態でいた時、


 ----ピンポンパンポーン。


 放送が鳴った。


 「1年1組、川田弘人。1年5組、池本亜弥。至急、放送室青山まで来る事。来なかった場合、家に電話します。以上。」


 青山くんからの連絡だった。


 川田くんって…保健委員の? 青山先生って1年3組の担任のはず。じゃあ、なんで? 家に電話するって…何、この呼び出し。


 「あ…おや…ま…せん…せい?」


 思わず口にした青山くんの名前に、安田が唇を離した。


 「俺とキスしながら他の男の名前呼ばないでよ…」


 悲しそうに苦笑いを浮かべる安田。


  「…ゴメン」


 無神経過ぎる自分が嫌になる。


 『はぁ…』安田は身体を離して溜息を吐いた。


 「行きなよ。気になるんでしょ?」


 安田は歪んだ笑顔を作って私の頭を撫でた。


 「留守番しててあげるから。あ、ラーメンちょうだい。俺、まだお昼食ってない」


 安田はどうしていつでも優しいんだろう。


 こんな最低な私を、どうして怒らないんだろう。


 「安田、優しすぎ。ゴメン。私、行ってくる。ラーメン2、3個食べていいよ。あ、デスクの引き出しにお菓子もあるから好きなだけ食べてって!!」


 「うん。行ってらっしゃい」


 辛そうに手を振る安田に胸が苦しくなった。


 「…行ってきます」


 でも、放送室へ走る。


 1階にある保健室から2階の放送室に行くべく、階段を駆け上る。


 息を切らせながら放送室の扉を開いた。


 「青山先生!?」


 「サヤ子!?」


 呼んでもいない私の登場に焦った様子の青山くん。


 「アイツら来ちゃうから、サヤ子は早くどっか行って」


 そして、青山くんが私を追い払おうとした。


 『どっか行って』って、何を小学生みたいな事を。


 「何の呼び出しですか? 川田くんって、保健委員の川田くんですよね?」


 どっかには行かず、逆に青山くんに近づいた時、


 「青山先生、入りますよ」


 扉の向こうから川田くんの声がした。


  「うわ。サヤ子、ちょっとブースの下隠れろ」


 今度は私を狭いブース下に追いやろうとする青山くん。


 「何でですか!?」


 「いいから!!」


 青山くんは強引に私をブースに押し込めると、何事もなかったかの様に『どうぞ』と川田くんたちを招き入れた。


 「何の用ですか? 俺らの昼休みを潰さないで下さいよ」


 かったるそうに中に入ってくる川田くんと、くねくね女子・池本さん。


 「お前らどんだけSNS好きなんだよ。呟きたがりかよ。保健室の噂、一瞬で拡散してんのな」


 青山くんが嫌味混じりに笑った。


 「もしかしてヤバイ事になっちゃってんの? あの2人」


 池本さんも『いい気味』と笑う。


 …感じ悪いな、池本さん。ブースの下で腹を立てながら聞き耳を立てる。


 「まぁ…。なってたねー。でも、今はお前らの方がヤバイかも」


 「は?」


 青山くんの言葉に2人の生徒が首を傾げた。


 私も意味が分からなかった為、ブースの下で地味に首を傾げる。


 「保健室で交尾しようとしてたのに、その事を注意されたお前らによる腹いせでデマ流されてるって事に俺がしたから」


 「はぁ!? 信じらんない!! 青山最低!!」


 シレっと言ってのける青山くんの態度が2人の怒りを煽った。


 「まぁ、だからお前らに悪いことしたなーと思ってさぁー。お前らが喜ぶ話でもしようかと思ってさー」


 「え?」


 青山くんの言葉に2人の生徒が身を乗り出した。


 またも意味が分からない私も、ブースの下で地味に身を乗り出す。


 「お前らが今日中に、保健室の噂してる奴全員の口封出来たら、来年お前らを同じクラスにしてやる。出来なかったら、お前らが2度とちちくり合えない様に、保健室でしようとしてた事をお前らの親にチクる」


 青山くんの鬼畜発言。2人が喜ぶ話では全くない。


 「無理に決まってるだろ!! 誰が言ってるかも分かんねぇし」


 期待していただけに、川田くん、憤慨。そりゃ、そうだよね。


 「そっかー。じゃあ、来年…残念だったな。修旅とか、楽しいイベントもバッラバラだな」


 青山くんが意地悪く笑った。


 鬼だ…鬼がいる。青鬼だ。って上手い事言ってる場合じゃない。…が、今更出て行けない。


 「来年一緒のクラスになれなくていいの? 私の事、その程度だったんだ?」


 池本さんが川田くんを睨んだ。


 何故そうなる、池本さん。無理なものは無理でしょうよ。


 「…噂、消すから約束守れよな、青山」


 川田くんは、好きな女の為に無理な事を可能にするらしい。


 川田くんは池本さんの手を引いて放送室を出て行った。


 「頭、気を付けて。ぶつけるなよ」


 2人がいなくなると、青山くんが私が隠れているブースに近づいてきた。


 青山くんに手を引かれブースから出ると、青山くんが、私のひざについた埃を払ってくれた。さっきまで青鬼だったのに、何なんだ? この優しさは。


 「ありがとうございます。あの…何でですか?」


 「ゴメンて。サヤ子がいると色々口出すでしょ」


 『ゴメン』と言いながらも、そんなに悪びれていない青山くん。


 しかも、 違うし。その『何で』じゃないし。というか私ってそんなに口うるさいイメージだったの!?


 まぁ、口出してたな。だって…。


 「私を隠した事じゃなくてですよ。なんであんな難題を?」


 「まぁ、無理だろうねー」


 青鬼再来。『どんだけ噂を鎮められるか見ものだねー』なんて、笑う青山くんの笑顔が若干怖い。


 「無理って分かっていて、何で2人に期待持たせる様な事言っんですか?」


 「サヤ子、俺の事どんだけ鬼だと思ってれの? 無理だったとしてもあの2人は来年同じクラスにするって。アイツらが知らないとこでアイツらを悪者にして悪かったって思ってるし。とりあえず、アイツらには頑張ってもらって、少しでも噂が消えた方がいいっしょ」


 青山くんは、鬼ではなかった。


 青山くんは校長先生に2人の実名は出していなかった。


 実際には誰も悪者にしないで安田と私を助けてくれた。


 「やっぱり、青山くんは優しいですね。…本当に何かお礼させてもらえませんか? さっき、断られたのにしつこいんですけど…」


 ストーカーだった私に何かをされるのは、気持ちが悪いかもしれない。だけど、ストーカーだった私を何だかんだ助けてくれる青山くんに、私も何かを返したい。


 「ゴメンゴメン。さっきはちょっとイライラしてたから。…じゃあさ、お礼はいいから1個俺の言う事聞いて?」


 「はい!! 何個でも聞きますよ!!」


 青山くんが、私の善意を受け取ってくれる事が嬉しくて、『多少の無理ならしますよ』くらいの勢いで青山くんの言葉を待つ。


 「これからは、サヤ子がどんなに悪くても俺には絶対謝らないで」


 「?」


 青山くんの言ってる事が分からなくて、返事が出来ない。女王様にでもなれという事なのか?? 


 「サヤ子って、自分は何も悪くないのにいっつも謝るじゃん。大学の時なんて、むしろ俺が悪いのに謝らせちゃってたしな」


 ますます分からない。大学の時? 青山くんは何の話をしているのだろう。


 「大学の時、青山先生って何か悪い事しましたっけ? …私は謝っても許されないような最低な事しましたけど…。あ!! そーいえば、千佳ちゃんがいながら、他の女の子とも仲良くしてましたよね!! 千佳ちゃん泣いてたの見た事あったよーな…。でも、それは私には関係ないから謝ったりしてないし…」


 これを老化と言うのだろう。


 大学時代を思い出せない。脳が硬化してるのか? 私は何を謝っていたのだろう。


 左右の眉の距離をどんどん狭めながらも思い出すのに必死な私に、


 「千佳とは付き合ってない」


 そう言って青山くんが、私の眉間の皺を両手で伸ばした。


 「あれ!? でも2人って)」


 そういう事に限って覚えているんだ。


 自分で言っていて、どんどん苦しくなって、しまいには目に涙が溜まってきてしまった。


 昔の話で何泣きそうになってるんだ? しかも、彼女でもなかったストーカーのくせに悲しむってどうなのよ。


 「…どうしたらサヤ子に許してもらえる?」


 青山くんが目の前で顔を歪ませていた。


 何で青山そんな顔するの?


 青山くんは大学時代に何したっていうの?


 「…何を許せばいいんですか? 許しを乞うのは私の方じゃないですか。それに、仮に青山先生が悪い事をしていたとしても、それは昔の話ですから」


 「それ、サヤ子が言う? 未だに過去の勘違い引きずってるくせに」


 青山くんがボソっと呟いた。


 「勘違いって何ですか?」


 しっかり聞こえていたので聞き返すと、


 「サヤ子はストーカーなんかじゃない」


 今度ははっきり聞こえる声で話してくれた青山くん。


 嬉しくて涙が出そうだ。


 「ありがとうございます。青山先生に言われると嬉しいです。私、ちゃんと更生出来てるって事ですよね!?」


 「そうじゃなくて、初めからサヤ子はストーカーなんかじゃないでしょ」


 …青山くん、何を言っているんだ?


 目に滲んでいた嬉し涙が引いていく。


 私の事を『ストーカー』だと自分ではっきり言ってたし、迷惑してたじゃないか。それに、聞き間違いもしていない。大好きだった青山くんの声を、聞き間違えるはずがない。だから、あんなにも傷ついたんだ。


 「無理してフォローしてくれなくて大丈夫です。青山先生、言ってる事が訳分かんなくなってますよ。なんかすみません。ありがとうございます。私なんかにいつも親切にして下さって」


 青山くんは、昔の私の過ちを水に流してくれようとしているのだろうか。無かった事にしてくれるのだろうか。有り難いけど、心苦しい。


 「ハイ。ワンペナー。早速謝ったし」


 青山くんが、人差し指で『ワン』を表しながら、その指で私の頬を突いた。


 ワンペナって…。ジャッジ厳しいな、青山くん。


 「…ペナルティー、何ですか?」


 青山くんに突かれた頬に手を置き、青山くんを見上げる。


 「んー。今思い付かないから追々お知らせって事で」


 …余計に怖い。後々何言われるんだろう。


 「そういえば、サヤ子。保健室で俺に何か言いかけてたよね?」


 青山くんは、ペナルティーは思いつかないけれど、忘れていた事は思い出せるらしい。


 「なんであの時『諦めて教師になった』みたいな嘘言ったのかなーって思っただけです」


 青山くんは、楽しそうに先生やってるのに、なんで『しぶしぶ』みたいな言い方をしたのかが、さっきちょっと引っかかっていた。


 「嘘って。人聞き悪いんですけど」


 「数学教えるの、昔から上手だったし好きでしたよね?? 青山先生は教師にもロボット博士にもどっちもなりたかった人で、片方を選んだだけで諦めて教師になった訳じゃないでしょう?」


 教え子が卒業後も慕って尋ねてくるほど、青山くんは素敵な先生だ。あんな言い方をされたのが、少し寂しかった。青山くんに否定して欲しくて、何故か薄っすら怒り口調になってしまった。


 「相変わらずだな、サヤ子は。昔から他人に優しく自分に厳しいな。教師になりたかった事、本当になかったから、今までは教師の仕事を『妥協』って思ってた部分があった。でも確かに、昔から人に数学教えるの好きだった。塾講のバイトも楽しかったし、サヤ子に教えて、サヤ子がどんどん数学解けるようになる姿を見るのも嬉しかったし。博士を諦めたのは事実。だけど、教師は天職だと思ってる。だから、そんなにムキになって抗議すんなよ、サヤ子。でも、ありがとう。俺の仕事を『昔からなりたかったもの』にしようとしてくれて、嬉しいよ」


 青山くんは、眉を八の字にしながら笑うと、私の頭を撫でた。


 …嘘と言えば。


 「青山先生、私に『嘘つき』って言いましたよね? 心外なんですけど!!」


 私も私で、聞き捨てならなかった事を思い出し、私の頭を撫でる青山くんの手を握って止めた。


 「嘘つきじゃん。『自己犠牲はしない』とか言っときながら、何の案も浮かばないサヤ子先生は、結局自分1人で処分受けようとしてたっしょ」


 「……」


 言い返せない。でも、そんなアホな子みたいな言い方しなくてもいいのに。


 反論を考えていた時、


 ―――ぐーーーー。


 「……」


 「サヤ子」


 「…ハイ?」


 「今の腹の音、俺のせいにする気じゃないよな? 鳴らしてません風を装ってる様だけど」


 「……」


 やっぱり誤魔化せなかった。お腹を擦りながら、恥ずかしさのあまり、顔を熱くしていると、


 「腹減ったら誰だって鳴るんだから、そんな顔真っ赤にしなくても。…どんまい」


 青山くんが笑いながら私の背中を軽く叩いた。


 もう嫌だ。何で今鳴るかなー。


 「…私、戻ります」


 恥ずかしすぎるので脱走を試みると、


 「サヤ子」


 青山くんが、ドアに手をかけた私を呼び止めた。


 「ペナルティ、決めた。他の先生がいない時は敬語禁止」


 「でも、青山先生はこの仕事では先輩ですし」


 さすがにそれは出来ない。社会人として、失礼だと思うから。


 逃走をやめ、ドアから手を離し、振り返って青山くんの方に身体を向けた。


 「でもじゃねぇ。これ、決定事項だから、違反したらまたペナルティつくからな。つーか、早く戻れって。腹、限界なんだろ」


 青山くんが意地悪そうに笑った。


 確かに限界。もう1回くらい鳴りそう。


 「…じゃあ、行くね。青山くん」


  約束通りタメ口をきくと、青山くんが嬉しそうに笑った。

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