玉ねぎに涙。
-----------金曜日のある朝。
自転車通勤のはずの私は、両肘にビニール袋をぶら下げ、両手でダンボールを持ってバス停に立っていた。
荷物の内訳:ALL玉ねぎ。
長崎で野菜を作っている叔父さんが、規格外で出荷出来なかった分を大量に送ってくれたのだ。
…が、一人暮らしの私が全てを消費するのは難しい為、先生方に貰って頂こうと考えたのだ。
しかし、玉ねぎの重みで肘にはビニールが、指にはダンボールがめり込んで痛い。
…持ってきすぎたかな。
若干の後悔をしていると、
「うわ!!」
突然、後から誰かが私の腕を引っ張った。
「何その荷物。学校持ってくの?」
バランスを崩しかけた私を、青山くんが支える様に、私の腰に手を添えた。
「あ、おはようございます。叔父が送ってくれた玉ねぎなんですけど、一人じゃ食べ切れなくて、先生方におすそ分けしようかと…」
すぐさま体勢を整え、密着してしまった身体を離す。青山くんは昔から、背中摩ってみたり、頭撫でてみたり、とにかくボディータッチが多い。適度な距離を取って置かないと、思い違いしてまた良からぬ癖が出かねない。私はもう絶対にストーカーにはならない。なりたくない。
「へぇー。あ、順番どうぞ」
青山くんは、私がすぐさま後ずさった事が癇に障ったのか、少し顔を歪めると、私たちの後ろに並んでいた人に順番を譲り、私を列から外した。
「この辺でちょっと待ってて。俺、家戻って車取ってくるわ」
そして、来たばかりの道を引き返そうとする青山くん。
「大丈夫です!! これくらい自分ひとりで運べます」
「じゃなくて、そんなに荷物があると周りの人に迷惑かかるでしょ」
…確かに非常識だ。青山くんの言う通り。
超自惚れてた。青山くんは、私の為ではなく、迷惑するであろう人々を気遣ったのだというのに…。
「そうですよね。すみません。私、1回アパート戻って、量減らしてから自転車で学校行きます。だから、青山先生はバスに乗ってください」
バスの乗客だけでなく、青山くんにまで迷惑をかけるなんて有り得ない。腕時計を確認し、全力で走ればイケそうだと、急いでアパートに帰ろうとすると、
「車乗るの、嫌?」
青山くんが走り出そうとする私の腕を掴んだ。
「違います違います。青山先生に面倒かけるのが嫌なんですよ」
「面倒じゃないから。てゆーか、むしろサヤ子のそういう頑固なとこが面倒かも。サヤ子は俺に遠慮とかしなくていいんだって」
「頑固で面倒…」
青山くんの言葉が、地味に突き刺さる。
「そこだけ切り取るなって。サヤ子に遠慮されるのが嫌だって言ってんの。という事で、ここでちょっと待っとけ」
青山くんは ポンと私の肩を叩くと、『いや、でも』とそれでも遠慮しようとした私を置いて、マンションに走って行ってしまった。
…こんなに持ってこなきゃ良かったよ。玉ねぎって使い勝手いいし、日持ちもするし、みんな喜んでくれるだろうと勝手に思っていたけれど、思いっきり迷惑かけてるじゃん。
『はぁ』と溜息を吐きながら道の端っこへと移動すると、手に持っていたダンボールを地面に置き、その上にビニール袋を乗せた。
失敗したなぁとしゃがみ込んでいると、目の前に1台のSUVが止まった。
「お待たせ」
颯爽とその女ウケの良さそうな車から降りてくるイケメン・青山くん。そりゃ、モテるわ。そりゃ、彼女持ちって分かっていながらも朝倉先生が狙ってしまうわけだわ。
妙に納得しながら立ち上がり、
「お手数お掛けしてすみません」
このモテ車に玉ねぎを積んでしまって良いのだろうか??と戸惑いながらも、ダンボールを持ち上げると、
「いーえ」
青山くんが私の手からダンボールを取り、車のトランクに入れた。
大量の玉ねぎも、イケメンが運転するモテ車に乗ってしまえば、『これからキャンプでパーティーです』風に見えなくもないかもな。的などうでも良い事を考えていると、
「よし!! じゃ、サヤ子も乗って」
と青山くんが助手席のドアを開けてくれた。イケメンジェントルマンだよ、青山くん。だから、そりゃモテるに決まってるよ。もう、本当にこういうの止めてくれないだろうか。どうしたって嬉しくなってしまうから。
「すみません。おじゃまします」
込み上げる嬉しさを、ぶり返しそうな恋心を『青山くんには彼女がいるんだよ。そもそも私は嫌いになられても好かれる事なんて何があってもないんだよ』と言い聞かせ、葬る。私の冷静な部分、頑張れ。
「全然おじゃまじゃないですよ」
青山くんが助手席側のドアを閉め、運転席に回った。シートに座り、エンジンをかけハンドルを握る青山くん。
「あ。ちょっと待ってください。安田もこの近くに住んでるはずなので乗せってってあげましょうよ」
アクセルを踏もうとしていた青山くんを止め、ポケットから携帯を取り出し安田のアドレスを探っていると、
「はぁ? 何で?」
青山くんが、携帯の画面をタッチしていた私の人差指を握り、中断させた。
「え。だから、安田のアパートもこの辺なので…」
「新人が車通勤なんて100年早いわ」
安田を乗せるのが嫌なのか、青山くんが車を走らせてしまった。
「私も歳はいってますけど新人ですよ?」
ここに、安田も乗っていて欲しかった。かつて好きだった人の車に乗るのは、変に無駄な昂揚感が湧き立ってしまうから。
「サヤ子はいいの」
青山くんの基準がさっぱり分からない。元クラスメイトのよしみだろうか。
しかし、運転する青山くんの横顔はやっぱりかっこいい。ほらね、無駄にときめく。桜井先生が羨ましい。
見ないように見ないように。これ以上青山くんに変な感情を持たない様にと、助手席側の窓の外の流れる景色を見ていると、
「てか、叔父さんはサヤ子が相撲部屋に住んでるとでも思ってんの? 多すぎだろ、玉ねぎ」
青山くんが私の後頭部に話しかけた。ので、青山くんの方を見ざるを得ない。
「あ。私、去年まで病院の寮に住んでいたので、このくらいの量はみんなであっという間に消費出来てたんですよ。 叔父にはちゃんと『今年からは一人暮らしだよ』って言っておいたつもりだったんですけど、去年と同じ量送られて来てしまって…。形はいまいちで商品に出来なかった玉ねぎですけど、味は本当においしいので、是非みなさんに食べて頂きたくて…」
来年はしつこく『一人暮らしだから少しでいいよ』と叔父さんに言い聞かせておこう。今年のうち言っても、きっと忘れるだろうから。
言い終わって、また窓の外に視線を移す。
「なるほどねー。あ、サヤ子今日何時に帰る? 帰りも乗っけてくよ」
後頭部に、今度は青山くんのいらない優しさが飛んできた。 勘違いされたくなかったら、気軽にそういう事を言わないで頂きたい。ただでさえ私、ストーカー気質なのに。青山くんも青山くんだ。危機管理能力がなさすぎる。
「帰りは荷物ないですし、大丈夫です。それに、桜井先生にあらぬ誤解が生じるのも嫌ですし」
やんわりお断りすると、
「瑠美はそんな事で目くじら立てる様な奴じゃないよ」
青山くんの表情が少し歪んだ。
瑠美…桜井先生の事だろう。
「青山先生は桜井先生が大好きなんですね。さっきの私の言い方、語弊がありましたね。私も桜井先生はそんな人じゃないと思います。ただ、私が仮に青山先生の彼女だったら、自分の彼が他の女の人を優しく扱うのは嫌だなって…。私は心が狭いから。あ、『仮に』です。…気持ち悪い話してすみません」
何を言っているんだろう、私。
車乗せてもらってる分際で、さっきから青山くんの気に障る事ばっかり言ってしまってるよ。
「~~~あー。もー。自分が嫌になる」
青山くんが突然、私が思っていた事を口にした。
「…私の心の声、漏れてました?」
「は?」
話が噛み合わないまま学校に着いた。
青山くんが、職員玄関前の駐車場に車を停車させる。
「すみません。ありがとうございました」
シートベルトを外し、速やかに車を降りると、
「どういたしまして」
青山くんも車から出てきて、トランクを開けた。2人で玉ねぎが入ったダンボールとビニール袋を取り出そうとしていると、
「何で青山先生と高村先生が一緒に出勤してるんですか?」
朝倉先生が眉間に不快皺を寄せながらこっちへ向かって来た。そんなに睨まなくても…。
「俺が乗れって言ったから」
イヤイヤイヤ。心の中で青山くんに突っ込む。
成り行きを端折って結果だけ言ってどうするんだ、青山くん。余計に誤解されるでしょうが!!
「おはよう、朝倉先生。実は、叔父から大量に玉ねぎ送られてきちゃって…。バスで運ぼうとしてたのを、見かねた青山先生が車出してくれたの。良かったら朝倉先生ももらってくれないな?」
『ホラッ』とダンボールの口を開け、朝倉先生に見せた。
「多っ!! なんだぁ。高村先生、どんな手使ったんだろうと思っちゃった。私、玉ねぎ好きなので是非いただきます。どのくらいもらっていいですか?」
誤解は解けた様で、すぐさま朝倉先生の機嫌はもと通り。
「好きなだけどうぞ。いっぱいあるし、余ってももったいないので」
「じゃあ…」
朝倉先生がケアの行き届いたスベスベの手で玉ねぎを掴もうとしたので、
「あ、臭いついちゃうから、どのくらいか言ってくれれば、後で私が袋に入れて渡すよ」
慌てて朝倉先生の手を阻止すると、
「え、何言ってるんですか。私、家庭科教師ですよ? 年は高村先生より下ですけど、高村先生より玉ねぎ触ってる回数多いと思いますけど。臭いとか全然気になりませんから」
と、朝倉先生は素手で玉ねぎに触ると、吟味しだした。
さすが家庭科教師、どれが新鮮とか美味しいかとか、見て分かるらしい。
女子力高めな上に、変に女の子女の子してない朝倉先生。こういうタイプ、好きだな。
3人で玉ねぎを囲み、談笑していると、
「アレ? 翔太、今日車なの?」
今度は桜井先生が来た。
「わー。玉ねぎいっぱい」
次いで安田も登場。
そんな2人に、朝倉先生が玉ねぎと車の件を説明してくれた。
「てゆーか、なんで車で通勤しないんですか?」
説明が終わると、早速青山くんに話を振る朝倉先生。桜井先生がいようとも、お構いなしに今日も青山くんを狙っている。
「乗せてって言われたり、終電とか終バスとかの時間制限がないと、面倒臭い仕事が回ってきたりするから」
そっけなく答える青山くん。
朝倉先生には悪いけど、桜井先生の前でその態度は正解だ。
「ねぇねぇ。こんなに玉ねぎあるなら、玉ねぎパーティーしようよ!! サヤ子センセ」
安田は今日も私に絡みつく。今日もいつも通り可愛い安田。
「どこで?」
可愛いけれど、『ここは学校です』と安田を引き剥がす。
「ウチくる? 狭いけど」
私に避けられて、少し悲しそうな表情をする安田も、やっぱり可愛い。もう、これは母性かもしれない。弟にしたいと思っていたけれど、息子でも良いかも。溺愛決定だわ。
「安田のアパートって外からしか見たことないけど、見るからに狭そうだよな」
いつも安田と同じバスに乗っている青山くんは、安田のアパートを知っているらしく、私たちの会話に入って来た。
「サヤ子センセ1人くらい入れますー。社会人1年目なんだから、まだ青山先生が住んでるマンションみたいなとこは借りられないに決まってるでしょうよ」
安田が青山くんに向かって口を尖らせた。
「サヤ子先生しか入れねぇじゃん。俺たちは?」
青山くんが安田の突き出た唇を摘まんで捻った。
「青山先生たちも来るんですか?」
『痛っいなぁー』と言いながら頬を膨らます安田に、
「行きますけど?」
青山くんが何故か意地悪そうな顔をした。
2人のやりとりを微笑ましく眺めていると、
「サヤ子先生も人数多い方がいいだろ?」
ふいに 青山くんが私に話を振ってきた。
「そうですね」
一応同調してみたけれど、そもそも『みんなでやりましょう』って意味ではなかったのだろうか。
パーティーなんだから、大勢の方が楽しいだろうし。
「だってさ」
青山くんが、安田にわざとらしく『ふふん』と鼻で笑った。
「俺、青山先生嫌いになりそう」
青山先生にいじめられた子どもの様に、安田が私の服の裾を握った。
安田の言動と行動の意味は分からないけれど、いちいち可愛い安田の仕草に萌えずにいられない。
安田の頭をよしよしと撫でていると、
「じゃあ、翔太の部屋にしましょうよ。私が揃えた調理器具もあるし」
桜井先生が敢えて『私が揃えた』を強調ながら提案をした。『青山くんは私のものですよ』という意味が込められているのだろう。当然それに朝倉先生が気づかないわけもなく、物凄い目つきで桜井先生を見ていた。折角の可愛い顔が台無し。
「明日って、みなさん何かご予定ありますか?」
朝倉先生に鋭い眼差しを向けられようとも笑顔の桜井先生。桜井先生はきっと、青山くんに愛されているから、朝倉先生の存在も余裕なのだろう。
そんな桜井先生が、青山くんの許可なく明日パーティーを開こうとしているようだ。彼女だから許可なんか取る必要ないのだろうか。
『おじゃましちゃって良いんですか?』それでも念の為、小声で青山くんに話しかけると『うん。構わないよ。おいでよ、サヤ子』と小声で快諾してくれた。
「あの、私、明日大丈夫です」
桜井先生に返答すると、
「俺も行きまーす」
「勿論私も」
玉ねぎパーティー発案者の安田と、桜井先生に敵意剥きだしの朝倉先生も参加を表明。
「よし!! じゃあ、急ですが明日にしましょう」
張り切り出した桜井先生。
「明日は玉ねぎで何を作りましょうか? 玉ねぎを大量に消費出来る料理って何だろう?」
ここは家庭科教師の出番だろうと、朝倉先生に聞くが、
「料理は私に任せて下さい!!」
桜井先生も料理が得意なのだろう。『キッチンに女は入れない』くらいの勢いで桜井先生が答えた。桜井先生のその振る舞いに、朝倉先生の機嫌は更に悪くなり、『質問が悪かったんだ』と1人ザワついた。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて…。飲み物は私に用意させて下さい」
慌てて料理の話から逸らすと、
「だったら、荷物持ちするから一緒に飲み物買いに行こ♬」
安田がニッコニコな笑顔で助っ人を買って出てくれた。癒されるなぁ、この笑顔。あぁ、本当にかわいい。なぜ、ジャニーズに入らずにここで一緒に働いているんだ、安田よ。
明日のパーティー、楽しくなればいいな。みんなともっと仲良くなれればいいな。
----------土曜日。
近所のスーパーで飲み物を買い、安田と一緒に青山くんのマンションへ歩く。
「重…」
浮かれた安田が大量にお酒を買った為、重さのあまり二の腕がピクピクした。
少し前まで大学生だった安田は、大学生の家飲みのテンションなのだろう。会計時に『本当にこんなに飲めるの?』と疑ったが、足りないよりは良いだろうと、結局結構な量を買い込んでしまった。
やっぱりもう少し少なくすれば良かったと悔やんでいると、
「だから、全部俺が持つって」
後悔を滲み出している私が目に付いたのか、安田が私の手に持たれているビニール袋に手を伸ばした。
「大丈夫。何にも持たないとか心苦しいし」
安田に持たせまいと咄嗟に手をひっこめる。
自分の態度が悪かったせいで、安田に変な気を遣わせてしまった。
「俺だって、行き交う人に『女に重い物持たせる男』って思われたくないんだって。だから、ほら」
安田が『荷物ちょうだい』と尚も手を伸ばす。
安田は可愛い。優しい。面白い。だから、生徒にも人気がある。…が、
「安田は確かに確実に、世間で言う『イケメン』の類に入ると思うよ。でも、行き交う人の注目浴びてるー?」
ちょっといじわるを言いながら、出したままになっている安田の手を下ろしてやった。
「なんか、今日いじわるー。サヤ子センセはさぁ、普通に『持たせて』って言ってもどうせ断ると思ったから、無理矢理変な理由つけただけなのにー」
拗ねる安田も漏れなく可愛い。
「ごめんごめん。だって、安田に気使わせるの嫌なんだもん」
「別に気なんか遣ってないよー。ただ、サヤ子センセに気に入られたいだけー」
安田がいたずらっ子のように『ニィ』と口を横に伸ばして笑った。
もう、だから何なんだ、この可愛さは。
「今の、好きな子にだけに言ってなよ。色んな人にその技使ってると、うっかり勘違いしてしまう人だっているかもしれないでしょ?」
自分の様な、悪気もなくストーカーになってしまう人間がいたら可哀想だと思って、妙な助言をしてみた。悪意のないストーカーに纏わりつかれるなんて、安田だって嫌だろうし。
「俺、サヤ子センセ好きだもん」
サラっと言っちゃう安田。この子は自分がイケメンだという自覚がないのだろうか。イケメンくんが何の気なく言ったLIKEの方の『好き』で思い違いする女子だって、この世にはいるんだよ。なのにコイツはー。それとも何か。それを知っていてやってる小悪魔パターンか? どっちにしろ厄介だ。注意しておこう。
「私も安田の事は好きだよ。でも『好き』は彼女にしたい人にだけ言わなきゃ。色んな人に簡単に言ってたら言葉に重みがなくなる」
説教じみた事を言ってみたりしたが、自分みたいな哀れな女が生まれない様に…と言うのが本心だったりする。
というか、私が元々ストーカー気質だったからストーカーになってしまっただけで、他の女の人達は簡単に勘違いとか起こさないんだろうか?
「俺、サヤ子センセにしか言ってないよ?」
安田が少し切ない顔をして私を見つめた。
そう、まさにコレだ。こんな事を言われても、世の女性達は勘違いしたりしないのだろうか?
「安田は自分がカッコイイ事を知ってるのか知らないのか分からないけど、知ってるとしたら、自分が思ってるより自分がカッコイイ事、もっと自覚してよ。それと私、他の人の数百倍勘違いバカだから、そこんとこも覚えておいて」
「何それ? でもサヤ子センセに『カッコイイ』って言われたー。やべぇー。嬉しー。でもやっぱ意味分かんねー」
安田が照れながら笑った。
「分かんなくていいの」
そう、私がストーカーだった過去なんて誰にも知られたくない。
青山くんは…誰かに私の過去を話たりしただろうか。
桜井先生には言ったのだろうか。
急に青山くんのマンションへ行くのが怖くなって、足が止まる。
本当はみんな、知ってて知らないフリしていたりするのだろうか。でも10年も前の話だし、青山くんだってそんな昔の話をいちいちみんなにするだろうか。
「安田は…私の事、気持ち悪くないの?」
安田は優しい。
知っていたとしても『気持ち悪いに決まってるじゃん』等と言うわけないと分かっていて敢えて聞いてみる。
安心したかったから。
「はぁ? 何急に。今日のサヤ子センセ、まじで意味分かんない」
安田は本当に意味が分からない様子で、逆に急に立ち止まった私を心配そうに覗きこんだ。
青山くんはきっと誰にも言ってない。
「サヤ子センセ、今度意味分かんない事言ったらチュウするよ」
「意味分かんない」
安田こそ意味が分からない。どういう流れでそうなるんだ。
「サヤ子センセの事、大好きですよー。気持ち悪いなんて思ってないですよーって証明。ねぇ、チュウしよ?」
『チュー』と言いながら顔を寄せてくる安田。
やばい。耳が熱い。絶対赤くなってる。
てゆーか、こんなに可愛い男子にこんな事言われて、平然でいられる人なんているの?
「サヤ子センセ、顔真っ赤」
安田が『可愛いー』と私の頬を人差指で突いてくるから、その指を振り払いながら両手で顔を覆った。
耳どころの騒ぎじゃなかったんだ。顔までも赤かったとは…。
「黙れチャラ男!!」
恥ずかしさの余り、安田を置き去りにして走った。…が。
「イヤイヤイヤ。俺が女子より足遅いわけないじゃん」
すぐに追いつかれ、肩を掴まれてしまった。足遅すぎ。
余計に恥ずかしい。
「もうやだもうやだよー。昔はもっと早く走れたのに。足だってもっと上に上がってたのに。加齢のせいだよ。ばばぁだよ。ばばぁやだよー。ばばぁだから帰りたいよー」
羞恥の余り、わけの分からない事まで口走る始末。
「サヤ子センセはばばぁじゃないよ。ばばぁじゃないから帰っちゃだめだよ。つか、何。ばばぁだから帰りたいって。どんな理由だよ」
私に突っ込みを入れながら、お腹を抱えて笑い出す安田。
何から何まで恥ずかしい。
安田に馬鹿にされながら青山くんのマンションに到着。
青山くんのお部屋に上がり、買ってきた飲み物を並べている最中にも、安田は私を見る度にさっきの事を思い出しては笑っていた。
「何? ここ来るまでにそんなに面白い事があったの?」
桜井先生が、テーブルにお皿を並べながら、笑い続ける安田に尋ねる。
「何もないです!!」
安田に余計な事を話させまいと私が代返。
「サヤ子センセと俺の秘密ー」
安田が『ねー』と変に意味深めきながら私に同意を求めてきた。意味深な事など何もないが、みんなに話す程の事でもないので『ねー』と返す。
「相変わらず仲いいなぁ」
私たちより早く来ていた朝倉先生が、テーブルの中央に大きな箱を置いた。
「ケーキ?」
いい歳をして中身がケーキであろうその箱に飛びつく。さすが、朝倉先生。パーティーの手土産にケーキをチョイスするとは、女子力高し。
「お口に合うか分かりませんが…」
朝倉先生が、ケーキに喜ぶ私に『そんなに期待しないで下さいよ』と困った様に笑った。と、いうことは…。
「朝倉先生、作ったの!? 玉ねぎで!?」
『それはある意味期待大だよ』と朝倉先生に言うと、朝倉先生も他みんなも一瞬黙り、
「それ、本気で言ってんの?」
安田がゲラゲラ笑うと、
「そんなわけないじゃないですか!! ケーキに玉ねぎ入れるわけないじゃないですか!!」
朝倉先生も大笑い。
「イヤイヤイヤ。今日、『玉ねぎパーティー』だから入ってると思うでしょ」
そんなに笑われる事は言っていないと思うのに、
「イヤ、思いませんよ」
桜井先生までも笑うという事は、笑われても仕方がない事だったらしい。
「どんまーい」
青山くんからは、特に失敗した自覚もないのに励ましの言葉を頂いた。
「サヤ子センセ、今日絶好調だね」
最早安田の笑いは止まらなくなってるし。
思いがけず笑い者になってしまっているけれど、みんな楽しそうだし、いっか。
桜井先生の美味しい料理と、朝倉先生のプロ並のケーキに、お酒も入ったせいでパーティーは盛り上がった。
私以外は。
今回のパーティーには上司がいない。
気を遣う人間がいないと飛び出る話題は『上司の悪口・下ネタ・昔話』と相場が決まっているという事を、すっかり忘れていた。
誰かが昔話をする度にビクビクして、手汗が出てきてしまう。
どうか、大学時代を話題にしないで。どうか、青山くんも言わないで。
青山くんはお酒を飲んでいる。
酔ってるかもしれない。
みんなに話してしまうかもしれない。
私にだけ、変な緊張感が走っていた。
「青山先生って大学どこですか?」
願い虚しく、青山くんの隣をピッタリマークした朝倉先生が、一番避けたい時代の話をし出した。
「K大」
余計な事は言わず、出身大学だけを答える青山くん。お願いしますお願いします青山くん。いっぱい反省したから、今もちゃんとしているから、どうかこれ以上は言わないで。
太ももの上でぎゅうっと拳を握りしめていると、
「あったまいいー。サヤ子センセはどこだっけ??」
自然の流れで、今度は安田が私の母校を聞く。
どうしようどうしよう。H大嘘を吐いてしまおうか。H大なら国内交換留学してたから、雰囲気とかなんとなく分かるし。でも、青山くんが私の履歴書を見ていたのなら、桜井先生の目にだって触れていたかもしれない。ここは正直に答えよう。同じ大学だったからって、知り合いである必要はないんだから。
「…K大だよ」
それでもやっぱり言いたくなくて、ボソボソ小声になる。
「え!? サヤ子センセも!? あれ、2人ってタメだよね? 面識無かったの?」
やはり安田に拾われた。面識、無かった事にしてもバレないだろうか。打ち合わせなしの私の嘘に、青山くんは乗ってくれるだろうか。…無理だ。だって青山くん、お酒2缶以上は空けている。下手に嘘なんか言ったら、逆にあの過去をバラされ兼ねない。
「…青山先生の事は、K大のみんなが知ってたんじゃないかな。すごくモテてて有名だったから」
我ながら上手く切り返せたと思った。…のだが。
「なんかその言い方だと、俺の方がサヤ子の事知らなかったみたいじゃん」
サヤ子の後に『先生』をつけ忘れている青山くんは、結構酒が回っているのだろう。
「え?」
他の3人の視線が私に集まる。
どうしたら昔の過ちを言わなくて済むだろう。自分の過去を隠してみんなと仲良くしたいなんて、虫が良い話だと思う。分かってる。でも、みんなに嫌われたくない。
「…えっと」
言葉が続かない。この場を切り抜ける方法が浮かばない。
「高村先生と知り合いだったの? なんで教えてくれなかったの?」
桜井先生が、答えあぐねる私ではなく、青山くんに詰め寄った。
「聞かれなかったから」
サラっと返す青山くん。ホっと胸を撫で下ろす。青山くんが口を開こうとする度に気が気ではない。なのに、
「サヤ子センセって大学時代どうでした?」
安田まで青山くんに話を降り出した。
「私の話なんて全然面白くないから!! 地味で目立たない学生だったし。安田の大学時代はどうだったの? チャラかった?」
青山くんに投げかけられた話題を横取りし、無理矢理安田の話にすり替えようとするも
「サヤ子は実は英語ペラペラ」
教師をいう職業柄なのか、自分に質問された事はきっちり答える青山くん。
しかしその回答、虚偽でしかない。英語は確かに好きだった。でも、ペラペラとは森田くんが話す様な英語であって、私はどうにかこうにか意志疎通が出来る程度だ。
「いえ。そんな事ないです」
青山くんの話を訂正すると、
「そんな事あるだろうが。 カテキョもしてたし、留学もしたし、受験の時だって教えてくれたじゃん」
青山くんが、私の訂正を否定した。青山くんの口から、じわじわと過去の情報が漏れ出す。
下手に言い直さずに聞き流しておけば良かった。
「受験? 高校も一緒だったんですか?」
朝倉先生が『受験』と言う言葉を聞き逃さなかった。
高校も一緒だった事もバレてしまった。
だめだ。隠し通せない。
「そう。サヤ子は俺の…『ストーカーだった』
青山くんが言わんとするその先の言葉を自ら白状する。暴露されてしまうなら、自白した方が、自分が少しでも傷つかない言葉を選べるから。
自分が悪い。分かってる。でも、お願いだから反省した過去の傷を乱暴に抉らないで。
和やかだった空気が固まった。
「…え?」
俄かに信じられない様子の安田が、半笑いで聞き返す。
「…ストーカーだった。あの頃、青山くんの事が好きで、大学まで同じとこに行ってつきまとってたんだ。私」
アルコールは涙腺を緩くする。加害者のくせに泣こうなどとする卑怯な自分を、必死に抑えつける。
「ねぇ、何言ってんの? サヤ子」
青山くんは怒った様な低い声を出すと、私の二の腕を掴み『何で!?』と言いながら揺すった。
『何で!?』って、じゃあ、青山くんは『サヤ子は俺の』の後なんて言ってた? 『クラスメイトだった』て言ってくれていた? だとしても、腹の中では『ストーカー』って思っているでしょう? それに、一時的にこの場を切り抜けたとしても、この調子だと今後また昔ばなしに花が咲いた時、いつかバレる時が必ず来る。隠蔽なんて無理だ。
「翔太は根に持つタイプじゃないから、大丈夫ですよ。高村先生」
桜井先生が私の腕を握る青山くんの手を掴み、下ろした。
「まぁ、若気の至りってありますよね」
朝倉先生は、私に気を遣ってか困り顔になりながらも笑いかけてくれた。
「…すみません、気を遣わせてしまって。空いたお皿洗ってきます。それだけ片したらお先に失礼しますね。…こんな空気にしておいて逃げるっていうのも卑怯極まりないんですけど…」
みんなの顔を直視出来なくて、頭だけ下げると、 何枚かお皿を重ねて持ち、キッチンに逃げようと立ち上がった時、
「サヤ子センセ、手伝うよー」
安田も一緒に立ち上がった。あんな話を聞いた後でもいつも通りに優しく接してくれる安田。嬉しいけど、有難いけど、勝手な言い分だって分かっているけれど、放っておいて欲しい。今はこれ以上突かないで。お願いだから。
「サヤ子は、俺の事『ヒドイ奴』って思った事ないの?」
キッチンに逃げ込もうとした私を、青山くんが見上げた。
「…そんな風に思っていたら、ただの逆ギレじゃないですか。ヒドイ人間は私です。青山先生、今日まで誰にも言わないでいてくれてありがとうございました。いつも普通に接してくれて、親切にしてくれて、私なんかもパーティーに呼んでくれて、感謝しています。本当は私となんか関わりたくないはずなのに…申し訳ありません」
その場に両膝をつき、青山くんに頭を下げながら唇を噛み締めた。青山くんに、下から自分の顔を見られたくなかったから。
泣きそうになるのを、唇の痛みに神経を持っていき、自分を欺こうと試みる。
「『ヒドイ奴』ってどういう事ですか? 俺、サヤ子先生が他人の嫌がる事する人間には、どうしても思えない」
安田が青山くんに強い口調で言い放つ。
「安田、私の事買いかぶり過ぎだよ。ありがとうね。安田、優しいね。私、実はそういう人間なんだよ。騙すつもりはなかったんだ。だけど、ちょっとでも良い人間に思われたくて、過去の自分を隠してた。ごめんね。ごめんなさい」
何故か青山くんに怒りの矛先を向ける安田の服の裾を掴み、青山くんから離れる様に引っ張った。
「サヤ子センセに聞いてない。俺は青山先生に聞いてるの」
安田は私の方を向く事なく、真剣な顔でじっと青山くんを見ていた。
「…俺は『私が話す。私が全部話すから私に聞いて。ごめんね、ずっと黙ってて。軽蔑されたくなかったんだ』
何かを言いかけた青山くんを遮る。青山くんの口から言われるのは、耐えられない。
「何を話せばいい? 何が聞きたい? 何を聞いてもいいよ。正直に話すよ」
掴んでいた安田の洋服の裾を更にきつく握りしめ、更に強く唇を噛んだ。
折角懐いてくれた安田もきっと、私の事を嫌いになってしまうだろう。
「……」
安田は悲しそうな目をするだけで、何も訊いてこない。
「…一方的に好きだった。青山先生の事。一緒にいる時間が長かったから、青山先生も自分の事を好きなのかなって勝手に思い込んでた。怖いよね。キモいよね。嫌われてるなんて思ってもなくて、いっつも青山先生の事探して、追いかけて。青山先生の迷惑を何も考えてなかった。楽しいはずの青山先生の高校・大学時代の思い出に、私は汚点を付けてしまった。本当に申し訳なく…」
だから、安田が知りたいであろう真実を明かす。10年前の後悔が押し寄せて、目に涙が滲み、声が途切れる。
「高村先生、唇から血が出てる。お皿は私が片しますから帰って手当して下さい」
言葉に詰まった私に、桜井先生が助け舟を出してくれた。
「安田もいい加減にしなさいよ」
朝倉先生が軽く安田に蹴りを入れ、私が運ぼうとしていたお皿をキッチンに持って行ってくれた。
私の本性を知っても、罵るどころか優しさをくれるみんなの気持ちが、ただただ申し訳なくて苦しい。
「すみません。ありがとうございます。この埋め合わせは必ずさせて下さい。今日はお先に失礼します。ごめんなさい」
そんなみんなに頭を下げて、フリーリングの端に置いていた鞄を急いで拾い上げては、逃げる様に玄関を出た。
早く帰って泣きたかった。我慢が限界だった。
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