説教部屋へようこそ。

 


 翌朝は自転車に跨り軽快に出勤。


 昨日はスーツでヒールを履いていたからバスで出勤したけれど、アパートから学校までは自転車でも通える距離なのだ。


 「あれ、サヤ子センセ今日は自転車なんだ?」


 校門をくぐり抜け、自転車から降りると、後ろから声をかけられた。


 振り向くと、今日も可愛い安田がいた。その隣には青山くんもいて。そっか、同じ町内に住んでいればバスも一緒になるもんね。


 「おはよ。自転車の方がバス時間気にしなくていいからさ。おはようございます、青山先生」


 安田に返事をして青山くんに挨拶をすると、青山くんが自転車をひいて歩く私を見て、


 「おはよ。職員用はこっち」


 と、私の代わりに自転車をひいてくれた。


 「大丈夫です。自分で運びます」


 が、自転車を転がせられないくらい非力ではないので、青山くんから自転車を取り戻そうとすると、


 「大丈夫です。俺が運びます」


 青山くんが私の真似をしながら断った。


 青山くんは、多少チャラくてもこういうところがジェントルマンだからモテるんだろうなと、1人で納得していると、


 「てゆーか、この大量のカップ麺は何なの?」


 安田がポンポンと私の肩を叩き、『ひとり暮らしの男子大学生かよ』と、自転車のかごを指さしながら笑った。


 「お昼ごはんです。私は保健室で食べられるから、他人の目とか気にしなくていいんだもん」


 安田に遠回しに女子力のなさをバカにされようとも、自分の為に毎日お弁当作りなんか面倒くさいし、学食より安上がりだし、別に誰にどう思われてもいいもん。と開き直ると、


 「ずるーい。俺も保健室で食う」


 私に女子力など求めていないだろう安田が、今日も私の腕に絡みついた。


 「学校で絡んじゃダメ。生徒に誤解されると安田に迷惑かかるでしょ。あと、保健室で食べるのもダメ。先生が2人もいたら入って来づらく感じる生徒の子もいるだろうし」


 絡まる安田を引き剥がしながら、幼い子に言い聞かせる様に叱ると、


 「はーい」


 安田はしょんぼりと口をすぼませながら私の腕を放した。 


 聞きわけの良い素直な安田に『良いお返事ですねー』などと言いながら笑いかける私に、


 「元看護師のくせにジャンクなの食うし」


 青山くんが白い目を向けた。


 「大丈夫ですよ!! 一緒に100%の野菜ジュースも飲みますから!!」


 ガッツポーズをしながら反論してみたけれど、


 「だから何だよ。ジャンクさを野菜ジュースで相殺できねぇだろ」


 「…ぐっ」


 青山くんのごもっともな正論に返す言葉をなくす。


 「ばーか」


 青山くんは呆れながら笑うと、自転車を駐輪場まで運んでくれ、大量のカップめんの袋までも保健室に運んでくれた。




 その日のお昼休み、保健室のテーブルでカップ麺を食べるべくお湯を注ぎ、時計を一点見つめしながら4分待っていると、『あと1分!!』という時に扉が開く音が聞こえた。


 もー、タイミング悪いな。誰だよー。と、カップめんに気を取られつつ扉の方に目を向けると、


 「ラーメン作ってるって事は、今ひとりなんだ?」


 青山くんがベッドの方を見ながら室内に入って来た。


 「体調、良くないんですか? 今日は怪我人も病人もいないので、ベッド空いてますよ」


 『どうぞどうぞ』とベッドとベッドを仕切っているカーテンを開け、青山くんをベッドで休む様に促すと、


 「サヤ子、どっちか食って」


 青山くんはベッドには行かず、『選んで』とばかりにお弁当を2個差し出した。


 「なんで2個も持ってるんですか? あ、今日は早弁する時間なかったとかですか?」


 ふたを開けずとも手作りだと分かるそのお弁当。


 桜井先生が早起きして作ったものならば、残したくない青山くんの気持ちは分からなくはないけれど、私が食べるは違うと思う。


 「早弁て。俺、いい大人だぞ。じゃなくて、桜井先生と朝倉先生がくれたの。俺、2個も食えないから」


 有難いというよりは、どことなく困っている様で、なんなら迷惑そうにさえ見える青山くん。


 これだからモテる人間には参ってしまう。他人の好意を何だと思っているのだろう。


 「桜井先生のは当然もらうとして、なんで朝倉先生のお弁当までもらったんですか? 桜井先生が好きなら、朝倉先生のは断るべきじゃないですか。朝倉先生からお弁当もらった事を桜井先生が知ったら、桜井先生だっていい気しないでしょうし、朝倉先生だってその気もないのに貰われたら嫌だと思います」


 イラっとしてしまい、つい説教じみた事を口走る。


 部外者のくせに、何を私は偉そうに…。 


 「…すみません。でも、貰ったからには青山先生が責任持って全部食べるべきだと思います。万が一お腹壊したら胃薬さしあげますから」


 自分の何様な態度に我に返り即座に謝るも、青山くんの視線は私ではなくラーメンに注がれていて、


 「サヤ子、ラーメン出来てるんじゃね?」


 と、カップのふたをめくり、中身をチェックした。


 「でしょうね」


 だって『あと1分』から3分は経っている。ラーメンがのびていない事を祈りながら割り箸を割る。箸をラーメンの入った容器に突っ込み、ラーメンの様子を確認していると、


 「未だに塩ラーメン好きなんだ?」


 青山くんもラーメンを覗き込み、麺の状態をチェックし出した。


 『未だに』…。高校の頃、一緒に受験勉強をしていた時、小腹が減ると2人でカップ麺を食べたりした事があった。青山くんはその時の事を覚えているのだろうか。青山くんにとって、私との思い出なんて無き物にしたいだろうに…。でも、こんな小さな事を覚えていてくれた事が、やっぱり嬉しい。


 「そうですね。塩が1番ですね。いただきま…」


 少々長めに放置してしまったラーメンを、これ以上伸びないように早速箸で麺を挟むと、その手を青山くんが掴み、自分の口にラーメンを運んだ。 


 「うま。俺も塩が1番。サヤ子に会うまでは味噌が1番だと思ってたけど」


 挙句、私の指から箸を抜き取り、半分くらい一気に食べてしまった青山くん。


 お弁当2個もあるのに何故他人の昼メシまで食べちゃうんだ、この人。しかも、中途半端だし。全部食べてくれるなら、新しくラーメン作り直すけど、半分て。さすがにアラサーにもなると、ラーメン1・5杯は食べられない。だけど、半ラーメンじゃ満たされない。


 「サヤ子、腹壊したらほんとに胃薬くれよな」


 ラーメンを私の分も残すのは優しさだと思っているのか、はたまた女子は小食な生き物で、半分あれば充分とでも思っているのか、青山くんは若干迷惑な量のラーメンを残して保健室を出て行った。




 5時間目が始まっても保健室にやってくる生徒はなく、『今日は平和だなー。 みんな健康で何よりだ』と思いながらボーっと窓の外を眺めたりなんかしていると、扉の向こうからこちらに向かってくる足音が聞こえた。


 『サボってないで仕事しなさい』って事ですかねーと心の中で呟き、体調を崩した生徒を招き入れようと自ら扉を開けると、


 「青山先生? 大丈夫ですか!?」


 足音の主は青山くんだったらしく、俯きながらお腹を摩り、蹲りかけていた。


 「腹痛くて自習にした。胃薬もらいにきた」


 顔を青くさせ、壁にもたれかかる青山くん。


 「動けますか? ベッドに行きましょう」


 青山くんの腕を持ち上げると、


 「連れてって」


 青山くんはその腕を私の肩にまわした。


 「私のラーメンにまで手出すからそーゆー事になるんです」


 青山くんを半ば引きずる様にベッドに運び、棚から薬を取り出していると、


 「弁当、全部食ったから」


 青山くんがベッドにごろんと横たわった。


 「うん。だからお腹壊したんでしょ?」


 胃薬を用意し、グラスに水をいれて青山くんに手渡した。


 相当痛むのか、青山くんはあぶら汗をかいて、半身だけ起き上がると、私から渡された薬を飲み、またベッドに横になった。


 「汗、ふきますか?」


 辛そうな青山くんにタオルを渡そうとすると、


 「俺の腹さするのと汗ふくのどっちがいい? 俺、今手離せない」


 青山くんがお腹に手を当てながら、眉間に皺を寄せた。


 「じゃあ…ふかせてください」


 タオルを青山くんの顔にそっと当て、汗を拭き取る。触ってもないのに熱気を感じた。


 「ちょっとオデコいいですか?」


 青山くんの前髪を避け、おでこに手をあてる。


 熱い。熱が出るほど痛いんだ…。


 「タオル、濡らしてきますね」


 水道に行こうとすると、青山くんが私の手首を掴んだ。


 「いいよ。サヤ子の手、冷たいから暫く乗せてて」


 青山くんが、掴んだ私の手をそのまま自分のおでこの上に乗せた。


 青山くんが『冷たいから』と言っておでこにのせた手が、みるみる熱くなる。なんなら手汗も出てきそうなほどだ。


 「…昔の事、ほじくり返すのもどうかと思うけど、私のした事は本当に最低な事だけど、青山くん、普通に平気でこういう事するんだもん。そりゃ、勘違いだってしてもしょうがないよ。ストーカーされる原因は青山くんにもあったと思う。…て、自分のした事を今更正当化したくなってしまう」


 意識しない様に平常心を保たせながら言い捨てて、青山くんのおでこから手を退かすと、タオルを濡らしにその場を離れた。


 「ばかサヤ子。…俺が1番バカだけど」


 青山くんの声に振り向くも、青山くんは私に背を向ける様に布団に包まっていた。


 結局青山くんは、そのまま5時間目が終わるまで眠った。




 


 「はぁはぁ…」


 その日の放課後、息を切らせた女の子が、突然保健室に駆け込んできた。


 女の子はびしょ濡れで、着ていた体操服はところどころハサミを入れられている様だった。


 「ど…どうしたの!?」


 慌てて戸棚から適当にタオルを取り出し、彼女にそれを渡し、自分も彼女の身体を一緒に拭いた。


 「…体操服、貸してください」


 下を向く彼女は、声も身体も震えていた。


 「うん。今用意するね。あ。貸し出し表に学年とクラスと名前書いてね」


 『風邪をひいたら大変だ』と棚から彼女に合いそうなサイズの体操服を探している間に、その子は震える右手を左手で固定しながら、貸し出し表にペン先をのせた。


 「何も…言いたくないかな?」


 体操着を手渡しながら彼女の顔を覗き込むも、


 「……」


 彼女は答えてくれず、貸し出し表に『1年1組 吉村沙織』と書いた。


 「吉村さん、制服は?」


 イジメに遭ったに違いない。制服は無事なのか。


 「…先生…要らない制服なんて…ないですよね…。私、もう、夏服も冬服も予備も全部ないんです」


 吉村さんが泣き出してしまった。


 辛かっただろうに。誰がこんなことを。そっと抱き寄せ、吉村さんの頭を撫でた。


 「誰にやられた?」


 「……」


 首を横に振って答えたくない様子の吉村さん。


 イヤ、仕返しが怖くて言えないのかも。


 …しかし、要らない制服なんて…どこかにあるのだろうか。


 「とりあえず、誰かに聞いて制服探してくるよ」


 制服もそうだけど、イジメの事も先生方に相談しようと教務室に急ごうとすると、


 「誰にも言わないで!! 先生に言ったのバレたら…何されるかわかんない」


 吉村さんが私の腕にしがみつき、懇願する様に私を見つめた。


 目を真っ赤にしてガタガタ震える吉村さん。


 『誰にも言わないで』って…。私ひとりでどう解決すればいいの? 私、教員暦1年目のペーペーで、ズブズブのド素人なのに。


 でもどうにかしなければ。ここにじっとしていても仕方がない。が、吉村さんは私の腕を放そうとしない。


 「分かった。誰にも聞かずに心当たりを探してみる。私が出たら、内側から鍵かけて。今日の保健室は吉村さん専用です」


 とりあえず、吉村さんに腕を放してもらおうと、咄嗟にありもしない『心当たり』とやらを口に出す。


 「本当に誰にも言わないで下さい」


 私に念を押しながら、吉村さんがそっと手を離した。


 「うん。約束」


 吉村さんの肩を撫で、保健室を出た。


 …約束、してしまった。


 『出来ない約束はしてはいけないよ』って小さい頃からおばあちゃんに言われてきたのに。


 でもだって、あそこで吉村さんと『どうしよう、どうしよう』って悩んでいても埒が明かないと思ったから。


 ひとまず、教務室行ってみよう。何かあるかもしれないし。


 教務室に向かって歩いていると、


 「青山ー。本当に今日来ないの?」


 「だから、無理だっつーの」


 教務室の入り口で青山先生と私服の若い子たちが話をしていた。


 「こんにちはー」


 青山くんたちに近づき、挨拶をすると、


 「こんにちはー。あ。入り口ふさいでスイマセン」


 若い子たちはとても感じ良く挨拶を返してくれ、入り口を開けてくれた。


 「コイツら、去年俺のクラスの生徒だった卒業生」


 青山先生に紹介されると、『ペコ』と頭を下げる礼儀正しい若者たち。


 『今どきの若者も捨てたもんじゃないなー』とほっこりする。


 そっかー。青山くんの教え子かぁー。…ん? 卒業生?


 ツイてる!! なんてタイミングがイイんだ!!


 「あの、私、保健室教員の高村って言います。突然なんですが、みなさんに折り入ってお願いしたい事があるんです」


 私の突然の行動にみんながキョトンとした。そりゃあ、そうですよね。初対面の人間に突然何かをお願いされても驚きますよね。しかし、このチャンスを逃すわけにはいかないので続けます。


 「青山先生は少しだけはずしてもらえませんか?」


 そして、 吉村さんとの約束もきっちり守らねば。


 「はぁ? なんで俺だけ仲間はずれなの?」


 眉間に皺を寄せる青山くん。


 「生徒の子と『誰にも言わない』って約束した任務なんで」


 青山くんにどんな顔をされようと、約束は守らなければ。


 「じゃあ、俺が誰にも言わなきゃいい話じゃん。俺の事信用してよ。よーし、お前ら、資料室移動するぞ。あそこなら誰もいねぇだろ」


 「はーい」


 青山くんの言葉にみんなが動いた。青山くん、生徒に人気だったんだなぁ。


 いや、そうじゃなくて。


 「待って下さい。ダメですよ。それじゃあ、生徒の子に嘘吐く事になります」


 卒業生たちの先頭を切って歩く青山くんを慌てて制止するが、


 「『誰にも言わない』の約束なんか、俺の生徒に話す時点で破る事になるじゃん」


 アッサリかわす青山くん。


 …まぁ、そう言われたらそうだけど。


 腑に落ちないでいる私の肩に『ポン』と青山くんが手を置いた。


 「協力させて」


  青山くんの優しさに、懲りずにまた心臓わし掴まれそうになる。


 「…お言葉に甘えさせて下さい」


 なんだかんだで心臓半分持っていかれた。しっかりしないと。彼女持ちにストーカーなんて…終わってる。




 みんなで資料室に入ったところで、


 「―――と言うわけで、もし制服とか体操服とか教科書とか必要なかったら引き取らせてもらえないかと…」


 理由をみんなに話すと、


 「何かと思ったー。全然いいし。まだ飲み会まで時間あるし、家近いヤツ取ってこようぜ」


 「まだ来てない奴に連絡して持ってきてもらおうよ」


 「家戻れないヤツは…探そう」


 「じゃあ、1時間後にまたここに集合って事で」


 みんなは素敵なチームワークを見せ付けながら、資料室を出て行った。


 「青山先生の教え子さんたち、みんなイイ子ですね。優しくて、明るくて、ノリ良くて」


 知らないおばさんの私なんかの話を快く聞いてくれた青山くんの教え子さんたちの後ろ姿を眺めながら、嬉しくて顔を綻ばせていると、


 「だろ。生徒に恵まれた」


 隣で青山くんも嬉しそうに笑った。


 「みんなも『先生に恵まれた』って思ってますよ。きっと」


 そんな青山くんを見上げて笑いかけるも、


 「嬉しい事言ってくれますね。制服もらえるからって」


 青山くんにいじわるな顔をされた。


 「…本当に、そういう下心なく思ったんですよ」


 嘘でもお世辞を言ったつもりもなかったのに。青山くんの教え子さんたち、楽しそうに青山くんとお喋りしていたし、青山くんを慕っているんだなって思ったからなのに。


 青山くんを見上げていた顔を伏せる様に俯くと、


 「うん。知ってる。サヤ子はそういう奴。ちょっといじわるしたかっただけ」


 青山くんが私の頭をポンポンと撫でた。


 たちまちに熱くなる脳天。


 高校の時、青山くんに恋をしたあの感覚が蘇る。


 ダメだ。2人きりはダメだ。好きになってしまう。ストーカーになってしまう。


 1回ここ出よう。そう思っていたのに、


 「サヤ子は彼氏とかいないの?」


 ザワつく私の心中になど気付かない青山くんは、会話を続ける。


 「いません」


 「そっか」


 青山くんは何の為に私に彼氏の有無を確認したのだろう。


 私に彼氏がいない事で、また私の気持ちが自分に向いたら迷惑だからだろうか。


 大学以降、『忙しい』を言い訳にまともに彼氏が出来なかった。


 いい人がいても、青山くんといた時間がキラキラしすぎてて、どうしても比べてしまって、上手くいかなかった…なんて言えるわけもない。


 未だに未練タラタラな私は真のストーカーなのかもしれない。


 折角普通に喋ってくれているんだから、今度こそ気持ち悪がられたりされたくない。


 もう、青山くんの嫌がる事はしない。


 『私も早く、彼氏と言わずとも、好きな人を見つけなきゃな』などと考えていると、


 「安田の事、好き?」


 青山くんが真面目な顔で謎に安田の名前を出してきた。


 この前も安田の事聞かれたなぁ。なんでそんなに安田が気になるんだろう。


 「誰か、安田の事を好きな人がいるんですか? だったら、私の行動は良くないですよね。不快感を与えてしまいますもんね」


 「…そっか。良かった」


 胸を撫で下ろす様な仕草を見せる青山くん。


 良かった? 何が? まじで安田の事、誰か狙ってるんだ。


 「青山先生は、誰かに安田の事を相談されたんですか?」


 「イヤ…」


 青山くん、 怪しい。口ごもってるし。


 「教師…? でも私が見る限り先生方の中にはいない様な…。まさか…生徒!?」


 「さぁ?」


 何故かはぐらかし続ける青山くん。


 …まさか。イヤ。まさか…。


 「せ…生徒さんの親御さんとかじゃないですよね?」


 「鈍感サヤ子には分からないだろうなぁ」


 青山くんが、呆れ気味に笑った。


 …鈍感。確かに。鈍感じゃなかったら嫌がられてるのにもちゃんと気づけて、ストーカーにならずに済んだだろうに…。


 「……」


 自分の鈍感さを恥じていると、


 「サヤ子? 何、突然黙り込んで」


 考え込んでしまった私の顔を青山くんが覗き込んだ。


 平常心でいたいのに、否応なしに顔が赤くなってしまう。


 「な…んでもないです。私、1回保健室戻りますね。生徒が心配なので」


 一生懸命に髪で顔を隠しながら、青山くんから顔を背けると、


 「そっか。俺はここでアイツら来るまで昼寝でもしてるわ」


 青山くんは近くの席に腰をかけると机に突っ伏した。


 「失礼しますね。おやすみなさい」


 うつ伏せになった青山くんに声を掛け、資料室を出ようとドアに手を掛けた時、


 「その生徒も『サヤ子が保健室の先生で良かった』って思ってるよ。絶対」


 青山くんの声に振り向くと、寝ようとしていたはずの青山くんが、私の方を見ていた。


 …そうだろうか。


 「私、何もしてないじゃないですか。何も出来てないじゃないですか。青山先生と青山先生の教え子さんたちに頼っただけですか。今保健室にいる生徒の子、私を挟まずに青山先生に直接相談していたら、もっと迅速に対処してもらえたのに…。私はただの役立たずです」


 自分のふがいなさが嫌になる。情けない。


「サヤ子だから相談出来たんじゃん? サヤ子って、何でも聞いてくれそうなオーラ出てるし」


 分かり易く落ち込む私に、青山くんがよく分からないフォローを入れた。


 まずどんなオーラか分からないし、そんなオーラが出ているなんて、今まで誰からも言われた事がない。


 「ちょっとよく分からないのですが、お気遣いありがとうございます。…また後ほど」


 勝手に褒め言葉と受け取り、青山くんにお礼を言うと、


 「いってらしゃい」


 青山くんはひらひらと手のひらを左右に振ると、また机に頭を乗せ、目を閉じた。


 静かに扉を開け、今度こそ資料室を出た。


 『ふう』深呼吸をして、保健室に向かう。


 大きく肺を動かして空気の入れ替えをしたというのに、心が落ち着かない。


 怖い。青山くんをまた好きになってしまいそうで怖い。


 好きになったら、またろくでもない事をしでかしそうで怖い。


 音楽室を通りかかると、桜井先生が合唱部の指導をしていた。


 そっか。桜井先生、顧問なんだ。


 青山先生と桜井先生って、美男美女でお似合いだ。


 私は何を好きだの怖いだの考えていたんだろう。2人の間の隙間に入り込もうなんて気は毛頭なかったけれど、私なんてその隙間に入れる身分でもないのに。


 恥ずかしすぎるやつって、私の事を言うんだろうな。


 反省しつつ保健室へ歩いた。


 鍵を開けて保健室の中に入ると、体操服に着替えた吉村さんがベッドで寝ていた。


 吉村さんを起こさぬ様に、そーっとデスクに移動して一息ついてから『5時までに戻ってきます。制服、用意出来るかもしれません』と手紙を書いて吉村さんの枕元に置き、物音をたてない様に保健室を出て、また鍵をかけた。


 資料室に戻ると、既にみんなが揃っていた。


 「お、遅くなってしまってごめんなさい!!」


 お願いしてる立場のくせに、何を余裕ぶっこいて時間通りに来ているんだ、私。


 勢いよく頭を下げると、


 「遅くないじゃん。うちらが早く来ただけ。…それより、ちょと集めすぎたかも。困ってる生徒が男子か女子か聞き忘れたから…」


 1人の女の子が苦笑いしながら机を指さした。机の上には男女それぞれの制服と体操服が5、6着と教科書が山積みになっていた。


 重かっただろうなぁ…。なんて有難い。


 「本当にありがとうございます。今、必要なのは1人分ですけど、予備はあるに越した事はないので助かりました。あの、お礼させて下さい!!」


 グスグスと鼻を啜りながら、今度は謝罪ではなく感謝の気持ちで頭を下げる。人の優しさに触れると、どうも涙腺が緩んでしまう。


 「な、泣かなくていいから!! うちら、使わない物あげただけだし。お礼とかもいいから!! …あ、じゃあ、青山説得してくれないかなぁ。今日、青山クラスの地元残留卒業生飲み会あるんだけど、青山来ないってゆーの」


 さっきの女の子が、つまらなそうに口を尖らせると、周りの子たちも『うんうん』と頷いていた。


 「なんで行かないんですか?」


 『みんな来て欲しがってるじゃないですか』と青山くんを見上げる。


 「テスト問題作んないとなの」


 『めんどくせー』と青山くんが乱暴に髪を掻いた。


 「去年のを使いまわすとか…」


 それでも、なんとしてでも飲み会に行っていただかなければ!!


 「去年と範囲微妙に違うし」


 「じゃあ、私に何か手伝わせてください!!」


 率先して助っ人を名乗り出るも、


 「手伝うって…」


 戸惑う青山くん。


 そりゃそうだ。手伝うって言ったって、私、保健室教員じゃん。


 どうやって数学のテスト問題を作るって言うんだ。


 「んー。じゅあ、パソコン保健室に持ってくか。教務室でサヤ子先生に手伝ってもらってると他の先生方に色々言われそうだし」


 青山くんが唸りながら、人差指で鼻の頭をポリポリ掻いた。


 私、何かお手伝い出来る事あるんだ。良かった。でも…。


 「別に教務室でも大丈夫じゃないですか?」


 「安田とかに何で手伝ってるのか聞かれたらなんて答えるの? 生徒との秘密任務バラしちゃうの?」


 確かに…。青山くんの仰る通りだ。


 「じゃあ、先に保健室戻ってます。生徒も待ってますし。みなさん、今日は本当に本当にありがとうございました!! みなさんに寄付してらったものは、後で全部持ち運びますので!!」


 もう一度頭を下げて、持てるだけの制服や教科書を持って保健室に戻った。


 保健室の扉を開くと、吉村さんが起きて待っていた。

 

 「お待たせしました。制服とかね、去年の卒業生に頂けたよ」


 『どうぞ』と持っていたものを吉村さんに手渡すと、


 「先生、ありがとう。制服とか、買い直すお金なくて…。良かった…」


 安堵して涙を浮かべた吉村さんが、受け取った制服に顔を埋めた。


 「私は何もしてないよ。快く引き渡してくれた先輩たちに感謝だね」


 吉村さんの頭を撫でると、彼女の髪はキシキシしていて、かけられた水が奇麗なものでは無かったのだと気づいた。


 「早く帰ってお風呂入りたかったよね? 待っててくれてありがとう。1人で帰れる?」


 「……」


 吉村さんが小さく震えたのが分かった。


 「誰かに待ち伏せされてるの?」


 「…大丈夫です」


 吉村さんはそう言うけれど、明らかに大丈夫ではない。


 「送らせて。てゆーか、送る」


 守らなきゃ。何の教科も教えられないけれど、私だって保健室の先生だ。生徒は全力で守らねば。


 「大丈夫です。大丈夫です」


 と首を左右に振って断る吉村さんに、


 「大丈夫じゃなーい!!」


 と子どもみたいに大声を出して、強引に一緒に帰ろうとしていると、


 「『大丈夫じゃなーい!!』て。もうちょい教師らしい言葉とテンション選べなかった?」


 扉が開き、パソコンと私が持ちきれなかった制服等を持った青山くんが入って来た。


 あ、鍵かけ忘れてた。

 

 「サヤ子先生、どこ行くの? 俺の手伝いするんじゃないの?」


 私たちの方にやって来ると、近くのテーブルに『よいしょ』と言いながら荷物を置く青山くん。


 「すぐ戻りますから」


 ヤバイ。青山くん、どのあたりから話聞いてたんだろう。てゆーか、この状態見られたら、もういじめられている生徒が吉村さんってバレバレじゃん。


 『バレちゃいました。実は吉村さんの名前以外バラしてました。ごめんなさい』と吉村さんに謝ろうとした時、


 「1年1組の吉村沙織さん?」


 青山くんが吉村さんに近寄り、声を掛けた。


 「…はい」


 小さな声で返事をする吉村さん。


 「その制服とか、サヤ子先生が『困ってる生徒がいるから譲って欲しい』って俺の教え子に頼んで貰ったんだ。で、アイツら、困ってるヤツが誰なのか、なんで困ってるのか気になって嗅ぎまわったらしくてさ。キミを虐めた奴らを探し出して締め上げたらしいからもう大丈夫だぞ。『先輩風吹かせまくってきた』らしい。あ、何をしたかっていう詳細は割愛な。色々…やったらしいから」


 吉村さんの肩にポンと手を置き、『クククッ』と青山くんが笑った。


 色々…何をしたんだろう。


 私も吉村さんもあまりの展開の早さに呆気に取られる。


 「って事で、吉村さんは安心して帰宅しなさい。今からキミのクラスのテスト問題作るから見られると困る」


 吉村さんにそう言うと、青山くんがパソコンの電源を入れた。


 「す、すみません。すぐ帰ります」


 慌てた様子で貰った制服や教科書を抱え、保健室 を出て行こうとする吉村さんに、


 「気を付けて帰るんだぞ」


 青山くんが手を振ると、吉村さんも笑顔で頷き、手を振り返した。


 吉村さんが保健室を去ると、


 「じゃあ、始めますか」


 青山くんが腕を上にあげ、背中を伸ばし軽いストレッチをすると、早速テスト問題を作る態勢を整えた。


 「あの。青山先生、ありがとうございました。私、何も出来なくて…」


 パソコンを立ち上げる青山くんの傍に行き、頭を下げると、


 「何も出来てなくないじゃん。今から生徒と俺の教え子と俺の為にテスト問題作るんでしょ?」


 青山くんが下げたままの私の頭の上に『ポン』っと手を置いた。


 私は今、テスト問題を作っている場合なのだろうか。だって…。


 「吉村さん、本当に大丈夫なんでしょうか」


 やっぱり吉村さんが心配だ。1人で帰らせたりして良かったのだろうか。


 「『吉村』はもう大丈夫。でも、ターゲット替わって違う誰かになるかもな。受験とか恋愛とかでストレス溜まってるヤツ等が、イジメ易いヤツ見つけては虐めてるだけだからなー」


 『ほんとにしょうもない』と小さく息を吐く青山くん。


 「イジメって、どうしてなくならないんでしょうね。どうしたらなくなるんでしょうか」


 青山くんにつられてか、私の口からも溜息が出る。


 「それが分かれば苦労しないんだけどな。今度なんかあったら俺に言って。協力するから。遠慮なく頼って欲しい」


 青山くんの話を聞いて一気にテンションを下げた私を気にしてか、励ます様に優しい言葉をくれる青山くん。


 「何もないといいんですけどね」


 『ありがとう』とも『お願いします』とも言えない。


 調子に乗って慣れなれしくしてはいけない。


 もう、嫌われたくない。


 「制服を取りに行けなかった子たちが、虐めをしていた子を見つけてくれたんですか?」


 青山くんに甘えるわけにいかないから、気になっていた事に話を逸らす。


 「みたいだな」


 「なんで…青山先生もみんなも1人残らず優しいんでしょう」


 素直な感想を言ったのだけど、なんか日本語変だったかも…。


 「日本語、下手?」


 青山くんに苦笑いされながら突っ込まれた。思わず私も苦笑い。


 「まあ、今からやるのは数学だから多少の日本語が分かれば大丈夫。てゆーか、公式とかまだ覚えてるの?」


 「……」


 私を小馬鹿にした青山くんの問いかけに、苦笑いアゲイン。


 公式など、覚えてるわけがない。高校卒業して10年以上経ってるんだから。綺麗サッパリ忘れ去っている。


 「覚えてないのに手伝うって言ったの?」


 呆れるというよりは、引き気味の青山くん。


 「…コピーとかなら…」


 苦し紛れに提案を絞り出すが、


 「テスト問題はやる直前にコピーするから」


 青山くんにアッサリ却下された。


 そりゃあ、そうですよね。


 …ちょっと待てよ? 私、普通に高校卒業してるんだから、教科書見れば思い出すんじゃん?


 とりあえず数Ⅰの教科書を手に取り、開いてみる。


 「青山先生は2年生のテストから作って下さい。私、思い出しますから!! 印ついてるところから問題出せばいいんですよね?」


 「…サヤ子、大丈夫?」


 青山くんが明らかに苦笑いをしている。


 「やってみます」


 気合を入れ、少し目にかかる前髪をピンで留めた。


 静かな保健室に、パチパチと青山くんがパソコンのキーボードを打つ音が響く。


 仕事をしている青山くんを見るのは初めてだ。


 やっぱりカッコ良くてドキドキする。


 …ってそんな場合ではない。


 教科書を見たところで、全く思い出せない。


 困った…。どうしよう。


 「その問題はこの公式使うの」


 固まる私を見かねた青山くんが、いらないプリントの裏に公式を書いてくれた。


 この公式、見覚えがある様な…。


 ふと、一緒に勉強した高校時代の景色が頭を過った。


 …この公式も教えてもらったことがある。


 思い出した!! 解ける!!


 ペンを握り、プリントの上を走らせる。 


 これをここに代入して…。ほら解けた!! 数学って解けるとすごくスッキリした気分になるんだよなー。


 なんか気持ちいい。


 ほーら、どんどん解けちゃうもんね。


 調子に乗って立て続けに問題を解いていると、


 「楽しそうに解いてないで問題作れって」


 青山くんが私のオデコをぺしっと軽くたたいた。


 「あ、すみません。つい楽しくなっちゃって。この公式の問題、高校の時に青山先生が『1分で解いたらアイス奢る』て言ってたヤツで、思い出したらなんか1分で解いてやろうとムキになってしまいました」


 叩かれたオデコを摩りながら『へへっ』と笑ってみせると、


 「アイス奢ってもらおうと、記憶改ざんしてない?」


 青山くんが眉間に皺を寄せて笑った。


 …そうだった。


 ストーカーだった私に昔話なんかされたら、気持ち悪いに決まっている。


 「すみません。私にとっては良い思い出だったんです。私も忘れますね。いつまでも覚えてられると、青山先生だって気持ち悪いですもんね。黙って問題作ります。すみません」


 しまったと思い、真面目にテスト問題作りに取り組む。


 青山くんが嫌がる事は、もう絶対にしない。


 「忘れないでよ。記憶改ざんとか、冗談言いたかっただけだし。覚えててくれて嬉しかった。俺との思い出は嫌な事ばっかりだと思ってたから」


 なぜか苦しそうな顔を見せる青山くん。


 「逆でしょう? 私がつきまとっていたから…」


 「俺は嫌な思いなんか1回もしてない」


 青山くんがパソコンを打つのをやめ、私の方に身体を向けた。


 「思い切りのいい嘘つかないで下さいよ」


 青山くんの優しさに苦笑いするしかなかった。だって、それが嘘だという事を、嫌と言う程知っている。


 「嘘じゃない。あの頃、サヤ子といた時間はいつも楽しかった」


 青山くんが私の手を握った。


 思い切りのいい優しい嘘が、痛い。青山くんの本心を分かっているから苦しい。青山くんの言動は、同僚として私が働き辛くない様に配慮しての事だろう。変に気を遣わせている事が申し訳ない。


 「今でも、後悔してるんです。こんなに優しい青山くんに、なんでつきまとったりしたんだろうって。私、平気でやってたんですよ。平気で人の嫌がる事をしていたんですよ…」


 そっと青山くんの手をどけて教科書のページをめくった。


 のどの奥がすごく熱くて、油断すると涙が出そうだった。


 「…言い訳も、本当の事を言ってもサヤ子に嫌な思いをさせるだけだから…なんて弁解すればいいのか分からない。ただ、俺が全部悪いのは間違いなくて、サヤ子は絶対に何一つ悪くないんだ」


 青山くんが、くしゃっと頭を掻いた。


 「…ありがとう。やっぱり、青山くんは優しいね」


 気を遣われる度に、切なくて仕方がない。


 青山くんの方を見ることなくテスト問題を作る事に集中した。


 そうでもしないと泣いてしまいそうだったから。


 青山くんも言葉を発することなくパソコンを叩いた。


 しばらくすると、


 「サヤ子。頑張ってるとこ悪いんだけど…サヤ子の作った問題、基礎問ばっかじゃない? これだと、平均点が90点超える」


 青山くんが頬杖をつきながら私のパソコンを覗いた。


 「問題作るのって、解くより難しいですね」


 教職って、やっぱり大変なんだなぁ…。


 私なんかがしゃしゃり出て手伝える程簡単な仕事じゃなかった。


 「あとは俺が作る。サヤ子の作ったテストに応用問題くっつければ終わりだから。ありがとな」


 青山くんが笑いながらポンポンと私の頭を撫でた。


 「…それ、何分位かかりますか?」


 「サヤ子の作ったヤツの手直しも入れて…10分くらいかな」


 さすが青山くん。10分でサクっと作れちゃうんだ。


 …10分かぁ。うん、行けそうだ。


 「分かりました!! 10分以内に戻ります!!」


 席を立ち、鞄を鷲掴むと、


 「え? どこに? つか、帰っていいよ。もう粗方試験プリ出来てるし」


 急ぐ私を青山くんがキョトンとしながら見上げた。


 どこ…この辺あんまりまだ土地勘ないんだよな。


 でも、何かしらあるっしょ。


 「いえ、戻ってきます。ちょっとそこまで行くだけなので」


 「ふーん? じゃあ、気をつけてな」


 青山くんは少しだけ首を傾げるも、テスト問題作りを再開した。


 「はい。行ってきます」


 急いで 学校を出て、駐輪場に駆け込むと、自転車のかごに鞄を押し込み、勢いよくペダルを踏み込んだ。


 やっぱり、みんなにも青山先生にもお礼がしたい。


 この辺にお菓子屋さんとかないかなぁ。あ、カード使えるかなぁ。というか、何人分いるんだろう?


 キョロキョロ辺りを見回しながら自転車を漕ぐ事、数分。ケーキ屋さんらしきお店を発見。


 お店の前に自転車を止め、中に入ると、おいしそうな洋菓子並んでいた。


 たくさん種類があるお菓子の中で、個包装でなるべく重くないもの…と吟味した結果、無難でみんな大好きなシュークリームとエクレアにしようと決定。


 レジの方を見ると【カード使用OK】のプレートが立てかけられていた為、迷わず大量購入。足りなかったりしたら嫌だし。


 しかし、大量買いしたシュークリームとエクレア、さほど軽くもない上に嵩張ってしまった。


 自転車のかごと両ハンドルに大きな紙袋をぶらさげ、全速力で学校に戻った。


 校門を潜り、腕に付けていた時計を見ると、10分はもう経過していた。


 「青山くん、まだ保健室にいるかな」


 駐輪所に自転車を止め、両手に紙袋を持ち、保健室へ急ぐ。


 保健室の扉を開くと、


 「何その荷物」


 青山くんがお茶を飲みながら寛いでいた。


 既にパソコンは閉じられ、仕事を終えた様子の青山くん。


 私が戻ってくるのを待っていてくれただろう青山くんが、私の手に持たれている紙袋に視線を落とした。


 「遅くなってすみませんでした。やっぱりみなさんにお礼がしたくて…これ、お菓子なんですけど、今日の飲み会に何人いるのか分からなくて…足りますか? ゴホゴホ」


 流石アラサー。急に運動すると息は切れるし、むせる。


 肩で呼吸をしながら、大量のシュークリームとエクレアを青山くんに手渡すと、


 「あり余るね。買いすぎ。人数聞いてから行けって」


 青山くんが紙袋の中を覗きながら、呆れた様に笑った。


 「だって、10分でテスト問題作り終わるって言うから、急がないとって思って」


 「言ってくれれば待つし」


 「それだと、教え子さんたちも待たせる事になるでしょ?」


 「サヤ子はそういう奴だった」


 青山くんはそう言うと、飲んでいたペットボトルのお茶を手渡してくれた。


 喉カラカラだったから有難い。


 ペットボトルに口をつけようとした時、


 「サヤ子センセまだ残ってたのー? 保健室、電気点いてたから来てみたー。あれ? 青山先生も? なんで?」


 保健室の扉が開き、安田が入ってきた。


 「安田、まだいたんだ?」


 お茶を口から離して安田に話しかける。


 「うん。一応軽音部の顧問ですからねー。サヤ子センセたちは??」


 私の隣に来て喋る安田は、私に訊いているのだと思うのだけれど、


 「数学のテスト問題作ってた」


 割って入る様に 青山くんが答えた。


 「なんで保健室で?」


 「俺のパソコン調子悪かったから、サヤ子先生の借りてたの」


 若干面倒くさそうにに答える青山くん。


 嘘を吐かせて申し訳ない。


 「へぇー。で、その大量のシュークリームは?」


 安田が、青山くんの手に持たれていた紙袋に気が付いた。


 「こ、これから青山先生、去年の卒業生さん達と飲み会らしくて、手土産だってさ」


 これ以上青山くんびう嘘を吐かせるのも偲びないし、安田を騙したいわけでもないので、辛うじて嘘ではない返答を絞りだした。


 「えー。青山先生って優しいんですね」


 という安田の褒め言葉に、


 「出処俺じゃないけど」


 と零してチラっと私を見る青山くんに、嘘を吐き通すつもりはあるのだろうか。


 抗議の視線を青山くんに向けると、青山くんがいたずらっぽく笑った。


 「へ?」


 青山くんのひっかる言葉に、もちろん安田もひっかかる。


 「どこなんだろうねー。出処はー」


 『あははははー』と無駄に変な笑いをしながら誤魔化すと、さっきより強めに青山くんに視線を飛ばした。


 そんな私に『あははははー』と私の変な笑い方を真似しておどける青山くん。あんまり似てないし。


 「いっぱいあるから1個持って帰れば?」


 青山くんが紙袋からシュークリームを取り出し手渡した。


 「いいんですか? 腹減ってたんですよー」


 嬉しそうに受け取る安田。スイーツ男子だな、この子。可愛い。


 「サヤ子先生も1個持っていけば?」


 青山くんが、安田の可愛さに目を細めていた私にもおすそ分けしてくれた。


 「すみません。じゃあ、頂きます」


 青山くんの言葉に甘えて、紙袋からエクレアを1つ取り出すと、


 「そっちも食いたいー」


 安田が、エクレアが持たれている私の右手に絡みついた。


 「しょーがないなぁ」


 安田のあまりのかわいさにエクレアをあげた。つくづく、可愛いって得なんだなーと思う。私も甘いもの大好きだけれど、可愛い子の為ならしぶしぶどころか快く差し出せるもんな。


 「サヤ子センセ、半分…」


 安田が何か言いかけた時、


 「じゃあ、テスト問題も作り終わったし帰るか」


 青山くんが帰り支度をはじめたので、


 「そうですね。青山先生予定ありますもんね。急ぎましょう」


 私も自分の鞄を肩にかけ、『安田も帰ろう』と安田背中を押すと、3人で保健室を出た。


 「お疲れさまでした。2人とも気をつけて帰って下さいね」


 保健室の鍵を閉め、それを教務室に戻さなければならない私は、保健室の前で2人と別れる事にした。


 2人に手を振り、さっさと教務室の鍵ボックスに鍵を返却すると、速やかに学校を出た。


 駐輪場に行き、自転車に跨りペダルに脚を乗せていざ帰宅。


 『みんな、シュークリーム喜んでくれるといいな』なんて考えながら軽快に自転車を漕ぐ。


 …あれ? 青山くんの教え子って去年の卒業生って言ってたよね?


 ブレーキをかけ、地面に足を着くと、方向転換。青山くんたちが毎日使っているバス停に向かった。


 青山くん、今日飲み会だからバス使わないかもなー。とも過ぎったけれど、とりあえず急いで自転車を立ち漕ぎした。


 少し走ると、バス停とは違う方向を歩く青山くんを発見。


 「青山先生!!」


 大声で名前を呼ぶと、


 「サヤ子? どうした?」


 青山くんが少しビックリして振り返り立ち止まった。


 「青山先生の教え子さんたちって、まだ未成年じゃないですか? バレたらヤバくないですか?」


 青山くんの傍まで急ぎ、自転車を止める。


 「それを言いに引き返してきたの? 大丈夫だよ。教え子の親が経営してる居酒屋だから、バレないバレない。それに、俺がいる間は飲ませないから。まぁ、俺が帰った後の事は好きにしろって感じだけど。俺に責任及ばないし」


 心配して険しい顔になっているだろう私の頭を、青山くんが優しく撫でた。


 「そうなんですか。すみません。余計な忠告してしまいました。引き止めてしまってすみませんでした」


 自分のお節介を詫びながら、そそくさと帰ってしまおうとペダルに足を置くと、


 「さっき、安田がエクレア半分こしてサヤ子と食おうとしてたの邪魔しちゃった。ごめん」


 青山くんが、紙袋の中からエクレアを1つ取ると、『あげる』と自転車のかごに入れた。

 

 「逆に1個丸ごと貰えてラッキーです。引き返して良かった」


 かごの中のおいしそうなエクレアに、思わず頬が緩む。私も安田に負けず劣らずのスイーツ女子なのだ。


 「貰えてって。元々サヤ子が買ったんじゃん」


 青山くんが、涎でも垂らしてしまいそうな私を見て苦笑いした。


 「そうでした」


 お礼として誰かに渡したものはプレゼント感覚がない為、自分で購入したことを忘れがちだ。にしても、忘れるのが早すぎる。今日の、というかさっきの出来事なのに。歳を取るってこういう事なのだのだろう。


 『あはは』と誤魔化す様に笑うと、『サヤ子らしいな』と青山くんも一緒に笑ってくれた。


 こんな風に笑ってもらえるのが嬉しい。


 「みんな待ってると思うので、もう行って下さい。楽しんできて下さいね。今日は、本当にありがとうございました」


 青山くんにぺこっと頭を下げると、


 「こちらこそ。気をつけてな」


 青山くんも私の真似をして頭を下げると、私に手を振って歩き出した。


 そんな青山くんにもう一度お辞儀して、この後に予定など入っていない私は、また自転車を勢いよく漕ぎながらアパートへ帰った。

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