縺れる日々。
大学に入って半年、すっかり環境にも慣れた。
青山翔太。19歳。
青春ってやつを謳歌しまくっている。
周りに流されまくっている。
大学でもそこそこモテ、いつもツルむ仲間もそれなりにモテる。そしてチャラい。
もれなく俺もチャラくなった。
女とヤりたいさかりの俺たちは、サヤ子が泣いて「やめて」と言っても色んな女とヤりまくっていた。
それでもサヤ子は俺の事が大好きらしく、俺の傍を離れようとしなかった。
何しても大丈夫。サヤ子は俺から離れない。
この時の俺は世界で1番バカで最低だった。
バカな俺はいつもサヤ子と一緒にいる千佳というカワイイ子が気になってしまう。
好きとかではなく、ただヤりたかったのだ。
そして手を出した。
千佳も前から俺の事が気になってたらしく、アッサリ抱かれた。
暫くして俺と千佳との事がサヤ子の耳に入った。
その日から、サヤ子は俺の近くに来なくなった。友達とまで関係を持った俺に腹を立てたのだろう。
でも、時間が経てば戻ってくると思っていた。
だから、特に自分から連絡を取ろうとしなかった。
1週間経っても、サヤ子は俺に近寄ろうとしい。
それでも相変わらず俺は女遊びを続けていた。
サヤ子はどうしているだろう。
同じ大学でも、学部が違うとなかなか会わない。
サヤ子が気になり、会う口実を探す。
会う事に理由が必要になるとは…。
考えた結果、数少ない2人の共通科目である英語の授業のノートを貸してもらおうと思い付き、 早速メールを送ってみる。
いつもは俺のチャラい仲間で外国語学部で英語学科の森田に借りているから「森田くんに借りればいいじゃない」とか言われるかもなぁとも思ったが、サークルの部室にノートを持ってくると返信が来た。
俺は女のコが多かった旅行サークルに入っていて、サヤ子も一緒に入部していた。
サヤ子を待つべく部室に行くと、男女何人かが楽しそうに喋っていた。
俺も混ざろうと、チャラい俺はその中にいる1番カワイイ子の隣に座り、その子の腰に手をまわすと、その子が俺の手をそっと払った。
「翔太はサヤ子ちゃんの前でも平気でそーゆー事するよね」
「何それ」
払われた手を凝りもせずに女の腰に絡め直し、自分の方に寄せ付ける。
「サヤ子ちゃん、翔太の彼女じゃないの?」
『コラコラ』と言いつつも、まんざらではない様子の女。
この女とヤリたいと思っていたその時の俺は、あろう事か、
「はぁ?? 違うし。アイツが勝手に付きまとってるだけ。ストーカーなんじゃないかと思う時あるし。まじで大学まで付いてくるとはね」
サヤ子を気持ち悪い笑い者に仕立てあげた。
「キモイね。こわーい」
女も周りにいたヤツらも、サヤ子をバカにしながら嘲笑した。
本心では勿論ない。でも話を脚色して盛っておけば、その場は盛り上がる。
おもしろおかしくサヤ子をコケにしてみんなでゲラゲラ笑っていると、誰かが俺の肩を叩いた。
「翔太、これ。渡しといてって」
振り向くと、森田が眉間に皺を寄せながら俺に向かってノートを突き出した。
見覚えのあるノート。サヤ子のノート。
「…これ、どこで?」
嫌な予感が頭を巡る。サヤ子、まさか今の話…。
「そこで。」
森田が親指で部室のドアを指さした。
嫌な予感的中。きっとサヤ子は俺たちの話を聞いてしまったのだろう。
恐らくまだ近くにいるだろう。
ノートを握りしめて部室を飛び出した。
怒ってるよな。泣いてるかも。サヤ子、どこ?
サヤ子の携帯を鳴らすが出ない。
サヤ子を探し回っていると、
「サヤ子」
誰かのサヤ子を呼ぶ声が聞こえた。
声の方へ向かと、千佳に声を掛けられているサヤ子の姿が見えた。
サヤ子に謝ろうと2人に近づく。俺の存在に気づいていない2人の会話が聞こえてくる。
「サヤ子、何かあった? 泣いてるよね?」
サヤ子の顔を覗き込む千佳に、
「何もないよ。泣いてないし!!」
サヤ子は咄嗟に笑顔を作っていた。
「さっき、翔太に会いに部室に行ったんだけど…みんながサヤ子の事『翔太のストーカー』って言ってたけど…どういう事?」
眉を顰める千佳に、サヤ子の顔も歪む。
「それは俺が…」
弁解しようと、2人の会話に割って入ろうとした時、
「…私、嫌がられてたのに、自分が傍にいたかったからって…ずっとつきまとってた」
サヤ子が泣きそうになっているのを堪えながら、口を開いた。
「それ、本当?」
千佳の言葉に、サヤ子が『コクリ』と頷く。
「それじゃあ、本当にストーカーじゃん。ストーカーが友達とか、あり得ない」
蔑む千佳の顔を見れないサヤ子は、申し訳なさそうに俯いた。
「ごめん。ごめんなさい」
何も悪い事をしていないのに謝るサヤ子を、 千佳は気持ち悪いものを見るかの様な目で見ると、何も言わずに立ち去った。
ヘタっとその場に座り込み、両手で口を塞ぎながら泣くサヤ子。
「サヤ子」
サヤ子に近づき、サヤ子の肩に手を置くと、サヤ子は驚いて振り返り、慌てて涙を拭った。そして、
「今までずっと、ごめんなさい」
俺に頭を下げた。
「サヤ子、違…」
言葉が出てこなかった。謝りたいのに何を言えば良いのか分からなかった。
「ノート、いらなくなったら捨てて。私、コピーがあるから。もう、翔太…青山くんにつきまとったりしないから。絶対」
今まで俺を名前で呼んでいたサヤ子は、俺を『青山くん』と言い直し、
「ずっと嫌な思いしていたのに、我慢してくれていたんだね。気づかなくて、本当にごめんなさい」
もう一度俺に謝罪の言葉を言うと、俺から離れて行った。
人は失ってて初めて大切なものに気づくという。
俺は、取り返しがつかなくなってようやく気づく。
それからサヤ子はひとりでいる様になった。
あっという間にサヤ子がストーカーだという噂は広がって、サヤ子がサークルにくる事もなくなった。
あれから謝ろうと何度も電話やメールをしたけれど、女遊びの激しかった俺は当然信用してもらえるわけもなく『私の事は気にしなくて大丈夫だよ。優しくしないで。また勘違いしてしまう。今まで本当にごめんなさい』というメールで拒絶されて、そのまま俺たちは会わなくなっていった。
サヤ子と別れてから、サヤ子と話す事がなくなった以外に生活に大きな変化はなかったけれど、唯一変わった事がひとつ。最近、森田と一緒に同じ塾で講師のバイトを始めた。森田は中学・高校の英語を、俺は同じく中学・高校の数学を担当している。
「あー。疲れた」
バイトを終え、休憩室一息つく俺の隣で森田がコキコキと首を鳴らせた。
「腹減ったー。肉まん買って帰ろうぜ」
何だかんだ真面目にバイトをしている為、働いた後はいつも空腹。腹を摩りながらお疲れ気味の森田をコンビニに誘うと、
「だな」
と森田が重い腰を上げた。
肉まんを求め、2人で近くのコンビニに入ると、
「あれ、サヤちゃんじゃん?」
森田がお茶を選んでいるサヤ子を見つけた。
「サヤ子」
思わず話掛けようとする俺の腕を森田が掴んだ。
「翔太とサヤちゃんが一緒にいるところを大学のヤツらに見られたりしたら、またサヤちゃんが翔太のストーカー扱いされるじゃん」
俺がサヤ子にした仕打ちを知っている森田が、サヤ子に近づこうとする俺を制止した。
『反省してるなら、サヤちゃんにとってマイナスになる様な事は二度とするな』と念を押されていた為、足を止めるしかなかった。
「俺、ちょっと行ってくる。サヤちゃん、元気かどうか心配だし」
森田が、身動きの取れない俺を置いて、サヤ子の方へ歩いて行く。
俺もサヤ子に気づかれない様に少しだけ近づいた。
「サヤちゃん、久しぶり。サヤちゃん家ってこの近くなの?」
森田がサヤ子の肩を人差指でつんつんと突いた。
「あ、森田くん。私はバイトがこの近くで…」
少し驚いた表情で森田を見上げるサヤ子。
「へぇ。俺もこの近くで塾講のバイトしてるよ。因みに翔太も同じとこ。サヤちゃんは?」
森田はさりげなく俺の近況を伝え、サヤ子の近況を聞き出そうとしていた。
「私は…カテキョ」
言葉少なく答えるサヤ子の会話を、
「へぇ。何を教えてるの?」
森田は途切れさす事なく繋ぐ。他人の事を言えないが、森田も俺と同じくチャラくて女慣れしている為、女子の会話を拾うが上手い。
「…英語…です」
でもサヤ子は、会話を広げる気がないのか。聞かれた事だけを答えた。
サヤ子、英語好きだもんなぁ。分かり易いし。などと思っていたのは俺だけじゃなかった事をこの後知る。
「サヤちゃん、英語好きだもんね」
森田の言葉に俺もサヤ子も驚く。
「サヤちゃんが前に『翔太に渡して』て言って俺に預けたノート、翔太に預ける前にちょっと見たんだ。英語、大好きなんだろうなって思った。凄く分かり易いし。サヤちゃんの喋る英語聞いてみたいなぁって思った」
森田の言葉に、
「英語学科の人に聞かせられる様なもんじゃ…」
サヤ子が恥ずかしそうにふるふると頭を左右に振った。
「英語学科の人に聞かせられない英語を、お金取って他人に教えてるの?」
森田のいじわるな質問に、
「I do not speak English for free」
『タダでは喋らないんです』と、サヤ子が楽しそうに無料で簡単な英語を喋った。
「Then,pay at the meat bun」
『じゃぁ、肉まんで払うよ』と笑う森田に、目を輝かせるサヤ子。
「さすが英語学科だね。聞き取り易い。綺麗な発音」
サヤ子に褒められた森田は、照れを隠す様に、
「meat bunの発音は誰にも負けねぇ」
とふざけてみせると、サヤ子は吹き出し笑いが止まらなくなってしまった。
そんなサヤ子を見て、
「久々に見た。サヤちゃんが笑ってるとこ」
俺が思っていた事を森田が言葉にした。
「サヤちゃん…辛くない?」
森田の言葉に笑っていたサヤ子がピタっと止まった。
辛くないわけがない。でもだからと言って、森田に辛さを訴えて寄りかかるサヤ子を見たくない。でも、
「全然辛くないよ。だって今から森田くんが肉まん買ってくれるから」
サヤ子は、引き攣っているくせに無理矢理『ニィ』と笑って見せた。
そんなサヤ子を見る森田の視線にドキっとした。
森田は親友。だからすぐ分かった。森田がサヤ子を好きになったんだと確信した。
森田が『あんまんも買ったげる』とサヤ子の頭を撫でる。
肉まんとあんまんを買ってもらうと、サヤ子は森田にお礼を言ってコンビニを出て行った。
サヤ子を見送り、森田が俺の方に戻って来る。
これから森田が言う事は分かっている。
「俺、サヤちゃんの事好きになった」
森田にサヤ子を渡したくない。
サヤ子は誰にも渡さない。
翌日、森田と英語の授業を受けるべく講義室に入ると、サヤ子が後ろの方の端っこに1人で座っていた。
「あ、サヤちゃんだ」
早速サヤ子を発見した森田が、サヤ子の方に駆け寄る。
森田を追って俺もサヤ子の席の近くに行こうとした時、
「あーあ、ストーカーちゃんがイイ席取っちゃってるわ。しゃーないべ、ストーキングとかされたくないし、向こうの席行くか」
と、たいしてイケてない男女が、サヤ子に聞こえる様に話し出した。
サヤ子は何度こんな言葉を、どれだけの人数に言われたのだろう。
傷つく言葉はしっかりサヤ子の耳に入り、サヤ子は肩をピクっと震わせると、涙を溜めた瞳を閉じ深呼吸した。
そして『トンッ』と机で教科書を揃えると、それを持ち上げ一番前の真ん中の誰もが避ける席へ移動した。
サヤ子は決して不真面目ではない。どちらかというと真面目寄り。でも、そこまで張り切って授業を受けたがるガリ勉タイプではない。
勿論俺もそーゆータイプではない。でも、自分への戒めとサヤ子への懺悔を込めて、俺も敢えて一番前の席に行こうとすると、そんな俺を追い抜いて森田がサヤ子の隣に座った。
「サヤちゃん、まだ後ろの方席の空いてるよ?」
『あっち行こうよ』と真ん中より後方の席を指さしてはサヤ子の腕を掴み、引っ張り立たせようとする森田。
「…コンタクト、落としちゃって…後だとちょっと…」
サヤ子が咄嗟に嘘を吐いた。サヤ子の目は両目1.0だ。
「…ふーん? 今日は俺も1番前で授業受けてみようかな。何気に1番前って座った事ないし」
サヤ子の嘘に気付いているのか否かは分からないが、どうしてもサヤ子の隣に座りたい森田は、困惑するサヤ子に笑顔を向けると、後ろの席への移動を取りやめた。
「後ろ、行った方がいいよ。1番前だとよく教授に指されるか…『うわー。今度のターゲットは森田くんなんだ。どんだけイケメン好きなんだよ』
サヤ子の言葉を遮って、後ろの方から心ない言葉が飛んできた。
サヤ子はぐっと奥歯を噛みしめると、
「…そーゆー事なんで、後ろ行って?」
今にも零れ落ちそうな涙を堪えながら森田に笑いかけた。
森田は切なそうに顔を歪めると、サヤ子の頭をくしゃくしゃと撫で、クルっと後ろを向いた。
「逆だし。俺がサヤちゃんにストーキングしてんの。今だって『後ろに行って』って言われたけど行く気ねーし」
そう言い返すと、また身体の向きを変えてサヤ子に微笑む森田。
「そーゆー事なんで移動しないよ?」
イタズラっぽく笑う森田に、とうとう堪えきれなくなってしまったサヤ子は、溢れる涙を袖で拭った。
「…私の隣に座ったって事は、私が授業で分からなくなった場合、快く教えないといけないんだよ?」
もっと可愛く泣けばいいのに、涙を見せたがらないサヤ子は、顔を隠しながら強気を見せた。
「喜んで♬」
森田がそんなサヤ子の背中を優しく摩る。
泣かせてあげたかったのだろう。
「…森田くん、ありがとうね。森田くんにまで迷惑かけてごめんなさい。それなのに、優しくしてくれてありがとうね。庇ってくれてありがとう。嬉しかった」
何度もしきりにお礼を繰り返すサヤ子の背中を摩るのをやめ、森田はその手をサヤ子の肩に回すと、自分の方に引き寄せた。
「サヤちゃんの涙声、エロセクシーですー」
わざと軽口をたたく森田に、
「…森田くん、手早いですー」
サヤ子が少しだけ笑顔を取り戻した。
そんな2人になんとなく近づけなくて、俺は2人から少し離れた所で授業を受けた。
1番前の席に座る2人は、どこの席からも見えるわけで。
時折2人が肩を寄せ合って教えあう仕草に、イラ立って苦しくなって、やっぱりサヤ子が好きだった。
あれから、サヤ子の姿を見なくなった。
学校でも、バイトの帰りにも。
あんなに看護師になりたがっていたサヤ子が、学校を辞めるとは思えない。
心配になってサヤ子の家にも行ってみたが、引越した後だった。
そういえば、付き合っていた頃に『親が新しいマンションを探している』みたいな話をチラっとしていた様な気がする。
どこに引っ越すのか聞いておけば良かった。
電話はいつも留守電でメールの返信もない。
サヤコに会えないまま、俺は2年になった。
「サヤちゃん!?」
俺の隣を歩いていた森田が突然走り出した。
森田はアフリカ人並みに目が良い。
構内から、校庭を歩くサヤ子を見つけた。
俺も慌てて森田を追いかける。
森田はアフリカ人並みに足も速い。
あっという間にサヤ子に追いつく森田。
「サヤちゃん!!」
急に呼ばれたサヤ子が驚いて振り向いた。
「あ、森田くん」
「サヤちゃん、なんで学校来なかったの? 進級は出来たの?」
森田がサヤ子の二の腕をがっしり掴む。
「あ。…青山くんも」
森田にがっちり腕を握られたままのサヤ子が、遅れて走ってきた俺に気が付いた。
「何で電話もメールも返事くれねーの? もうサヤ子をストーカーとか言うヤツいないから。だから、話がしたい」
サヤ子と話がしたかった。謝りたかった。やっと会えたサヤ子に必死に訴えかける。
「ちゃんと進級したよ。短期留学してたんだ」
俺の事を許せないのだろう。サヤ子は何とも言えない苦々しい笑顔を浮かべると、俺の質問には答えず、森田にだけ返事をした。
「なんで言ってくれなかったの? 心配したんだよ? 物凄く。あの時『辛くない』って言ってたけど、やっぱり違ったんだなって」
森田がサヤ子の両手をぎゅうっと握った。
「逃げたかったんだ。暫くいなくなれば、みんな、私がストーカーだった事忘れてくれるかなーって…。ズルイよね。でも、希望通りになったみたいだね。私、こんなんだから、かかってくる電話もないだろうと思って、日本に携帯置いて行ってて…」
泣きそうな顔で笑うサヤ子。
そんなサヤ子の笑顔に胸がきゅうっとした。
つーか、パソコンのアドレス聞いとけば良かったな。
「とか言ってサヤちゃん、本当はおみやげ買いたくなかったから言わなかったんじゃないの?」
痛々しく笑うサヤ子に、森田が冗談を言いながら優しく笑い返した。
「森田くん…チョコ好き?」
そんな森田に、遠慮がちに尋ねるサヤ子。
「うん。くれるの?」
「あのね…。親に『友達いない娘』って思われたくなくて…見栄張って、大量におみやげ品のお菓子買っちゃたの。もしだったら、森田くんのまわりの方に配ってもらえたら…。青山くんも迷惑じゃなかったら貰ってくれたら嬉しい」
サヤ子が、バツが悪そうに俯いた。
気を遣ってくれたのかもしれないが、サヤ子が俺にもおみやげをくれると言ってくれた事が、素直に嬉しかった。
「俺、全部食うし」
笑顔で答える森田に、
「俺も」
と便乗すると、サヤ子は少し驚いて、にっこり笑った。
「明日、お昼休みにココに来れる? おみやげ持ってくるから。2人共、向こうのお菓子の甘さと大きさナメすぎ。全部食べたら顔ブッツブツになるよ」
サヤ子が楽しそうにニヤニヤ笑った。
「あ。じゃあ、サヤちゃん連絡先交換しよ」
ポケットに手を突っ込み、携帯を取り出そうとする森田に、
「大丈夫だよ。絶対来るから。私、もう行かないと」
と、サヤ子は森田に番号を教える事なく俺らから離れて行った。
翌日、約束通りサヤ子は大きい紙袋を持って俺たちを待っていた。
「デカ…多…お前、見栄張りすぎ」
サヤ子の手に持たれていた紙袋を覗き込みながら冗談交じりに軽い嫌味を言うと、サヤ子が『えへへ』と頭をポリポリ掻いた。
久しぶりに出来たサヤ子とのどうでも良い会話に、一瞬昔に戻った感覚になって、ちょっと嬉しかった。
ほんわかしている俺の隣で、
「サヤちゃん、俺と連絡先交換するのやだ?」
昨日交換出来なかった事が引っかかっていた森田は眉間に皺を作っていた。
「森田くんとは仲良くなりたいけど…今ちょっと、人との接し方が分からなくて…また、気づかないうちに慣れなれしくしてたり、前みたいにストーカーみたいな事してしまいそうで…」
さっきまで笑っていたサヤ子まで眉間に皺を寄せる始末。
『違う。サヤ子はストーカーなんかじゃない』と否定したいのに、じゃあ、何て言えば良いのだろう。『あの時、サヤ子以外の女の子とヤりたくて、つい言ってしまった』とでも? 否定の仕方が分からない。
「俺はサヤちゃんに慣れなれしくされても、サヤちゃんをストーカーだなんて思わないよ。てゆーか、俺がサヤちゃんに慣れなれしくしたいってゆーか」
俺ではなく、森田がサヤ子のストーカー問題を否定する。聞き様によっては『翔太はそうは思ってないかもしれないが、俺は違う』とでも言いた気に聞こえる。自業自得なのに、森田にイラつく。
「じゃあ、約束して欲しい。私が森田くんの嫌がる事をしていたら、その時にすぐ言って欲しい。すぐやめるから。すぐに直すから」
切実な目で森田を見上げるサヤ子。
なんで俺は、サヤ子にしなくて良い後悔と反省をさせているのだろう。
「それはサヤちゃんもね」
森田がサヤ子の頭をポンポンと優しく撫でた。
約束を交わし安心したのか、サヤ子は小さく微笑むと、『森田くんの連絡先、教えて下さい』と言いながら、ポケットから携帯を取り出した。
俺の知っている限り、サヤ子は俺と付き合っている間に、他の男と連絡先を交換する様な事は一切していなかった。
サヤ子の自らの考えでそうしていただけで、俺が強要したわけではない。
だけど、サヤ子はずっと『俺だけのサヤ子』でいてくれた。
そんなサヤ子が、目の前で俺の親友と連絡先を交換している。
これからサヤ子と森田が頻繁に連絡を取り合うのかと思うと、嫌で嫌で仕方がない。
「にしても、チョコ、多いね」
森田が紙袋の中からチョコの箱を1つ取り出し、蓋を開けた。箱には色んな形のチョコが並んでいた。
「全部一人で食べるんだよね?」
サヤ子がニヤニヤしながら森田の顔を覗くと、森田の顔が少し赤くなった様な気がした。
「サヤちゃん、このチョコ食べた? どれが1番おいしかった?」
頬を赤くした森田が質問を返す。
「食べたよ。私はこれが1番好き」
サヤ子がピンクのアルミに包まれたチョコを指さすと、森田はそのチョコのアルミを剥いて、
「はい。どーぞ」
サヤ子に差し出した。
「1人で食べるんじゃなかったのー? でも、それ食べたいからもらう。ありがとう」
サヤ子は『ふふふ』と笑いながら手のひらを広げると、
「手、汚れるから。あーんして」
森田はサヤ子の手の上にチョコを置かず、サヤ子の口元にチョコを持っていった。
今度はサヤ子の顔面が真っ赤に染まる。
「早くしてくれないと、どんどんチョコ溶けるんですけど。俺の指、すげぇチョコくっついてるんですけど」
森田に急かされると、恥ずかしがりながらサヤ子が口を開けた。
顔を赤くして口を開くサヤ子はなんかエロかった。
森田はサヤ子の口にチョコを運ぶと、チョコのついた自分の指を舐めた。
森田に無性に腹が立った。
お前にサヤ子は渡さない。
それから森田は女遊びをピタッと辞めた。
サヤ子を傷つけてから、俺も女と遊ばなくなっていた。
森田は毎日サヤ子と連絡を取り合い、2人はどんどん仲が良くなっていった。
そんな2人の様子をそわそわしながら横目に見続ける日々が続いたある日。
バイトの休憩時間、控室で森田と2人で缶コーヒーを飲んでいると、
「俺、サヤちゃんに告うわ」
決意を固めた森田が、律儀に俺に報告をしてきた。
「え。」
森田の宣言に、驚くと言うよりは『遂に来たか』と顔を顰めてしまった。
「俺、来月から留学するじゃん。サヤちゃんに待っていて欲しいんだよね」
ウチの大学の外国語学部は2年の途中で留学するのが必須だった。
「…そっか」
応援出来ない俺は『そっか』としか言えない。
森田は凄くいいヤツだ。サヤ子はOKするかもしれない。
絶対に嫌だ。
俺はこの後、親友にまでも最低な事をする。
その日のバイト帰り、コンビニで雑誌を立ち読みしているサヤ子を見つけた。
「森田待ってるの? 森田はもう1コマあるから当分終わらないよ」
サヤ子に近づきと声を掛けると、俺と2人でいるのが気まずいのか
「うん。でも待つよ。何か話があるらしいから」
サヤ子は読んでいた雑誌を閉じ、元の位置に戻すと、軽く俺に会釈をしてお菓子コーナーへ移動しようとした。
サヤ子の言葉に、森田が今日告うんだと確信した。
サヤ子が森田に取られてしまう。
俺はまたサヤ子が傷つくだろう事を平気で言う。
「お前さぁ、付き合ってもない男をコンビニでずっと待つって、ストーカーしちゃってない?」
サヤ子の後頭部目がけて酷い言葉を投げつける。
「あ…」
サヤ子が俺に背を向けたまま立ち止まった。
「森田は優しいから『迷惑』とか言わないかもしれないけど」
振り返りもしてくれないサヤ子に苛立って、更に追い討ちをかける。
「…また、気づかなかった…」
ぎゅうっと鞄を握りしめるサヤ子。
「私…帰るね」
サヤ子は俺の顔を見る事なく、そのまま逃げる様にコンビニを出て行った。
この日から、目に見えてサヤ子と森田はギクシャクしていった。
「サヤちゃん、俺に告わせないようにしてるのかな??」
学食のテーブルに頬杖をつき、少し焦っている様子の森田。留学まで時間がない。
「俺、ちゃんと告っておきたいんだよね」
森田が学食のカレーをスプーンで意味なく混ぜる。
「なんで?」
うどんをすすりながらそっけなく聞くと、
「翔太さぁ、サヤちゃんが『自分はストーカーじゃない』って否定しなかった理由知ってる?」
森田が、どことなく俺を責める様な目で俺を見た。
「え?」
思わず箸を止め、俺もまた森田の方を見た。
確かに、サヤ子は否定するどころか認めていた。俺に文句も言わず、逆に謝罪さえしていた。
『誤解』という言葉で片付けるには、あまりにも物わかりが良すぎる気がする。
「ずっと前にサヤちゃんに聞いたんだ。そしたら『私、青山くんに『好き』とも『付き合おう』とも言われた事なかったのに、彼女面して勘違いしてたんだ。だから、そう言われて当然なんだ』って言ってたんだよね」
森田の言葉に目を見開く。
サヤ子にちゃんと自分の気持ちを伝えてこなかった後悔と申し訳なさで頭がいっぱいになる
俺がサヤ子に文句を言わせない様に仕向けていたんだ。
『好きだ』と伝えなければ、サヤ子を『彼女だ』とはっきり言わなければ、どんなに他の女と遊ぼうが浮気しようが、サヤ子に俺を咎める権利はないから。それでも『やめて欲しい』と懇願するサヤ子を、ちょっと面倒くさいなとすら感じていた。サヤ子に嫌な思いまでさせて、そうまでして遊び呆けて、俺は何をそんなに楽しんでいたのだろう。
卑怯な自分に嫌気が刺す。
「ちゃんと好きだから、これからも傍にいたいんだって伝えたい」
真剣に話す森田は、本気でサヤ子の事が好きなんだ。
他人に聞かせるには恥ずかしい言葉も、躊躇なく言えるくらいに。
どうして俺は、森田の様に誠実になれなかったのだろう。
俺だって同じなのに。サヤ子の事が好きなのに。いつも傍にいたいと思うのに。
だけど、森田とならサヤ子はずっと笑っていられるのかもしれない。
泣かせてばかりの俺より森田の方が、サヤ子を幸せに出来るのかもしれない。
「俺、ちょっと先行くわ」
残りのうどんを勢いよくすすり上げ、食器を片して学食を出た。
サヤ子に謝ろう。もうサヤ子の幸せの邪魔はしない。
お尻のポケットから携帯を抜き取り、サヤ子にかける。
「…青山くん?」
5コールでサヤ子に繋がった。
久々の俺からの電話に少し驚いたような声を出すサヤ子。
「サヤ子、今どこ?」
構内にいるのか、いないのか。いるならどの辺にいるのかを聞いたつもりだったが、
「H大にいるけど…」
サヤ子から想定外の返事をされた。
「なんでH大にいんの?」
訳が分からない。学祭の時期じゃないし、H大のサークルにでも入ったのだろうか。
「国内交換留学で。森田くんから聞いてない?」
聞いた事もない制度を口にするサヤ子。なんなんだよ、それ。ますます訳が分からない。てゆーか、また逃げたな、サヤ子。
「あ、また逃げたなって思ったでしょ、今。H大はK大目指す前の私の第一志望だったの。行ってみたくて前から希望出してたの」
俺の頭の中を見透かしたサヤ子が笑う。
「…K大来た事、後悔してる?」
高校の頃、クラス替えの時、『サヤ子と同じクラスになりたい』と願った。サヤ子と同じ大学に通いたくて必死に勉強した。それくらい、サヤ子の事が好きだったのに…。
俺が、サヤ子の大学生活を辛いものにしてしまった。
もしも、俺がK大を無理矢理受験させなかったら、サヤ子はもっとずっと楽しい大学生活を送れていただろう。
どうして時計の針は戻せないのだろう。せめて、サヤ子の時間だけでも巻き戻せたら…。心の中で、どうにもなるはずのない願い事をする俺に、
「ぜーんぜん。正直、留学しようと思ってた頃は後悔もあったんだけど、留学、すごく楽しかったの。もし、H大で何事もなく過ごしていたら、留学しようとは思わなかったと思うのね。それに、あんなに勉強したんだし、入れて本当に良かった。…青山くんには、嫌な思いさせてしまって申し訳なかったとは思ってるんだど…本当にごめんなさい」
サヤ子は俺の様な馬鹿げた現実逃避を計ろうとはせず、恨み辛みをぶつけたりもしなかった。
『K大に入れて良かった』というサヤ子の言葉は、本心ではないのかもしれない。俺に気を遣わせない為の優しさなのかもしれない。でも、本心であって欲しいと思った。
そんなサヤ子が、話を続ける。
「あ、青山くんにちゃんとお礼言ってなかったね。青山くんのおかげでK大受かったのに。青山くん、数学教えるの本当に上手だから、あんなに苦手だったのにいつの間にか好きになってたし。ウチの親は青山くんの事を『K大に導いた神』て言ってたよ。その節は本当にありがとうございました」
サヤ子にお礼を言われると、逆に辛い。だって、サヤ子に非なんて何もない。何一つない。全部自分が悪い。当たり散らされて罵られた方が気が楽だ。
携帯を持っていない方の手で頭を掻き毟っていると、
「ごめん。懐かしい話したら楽しくなっちゃって1人でベラベラ喋っちゃった。何か用事あったんだよね?」
サヤ子に用件を話すように促された。
そうだ、謝ってサヤ子を森田の所に連れて行く為に電話したんだった。
「サヤ子、俺、サヤ子に嘘ついた。森田はサヤ子をストーカーとか言うヤツじゃない。ごめん」
俺の姿はサヤ子に見えるはずもないけれど、携帯を耳に当てながら思い切り頭を下げた。
「それは、私じゃなくて森田くんに謝る事でしょ」
サヤ子は『謝る相手が違う』と俺を怒りもしなければ許しもしなかった。
「イイコぶってないで怒れよ。俺、サヤ子が傷付く事いっぱいしたじゃん」
最早、サヤ子に怒って欲しかった。簡単に俺の事を許して欲しくなかった。
「なんで怒るの? 森田くんの件はどうかと思うけど、別に青山くんに傷つけられる様な事されてない」
だけどサヤ子は怒ってなんてくれなくて、俺の強めな口調に少し怯えた様な声を出した。
「俺、サヤ子の事ストーカーって言ったんだぞ」
どうしてもサヤ子に怒られたくて。じゃないと謝るに謝れなくて。自分の犯した悪行を言葉にしては、サヤ子に悪夢を呼び起こす。最低。
「本当の事だもん。本当の事だから…。本当にごめんなさい」
挙句サヤ子を泣かせては、謝るどころか謝らせる。
何やってるんだろ、俺。鬼畜。
「とにかく1回K大戻って。森田が留学する前に」
もう、俺の罪はどうにもならないのかもしれない。罪は罪のまま、許される事はないのかもしれない。だったら、サヤ子と森田の幸せを応援すべきなのだろう。
「戻らないよ」
だけどサヤ子は、俺の応援さえも受け取る気はないらしい。
「なんで!?」
俺の事はともかく、どうしてサヤ子は森田の気持ちまでも汲もうとしないのだろう。
「私、1年の時に森田くんと話した事覚えてるの。森田くん、2年になって留学してあっちの環境が気に入ったらあっちの大学の編入試験受けようと思ってるって。森田くん、優しいから留学前に私といたら、私を心配して『留学期間終わったら日本に帰ろう』とか思いかねないでしょ」
サヤ子の喋る、何ともサヤ子らしい理由に、
「フッ」
思わず口端から笑いが零れた。
俺はサヤ子がやっぱり好きだな、と再確認させられた。
宣言通りサヤ子は交換留学が満了するまでK大には戻らず、森田はサヤ子に会わないまま留学し、そのまま向こうの大学に編入した。
3年に上がると、就活やら国試やら忙しくなり、4年になると単位もほぼ取り終わった為、あまり学校に行かなくなった。
サヤ子と俺はあまり顔を合わすことなく、サヤ子は卒業し、俺は大学院に進んだ。
そして7年後、サヤ子と再会した。
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