第14話 マリ姉

 リョウが向かった先は予想通りに山の中だった。

 扇状地と違い山の傾斜は少し急だ。


 ここは、俺が住んでいる山と違って木は生い茂り、どこからか野生の獣が茂みをかけ分ける音も聞こえる。


 それだけでなく、街の道から一直線に伸びていたはずだったのに、いつのまにか石畳で敷かれた地面は途絶え、獣道に入って行った。今ではどこを見ても身長の三分の一ほどに伸びた草で囲まれている。


 俺が言うのもなんだが、こんなところに住むマリと言う人はよっぽどの物好きなんだろう。


 そして俺たちはリョウの案内でこの山のさらに奥に進んでいるわけだが、どこで野生の動物と会うか分からない道を、よくこうも悠然と歩けるものだと感心してしまう。


 まあ、あの扇状地で住んでいると、当然この山が遊び場になっていたのだろう。

 もしかしたら、獣とコミュニケーションでもとれるかもしれない。


 そんな風に、考えながら歩いていると、突然視界が開けてリョウが立ち止まった。


「兄ちゃん、ここでちょっと待っててよ」


 リョウが言うと、他の子どもたちが一か所に集まった。


「ま、マリ姉助けて!」

「マリ姉!」


 突然叫んだその言葉は本当に恐怖を味わっているように感じる、悲痛さと焦りを混ぜた叫びだった。


 こいつら、ただの悪ガキなのかと思っていたが、中々の演技派だったのか。これは今すぐにでも芸能ができる。


 子供たちが叫び十秒ほど経った頃、前方からガサガサと茂みを荒々しくかき分ける音が聞こえた。

 そして次の瞬間、小柄な女の子が突然子供たちの前に現れた。


 その悲愴な顔には汗が滴っている。

 そんな女の子を見ると、子供たちは笑顔でその女の子に言った。


「「「「「マリ姉!」」」」」


 どうやら、この女の子がマリ姉と言うようだ。歳はフリージアと同じくらいだろうか。腰には体の半分くらいの長さの刀を携えている。


 こんなあちこちに木があるような場所なのに服装は露出している部位が多い、しかし、肘から手首にかけてや膝下のような、よく傷がつくような部分はしっかりと守られている。


 そして露出された肩や腹、太ももからは土色の褐色肌が見える。


 マリは子供たちの笑顔を見ると、安堵したように息を吐いたかと思うと今度は顔を険しくした。


「リョウ! 意味もなく私に助けを呼ばないでって、いつも言っているじゃない!」

「でも、そうしないとマリ姉出てきてくれないじゃん」

「そりゃあ私がリョウたちと遊びたくないからだ」

「じゃあ俺たちが助けてって叫んでも、来なきゃいいじゃん」


 リョウがそう言うと、マリは少し口ごもりながら言った。


「それは、だって、本当に何かあったら心配だろ」

「心配だって言うんだったら、一緒に遊んでくれてもいいだろ? こんな危ないところに子供だけで来させるんじゃなくてさ」

「危ないって思ってる奴は、そもそもこんな山に登ってこないっ!」


 言いながら、マリはリョウの頭にげんこつを叩きこんだ。

 ゴツンという鈍い音に他の子供たちも顔をしかめた。


「痛ってぇ」


 リョウが頭を押さえているのを見て、子供たちは逃げようと一歩下がったが、マリの方が速かった。


 驚異の早業で子供たちを捕まえると、木に絡まっていたツタを千切ってリョウを含める全員をまとめて縛り、木の枝を滑車のようにして全員を持ち上げると、そのツタを幹に括り付けた。


 五人の子供はツタに縛られたまま宙づりにされた。


「ふう……」

「ふう、じゃねえよ。下ろしてくれよマリ姉」

「いや、今日と言う今日は許さない。一日中そうしていた方がいいかもな」

「くそー、やっぱマリ姉には敵わないな……」

「そうだ、私に勝ちたいんだったら、あと十年以上は必要かな」

「……ふっふっふ、残念だけど今日はマリ姉より強い人を連れて来たんだぞ」


 リョウの一言に反応したマリはこちらをチラッと見たが、また視線をリョウの方へ戻した。


「私より強い人?」

「ああそうさ、ほら、やってくれアキレアの兄ちゃん!」


 そう言ってリョウがこちらを見た。

 その視線を追い、マリもこちらに顔を向けた。


 リョウの期待に沿えないようで悪いが、しかし俺はマリに向かっていくことはなかった。

 それを見たリョウは吊るされながら足をバタバタさせて、

「ちょっと兄ちゃん、なんかあったら助けてくれるって約束したじゃん」

 と、駄々をこねている。


「いや、何かあったらつっても、それはお前たちが悪いだろ、それに……」


 それに、こんなフリージアと変わらないくらいの歳の子を相手になんてできるわけがない。


 たしかに、子供たちを縛り上げた手際の良さは目を見張るが、それでもどうだろう、小柄な体躯に華奢な腕、身長だってフリージアより低い。

 こんな子をどうするだとかまず考えられない。


「でも兄ちゃん、約束は約束だぞ、守らなくちゃいけないんだぞ」

「いや、しかしだな……」


 俺が答えに詰まっていると、マリがこちらに体を向けて言い放った。


「別に私はかまわないよ、相手になっても」


 そう言った顔には、体格差や身長差などまったく気にしない、堂々とした表情が写っていた。

 きっと、かなりの自信があるようだ。


 しかし、それでも意味なく戦う事は嫌いだ。それは、怪物と対峙していても、人と対峙していても同じ考えで、同時に怪物との戦いによって培われた考えだ。


 そう思い、俺はマリの立つ方へと歩み寄る。

 その行動にマリは少し身構えるが、敵意のない俺の歩みにすぐ警戒を解いた。

 マリの横に立って、小刀でツタを切ってやる。


「うわっ」


 ドサッ、と音を立ててリョウたちが地面に落ちた。ついでリョウたちに巻き付いて拘束しているツルを切る。


「ほら、助けてやっただろ。これで満足しろ」

「ふん、まあいいよ。そりゃあ男のお兄ちゃんに女のマリ姉が倒せるわけないもんな」


 その言葉には暗に「男が女に負けたら恥ずかしいもんな」と言われているように感じられた。

 俺はそんな安い挑発にはのりはしないがしかし、その挑発に乗ったのは意外にもマリの方だった。


「私が女だから敵わないって言っているの?」

「いや、そういう訳じゃないけど……」


 マリに睨まれて子供たちが弁明しているが、マリはそんなこと聞かずに口調を荒げて言う。


「いいよわかった、それじゃああいつを負かしたら私の勝ちでいいんだな?」


 そう言ってマリはこちらを――と言うか俺を指さした


「いや、ちょっと待て、どうしてそんな話になる」

「問答無用!」


 その台詞からは、確かにリョウたちと毎日遊ばされていることがうかがえる。はたしてマリの口調が移ったのか、子供たちの口調が移ったのか……。


 しかしそんな事を考えている暇はない。

 マリは小柄な体格を生かし、一気に俺の懐まで近寄り、ふくらはぎに自分の足を絡めて俺を倒そうとする。


 それを後ろに飛ぶことで何とか回避する。


「…………」


 マリ自身はその行動だけで勝負がつくと思っていたようで、一瞬だけ驚いたような顔をしていたが、今度は興味を抱くように笑みを浮かべた。


「おいおい、好敵手を見つけたって顔してるよ……」


 顔がほころんでいたのは一瞬だけで、一転して真剣になったマリの表情に気を引き締める。


 マリはまたもや俺との距離を一瞬にして縮める。

 押し倒すような技が来るのかと構えていたが違った。


 マリは俺の眼前で跳び、空中で体を捻りその反動を利用し横に一回転して蹴りを加えてきた。


 俺の顔面を狙った蹴りを寸前で受け止め、そのままその足を掴む、が。

 マリは俺が足を持っているのをいいことに、強引に体を浮き上がらせ空いている左足で、上から俺を蹴り続ける。


 容赦など一切ない、連打だ。

 連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打、連打。


「……っ!」


 顔面目掛けて繰り出されたその技を腕を前に出して受けるが、防具をしていても痛みが腕に伝わる。腕の防具も一発一発を受けるたびにギシギシと音を立てている。


 その衝撃に耐えきれずに思わず手を放してしまう。

 両足が自由になったマリは左足だけのスタンプを中止して、これまた器用に空中で縦に二回転して着地する。


 着地したかと思うと、今度は足を屈めて俺の顔面目掛けて飛翔。


 俺の肩に手を置くと、肩の上で倒立をして前方に倒れる。その時、がっしりと掴まれた俺の肩は、マリが前方に倒れるのと作用して、空中に浮く。


 マリは前方に倒れるのに対して、俺は脚を無理やり地面からひっぺがされるような気分だ。

 マリが着地する直前、その掴んだ手を放し俺を投げ飛ばす。


「うわっ」


 マリのように綺麗ではないが俺も体を捻って、何とかしりもちをつくように着地した。

 そこに目掛けて飛び掛かるマリを視界の端に捉え、確認することなく後退する。


 案の定、マリは俺めがけて跳んでいたようで、ついさっきまで俺がいた場所に虚しく着地した。しかし、マリの行動はそれだけでは終わらなかった。


 着地をするときも体を捻りながら着地し、またもその反動で逆回転に回りながら回し蹴りをする。


 しかし、着地してすぐの攻撃は体のバランスがまだ不安定なようで、速度もなく難なくしゃがんで回避する。


 ここまで一方的ではさすがの俺もむしゃくしゃした。

 そんな思いを込め、俺は初めて回し蹴りによって無防備になった、マリの右腹部に拳を繰り出す。


 マリの腕でガードされてしまった一撃だったが、さすがにそれなりの力で打っただけあり、小柄なマリの体は数十センチ後退する。


 が、マリはガードした腕を見ると、鋭い舌打ちをした。


「お前、今の全然本気じゃないだろ」


 口調はまだ荒げたままマリは続けた。


「私が女だからってなめてんだな!」


 体を震わせながら、マリはこちらを見つめる。


 いや、見つめるなんて可愛いものじゃない。

 最もふさわしいたとえをするなら、これは獣に睨まれたような感覚だ。


 そしてマリは獣を超越したような速さで、俺の背後に移動すると俺の膝裏を狙って蹴りを入れる。

 そして、流れのまま俺の顔面目掛けて肘鉄を喰らわせようとする。


「くそっ……!」


 少し体制を崩されながらだったが、何とかそれを受け止め、手でしっかりと掴む。


 今度は利用されるような失敗はしない。すぐに体制を立て直して掴んでいる部位を肘から腕へと変え、腕だけ掴んだ荒っぽい背負い投げをする。


「ぐっ、痛ったぁっ!」


 さすがに手加減する余裕もなく、マリを思いきり地面に叩き付けてしまう。


 しかし、これだけの衝撃を背中に受ければさすがにマリでも、これ以上戦いを続けることはできないだろう。


 そう思っていると、予想通りマリは体を起こしたもののよろけながら後ずさりをしている。それは初めてマリが自分から後退した瞬間だった。


 それを見て気を緩めるが、それが甘かった。上目遣いに俺を睨むその双眸は負けを認めたようなものではなかった。


 マリは俺が気付いたことに気付くと、間を置かず俺に向かって踏み込んだ。


 しかし、マリがまだ諦めていない事に気付いていたやつがもう一人いた。


 フリージアはマリが動くよりも早く動き、俺とマリとの間に体を滑り込ませた。

 そして、俺を守るように両手を大きくマリの前で広げた。


「ストーップ! マリさん、もうやめてください」

「…………」


 突然の乱入にマリは動きを止める。しかしまだ頭は回転していない様で、黙りこくっている。


「これ以上しては、アキレアさんもマリさんも怪我をしてしまいます!」

「……しかし」

「しかし、じゃないです。アキレアさんは腕を痛めて、マリさんは背中を痛めた。それでおあいこです」


 フリージアのマリにも負けない気迫にマリは返って冷静にされたようで、マリの口調は元通りに戻った。


「ああ、ごめん。冷静さを欠いていたみたいだ、ありがとう。えーと……」

「フリージアです!」

「ありがとうフリージア」


 言葉こそ穏やかだが、マリからはまだピリピリとした空気が発せられている。

 もちろんフリージアもその事には気付いており、いつでも動けるように踵を上げている。


 そして、こちらを向き直ったマリに少し警戒をしていたが、マリがとった行動はそれとはまったく逆の事だった。


「悪い事をした。謝らせてくれ」


 そう言ってマリは頭を下げたのだった。


「い、いや、そんな謝られても」


 突然の出来事に頭が回っていないのはこちらも同じのようで、上手く言葉が返せない。


「いや、あんな子供の挑発にのってしまった。そんな自分が恥ずかしくてたまらないよ」

「そうか、まあ俺も悪かった。背中は大丈夫か?」

「ああ、少し打っただけで大丈夫だ。問題はないよ」


 そう言って、マリは踵を返して行った。


「ああ、待ってください!」


 しかしそんなマリを引き留めたのは、やはりフリージアだった。


「まだなにか……?」

「いえ、あの色々と話を聞きたいなぁ、って思って……この街のこととか」


 そう言っているフリージアだが、きっと内心はこの旅で初めて会った同じくらいの歳の子と会えたのが嬉しかったのだろう。


「ごめん、今はそういう気分じゃないんだ。街の案内ならリョウたちにやらせてくれ」

「そっか、なんかごめんなさい」

「気を悪くしないで、もともと人と一緒にいたりするのが苦手なだけだから」


 それだけ言ってマリは森の奥へと姿を消していった。


「フリージアの姉ちゃん」


 マリと俺の攻防を唖然として見ていたリョウが口を開いた。


「ん? どうしたの」

「マリ姉も言ってたみたいに、マリ姉は人の多い所は苦手なんだ」

「そうみたいだね」

 優しく微笑んでそう応えるフリージアに、リョウはまるで訴えかけるように言った。


「でもな、マリ姉はすっごく優しいんだぞ。俺たちが困ったときはいっつも助けてくれるんだ!」

「うん」

「だからな……マリ姉のこと嫌ってやってくれないでくれよ」


 そう言っているリョウの眼には、マリに対する尊敬の眼差しが見て取れた。

 フリージアも同じような事を感じたようで、リョウの頭を優しく撫でながら言った。


「……うん」


 それを聞いたリョウはにかっと笑った。


「よーしそれじゃあ、マリ姉が言ってた通り姉ちゃんたちは俺が案内してやるよ!」


 そう言って、リョウは勢いよく山を駆け下りていった。

 続くように他の子供たちも、そしてフリージアも一緒に降りていく。


 そんな姿を通目に見ながら俺はマリとの攻防をまだ思い出していた。マリから蹴りを受けた右腕はまだ痛みが残っていた。

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