第13話 子供
海人の朝は早いようで、まだ日も出ていないのに航海の準備を始めた。
船は二十メートル近くあり、所々木で作られていたが、主な材料は鉄が使われている。
普段見ている怪物より大きな体積をしているのにも関わらず、材料に鉄を使っていても浮き続けていると言うのは、なんとも不思議だ。これは、後にフリージアに聞いたのだが、浮力という水が物体を浮き上がらせる力で、鉄でも水面に沈まないらしい(その原理が分かっていても鉄を使うのは基本的に拒む節があるとか)。
勝手に乗り込むことになったのだから、俺たちは当然その準備を手伝った。準備と言っても船への知識が全くない俺たちには、輸出物を船に乗せるくらいの事しか手伝えなかったが、それだけの作業でフリージアは既に船員たちと意気投合していた。
知ってはいたが、フリージアの適応能力や求心力はたいしたものだと思う。政治家になると言っていたが、もし選挙などが行われた際は圧倒的得票数でフリージアが勝つだろう。
荷物の詰め込みが終わり、船へ乗り込む。船なんて初めて乗るが船酔いする事もなかった。
海の空気と言うのも悪くはなかったが、潮風で体がべたつくのは、少し気持ち悪い。
錆びるから、と言われて防具は外していたが、この状態で防具を着る方がよっぽど億劫だ。
フリージアの姿が見当たらないと思い、船内を探していると、フリージアは船首で海の中をのぞくようにじっと見つめていた。
「フリージア」
声をかけると、フリージアは虚を突かれたように、肩をあげた。
「な、なんですか?」
「いや、随分と真剣に海を見ていたから、何か見つけたのかって思っただけだ」
「いえ、ただ……海はきれいだなって思っただけです」
「そうだなきれいだ」
頷き、フリージアの横で海を見ていると、フリージアが思い出したように言った。
「……そういえば、アキレアさん知っていますか?」
「何を?」
「この地球は七割が海で、残りの三割が地面なんですって」
「そうなのか?」
「ええ、それだけじゃなく、この世界は全てが海からできたんですよ。人も植物も魚も鳥だって海からできたんです」
両手をいっぱいに広げて力説をするフリージアだが、そんなに自信たっぷりに言われると逆に疑わしくなってくる。
「それ本当か?」
「本当ですよ!」
だったら信じる、と応えて海を眺める。するとフリージアは同じように海を眺めながら呟いた。
「……だから海は全部知っているんです。世界が始まった時から全部見ているんです」
「つまり?」
「つまり、海からすれば私たちが日々覚える悩みなんて、ちっぽけなことなんだなって、そう思っただけです」
フリージアが話し終えるのを見て、俺は茶化すように言った。
「俺が何か悩んでいるとでも?」
そんな質問にフリージアも笑ってこたえた。
「いえ、私のことかもしれませんよ?」
「それはないな」
そう笑い飛ばしたが、俺の心にはフリージアの言った『悩み』という言葉が引っかかっていた。
確かに、フリージアから向けられる「期待」に自分の感情が答えられないという事実に負い目は感じていた。
だけど、それを表向きにだそうとするどころか、フリージアの前では一切出さないように心がけていたはずだ。
フリージアなら、そのことを話したとしても受け入れてくれるだろう。しかし、俺にそんなことをする勇気はない。
ただの俺の都合だ。話して自分が傷つくのが嫌だから、それなら黙っておくほうがいい。
ただの偶然か、それとも俺の行動に少しでも、そう言ったものを感じたのかは分からない。いっそのこと、あちらから言ってくれればいいのに。
何かありましたか? そう言ってくれれば、どれほど楽だろうか。
そんな考えにふけているとフリージアが遠くの空を見つめながら言った。
「アキレアさん」
「どうした?」
「……もしも私が――いや、やっぱりなんでもないです!」
「なんだ、言ってみてくれ?」
「そうですね、今はその時じゃないです。また時期が来たら」
「……そうか」
「そうです!」
笑顔で答えたフリージアだったが、俺の脳裏には、話す前に見せた悲しそうな顔が焼き付いていた。
そして思い出す。
――私のことかもしれませんよ?
もし、悩んでいるのがフリージアだったら?
俺はどうすればいいのだろうか。
そんな思考の渦が静まらないまま、船は目的の島へとたどり着いた。
一時間弱の渡航だったと言うのに、体はあっという間に陸の間隔をなくしてしまったようで、船から降りてすぐは、若干の浮遊感に見舞われたが、一緒に乗っていた船員はそんなことなかったかのように次々と荷物を下ろしていた。
きっと彼らにとっては、海は陸の延長のようなものなのだろう。
と、思っているとフリージアも大して気にした様子もなかったので、どうやらおかしいのは俺の方らしい。
荷物下ろしに加わり、全ての荷物を下ろし終えて改めて島を見渡す。
フリージアから伝え聞いた情報では、ここは地球の西端にある国らしい。
その全貌はまさに、巨大な扇状地だった。国の最奥にそびえる巨大な山々を中心にこの港まで見事な扇形をしており、緩やかな傾斜に沿うように、石畳が階段状に敷き詰められている。
そして、扇状地を綺麗に分割し、家、通路、家、通路、家と道を挟むような形で屋根が並んでいる。
そのため、家は当然、通路側に扉を向けておりこの港から山までの一本道をみても、階段状に同じ様式の家が山まで続く光景は、遠近法を用いて書かれた絵画のように美しく、そこを通る人を山まで導いているかのように思えた。
そこから少し視線を動かせば、緩やかな傾斜を生かして、棚田が広がっている。
そして、ちょうど扇の弧の部分はすべて港になっており、所々はリアス海岸のようなギザギザな地形を生かして何か養殖している様子もうかがえる。
そんな島の姿に圧倒されていると、後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、そこにはオルダの息子が立っていた。顔の骨格といい、目元といい、オルダをそのまま若くしたみたいな感じだ。
「俺たちは用が済んだらすぐに帰るがあんたらはどうする? なんなら、この前うちの奴らがここに残していった、小さい船があるが、それでまたどっかへ行くか?」
そう言って、オルダの息子は親指を立てて一つ先にある船着き場を示した。
見るとそこには、貿易船と比べると随分と小さいが、それでも大体の波ならしのげるであろう船があった。
「いいのか、船ななんてもらっても、多分返せないと思うが」
「ああ、いいんだいいんだ。もともとあの船の処理はどうしようか迷っていたところだったんだよ」
「……そうか、ならありがたく受け取っておくよ。ありがとな」
「ああ、そうしてくれ。それじゃ、俺もまだ仕事があるんでな、適当に島でもめぐってきたらどうだ?」
「俺も仕事手伝おうか?」
俺が言うと、オルダの息子は一度、下ろした荷物を確認すると、こちらを向いて首を振った。
「いや大丈夫だ。それに、そっちのお嬢ちゃんは是非とも島を周りたそうだぜ」
言われて、俺はフリージアの方を向く、どうやらフリージアは初めて見た壮大な景色に心奪われたようだ。
「そうだな、それじゃあ、ここまでありがとう」
「おう、縁があったらまた会おうぜ」
そう言って、オルダの息子は足早に荷物の方へとかけていった。
「さて……おーいフリージア」
「――どうしました?」
「どうしたじゃねえよ、この島回りたいんだろ?」
言うと、フリージアは目を輝かせる。
「いいんですか!」
「いいもなにも、それが目的だろ?」
いや、最初から何が目的だったのかはよくわからないが。
「それではさっそく、行きましょう!」
そう元気よく応えて、フリージアは家に挟まれた道を歩いて行った。
俺たちが歩いていた道は、港へ一直線に進める本通りの様で、家と家の少しの隙間を抜けると、人通りの多い道へ出た。
そこは家に挟まれた道とは言え、道の内側に向けて扉があるわけではなく、家の背面の壁に各々が市などを構え、辺りからは香辛料の効いた食べ物の匂いがしてくる。
また、飛脚や、馬借が走っているから、どうやらこの道は市がメインではなく、裏路地見たいな扱いのようにも感じられる。
その道を斜面を上がるように歩いて行くと、後ろから「コツン」と軽い衝撃を受けた。
不審に感じフリージアの方を見ると、しかしフリージアは何も感じていない様で、キョトンとした顔で見返してきた。
気にせず歩いていると、また、しかし今度は先程より強い衝撃を背中が受けた。
「アキレアさん何かしましたか?」
今度はフリージアも気付いたようで、不審気にこちらを見つめる。
気になって振り向くと、そこには木の棒を持った子供たちがいた。
「あ、やっと気づいたな!」
五人ほどいる子供たちのリーダー格みたいな子が言った。
「お前たちここの人じゃないだろ! 誰だ?」
誰って言われても、なんと答えるべきか。
「まあ、ここの奴じゃないのは事実だな」
「どこから来たんだ、そんな格好して……もしかして敵か⁉」
「いや、別に敵ってわけじゃねえよ」
「問答無用!」
そう言うと、子供たちは次々と俺とフリージアに向かって木の棒を振ってきた。
「うおっ、あぶねえだろ!」
そう言って子供を叱る、フリージアはというと、身軽に木の棒を躱して子供たちを叱るどころか、かかってきた子供の脇に手を通して「たかいたかい」をした。
「アキレアさん、こういうのは怒っちゃだめですよ、子供のすることなんですから笑顔で見過ごさないとっ」
「こらー、やめろっ、はーなーせー!」
「いーえ、離しません。いきなり襲ってくる悪い子にはお仕置きです!」
そう言うと、フリージアは子供を一旦下ろすと、脇に手を通したまま、指をせわしなく動かした。簡単に言うと、こちょこちょだ。
「ギャハハハハハっ、やめろっ、や、やめろって、ギャハハハハ!」
さすがフリージアだ、子供の扱いにも慣れている。
「くっそー、リョウの仇!」
そう言って残りの四人はなぜか俺に向かってきた(いや、ほんとに何故俺に)。
「あーもー」
仕方なく、子供二人が振るってきた棒を軽く受け止めて、その棒を抜き取り残りの二つの棒を受ける。
そして、手首をくるりと回して子供たちの木の棒を絡めとる。
「あっ……この!」
武器を全て奪われた子供たちは、今度は体当たりをしてきた。
それを、後ろに下がって回避し、倒れこみそうになる子供を右脇に抱える。
「くそー、はなせっ」
暴れまわる子供に構わず、今度はこちらから仕掛ける。
子供の一人を左腕に抱え直して右脇に二人目を抱える。
「あーっ、くそー!」
それを見ると、残りの二人はこちらに向かって殴りかかってきた。
一人の拳を左手で受けとめ、こちらに引き寄せる。もう一人の右側に回り込み左足首を引っかけた。
「あっ」
こけそうになった子供を左足一本で掬い上げる。
これで四人全員の動きを封じ込めた。
しかし、流石に子供三人を抱えて片足立ちはかなり厳しい。
「フリージア、ちょっとこいつ頼んでいいか?」
脚で掬い上げた子供を見て言う。
「はいは~い」
そう言って、こちょこちょをしていた子から手を放して、脚の子を持ち上げた。
「はなせっ」
「やめろー」
「このやろう」
「このっ、このっ!」
「はなしやがれ!」
捕まった子供たちが口々に喚きながら時々体を叩いてくる。
フリージアと顔を見合わせる。
「もう襲ってこないって約束できるか?」
「わかった、わかったから!」
子供たちを離してやる。また襲ってこないかと心配だったが、そんなこともなく、むしろ子供たちは見栄を張るように言った。
「ふん、まあ悪い奴じゃない事はわかった。許してやるよ」
なんて言っている。
何が許してやる、だ。怪我させないように戦うのは大変なんだぞ。
そんなこちらの思いも知らずにリーダー格の子供は、けろっと態度を変え輝くような目でこちらをみた。
「それにしても、兄ちゃん強えな!」
リーダーのような子が言うと、他の子も同意するように口々に言い始めた。
「うん、俺ら毎日マリ姉に鍛えられてんのにな」
「マリ姉とどっちが強いかな?」
「そりゃあマリ姉に決まってんだろ」
「でもこの兄ちゃんの方が背も高いぞ」
「それでもマリ姉の方が強いって」
俺たちの事を放ってどんどん会話が進んでいく、マリ姉って誰だよ。
フリージアも同じことを思ったらしく、子供たちの前でしゃがみこんで尋ねた。
「ねえ君たち、さっきから言ってるマリ姉って誰なの?」
「マリ姉はな、そこの山に住んでるんだ!」
そう言ってリーダー格の子が扇状地の真ん中――山の方を指さした。
「マリ姉は女なのにすっげえ強いんだぞ!」
「そうだぞ、クマでも倒せるんだぜ!」
「へえ、すごいんだね」
「おう!」
まるで自分のことを言うように応える。
「そうだ、兄ちゃんたちマリ姉と会ってみない? ねえリョウいいよな」
子供の一人がリーダーの子に言った。どうやら、リーダーの子はリョウと言うらしい。
「そうだな……でもマリ姉いるかなぁ?」
「あの方法だったら絶対マリ姉出てきてくれるよ」
「えー、でもあれするとマリ姉に怒られるからな」
「だから兄ちゃんたち連れていくんだろ?」
「うーん……そうだな! うん、そうしよう」
また勝手に話が進んでいく、基本的に子供は人の話は聞かないようだ。
そして、リョウは俺たちを先導するように山に向かって歩き始めた。
「よーし、いくぞ兄ちゃんたち!」
そう言って歩き始めたリョウだったが、ふと立ち止まり振り返った。
「そういや、兄ちゃんたち名前は何て名前なんだ?」
「俺がアキレアでこっちが」
「フリージアです! よろしく」
「アキレアの兄ちゃんにフリージアの姉ちゃんだな……じゃあ兄ちゃんたち、俺たちになんかあったら助けてくれよな!」
「助ける? どういうことだ?」
気になって尋ねてみるが、リョウは全く答える素振りを見せず、またずんずんと歩き始めた。
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