第10話 感情――優しさ

 フリージアを連れて先程の家からかなり離れた場所まで来た。


「どうしたんですか? アキレアさん」

「いや……そろそろだな。フリージア、お前は少し下がっていろ邪魔だ」

「邪魔――ですか?」

「ああ、もう少しで怪物が――」


 そう言いかけた時、風邪を切る音と共に俺の目の前にそいつは現れた。


「か、怪物……そうか、アキレアさんがいるから」


 フリージアが思考巡らせているが、俺はすぐに意識を怪物の方に向けた。

 いつもと違い地面は砂、それに加えて強く照り付ける太陽。状況は完全にこちらが不利だ。


「グアァァァァッ!」


 咆哮を上げながら怪物は俺に向かってパンチを繰り出す。しかし、俺はそれを余裕をもって後ろに回避する。

 怪物が体制を立て直しているうちに怪物との距離を大きく取った。


 ここは一面砂により足元は悪いうえ障害物もなく身を隠す場所もないが、しかしそれは逆に怪物が投擲するものがない事を意味指す。つまり、距離さえとれば俺は攻撃される心配はないという事だ。


 そして俺はその後も怪物の攻撃を躱しながら距離を取った。それもただ長くとるわけではない。ターゲットがフリージアに移らないよう慎重に。

 言うなれば背中の、かゆいが届きそうで届かない所の様な間合いを取り続けた。


 その行動に怪物は憤慨した様子だったが、それでも俺には手が届かない。

 少し考えれば、その飾りの様な翼を広げ、飛翔する事で俺に一気に近づけるというのに。


 しかし、それを怪物に求めるのは不可能だ。あいつらは思考力も持たなければ、まず知性というものがない。ただ本能のままに動いているだけだ。

 稀に見る人間的な行動や攻撃は一言で言えば本能的にしたものでしかない。

 それも激昂している状況となればなおさらだ。


 その後、俺は怪物の攻撃を躱し続けた。遂に怪物は俺に一撃を与えることもできず空に消えていった。


 遠くから俺の戦いを見ていたフリージアがこちらに向かって駆けてくる。


「すごいですねアキレアさん。あの怪物の攻撃を一回も当たらずに怪物を追っ払いましたよ!」

「いや、そうでもないさ。今回は条件が良かっただけだ」

「そ、そうですか。それでもすごい事ですよ!」


 そうやってフリージアは俺を褒め称えるが、実際にすごい事ではない。自慢じゃないが俺はそれを日常として繰り返している。そもそも戦うたびこの前の様に怪我をしていたら生きてはいけない。


「そうですよね。そういうことをアキレアさんは日常でしていますものね!」

「ああ――さて、それじゃあ行くぞ。今日中にここは向ける予定だからな」

「はい!」


 そうして俺たちはまた砂漠を向けるべく歩き始めた。

 歩き出して小一時間した頃、フリージアが思い出したようにつぶやいた。


「アキレアさんって、すごく優しいですよね……」

「優しい? 俺が?」

「はい。だって、この前も言いましたが皆のために一人で怪物と戦う事なんて普通はできませんし、私がアキレアさんと元に訪れたときだって、私の事を思って『帰れ』って言ってくれました。それに、アキレアさんが誰も寄り付かない山の奥に潜むように住んでいるのも、一般の人に危害が加わらないようにでしょう?」


 フリージアが真剣な眼差しで俺に尋ねてきた。しかし、的を得ているかと言われればそうではない。俺は優しくもなければ、他人ひとのことなど考えてはいない。


「別に俺は一般の奴を思っている訳じゃない。ただ一人の方が戦う時も楽なだけで俺は優しくなんてない」

「そんなことありません。実際にさっきも戦おうと思えばあの場で戦えたはずです。でもそれをしなかった。それはあの人たちも巻き込まれないようにしたんですよね」

「どうかな……」


 どうかな、それしか返す事が出来なかった。なぜならそれが本性だからだ。

 今まで他の人を助けていたなんて考えもなかったし、単純に俺はそれに見合うような事をしていたわけではない。怪物の攻撃をよけているだけだ。戦ってもいないのだから、そんなものを感じられるわけがない。


「そう言えば、どうしてアキレアさんは怪物が来ることを分かっていたんですか?」

「それはだな、この前に話したように、俺が小屋ですむようになってからの事なんだが、怪物が俺を襲う事に何か法則がないかと考えて調べてみたんだ」

「……それでどうだったんですか?」

「案の定法則があったし、怪物についても色々と分かったことがあった」

「分かったこと――ですか?」


 フリージアが顔を近づけながら尋ねる。


「……そう、怪物は俺を襲ってきてから三日後にまた襲ってくる事。そして時間はいつも同じ――俺の予測だと昼の十二時前辺りかな、それから一時間前後だけ襲ってくる――この辺の時間はまちまちだな、長い時もあれば短い時もある」

「時間が経つと怪物はどこかへ行ってしまうんですか?」

「ああ」

「アキレアさんに目もくれず?」

「そうだ。その理由はよくわからないんだがな……そして怪物の個体は今確認できているだけでは全て同じだ。だが、何体いるのかは分からない。少なくとも三体以上はいる」


 そう言うと、フリージアは不思議そうに首を傾げて尋ねてきた。


「どうしてわかるのですか」

「現れたからさ、実際に」

「三体同時にですか?」

「ああ、流石にあの時は驚いたな」


 思い出すように宙を見ながら呟く。


「驚いたって、結構余裕ですね」

「まあ、今となっては過去の話だからな」

「そうですか」

「それぐらいだな、俺が怪物について分かっているのは」

「そんな事を調べるくらい何もない人生だったんですね」


 フリージアが憐れむように言った。それは悲しむような憐れみでなく嘲るような憐れみだという事を俺は知っていたので俺も自嘲するように言った。


「まあ、普通の人間からすれば俺はただの山に籠って怪物と戦っているだけの無職だからな」

「山に籠って怪物と戦っているだけで『ただの』ではないですけどね……」

「違いない」


 苦笑しながら俺が言うと、フリージアも笑い返した。

 それから俺たちは日が暮れる前に砂漠を抜け、草原に出た。

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