録音遺言

宮野実憂

録音遺言

 季節外れないたく冷たい風に、空だけは透き通り、宇宙の隅さえ見えそうだった。

 一週間前の九月一日、私の友達の中澤美紗は亡くなった。今日はその通夜で、ようやく帰路についた。


「ほら胡葉実こよみ、帰ろうか」


「うん……あのね、お母さん」


「なに?」


「警察の人には言えなかったんだけど、私、美紗の自殺の理由知ってるの」


「そうなの」


「お母さん、やっぱり明日話す」



 私と美紗は高校一年生からの仲で、二年生になった今年度も同じクラスになった。二人ともラジオが好きで、美紗は特に「マッヒーland」という番組が好きだった。そして、毎週夜更かしをしてそれを聴いて、朝一番に私に感想を報告していた。


「胡葉実ちゃん、いやー、今週もすっごかったよ!!」


「やっぱり、マッヒーlandの国民は立派なんだよ!」


と、いった具合に。美紗曰く、マッヒーlandとはパーソナリティーの小嶋まひろが架空の国、マッヒーlandの女王となり、リスナーである国民の悩みについて真剣に向き合うという番組らしい。なんでも、その小嶋まひろは三八歳でモデル・女優として活動しているそうだ。それに加え、東大文学部卒業という煌めく学歴を生かして、今は討論番組やクイズ番組でもよく見るまさに才色兼備の人らしい。美紗は心が清らかだから、小嶋まひろの容姿や学歴よりも、人柄が好きなのだろう。


 美紗はそういう人だから。


 私にとってそんな美紗は、アンケートの「どちらかといえば嫌い」に当てはまった。クラスの誰からも好かれ、先生からの信頼も厚かった。それなのに、感情の半分欠けた私とばかり話すこと。時々ラジオの話が過ぎた時に見せる申し訳なさそうな笑顔。それを見ている、美紗のことを好きらしい男子。そんな全てが羨ましかった。

 美紗に取って代わりたかった。


「どうしたの、胡葉実ちゃん」


雑多に並ぶ机を照らすように、窓辺から溢れる朝日に背を向けて、美紗は元気そうだ。


「ごめん、考え事してた。続きをどうぞ」


「あっ、今週のマッヒーlandのことなんだけどね……」


そうか、これはあの質問を待っているのか。


「もしかして、今週メール読まれた?」


「いや、読まれなかったよ。……でもね、来週から新コーナーが始まるみたいだからね、今度はそれにメール出してみようかなって」


「そっか。あの、来週は聴いてみていい?」


「いつも言ってるけど、それは駄目だから」


と、言われる聴きたくなる。いや、本当はずっと聴いていた。

美紗がマッヒーlandのヘビーリスナーだと聞いた時から。リアタイこそしなかったが、全て録音していて家に帰ると、その日のうちにすぐ聴いていた。美紗は恥ずかしいからと言ってラジオネームは決して言わなかったが、文章の質感や小嶋まひろ・マッヒーland愛から容易に分かった。そして、読まれた回数もどの回で読まれたかも把握しきっていた。


 美紗はいつも、マッヒー女王のようになりたいと言っていた。



 真っ黒に濡れたドアを開けて、明かりもつけないまま黙って階段を駆け上がり部屋に入る。無我夢中で探す。……これだ。録画再生ボタンで間違いない。やっぱり、話す前にもう一度聴きたい。漆黒のレースのワンピースを脱ぎ捨てて、抱き枕に顔を埋めて耳を澄ます。


カチッ


朝からとっておきの幸せをプレゼント!平日朝七時から八時まで放送の「モーニング」が深夜零時をお知らせします


「日付は変わりまして九月一日火曜日の深夜零時。ここから零時十五分までは、私小嶋まひろのマッヒーlandを生放送でお送りします。この番組は、私が架空のマッヒーlandの女王となり、国民の皆さんの意見・悩み等の解決の糸口を一緒にみつけよう!というものです。先週聴いていた国民の皆さんは分かると思いますが、今週から新しいコーナーが始動します!その名も『マッヒー女王、ちょっと聞いて‼』です。このコーナーは今まで対応しきれなかった深い悩みや相談等に寄り添いたいということで、メールにラジオネーム・悩み等の概要・電話番号そして件名に”ちょっと”と書いて送ってもらった国民の皆さんの中から、数名に直接電話をかけるというものです。さらに採用された国民の方には番組オリジナルキャラクター貯金箱を送りますので、ぜひ住所も書いて下さいね。えー、ここで注意が一つあります。このコーナーは放送時間内つまり、深夜零時から零時十五分の間に電話をかけます。その為、メールを出した国民の皆さんは必ずリアルタイムで聴いてください。よろしくお願いします。

 はいっ、今回は特別編成でお送りしますよ!なんと、新コーナー『マッヒー女王、ちょっと聞いて‼』を残り時間全て使ってやっていきます。その為、『目安箱』と『国民の為の深夜Song』のコーナーはお休みとなります。ご了承ください。今回は残った時間で二人とお話ができたらなと思っています。ここでCMです。皆さん心の準備を‼」

 


マッヒーland~♪


「はいっ、この時間は小嶋まひろのマッヒーlandをお送りしています。それでは、電話かけましょうか。最初に選ばれた国民は……さっちーさんです。今かけています。……もしもし、マッヒーlandのマッヒーです。さっちーさんですか?」


「はい、そうです。私が本当に選ばれたんですか」


「そうですよ。それでは早速、さっちーさんの場合は……意見ですか。それではどうぞ」


「あっその前に伝えておきたいのですが、私は某週刊誌の記者であり、マッヒーlandの国民でもあります。この意見を、どちらの立場で言うべきかずっと悩んでいました。そして、結局答えは出ず、曖昧な立場で意見することをお許しください」


「分かりました」


「小嶋まひろさん、あなたは最近整形と学歴詐称の疑惑をかけられていますが、それは真実ですか?」


「それはどうでしょうね。ただ、このコーナーは私自身がメールを選んでいるんですよ。なぜ選んだのかって自分でも不思議ですよ。さっちーさんはどう思われますか?」


「私が記者なら、あなた自身が認めたと解釈し『整形&学歴詐称か、小嶋まひろ、泥にまみれた人生の真相』という見出しで記事を書くでしょう。一方で国民なら、女王の不祥事なんて考えたくないですね」


「さっちーさん、週刊誌の記者なら調べはついているのではないですか?なんでこんな質問を」


「そうですよね。事実を記事にすればいいだけですよね。ただ私は、マッヒー女王の『そんなの嘘ですよ』の言葉が聞きたかっただけなんです。信じたかったんです」


「そうですか。そんなさっちーさんは、マッヒーlandの国民の鑑ですね。では、お時間ですのでそろそろ切りますね」


「はい、すみませんでした。そしてありがとうございます」


「さっちーさんありがとうございました。では、最後に選ばれた幸運な国民を発表します。それは、このマッヒーlandを代表するヘビーリスナー、ミサピー改めサミーさんです。……聞こえていますか?」


「聞こえていますよ」


「サミーさんはいつも、私のようになりたいとメールに書かれていましたね。それでは今日の相談を」


「はい。マッヒー女王、人生に絶望したときはどうしたらいいですか?」


「うーん、そんな時、私はよくこう考えます。思考の末路が愁いにしか至らない人間よりも、もっと単純な物に来世は生まれ変われると。そうして今を生きています。よかったら参考にしてください」


「ありがとうございます。最後にもう一つだけ、偽善者についてどう思いますか?」


「私は、自分を取り繕うことは悪いと思いません。ただ、それに周りが気づいているのではないかと常に不安ですよね。だったらいっそのこと、弱さとか自分の悪をさらけ出して生きていくほうがいいと思います。すみません、お時間が迫ってきていますので。今日は本当にありがとうございました」


「私は一生偽善者を卒業することはできないと思います。今日はありがとうございました」


「サミーさん、改めてありがとうございました。採用されたお二方には、番組オリジナルキャラクター貯金箱をお送りします。では、今日はこれで終わりです。来週もマッヒーlandでお会いしましょう。さようなら」


カチッ


 顔を上げて、ベッドにそっと仰向けになる。あの放送から一週間か……もう番組は打ち切りになったし、小嶋まひろは逮捕された。嘘が材料でできた城は自らによって破壊され、女王はその座を退き、残った国民は電波の中を手探りで進んでいくしかない。


 私も未だ手探りだ。


美紗の心の糸を解いていく。それはこの番組を聴くことでしかできない。私は今まで美紗の何を見てきたのだろうか。出会ってから約一年半、気づけなかったが、美紗はクラスの誰からも好かれ、先生からは仕事をたくさん頼まれるような人ではなかったのだろう。本当はそうありたくなどなかったのかもしれない。

 私と初めて出会った日の言葉、


「なんだか私たちって似てるよね」


あれは嫌味なんかじゃなく、本心だったんだね。

私は、美紗に本心で向き合ったことが一度もなかった。本当にごめんね。そして、遺言を残してくれてありがとう。おかげで美紗が、私と一緒だったんだって分かったよ。

 むくっと起き上がって、開いている窓のそばへ歩く。九月の生ぬるい空気に秋星がぽっかりと浮いて見える。それはまるで澄んだ瞳のようで、いつまでも見つめていたい。そう思った。

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録音遺言 宮野実憂 @Ponpoko_Tanuki

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