兄弟喧嘩は妹も嗜まない

蛍都けいとか」



病室の扉が閉まる音に被せるように、春都お兄さんの明るい声が来訪者に向けられた。

鈍く煌びやかな笑顔は返事もなく主の許可もなく部屋にやわらかい光を灯すと、私たちの元に近づいてくる。



「遅かったじゃないか」



透明な紫色のドームがちらりと揺れた。触れないようにしているのか、蛍都さんは中途半端な距離で足を止める。

春都お兄さんは私から手を握ったまま背後の彼に振り向いた。



「魔力障壁の符術を発動してざっと40分も経っている。感知妨害を重ねているからすぐに察知できなかったとはいえ、まだまだのようだな」

「前から言っているけれど、兄さんの符術に対抗できる人間は片手くらいしかいないんだ。自分基準で考えれば僕でさえ永遠にまだまだだよ」



蛍都さんの声がいつもより低い。診察中に看護士へ指示を出す無機質な声よりも低く、私が呼吸器をずらした時とよく似ている。

思わず口元に空いた手を持っていったが、もちろん何も覆われていない。

怒られたことを思い出し気まずい気分で視線を泳がせれば、瞬きもしない視線とかち合った。



「それに、ここは病院だ。特に入院病棟は個人的な術の展開を禁じているんだけど、兄さんはめったに負傷しないから忘れたかな?」

「すれ違った看護士には断っておいたぞ?」

「僕にはなかったけど?主治医の、この、僕に?」



……怖。

私は思わず目線を逸らした。

そんな私に気づかない春都お兄さんは、ふむ、とつぶやいて私の手を握る力を込める。

目ざとくそれを捕えたらしい。蛍都さんはドームの中へ入るなり春都お兄さんの反対側へ回り、私の肩に触れながら簡易椅子に座った。



「そういえば、菜子に呼吸器の話をしてなかったな」

「……兄さん?」

「落ち着け蛍都。菜子、これはな、魔力を外部と遮断する符術だ。結界の類だと思えば良い」



美人の怖い顔は本当に恐ろしい。

そんな俗世のあるあるを地でいく主治医を見ないように顔ごとを背ければ、反対側には後光が差しそうな微笑みがいた。



「呼吸器は喉から漏れ出した魔力を体内に戻す仕組みだろう。つまり息を吸うついでに回収できるほど空間に僕の魔力を満たせば外しても問題ないということだ。わかるか?」

「……簡単に言ってそうで難しいことしてるのはわかった」

「つまりは、急にこの結界が破れたらまた浸透圧に差が起きるということだよ?兄さんわかってる?」

「展開をやめる前に呼吸器をつければよい話だろう。それにこの程度の濃さで喉の膜は破れん。僕がそんなことをするとでも?お前こそわかっているだろう」

「まだ膜が完全にできていないんだ。少しの刺激でも何か起きたら大変だと思わない?」


「ああ、ちょ、ちょっと」


「いくらなんでも大事にしすぎではないか?どうせ膜はほぼ完治、呼吸器がいらない状態だというのにまだ黙ってつけさせているんだろう?」



え?そうなの?



「念には念をだよ。菜子ちゃんの身体はか弱いんだ」

「その点は同意するが、慎重すぎる治療は同意しかねる。傍に置きたいのは重々理解できるが彼女の希望をちゃんと理解しろと前から言ってるだろう。お前の束縛癖は改めるべき悪癖だ」

「菜子の身体は僕の方がよく知っているよ。無意識に無理をしてしまうのを誰が止めるんだい?僕しかいないじゃないか」



私を挟んだ兄弟喧嘩が繰り広げられている。

お互い声も語尾も荒げないせいで違和感だらけの光景だけれど、私にとっては過去の日常を切り取ったようなものに見える。

そしてその記憶たちは誰かが止めに入らない限り永遠と続くぞと訴えかけてきた。


どうにかしないと。

でも私のような平々凡々が言葉でふたりを静止することなんてできるの?


いや、無理。


……ええい、もう!

仕方ないのでとりあえず行動で仕留めてみることにした。



ぎゅ、と音が鳴りそうな勢いだった。


左右でけたたましい音はぴたりと止まり、それは美しい瞳が4つもこちらを向く。

私の右手には春都お兄さん、左手には蛍都さんの手がしっかりと握られているのだから、驚いて口が止まるのも良くわかる。


困ったことに、私はその先どうすればよいかなんて考えていなかった。



「あ、えっと、その」



掴んだのはこちらのくせに、私は2人に助けを求めるような目線を送る。

だが返ってきたのはぽかんとした顔ふたつ。


だめだ。

そういえばこういう時だけ鈍感な兄弟だった。



「あの、もう過ぎたことだし、ええと、もうこの話はいいんじゃないかな。

ちゃんと、おとなしくベッドにいればいるし、静かに療養するし、指示も聞くし、ね?」

「偉いね。菜子ちゃん」



耳に感触があって思わず身震いした。

窓の方を見れば、嬉しそうな表情をした蛍都さんが肩に置いていた手で私に触れていた

くすぐったい。

その手は耳を通り、前髪に触れ、頬をくすぐってくる。


絶世の美女みたいな男性にこんなことされたら誰だって心を射止められ虜になってしまいそう。

幸い私は鳥肌で済んでいる。



「いいかい、菜子ちゃん。

辛いことや悲しいことがあれば我慢する必要はないんだ。僕に頼ればいい、必ず君を守ってみせるから」

「で、でも、誰かに頼りきりは良くないでしょ。春都お兄さんが言っていた通り対策は練らないと、やっぱり符術の勉強をし直そうかな」

「えっ」

「えっ」



蛍都さんの柔らかな表情が凍った。

どうしてそんなにショックなのか。

自分で何とかしようとするのがそんなに嫌なのか。

混乱していると、室内側からフンと息が聞こえてきた。



「そうだ!よくぞ言ったな。早速日取りを決めよう。符術は何も言葉を使わずにおこなうものではないからな」

「待ってよ兄さん。まだ退院もしてないのに早急すぎる。僕は認めない」

「これ以上どこを治療するというんだ?ほかにもベッドが必要な患者はいるのだろう、その者たちを放っておくのが医者のやることだと?」

「……ベッドが足りなければの話だよ」



あ、あれ。口論が再開されてしまった。

やっぱり私のような頭も回らない一般人には無理だったらしい。

蛍都さんひとりだったら如何様いかようにもできるのに、春都お兄さんが混ざってしまってはどうしようもできない。


困った。

こんな時にいつも助けてくれる人がいたのだけれど、そんな都合の良いタイミングできてくれるだろうか。

念じてみる?縁は視えるだけで操れないから全くの役立たずなんだけれど。



……あれ?

そんなことを考えていると、ふわりと色の濃い縁が視えてきた。

嘘でしょう、思った人物の縁だ。

オレンジ色と赤が混じった夕焼けのようなその色を見るのは、この前ぶりだ。



コンコン、扉の音がなる。

どうぞ、と私が声をかければすぐさま扉は開かれた。



「失礼します」



白い絹のような髪が室内灯を反射していく。

紺色のワンピースがふわりと揺れて扉が閉まれば、大変不機嫌な表情がこちらを向いた。



「やっぱり!」



カツカツカツとヒールは強く床を鳴らす。



「やっっっっぱり!」



同じことを繰り返した彼女は、私を挟む男性たちを睨みつける。

雪園家の末っ子、柚那ゆずなだった。



「柚那じゃないか」

「お兄さまたちばかりずるい!!」



爆発させた不満の粉塵ふんじんは、春都お兄さんの声を吹き飛ばしていく。

誰もが見惚れる有名な3兄弟妹きょうだいがこんな病室で集合してしまった。

大変気まずいが、それ以上にいつもの助っ人の意外な登場に私は動揺を隠せないでいる。



「お姉さま、無事だったかしら?」

「え、あ、ま、まあ、なんとか?」

「春都お兄さまと蛍都お兄さまが同時に行方をくらましたと聞いてピンと来たの!もしや抜け駆けしたんじゃないかって!」



昔からそうだった。

3つも年が離れ、雪園家に来たときは8歳だった柚那。

私や兄弟たちの居場所や行動に敏感で、言い合いがあれば察知して飛んできては助けてくれていた。

こんなおどおどしている姉に身体を張ってくれるのである。大変情けないけれど。



「やっぱりそうだった!ずるい、ふたりばかりずるい!」

「お、落ち着きなさい柚那」

「僕は主治医だからいて当然だろう?」

「落ち着くのは春都お兄さまです!根性論で何とかしようとするのは悪い癖ですわ!誰でもお兄さまのように強靭な肉体と才能があると思わないことです」

「それは……」

「蛍都お兄さまについてはいつも言ってますがお姉さまの部屋に入り浸るのをやめてください!そうやって捕獲しようと追いかけてばかりだから逃げられるのでしょう!?」

「うっそれは」


「ともかく!」



仁王立ちに両手は腰に。全く似合わない眉間の皺を携えて彼女は言った。



「ふたりとも、出てってください!」



―――――――――――――――――――――




「助かった。ありがとう柚那」



足取り重いまま部屋を出ていった男性たちの気配が遠ざかったころ、私と柚那だけが穏やかな病室に残っていた。

外はすっかり暗くなり、柚那が閉めたカーテンの隙間から夜空の光が見え隠れしている。



「いいの。まったく、何年たっても困ったお兄さまたちよね」

「はは」



紫色のドームは術者がいなくとも役割をこなしている。あと数分で消えるだろうからと柚那は手元に呼吸器と水を持ってきてくれた。



「……改めてだけど、無事でよかった。お姉さま」

「心配かけたならごめん」

「……うん、本当に心配した」

「……ごめんね」



十数年ぶりにパーティであったときは着飾っていたからわからなかったけれど、妹はより美しくなっただけでなく、大人の女性になっていた。

やわらかそうだった頬は滑らかになり、純粋無垢の象徴のようだった瞳は今なお輝き、光と闇を灯している。

目じりの赤は化粧か否か、きっと聞くのは野暮だ。



「今回のこと、顛末てんまつは聞いた?」

「逮捕されたってことなら聞いたよ。今関さんと白石さんが尽力してくださったって」

「うん、そっか。それ以外は?」

「他のこと?うーん……聞いてないと思うけど」

「そう」



柚那は小さく答えると、まじまじと私の周りを見渡した。

入院用のベッド、左腕に繋がれた管、膝の上にあるずっしりとしたヘルメットのような塊。

最後に私の顔を眺めて、また眉間に皺を寄せた。



「最初に連絡が入ったときは、怪我をして一時容体が良くなかったという内容だったの。安心していたら急に雪園家の陰陽師たち……お父様と春都お兄さまと私に緊急招集がかかって。病院に向かった時にはもう、お姉さまは……!」

「……私の魂が一時的に身体からいなくなっていたんでしょう?」



泣きそうな顔をしている。こちらの心まで締め付けられてしまような表情だ。

昔の癖はなかなか抜けないらしい。思わず白い頭に手を添えると、彼女の身体がびくりと震えたのを感じた。



「春都お兄さまは狂ったように家中の資料を漁っていたわ。私はひたすら魂と身体に関する符術を片っ端から展開して、蛍都お兄さまは……お姉さまの身体の治療に専念していたわ。やり尽くした後は、一時的に錯乱状態になって……」

「えっ」

「お姉さま。お願いがあるの」



そういった彼女の表情は、幼い妹の面影は微塵もなく、真剣で、恐ろしいほどで。

私は黙ったまま頷くことしかできなかった。



これは、私が退院する1週間前の出来事だった。

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