待望の再会、失望の現実、希望の
雪園
雪園家 現当主の孫であり、柚那と蛍都さんの兄にあたる。
警察局内にある陰陽課の長でありながら、雪園家当主の後継者として修業を積む裏の世界における次代の重要人物。
雪園家らしい白い髪と白い肌、端正な顔だけれど、父親や蛍都さんとは違い表情に動きがなく男性らしいがっちりした身体、そして現当主に似て自分にも他人にも厳しいと言われている。
陰陽課は3つの部隊があるが、彼によって厳しく定められた実力主義なんだとか。
私のような自由に動きたい人間には合わない上司であることは間違いない。
だが、そんな彼の話はあくまで公的。私的ではまた違った面を見せていたけれど……今はどうだろう。
にしても、影王殿下を支える側近中の側近になる方が、私のようなそこらへんにいる入院患者の部屋にいる。
どういうことなのか。
「ええと……春都様、どうしてこちらへ?」
すらすらと言葉が出た。
口の周りがやけに軽い、思わず手を顔に持っていけばなんの障害もなく唇に触れることができた。
呼吸器が付いていない!
驚いて上半身を持ち上げると、何やら視界がうっすら紫色になっていることに気がついた。
符術だ。
私のベッドをドーム状の何かが覆っている。
「急に押し掛けたことは謝ろう。だが、私は謝罪の次に言わねばならないことがあるようだ」
驚く私をよそに彼は至極冷静に口を動かす。
昔から変に固い口調なのは変わっていないみたいだ。だが抑揚の少ない低い声はより耳心地がよくなっていて、くすぐったい。
「なんでしょう?」
「今、僕は、公的な訪問ではない。確かに先ほどまで白石課長に対する妖異
だから?と、思わせるまわりくどい口調が春都様の特徴だ。
最初は話しづらいなと思っていたけれど、とある理由を聞いてから、この人と仲良くなるのは存外早かったことを思い出す。
「つまり今君に訪問したの私的ということだ。これが何を意味し、僕は君に何を望んでいるかわかるか?」
「わかりません」
「む?」
噴き出しそうになった口をきゅっと結んで窓の外へ視線を逃がす。
眉間に皺を寄せた不満顔がうっすらと見えて、逆効果だったことを悟る。
「お久しぶりに会えて光栄です。春都様」
「む、こちらも久しぶりに君の顔を見れて嬉しいところではあるが、話を逸らすな」
「ご活躍は特殊治安局にいても良く耳に入ってきます。最近は50年間封印していた妖怪の討滅に成功したとか」
「む、む、知っていたのか!それならそうともっと早く賛辞の連絡を寄こしてもよかったのではないか?……ではない、話を逸らすな」
「ふ、ふふっ」
「む」
耐えきれなくなった私はついに噴き出す。
そしてもう一度眉間に皺を寄せる顔に笑顔を向けた。
「来てくれてありがとう、春都お兄ちゃん」
「菜子……っ!!」
大の男が飛び掛かってきたのだ。
私が過ごしている病院のベッドは、痛そうな声を出した。
「どうしてこうなったんだ!?本当に、本当に心配したんだぞ!?長らく僕らを避けて逃げ回っていたと思っていたら、突然こんなに大きな怪我を負って!?何度僕の心臓が止まったかわかるか!?」
ぎゅううう。と音が出そうなほど抱きしめられて呼吸が止まる。
懐かしい感覚だが自分の心臓も止まりそうになるので、やんわりと固い胸板を叩いて押し返した。
そう、春都お兄さんは外見と内面にギャップがある。
本来の彼は可愛いものが好きで、男兄弟だった雪園家に妹ができたことを一番に喜んでいたし、いつも甘やかしたくてうずうずしている。
ただ次期当主であることや外見外聞通りの人間でいることを強いられたことにより、仕事はともかく、プライベートでは本音を言うのが著しく下手になった。
内外ともに才能にあふれた妹と比較され、荒んでいた私に正面から愛情を注いでくれた春都お兄ちゃん。
当時の私が彼に懐かないわけがなかった。
「ごめんなさい。心配をかけて」
「いいんだ。もういい。こうして元気になって話せるようになったんだから」
「忙しいのに来てくれるとは思わなかった」
「いつだって駆けつけるつもりだった!だが、君が嫌がることはしたくなかった……今回はさすがに我慢できなかったが」
「……ごめんなさい」
「もう謝るのはよしなさい。じいさんもばあさんも、父さんも母さんもほっとしていた。蛍都と柚那は察するに余りあるだろう。ちゃんと元気にしていると伝えておく」
「ありがとう」
「にしても、魔力浸透圧か……危惧すべき事象だ」
少しして、落ち着いたのか私は彼の腕から開放された。
ご飯は食べられるのか?水分は自力でとれるのか?質問攻めにあったのでちょっと疲れている。
「いつもは言霊で喉を保護するのだけれど、今回は意識が飛んでいたから気づけなかったの」
「そうか。もうそんな細かい術を言霊ひとつで扱えるようになっているのだな。偉いぞ菜子、自慢の大切な妹だ。うむ」
「あ、ありがとう……ええと、今回が初めてのケースだからどう対策を練ろうか考えないと」
「単純に考えれば、常に喉を保護できる符術を施すことが良いだろう。チョーカーのようなアクセサリに付与する方法だ。髪色と同じ黒いものも似合いそうだが、明るい色にして目立たせないようにするのも良い。白も似合いそうだが問題はデザイ」
「喉の邪魔にならないものがいいな」
「うむチョーカーはやめよう」
それとなく話を遮りながら、久しぶりに開放感に包まれた会話が続く。
「ところで私に何か用事があったの?来てくれただけでも嬉しいけど……」
「む、顔を見たかったのもひとつあるが、本題は菜子に聞きたいことがあったんだ」
「聞きたいこと?」
春都お兄さんは、一瞬黙って私の顔を見た。
緩んでいた表情が締まり、仕事の、いやひとりの陰陽師としての顔に変わっていく。
「みな触れなかっただろうから初めて知ることになるだろうが、気に留める必要はまったくない」
「はい」
「その上で君に問いたいことがあるのだが、思い出せなければそれでいい、思い出したくなければそれでいい」
「はい?」
「つまり君がどう回答しようが自由だ。参考までにこの兄に教えてほしい」
「はい」
「君が意識を失っている間、実は魂が身体から抜けている時間があった。これを意味することは分かるか?」
呼吸が止まった。
心臓までも止まりそうなほど長い時間。
『ガーベラ棟』が脳裏をよぎった。
静かな空間でひたすら眠りにつく縁視たち。
彼らが目覚める可能性は全く不明、だけれど身体の状態はみんな一緒。
魂を失っている状態であること。
人体が残っていようと、世間はこれを、
「
「……その通りだ」
今関さんに話したことを思い出した。
走り去っていく迷わぬ迷い人だった子供の背中、オルトさんの声。
ああ、やっぱりあの空間は、あのモヤのかかった縁の先は、
「……」
「落ち着いてくれ、大丈夫だ、今君はここで生きている。完全に神隠しになったわけじゃない、そうだろう?」
春都お兄さんの暖かくて大きな手が背中を包んだ。
もう一方の手が私の右手を包み、しっかりと握ってくる。
「はい、大丈夫です。私はここにいます」
「ああ、ああ、そうだ、そうだよ」
少しだけ汗ばんでいる手のひら。かつて符術に力を注げず諦めそうになるたびに握り締めてくれたことを思い出して、目頭が熱くなる。
春都お兄さんの水の符術はいつも繊細で美しく涼やかで、子どものころの私は強く憧れていた。
いつも手のひらから伝わる熱は私の背中を押してくれていた。
「教えてほしいんだ。思い出したくないだろうが、気を失っている間に何か視たか?」
「……」
迷う。さきほど今関さんに誰にも話さないよう言われたばかりだ。
オルトさんの件を春都お兄さんに伝えることになる。
迷っていると、額に皺を寄せた彼はふっと笑った。
「どうやら視たようだ。その様子だと口止めされたか」
「え」
「はは、君はあのころから変わってないところもあるようだ。ほっとしたよ、成長はすべてを変える必要はないのさ、想いも考えもね」
「……春都お兄さんは今も優しいね」
「口止めされているとなると、知りたいことに焦点を当てて質問するのがよさそうだ。なら、1つだけ聞いてもいいかな?」
「答えられそうなら」
十分だ、と彼の厚い手は私の頭を撫でた。
「縁の色は何色だった?特徴は?」
「え……く、黒です、モヤがかかった黒でした」
「ほう……」
何か思い当たることがあるのだろうか。春都お兄さんはしばし黙り込んでしまった。
質問の意図を聞きたいけれど、私よりも何倍と頭の回る彼の妨害はしたくない。
おとなしく黙っていると、彼はつぶやくように小さく口を開いた。
「僕は蛍都のように縁視の研究者ではないが……黒いモヤの縁に関する資料は雪園家にも保管されている」
「雪園家に?」
縁視と雪園家に歴史的な関係はないはずだ。あっても私のように過去に養子として引き取った記録くらいだろう。
むかしむかし縁視が軽視されなかった時代の話だけれど。
「ああ。裏の世界で生まれた陰陽師は、怪異や妖異、妖怪の類から人々を守るべく生まれた職だ。相手の種類が多いほど生み出される術も多くなる。つまり、今となってはひとりの人間の頭には到底入りきれないほどの知識が積みあがっている」
「もしかして、妖異関連の知識に縁の話が?」
「その通りだ。君は変わらず鋭くて素晴らしい」
もう何回目かわからなくなった頭のなでなでを繰り返してから、彼は手を離した。
「黄泉だ。人々は肉体の死をもって魂とならなければ黄泉へ行くことはない。ただひとつだけ肉体をもったまま行く方法がある」
「雪園家が管理している社や神社で封印している入口ですね」
「その通り。人々が玄関から家に帰るように、実体のある存在が別の空間に入るには固定された出入口が必要だ。
だが例外がある。何百年と前の資料から、生きたまま黄泉と遭遇した人々や陰陽師の証言の中に『黒い煙を持った紐』という表現があるんだよ」
「……それは、」
「その紐を辿ったものは全員行方不明になったという。つまり、モヤのかかった縁の先には『移動式の黄泉への出入り口』があったのではないだろうか」
脳裏を通り過ぎていくのは黒いモヤを持つ縁の記憶。
なんの関係もない様々なものに繋がっているにもかかわらず色だけは一様だったのは、黄泉の入り口という不可視のものだったからなのか。
私の視線が真っ白なかけ布団に向いた。
白い指が私の意思に沿って手のひらを隠す。震えている。
少しの沈黙の間、大きな手が慌てるようにこぶしをほどいてくれた。
「ありがとう。生きていてくれて、返ってきてくれて」
視線を上げて春都お兄さんの顔を見た。
伏せた瞼から長いまつげが揺れて、私の様子を見ているようだ。
「いいか、菜子。
辛いことや悲しいことで倒れたままの生き方はするな、いかに歩みを続け、いかに立ち上がるかを考えて生きるんだ」
『優秀な人間が集まる大貴族 雪園家の落ちこぼれ』
分家の人々からぞんざいな扱いをされていた私にこの兄が繰り返し言っていた言葉だ。
今自分がどんな顔をしているのか想像もつかないけれど、ジワリと視界の隅がぼやけたのを感じる。
そういえば、この弟の方も口酸っぱくしていた言葉があったっけ。
「何をしているのかな、兄さん?」
……少なくともこんなに怒りを含んだ低い声ではなかったと思うけれど。
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