第17話 いつの日か隠れる君へ

目覚めた未来の風景に凪ぐ

魔力浸透圧によって喉に大きな損傷を受けてから、8日目に私は意識を取り戻した。

それから目を開けたり眠ったりを繰り返して、おそらく数日。

私はようやくぼやけた視界から解放され、完全に意識を取り戻していた。



「吉川さん、おはようございます」

「……はよ……ございま……」



口には呼吸器がつけられていて、声はあまり相手に届かない。

元はもっと大きな装置だったらしいがだいぶ小さくなったというけれど、まだまだ重たくて顔が痛い。

でも言いたいことは伝わったようで、看護師さんがにこりとこちらを見降ろしていた。



「気分はどうですか?気持ち悪いところはありますか?」

「いえ、特……も」



私の意識が戻ってきたころには、裂傷や打撲はほとんど治っていた。

あとは自身の魔力を封じる膜が完成するだけ。

看護師さんの後ろに現われたこの人曰く、呼吸器が外せる時が退院の日になるそうだ。



「僕が代わるよ」

「あっ……はい、室長。じゃあまた」

「はい」


「おはよう、菜子ちゃん」



にっこりと、朝日に照らされて笑顔を見せる雪園室長の笑顔は眩しい。

どっちのせいで眩しいのかはわからないけれど、ども、とだけ私は返事した。



最初に目が覚めた時の記憶はおぼろげだ。

こうして何度も睡眠と覚醒を繰り返すうちに、確実に薄れている。

今となっては、目の前の人物が私の手を強く強く握って声をかけてきたことと、手の甲にぽたりと落ちた雫の温度だけ。



「少し体を起こすね」



ベッドの下から機械の音が聞こえ、私の視界は天井から室内に変わる。

いつの間にか集中治療室から個室に移動していたらしい。同じような天井だったからよくわからなかったけれど。



「今日も安定しているね。魔力も十分回復してきている。

でも、まだ喉の状態が良くないから、その呼吸器を外すのは禁止。今日もご飯は点滴にしよう」

「……」

「そんな目で見ない。息苦しいのはわかるけど、その呼吸器は体内魔力の調整も兼ねてるから我慢してね」



正直早く外したいんだけどな。

この呼吸器は重すぎて首は疲れるし話はしにくいし、なにより視界の下が埋まってて邪魔。



「さて、今日から面会が許可されるね。早速吉川家のご家族がお昼に来るそうだから、楽しみにしていて。

到着したら僕もまた来るから」



ぽんぽん、と何も言わない私の頭を撫でて、笑顔のまま彼は病室を去っていった。



―――――――――――――――――――――――



「菜子!」

「菜子ちゃん、あらあらまあまあ」



呼吸器と格闘しながら本を読んで2時間ほど、お母さんたちが病室に入ってきた。

お父さんとみねおばあちゃん、伸太朗まで勢ぞろいしている。

私は右手を振って声に応えた。



「あああああ……もう、本当に、心配したのよ!」



お母さんが真っ先に私を抱きしめてきた。

後ろからお父さんと伸太朗が同じ顔をして安堵している。



「ごめ……さい、心配……けて」

「いいのよ、あなたが無事であればそれでいいのよ!」



涙声だったお母さんはすぐに泣きだしてしまった。

ぽんぽんと背中を叩いてあげると、ハンカチを取り出して目を擦る。



「普通は助からない状態で運ばれてきたって聞いたときはもう……!」

「今はもうだいぶ良くなったのか?喋って大丈夫なのか?」

「うん、喉が……すれば……退院……」

「あらあ、菜子ちゃん、退院できそうなの?」



みねおばあちゃんが私の右手を優しく握ってくれた。

握り返すと、皺だらけの小さな手がより強く返してくる。



「あの日からずっと、ずっと自分の魔力が零れないように一生懸命生きてきたんだもの。

たまには零れちゃったっていいのよ、菜子ちゃん」

「お……あちゃ……」

「でも零してもいいのはほんのちょっとだけよ、今回みたいにたくさん零したら、みんな心配しちゃうからねえ」

「うん、ご……ん」



正直に言えば私の判断ミスだった。

魔力の濃度が高い場所から低い場所に変わったことを気づいてさえいれば、言霊で膜を強化することができたはず。

そうすればこんな大事にはならなかったはずなのに。


と、この前今関さんにメールをしたらこっぴどく叱られた。

結果論は不要。雪園室長には絶対言わないこと、この仕事を辞めたいなら構わないけれど?だそうだ。

怖くてそれ以上は聞けなかった。



それから入院生活で足りないものやほしいものについて話をしていると、また病室の扉が開いた。



「お話し中に失礼します」

「あら、あなたは」



雪園室長だ。

後ろには今関さんまでいる。


いの一番に反応したのは、お母さんだった。



「蛍都くん!」

「こんにちは、麻沙子あさこさん」

「今日もイケメンね!もう!」

「か、母さん……ここ病室だから」

「だってだってあなた、蛍都くんよー!?」




「……なあ、姉貴」



お母さんたちの会話が盛り上がり、病室の主である私はすっかり放置。

しんみりしそうな空気を換えてくれた点は彼に感謝だ。でも1日に5回も声かけてくるのは大変減点、看護師さんが下心たっぷりに大勢来るので困る。


そんな私に声をかけてきたのは、伸太朗だった。

窓側の椅子に座って、私にこっそりと話しかける。



「あの白衣の人だれ?男?というか人間?綺麗すぎる気がするんだけど」



ちょっとならバレないか、伸太朗とも話したいし。

私はこっそりと機器を浮かして呼吸してみたけど、なんともなかったので呼吸器をちょっとだけずらした。



「私の主治医、男、たぶん人間」

「たぶんってなんだよ」

「正直あんな綺麗な人、同じ人間なのか怪しくない?」

「はは、まあな」



伸太朗は笑顔を見せてくれたけれど、少しだけ疲労が見えた。

ちょっと不愛想だけどとてもやさしい弟だ。心労をかけてしまって申し訳ない気持ちになる。



「今回のこと、ごめん。みんなの様子、どうだった?」

「すごいびっくりしてた。……前みたいだった」

「前?」

「うん、前に姉貴が魔力を漏らしたときみたいな」



ああ、そういえばそんなことあったな。

初めて魔力が漏れたときはひどい喉風邪が原因だった。脳が混乱して一時的に記憶を失うほどだったらしい。



「そっか、ごめん」

「怪我してもさ、姉貴がちゃんと元気になれば、いい、よ……」



伸太朗が私の向こうを見て言葉を濁していった。

何だろうと母さんたちの方を見る。


その途端、私の視界には話題にしていた綺麗な顔が大アップで映っていた。



「ふごっ」



呼吸器が顔にめり込みそうな勢いで押し当てられた。

い、いたた、痛いってば。



「……ともかく、この呼吸器を外しても問題なければ退院になります。

 しばらく通院は必要ですが、この調子であれば以前の生活も支障ないでしょう」

「そうなのね。うちの娘を救ってくれて、本当にありがとう。蛍都くん」

「……いえ、これが僕の役目ですから」




さて、そろそろ休ませないとね。

どこからともなく出てきたそんな声によって、お母さんたちは帰り支度を始めた。

入院用のパジャマやらなんやら大量の荷物を持ってきてくれたようで、私のベッドの下は荷物だらけになっている。



「じゃあ、また来るからね、菜子」

「うん、また」


「私がお送りします」

「ありがとうございます、今関さん。では僕はここで失礼します」

「ええ、またお話ししましょうね、蛍都くん」



今関さんに連れられて、嵐のように吉川家の面々は帰っていった。



―――――――――――――――――――



2人きりになった病室。

扉が閉められた途端、雪園室長はくるりとこちらに顔を向けた。



「菜子ちゃん?」

「………」



そのまますたすたと私のベッドまでやってきて、腰元に腰を掛ける。

左手を顔の横に置いて、覆いかぶさるように私の顔をじっと見つめてくる。

お母さんたちを送り出したときとおなじ微笑みだけど、私はぶるりと震えた。



「呼吸器、外すの禁止、って言ったよね?」



ひっ。

思わず視界に入れないように首を動かそうとしたが片手で阻止された。

光のない瞳がまっすぐこちらを射抜いてくる。



「はず……ては……ないです」

「まさか、『浮かせただけ』なんて言うつもりじゃないよね?」

「………」

「さっきも言ったけれど、この機器は体内魔力の調整も兼ねてるから、外したらどうなるかわかっているのかな?」

「す、みませんでした」



珍しくしっかり目を見て謝罪してみた。

彼は小言がとても多い、呼吸器はもちろん、腕の位置から足の位置まで……。


にこり、と笑みを深くする。

あ、だめだ、これ効いてない。

宝石のような瞳が完全に曇っている。虚ろになっている。



「僕は君を元の状態以上に元気になってもらって、日常生活に戻ってもらいたいと思っている」

「はい」

「だけれど、君が僕の治療に抵抗してしまうと、退院まで日数が伸びるだけだ」

「……うですね」

「僕としては君にいつでも会えるから退院しなくても一向にかまわないのだけれど、君が嫌だと思うならちゃんと従ってほしいな」

「………」



ネチネチした説教が始まってしまった。

ああ、面倒くさいなあ。



「そもそも君は……ん?」



ちょんちょん、と近くにあった白衣の袖を引っ張る。

長々続く声をいったん止めさせて、私は彼の目を見る。

そして、ちょいちょいと手招きをした。



「どうしたの?菜子ちゃん?」



彼は私の口元へ顔を近づける。

ちょ、そのまま近づくの!?覆いかぶさってこないでよ近いってば。

と、言いたいところを呼吸器によって邪魔されて言えないため、私は妥協するしかない。


呼吸器をもう一度浮かせる。



「菜子ちゃん、だから呼吸器は」


「ごめんなさい。もうしないから許して?『蛍都お兄ちゃん』」


「…………」

「…………」



「…………くっ………………………今回だけだからね」




彼は手で顔を覆いながら、私から離れていった。

ほお、昔の呼び名を使うのはいい発見だったかもしれない。






「戻りましたよ、って、ん?あら?雪園室長、どうかされました?」

「………いや、僕は先に戻りますので、ごゆっくり」

「あら、そうですか、ではまた……」



白い姿がいなくなった病室。

また扉が閉まり、今度は見送りから戻ってきた今関さんがこちらを振り返る。



「菜子ちゃん、雪園室長はどうしたのかしら?何か項垂れてるような感じだったけれど?」

「さあ」

「そう」



今関さんはこてんと傾けていた首を戻して、すたすたと近づいてきた。



「ようやく会えてよかったわね。ご家族と」

「はい」



簡易的な丸椅子を引っ張ってきて座るなり、悪い顔をした。



「面会が解禁されて早々に申し訳ないのだけれど、いち早く報告がしたいことがあるのよ。体調はどうかしら?」

「問題……いです」

「よかった。すぐに済ませるわね」



肌が透けた黒いストッキングを組み、黒ぶち眼鏡をくいっと上げる。

今関さんがこういう顔をするときは、面白いことがあったときと、大きな仕事を終えた時だ。

今回はどっちだろう。



「無理に返事せず聞いてちょうだい。清水家で子供の怨霊が出た事件、父親と母親を死体遺棄容疑で逮捕できたわ」

「!」



今関さんの報告は想像をゆうに超えるものだった。

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