家族の軌跡
清水家の玄関は窮屈な狭さだった。
小さい黄色、大きな紺色の傘が2つ地面に転がっていて、靴箱の上には粘土で作られた人が緑色のリボンに巻かれている。小学校の授業で作った作品だろうか。
すすけたような灰色のタイルや古い木の臭いは、長年人々の暮らしを守ってきた家であると示すには十分だった。
だが、家としての特徴が目に入るのは玄関まで。
廊下や壁には既に例の文字がはびこっている。
『承認』
『承認』
『承認』
『承認』
『承認』
『承認』
『承認』
『承認』
『承認』
『承認』
壁に、床に、おもちゃに、窓に。
部屋中に『承認』の文字が書き込まれている。
「……本当に写真の通りの光景だな」
狭い玄関の端っこに立っていた白石課長が呟くように言う。
感じたままの言葉に、私はそうですねと短く返事をした。
確かに写真の通りで薄気味悪い。
強いて違いを言うならば、どこかで見たような綺麗な明朝体であるところだろうか。
「塗られているわけでもなく浮かび上がってるわけでもなさそうですね」
薄汚れた白い壁にある文字に触れてみると、削れることもなく、歪むこともなく触感の違いはないようだった。
私に倣って白石課長も文字に触り、頷く。
「すべての部屋を見てみよう」
「はい」
現場保全の符術はしっかりと発動しているらしい。
自分の身を守るため、私たちは土足のまま部屋に上がった。
―――――――――――――――――――――
清水家はキッチン、リビング、和室、トイレや洗面台、お風呂場で構成されたとてもこじんまりとした家だった。
イグサの上で畳まれるのを待ち続ける洗濯物や、おもちゃを無理矢理詰め込んだカラーボックス。
台所に溜まった洗い物がそのままになっているところを見ると、彼らにとっての日常風景が残っているようだった。
「どの部屋も文字の変化はないな」
「そのようですね。多少歪みはあるようですが、違和感はありません」
玄関から廊下を通りつきあたりを左に曲がると、キッチンに入る。
キッチンとリビングは一続きになっていて、最奥には窓とベランダがあるようだ。
玄関の間隣にあるからか人目を隠すために緑で覆われており、陽が入らず室内は薄暗い。
「うむ……この文字は照射されているような感じがするな」
「確かにそうですね。壁や物に焼き付けられているような……印字されているような……そのようなイメージです」
「ああ、それにこの文字は……異様に弱い妖異の力が宿っている」
「妖異ですか?」
私の言葉にはっと何かに気づく表情をした白石課長は、こちらに振り返ってすまないと零した。
赤と黄色でたくさんの横線が刻まれた茶色い柱に気を取られていた私は、彼の方に身体を向ける。
「私は人よりも魔力の類いの感知が得意でね。符術、妖異、妖怪、それぞれの微妙に異なる力の性質を感じ分けることができるんだ」
「符術で検知ができる方法があるとは知っていましたが、ご自身でわかるのですか?」
「ああ、人それぞれがもつ魔力の違いもわかるから犯人が変装しようとすぐに見破られるわけだ」
「なるほど……とても便利ですね」
以前、灯ちゃんが符術で先祖返りした
それを自身で判別だけでなく、細かな個体差までわかるというのは聞いたことがない。
彼が今の地位に上り詰めているのは、家柄、実績、人柄だけではなかったということか。
「うむ……なのでな……」
「はい?」
「君は全く魔力を感じないから、とても不思議だよ」
「あ」
白石課長はわずかに眉尻を下げてなんとなく困った顔をした。
当たり前である。
魔力を持つが故に裏の世界で生きているのに、魔力が感知できない私がいるのは違和感しかないだろう。
いわば見た目は表の世界で生きる人間そのものなのだから。
『先ほど話した通り、吉川はあえて魔力の漏出を防いでいるのですから当たり前でしょう。白石課長が検知できるのは漏れ出ているものだけなんですから』
ずっと黙っていた今関係長にぴしゃりと言われ、白石課長は肩をすくめた。
「『先天性魔力弁喪失症』……いや、君は後天性だったか」
「ご存じなんですか?」
懐かしさすら感じるその言葉に、私は驚いて聞き返してしまった。
学生時代に先生たちが連呼しては生徒たちに説明していたその言葉。
就職して数年、今になってあの白髪室長以外から聞くことになるとは思わなかった。
なぜ知っているのだろう。
「ああ、少し調べてみたんだ。
人が持つ符術の力、いわば魔力は、体内外で弱い浸透圧が発生する性質がある。外に漂う魔力が濃ければ身体が魔力を吸収するため、治療符術の分野では基礎中の基礎だ。
だが通常外に漂う魔力はとても薄く、なにもしなければ魔力は漏出してしまう。
人は幸いにも心臓が血の逆流を防ぐように『魔力弁』を持っているから漏出を防ぐことができる……が、それを持たず生まれてしまうことがある、それが『先天性魔力弁喪失症』だ」
「おっしゃる通りです」
「君のようにごくまれに後天性で発症する場合もあるそうだな。主に外傷や魔力の大量」
『課長、それはそうとあなたの部下から報告が上がっています、伝言しても?』
「頼む」
またぴしゃりと言われてしまったことに気にも留めず、白石課長は話を切り替えた。
緩んだ空気が引き締まり、緊張感が漂う。
僅かに物音がした後、今関さんの声が胸ポケットから部屋に響いていった。
『清水
そして例の文字が浮かんだのは犯行中、息子
「なるほど、犯行中に文字が浮かぶきっかけがあったということか……」
『あともう1つ、2名の来歴について調査したところ
「今関係長?」
「今関さん……?」
突如混ざりだした砂嵐の音。
今関さんが何か言っているのはわかるが全く聞き取れない。
ザザザ―――――ザザザザザザ――――――
「! 吉川さん、気をつけろ」
「え?」
「この空間にある妖異の力が強まっている、電話が繋がりにくくなったのはこのせいだろう。警戒するんだ」
「はっ!」
私には何も感じられないが、薄暗い縁がゆらゆらと増えていくことに気がついた。
藤色がみるみるうちに暗くなり、危険な色に近づいていく。
『執着』を示す紫色は、よく見ると部屋の『承認』の文字から溢れているように増え、隣の部屋へ繋がっていった。
「和室……?」
「どうした?」
「縁が和室の奥に繋がっていきます、確認します」
「わかった、周りに注意しろ」
「はっ」
和室は私たちが話していたリビングから襖を通して右側に配置されている。
より光の入らない暗い空間だが、右側にある閉じられた押入れだけははっきりと確認できる。
部屋の奥を見ようと左側に振り向くと――――――閉じられた襖があった。
「押入れの反対側にも押入れ……?」
「待て!おかしい」
「ええ、リビング側にはベランダがある場所だったはずですが……」
その場所は真っ黒に染まっていて、わずかに見える黒い枠と丸い模様だけでそれが襖であるとわかる。
ガタ
襖が地面に当たる音。
ガタガタ
黒い煙の縁がほほをかすめた。
ガタタタタ
「吉川!近づくな、こちらへ来い!」
ガタガタガタガタ
「はい!」
ガッ
突然止まった揺れる音。
息つく間もなく、その先は口を開ける。
強く引っ張られる腕。
固い胸板にぶつかる衝撃を感じながら、私の目はただそれだけを見つめていた。
勝手に開いていく襖。
展開される符術の眩しさに、やがて耐えられなくなった私は強く目を瞑った。
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