文字が踊れば困惑も踊る
特殊警察局 四課から7係に引き継がれた調査資料は、口頭で引き継がれた情報と、『原因不明』という結論が書かれていた。
一家心中未遂だった。
妊娠をきっかけに同居していた男性に逃げられ、幼い1人息子を抱えた女性が生活苦により心中を試みた。
襲いかかる母親から逃げた息子は、近所の友達の家に助けを求めて事件が発覚。
2人とも命に別状はないものの重傷を負い、病院にて取り調べを受けているそうだ。
救出の際に家に乗り込んだ警官たちが見た景色こそ、あの『承認』だらけの空間。
妖異が原因とみて調査したが、文字を部屋中に書きなぐるような趣味を持つ妖異はいないし、
逮捕された女性を含め、住人の筆跡鑑定も術者鑑定も不一致。
ただ、後に『承認』の文字は明朝体かつ多少の歪みは認められるものの、全て同じ字体であることはわかったらしい。
簡単に言うと、筆で手書きしたのではなく、印刷した紙を部屋中に貼りつけたようなイメージだ。
「少なくとも人の手ではなく、妖異の説が最有力、というところね」
今関さんは白壁に投影した資料を眺めながら、ぽつりと独り言をこぼした。
「
「うーん、四課の調査通り、この特徴の妖異は思い当たらないわね……」
「特殊情報管理室に問い合わせてみますか?」
カケルくんは灯ちゃんの困った顔を真似ている。
確かに、ありとあらゆる情報が集うあの部署であれば、何か手がかりが得られるかもしれないけども……。
「確かにカケルのゆーとーり、あいつらに聞いてみるのもいいケド。
耳っちの様子からして、結果を待つ時間も惜しいって感じじゃね?」
灯ちゃんの言う通りだった。
特殊情報管理室はその名前の通り怪異から特殊能力、魔力を持つ動物や植物まで様々な情報を収集し、管理と活用を目的にしている。
それ故に常に全国から問い合わせが入り、緊急性の高い案件が優先される。
人命に影響のない今回の案件であれば、回答まで1周間はかかってしまうだろう。
「私が現地へ行って『視て』きます」
「ハーーー」
やっぱり視にいくのが一番手っ取り早いだろう。
そうねいってらっしゃい、と言われると思って言ったのに、返ってきたのは灯ちゃんのため息だった。
あれ?
「もうちょっと何か情報ねーのかなー」
「粘るなんて珍しいですね」
灯ちゃんは行動しながら考える派だ。
丁寧に情報収集をしてから動く今関さんやカケルくんみたいな発言にびっくりしてしまう。
ついそのまま伝えてしまうと、ピンクの髪がばさばさと左右に揺れた。
「しょーじきあたしも直接見に行くのが一番いいと思ってるんだけどさ、なーんか怪しすぎる気がする」
「確かに、写真でも不審な縁が視えたので、実物はもっといろいろなものが視えそうですね」
「ちなみにどんな色の縁なん?」
「暗い紫のような色に……黒い煙をまとっていました」
「黒い煙?」
今関さんが少し大きい声を出した。
顔を向けると、尖った視線に射抜かれた。
いつも努めて穏やかな言動をしている彼女にしては珍しく、強い眼力にたじろいでしまう。
「は、はい」
「……そう、なら余計に怪しいけれど……菜子ちゃん、どのみちあなたの力は必要になるわ、今から事前調査として現地へ行ってきて頂戴」
「はっ」
今関さんは私の短い返事を聞いて、一瞬目を見開いた。
私がわかりやすく怪訝そうな顔をしたんだろう、自分の態度を察したのか気を取り直すようにこほんと咳払いをした。
「灯ちゃんは耳田さんのところへお使いを頼めるかしら」
「うぃーっす、何するー?」
「『承認』の文字のインクについて調査したか聞いてきてほしいの。墨のような媒介を使われているのか、すべて術によるものなのか知りたいわ」
「はーい」
「カケルくんは特殊情報管理室に行って資料提供の依頼をお願いできるかしら?時間はかかるでしょうけど依頼しない理由はないもの」
「はっ!すぐに行ってきます!」
んじゃまた!とひらひら手を振りながら灯ちゃんはさっさと執務室を出ていった。
カケルくんも脱いでいた軍服を片手に歩き出した足を止めて、こちらを向く。
「今関さん」
「なにかしら?」
「お茶は温かいうちに飲んでくださいね。のど飴はその後にちゃんと食べてください」
「え?ええ…」
ぱたん、と扉が閉まってしまえば2人だけ取り残された。
いつの間にか今関さんの手元に置かれたお茶と金色の飴を添えて。
「私ったら、あんな優し……いや過保護な子に育ててしまったのかしら」
「……忍びの技術って便利ですね」
縁が視えている私でさえ気づけなかった。さすがカケルくん。
その代わりというように、ふと廊下からふわりと視たことのある縁が視界に映る。
ああ、なるほど。
「それだけじゃないかもしれませんね」
「あら、というと?」
「今関さんは周りを過保護にする才能があるかもってことですよ」
コンコン
こんなにわかりやすい縁はあまり見かけないので、思わず笑顔になってしまった。
今関さんを待たずにどうぞと声をかければ、躊躇なく扉が開けられる。
「失礼する」
「え」
スラリとした長身と相変わらずの圧。黒い髪は今日も左肩を撫でている。
思わず立ち上がった今関さんに続いてから会釈をすれば、彼は右手を上げて応えてくれた。
「間に合ったようだな」
「間に合っ……とは?」
驚きのあまり素が出て言葉が出てない上司に締めたはずの表情筋が緩む。
「刑事一課 課長の白石だ。心中未遂事件の現地調査、俺も同行させてもらう」
「「は…………え?」」
言葉が出てないのは私も同じだった。
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