覚悟の一閃

「お久しぶりでございます。花王院局長、今関7係係長、

 …吉川さん」



震えるその声に私たちが一礼する頃、既に周りを取り囲む人々の視線は散り散りになっていた。

誰かの会話を盗み聞きするのは、紳士淑女としては無粋、そんなところだろうか。


今回、佑様の発言をすべて信じるとするならば、おそらくこの雪園家との対面も局長が仕込んだこと。

そして、今関さんも含めて私と彼女が久々の再会となることを知っている。


ただ、これは局長の意図とは反する事態だろう。

私は彼女と再会したどころではない緊張感に襲われていた。



「お久しぶりでございます。柚那ゆずな様」

「なんだ、今関は会ったことがあったのか」

「はい、以前…」



耳に入る会話を右から左へ流しながら、私は一点をじっと見つめた。

それは1人の男。深紅のスーツを着た中年男性。

その手にある赤ワインの縁が、ゆらゆらと伸びていく。



「そうかそうか!あのときか、すっかり忘れていたぞ。

 やはり歳には勝てんな」

「いやいや、そんなことはございませんよ」



おかしい。

暗い黄土色、黒いモヤ。

モノがそんな色の縁を持つことはない。

あれは、ただの飲み物じゃない。

もしかして。



毒入り。



「……」

「そうだ吉川!」

「!」



集中がプツンと切れた。

注視していた縁の色が薄まり、私は突然部屋の電球がつけられたように意識が戻る感覚が全身を走り去っていく。

声の主に振り向いてみれば、得意そうな表情をした局長の顔が見えた。



「なんでしょうか?」

「前に2係の四野見塚しのみづかの姉の方を取り込んだ…あの、黒いやつあっただろう。あれは何の力だったか?」

「付喪神でしょうか?」

「そうだ!ええっと確か…戦華…」

戦華繚乱せんかりょうらん、です」

「おお!そうだったそうだった!」


「ほう、付喪神の力を借りるとは、随分と高度な技を」



真琴まこと様が感心したように頷いた。

すっかり涙が止まった柚那様と……蛍都けいと様も驚きを混ぜた視線をこちらに向けてくる。



「ありがとうございます」



とりあえず愛想笑いを浮かべると、雪園家の面々は驚いた顔をした。


…あ、まずい。


今までできうる限り辛辣な態度を取ってきた雪園家。

笑顔も見せたことないのにうっかり…。



というか!話している暇なんてこちらにはないの!

縁は?

さっきの毒入りワインはどこ!?



「今も符術が苦手だと聞いているが、そうか…!他の存在の力を借りて補うとは、素晴らしい!」

「あ、はい…ありがとうございます」



集中しようとした瞬間。

なぜかテンションが高まる真琴様の発言で、ぷっつりと切れる。

ええい、もう一回。



「素晴らしいですわお姉さま…!その付喪神は常に共にいらっしゃるのでしょうか?」

「ええ、いつもは刀ですが、今日は持ち込めないのでネックレスに」



今度は柚那様の問いかけで切れる。

もう!早く私の話題終わってくれないかな。



「素敵なネックレスだね、特にエメラルドグリーンの石がとても綺麗だ」

「ありがとうございます」



蛍都様は、黙ってて!



「そういえばこの前、柚那のアクセサリーを買ったときに似たようなネックレスがなかったかな?」

「…ああ、そういえば小さなペンダントがありました。後でカタログを見てみましょう、お兄様」

「そうだね。良いものがあればプレゼントさせてくれないかな?吉川さん」

「あ、いや、私がそのようなものをもらうわけには…お気持ちだけで充分でございます」



突然何を言い出すんだこの人は!

目をキラキラさせて話に乗ってくる柚那様を、止めてくれる人はいない。



「そんなことおっしゃらないでください。せっかくお会いできた記念ですから」

「い、いえ、頂戴してもドレスを着ることはそうそうございませんので、身に着ける機会がなくては勿体なく…」

「であれば、制服でも身に着けられるようなシンプルなものにしようか」

「そうですね!カタログになければ作ってしまえば良いのです」



はい!?

なぜオーダーメイドの話に。


突然話し込み始めた兄妹の隙をついて、私は再度集中することに成功した。


一瞬見えた黒いモヤは、まだ会場の入り口辺りにいた。

佑様は会場の最も奥、ステージの近くにいる。

もしかしたらターゲットは佑様ではないかもしれない、近づいたときが勝負か、でも



「どう思われますか?」

「!」



まずい、全然聞いてなかった!


輪に参加している面々は、全員何も言わず私の言葉を待っている。

ちょっと待って、私いま何を聞かれたのかさっぱりわからないんだけれど…!

今関さんや局長に目を向けても、穏やかな顔をしてくるだけだった。


どうしようという雰囲気が伝わったのだろう、いつの間にか目の前に近づいてきた柚那様がにこりと笑った。



「わたしは、シルバーの方が良いと思います。制服は白なのですから、目立たない色であれば身に着けていただけるでしょうか?」

「え、ええ、そうですね」


「っ!」

「!」

「!?」

「ぶっ」

「…局長、はしたないです」



え、何、私何かまずいことを言ってしまった…?



「わかりましたわお姉さま!

 お父様、さっそく帰ってデザインを考えてきます」

「待て柚那、全ての会場を回ってからにしなさい」

「いいではありませんか、お父様と蛍都お兄様がいれば問題ありません」


「お願い、柚那」

「お兄様?」

「僕も一緒に考えたいから、ね? 抜け駆けは駄目だよ」

「……お兄様がそうおっしゃるのなら、仕方ありません」



まったくもう、と腕を組む妹に、手を合わせて謝罪する兄。

よくわからない光景を見せられて私はひたすら疑問符を浮かべていた。


さて、と真琴様が声をかけ、再度局長へ向き直る。



「花王院局長、我々はこれで失礼いたします。

 改めてお食事会でも開きましょう。まだまだお話を聞きたいですから」

「そうだな!楽しみにしている」

「はい、それでは」



全員一様に花のような美しい笑顔を見せて、雪園家は嵐のように去っていった。


ずっと強張っていた肩の痛みを感じて、私は軽く揉む。

一方その隣で花王院局長は肩を震わせていた。



「やりおったな吉川!」

「はい?」

「お前ならきっぱり断ると思っていたんだがな!実に愉快だ!」

「ええと…」

「プレゼント、しっかり受け取ってあげなさいね」



上司2人に言われて、ようやく気づく。

…私、ネックレスを受け取る約束をしてしまった…?



「~~~~~!!」

「ぶっふふふふ」

「ふふ…っ、今気づいたのね、ふふ…」


「ち、違うんです!」



顔の火照りを感じながら、私は慌てて2人に否定する。

だけれどその反応は望んだものではなかった。



「だったら今のうちに否定してきたらどうだ?まあ、吉川に話しかけられて大喜びするだけだと思うがな!」

「同意します」

「…むう…。

 全然話を聞いてなかったんですよ…怪しい縁が視えて…」


「なんだと?」



笑顔から一変。

上司は突然仕事の顔になり、似合わないくらい眉間に皺を寄せた。



「状況を報告しろ」

「はっ。先ほど飲み物に纏う怪しい縁を確認。毒入りのワインと思われます」

「今それはどこにいる」

「お待ちください…


 なっ…!」



振り返ると、深紅のスーツを着た中年の男は既に佑様と話をしていた。

両手にワインを持ち、片方のワインからは変わらず淀んだ縁が伸びていて…佑様と繋がっている。



「佑様の元にあるようです!」

「「!」」

「阻止します!」

「吉川っ!」



私は即座に行動を開始した。



人を縫って真っ直ぐに佑様のもとへ歩いていく。

途中でどこからか聞こえた菜子ちゃん?という声も反応せず、少しずつ小走りになっていく。


急ぎながらも私は頭の中で仲間を呼んだ。




 戦華繚乱!



―――――何でありんしょう、あるじさん



私の首にあるネックレスが震え、化けている付喪神が応えた。




 『暴食』を呼んで。私に取り憑いて。



―――――あの子を?よろしいのでありんすか?



 うん、お願い。そうしないと私が死ぬ。



―――――その言葉は反則でありんす。主、わかりんした。





目の前で、そのグラスを佑様が受け取った。


いくつか口を動かして、口元へ持っていく。


口を開く。


グラスを傾ける。





私はそれを――――――佑様から奪い取った。





「な、何だ君は!」



深紅のスーツをまとう男が、驚いた顔をして私を見た。

佑様と男の間に入った私は、じっと視線を男に向ける。


一呼吸整え、私は口を開いた。



「突然申し訳ございません。

 佑様は本日服薬されており、あまりアルコール類は飲みすぎないよう注意されております」

「な、別に私は今日」

「すでに少々飲みすぎておりますので、お止めに入らせていただきました」



佑様の声を被せて殺し、私は脂汗をかく男に畳みかける。

何かに気づいたのか、男は驚いた顔からにやりと意地悪い表情に変わった。



「ほう、そうか。私の飲み物を、佑様は飲めないと。

 つまり友好の意思は示せないということですな?」


「…君、そのグラスを渡せ」

「お断りします」



相手から飲み物を受け取り飲むことは、友好の意思表示。

それをこんな汚い手段に使うとは。

王族の指示を断る私に、男は顔を赤くした。



「佑様の命を破るとはこの女!」



…この男、おそらく別の後継者を支持しているのだろう。

傍に局長と今関さんの気配はするが、この場を鎮めるには頼っている暇はない。



「それでは、佑様の代わりに私が飲みましょう。

 それでご勘弁願いませんか」

「は、はは!ならやってみるがいいさ」



…この人、毒が入っていることをわかってて佑様に渡したのか。

予感が的中して、私は気分が悪くなる。



「…お前、まさか」



背後で佑様が小さく言葉を零した。

聞こえないふりをして、私は手元にある赤ワインを見る。


色に違和感はない、匂いも同様だ。

だが明らかに危険な縁を纏い、こちらを覗いている。




私は無言でその飲み物を一気に仰いだ。


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