過去の継承者

「佑様がいないだと?」



第5会場は同じホテル内にあった。

徒歩で10分ほどかかる距離で、他の会場と少し離れている。


その会場に到着するなり、佑様に仕える執事が困った表情で私たちに告げた。



「トイレにでも行っているのか?」

「左様でございます。近くにいた者が言うには、15分ほど前からお手洗いに行くと言ったきりお戻りにならないと」

「なんだそれは、まったく」



局長は腕を組んでため息をついた。

確か一番近いトイレは、来た道から第5会場の入口を超えた先にあったはず。

迎えに行くべきかな。今回は特に1人にするのは危険だ。



「吉川、向こうのトイレで佑様を探してきてくれるか」

「はっ」



ついでに佑様の縁の色も把握しておこう。

このホテルは人が多いせいで縁が多く、誰がどれだか判別がつかない。

お手洗いの付近であれば少し人は減るだろうし、チャンスだ。



私は一礼して会場の入り口を通り過ぎた。




――――――――――――――――――



歩いて数分。

トイレに到着する前に、探していた人物を見つけた。


庭が一望できるよう大きなガラスが片面を覆う廊下の途中で、佑様は壁に背を預けて立っている。

お手洗いはとうに済ませたのか、出てきたばかりの素振りもない。

これではまるで―――



「待っていた。久しぶりだな、菜子」



先ほどとはまるで違う、砕けた口調。

両腕を組んだ体勢と、いたずらでも成功したように口角を上げた上機嫌な顔。


…これは、はめめられたか。



「…」

「…おい」



私はガラス張りの向こうに広がる庭に顔を向けた。

冬の白い景色が廊下の灯に照らされ輝いている。

不思議と薄着のドレスでも暖かく感じる廊下から、一段と綺麗な星空を見上げながら私は言った。



「…先ほど初めてお会いしたはずですが」

「…忘れたとは言わせないぞ」

「存じ上げませんね」

「おまえな」



周りには誰もいない。

…いや、誰も来ないようにしているのかもしれない。


静かな空間を乱すように、目の前の男からイライラした口調で声が響いた。



「お前が雪園家の…吉川家の養子になる前に柚那ゆずなと3人でよく遊んだだろうが!」

「その人は別人ですね、私ではありません」

「無駄にシラを切るな!」

「そんな事を言われましても」

「お前本当にめんどくさいな」



佑様の顔を見ると、眉間に皺を寄せてこちらを見降ろしてきた。

口はへの字に曲がり、不満がありありと伝わってくる。

先ほどのテンプレ好青年みたいな態度はどこへ行ったのか。

今の佑様はそこら辺にいるようなただの男も等しい。


私も眉間に皺を寄せて見返してみると、更に皺を増やして睨まれた。



「さっきの挨拶の態度も何なんだ。わかりやすく視線を逸らしやがって」

「あなたがこちらをずっと見つめてくるからではないでしょうか」

「その口調も何なんだ、気持ち悪いな」



十数年ぶりの再会というのにめんどくさいだの気持ち悪いだの、言われ放題だ。

だからと言って言い返す立場でもないし、するつもりもないけれど。

黙って佑様を見返していると、はあ、とため息をつかれた。



「その態度、まさか雪園家にもやってるんじゃないだろうな」

「さすが王子、わかってらっしゃる」

「やめろその表現。お前の口から言われると腹立たしいんだよ。

 ったく、雪園 蛍都けいとはこんな態度をされてもよくお前にベタベタと構えるな、ヤツのメンタルは鋼か?鉄か?」

「ダイヤモンドではないですか?」

「…的確な例えを持ってくるんじゃない」



彼と私は同い年だ。

少しは大人びたと思っていたのに、昔と変わらず子犬のような騒がしさで喋りが止まらない。

これ以上無駄な説教が続く前に、私は疑問に思っていたことを口に出した。



「今回のパーティ、どうして突然私なんかをお呼びになったのでしょう?」

「俺の意思じゃないぞ。言っておくが、全てはあの局長の仕業だ。俺じゃないからな」



そんな重ねて無実を主張しなくても…。

だけれど、こんなことを計画した犯人はよくわかった。

まあ、予想通りだ。



「やっぱり局長ですか。でもまあ、毒を盛られる危険を回避する手段として、縁視は正解でしょう」

「…毒が仕込まれているかどうか視えるというのは本当なのか?」

「ええ、飲み物にあやしい縁があるかで判断できます。それがどんな毒かはわかりませんが」



本当に縁視は便利だな…。

佑様は呟くように言うと、こちらに真剣なまなざしを向けてきた。

彼をまとう雰囲気が変わり、私は何も言えず言葉を待つ。



「…今からでも雪園家に入る気はないのか?」

「どういうことですか?」

「雪園家は今でもお前を囲いたくて必死だ。過去の過ちもあるし、何よりお前には客観的な価値で測れない、家族になる意味がある」

「ですが、今も悠江ゆえ殿下は養子縁組に首を振らず、妨害し続けている。違いますか?」

「…違わない。悠江殿下は今でもひどく恐れているのは変わらない」

「ずっと気になっていたんです。なぜ悠江殿下はそこまで意思が固いのですか?」



王族を含め他の家の事情に首を突っ込むのはご法度なのに、批判を覚悟で行動を起こす理由がわからない。

私にとっては好都合だけれど。


良い機会だ。せっかくだから佑様から情報を仕入れてみよう。



「…『縁視』を喪う辛さを味わせたくない。そんなところだろ」

「…失う辛さ?」


「お前は知っているだろう、由紀伯母様が神隠しに遭いこの世を去った後、今まで何があったか」

「ええ、聞いています」


「雪園家は王家に次ぐ権力を持つ家。もしお前が雪園家に養子に入り、神隠しにあったならどうなるか」

「…」

「悠江殿下はこう考えている。『由紀様の再来になる』と」



由紀様を失った王家は、縁視を恨んだ。

縁視を恨む王家を見た国民も、縁視を恨んだ。


今度は私を失った雪園家が縁視を恨み、行動を起こす。


そういうことかと聞いてみると、佑様は首を大きく縦に振った。



「ああ。雪園家が周りに及ぼす影響は大きい。力を削がれ解体なんてことになれば、家同士のバランスが大きく崩れ国の治安が悪化するのは避けられない。

 悠江殿下はそれを危惧しているんだ。経験者だからこそな」



…自覚はない、というわけではない。

以前無理やり診察してきた次男坊のやたら綺麗な顔を思い出す。

彼がもし、私を失ったらどう思うだろう。


柚那ゆずなは、どう思うだろう。



「覚えておけよ、菜子。お前の意思は強く頑固だが、それがお前の願いに繋がるとは限らない。

 雪園家を恨みこそすれ、嫌ってはいないんだろ」

「………アドバイス、ありがたく頂戴いたします」



頭を下げてお礼を述べれば、佑様は顔を上げろを言わんばかりに私の肩を掴んだ。

その眉間によった皺は、少しだけ和らいでいた。



「俺はまた柚那とお前と3人で会いたい。

 ただお茶を片手にとりとめのない話をして、笑い合いたい」

「………」

「小汚い後継者争いに巻き込まれているんだ、そのくらいの癒やしがないとやっていけないと思わないか?」

「……検討だけしておきます」

「はっ、期待だけしておくさ」



私の肩から手を話して、佑様が背を向いた。

その背中はすっかり馴染んだ高級な生地で覆われている。


 

「さて、会場に行くか」

「そうですね。佑様がいないと始まりませんよ」



開会の宣言は各会場の代表が行う。

そろそろ戻ってさっさとパーティを始めて、愛想を振りまけばいい。

なんて尖った考えが脳裏をよぎった。



「お前も同じようなものさ」

「同じ、とは?」



素直に聞いてみれば、こちらを振り向いてきた顔は少し困っていた。



「雪園家がこのパーティに参加していないわけないだろ?」

「…佑様に会いに来ると?」

「俺はしょっちゅう会えるからどうでもいいさ」

「では何故でしょう?」



はん、白々しいやつ。

昔と同じ口の悪い言い方で私に言葉を吐くと、佑様は大げさに肩をすくませて見せた。



「こんなきらびやかな会場に、絶対に来ないであろう人物が来ている。

 そいつは雪園家の人間ではとてもとてもカンタンに会えるような立場ではない人物だ。

 それが今日突然、表立って会えるチャンスを手に入れたら…奴らはどうすると思う?」

「……………」


「さ、行くぞ菜子」



私は今、嫌な顔をしているだろうな。

佑様の面白そうな反応を見るに、私の予想は当たっているような気がする。

くしゃり、そんな音がしそうなほど表情を変えて、彼は笑う。



「…俺だって今回ばかりは浮かれてるんだ。たまには奴らに好きにさせてやれよ」



懐かしい顔だった。

遠い昔を思い出さずにはいられないその顔、その表情。

小さい頃は会うのが楽しみで仕方ないくらいだったのに、随分と変わってしまったな。



2人で会場に足を運べば、すでに活気づいた人々の声が鳴り響いていた。

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