彼と彼女の勝手な事情

「あれは悔しかった…もう少しで姿だけでも見られたのに」

「………」

「あそこの看護師たちはみんな君の味方だよね。平気で僕に嘘をつくし、毎回吉川さんとお茶してるなんて羨ましい。

 僕も誘ったらお茶してくれる?」

「嫌でふ」

「即答なんて酷いな」



やたら顔が良いこの人物と2人きりで、面と向かい合って、お茶。

到底耐えられない。

どうせこの人のことだから、明らかに高い茶葉やお菓子と、触るのもためらうくらい繊細な食器が登場するんだろう。

それよりも伊理塚いりづかさんや看護師さんたちと、紙コップ片手にお煎餅をバリバリ食べていた方がずっと良い。

私は身分相応の贅沢が好きだ。



「わたひにつきまとうのはやめてくだはい」

「却下。君の主治医なんだから当然だよ」



…そんなに自信満々に言われても!






「…ふふ、ふふふ」

「何でふか、いきなり気持ち悪い」

「すごく嬉しくてね」



ぱっと彼は私の頬から手を離した。

きらりと光る瞳や髪が優しく揺れて、いたずらが成功したような悪い笑顔を見せてくる。


久しぶりに見たその表情に、懐かしい、なんて嫌なことを思った。




『蛍都お兄ちゃん!』

『ん?どうしたの?』

『もう行っちゃうの?次はいつ会える?』

『また明日会えるよ。それに、あともう少ししたら毎日会えるようになるよ。

 僕らはになるんだから』

『ふふ、うれしいな。お兄ちゃんの妹になれるんだね』

『うん、待ちきれないね!』

『ねえ、蛍都お兄ちゃん』

『ん?』


『大好きだよ!』


『…ふ、ははは、僕も大好きだよ!菜子ちゃん』






「また君と話せることが、嬉しい」



…私は、嬉しくないです。



気づいたら椅子の拘束は解かれていた。

立ち上がると、彼は私を止めることはせず漂っていた2枚の符を掴む。

側にあるデスクに綺麗な水色のハンカチを取り出して広げると、丁寧に包んでポケットにしまった。


そしてデスクの端に置かれていた茶色い袋を丁寧に取り上げ、こちらに差し出す。



「これ、身体に貼る符一式だよ」

「…」

「青い文字の方が身体、赤い文字の方が喉。

 それぞれ4日分、しっかり使い切ること。

 錠剤の頭痛薬は痛いときだけで良いよ」



有無を言わさず持たされた紙袋は、重みがあった。

…何枚入っているんだろう、どうせ彼のことだから大量だ。身体中に貼っても4日じゃ消費しきれない。

気が重くなった。



「最後に1つ」

「…なんですか」



紙袋を見つめたまま彼の言葉に返事をすると、ぽん、と頭のてっぺんにぬくもりを感じた。

見上げてみれば、左手が私の頭を撫でていることに気づく。



「『雪園家ぼく』は君を諦めない。よく、覚えておくんだよ」

「…………」



私は何も言わず、彼の手を払った。

顔を見なかったから、どんな表情をしていたか知らない。


さっさと背を向いた私に、もう一度心地よい声が届く。



「またね、吉川さん。ちゃんと使ってね」

「………」



ドアノブを掴んだまま最後の抵抗している私に、

彼はダメ押しの一撃を言い放った。



「もしちゃんと貼ってなかったら、僕自ら貼りに行くからね」



前科があるだけに、その言葉は白旗を上げるに十分だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る