かつての光、闇のとき

重い扉を開くと、眩しいほどの光に視界を奪われる。

それも一瞬、すぐに私たちが外の景色を眺めていることに気がついた。



「ここは、雪園家の玄関……か?」

「そう、ですね」



四角に切り分けられた白い石が、緑の芝生に道を作っている。

10mは先だろうか、門と似た作りの入り口の向こうには老舗旅館のような段差が連なり、おぼろげな白い屏風がこちらを覗いている。


左右に広がる芝生の向こうには大きな石が点々と並び、少し高い塀と木々に囲まれているところから察するに余りあるほどの大豪邸だった。


幼いころに住んだ家は、大人になると小さく見えるという。

そんなもの嘘だと思わざるを得ない外観に、私たちはしばし言葉を失っていた。



「さすがだな……何百年も王族を守る家ならでは、というところか」


『ただいま~!!』


「ん?」



甲高い子供の声が響くと同時に、私たちの体を通り抜けるように走っていく2つの影が現れた。


白く長い髪を輝かせる少女。

赤いランドセルに白いワンピース、横顔から見える瞳は空に似た明るい青色。

誰もが目を引く美少女そのものだった彼女も、今ではすっかり大人の女性に成長したのは記憶に新しい。



「雪園 柚那ゆずなさんだね。あまり知られていないが、君の実の妹と聞いている」

「……そうです。はは、あの通り、全く似てませんけどね」



私は自嘲じちょうをふんだんに含めて隣を指さした。


黒い髪、小学生にしては大きな背に、先に大人びた背格好。

柚那よりもずっと小さく見える茶色のランドセルは、今日も重い荷物に耐え忍んでいる。



「ううむ、似ていないところは否定しないが、むしろ恐ろしいほど姿が変わっていないな」


『おかえり』



次に現れた人物に、白石さんは目を丸くした。

白いふわふわの髪に青い宝石のような瞳、いつもと違うのはひとまわり小さい体にシャツにニットベストを重ねた制服姿であることくらいか。



『蛍都お兄ちゃんだー!ただいま!』


「ほう、特殊情報管理室の雪園 蛍都けいと室長か。随分と若くみえるが、当たり前か。

 察するに、ここは15年ほど前の記憶かな」


「ええ、その通りです。これは15年前、私たちの養子縁組の手続きが終わる直前、そして私が雪園家を離れる半年ほど前の記憶です」



私と柚那が雪園家に引き取られたのは、さらに1年前。9歳と6歳のころだった。

表の世界で暮らしていたけれど、見た目が他者とあまりにも違う柚那に特殊治安局から捜査が入り、私たち2人とも類稀たぐいまれな符術の才能が見つかった。


家の役割の1つに、表裏の世界問わず符術の才能を持つ子供を引き取り育てることがある。

力の強さや種類によって預けられる家は変わるが、王族御付が自ら引き取るほどの才能が、確かに私たちにはあったのだ。



『あれ、蛍都お兄ちゃん、出かけるの?』



柚那の声に蛍都さんは残念そうな顔をする。



『うん、今日は塾に行く日だよ』

「知ってる!じゅけん、ってやつでしょ!」

『そうだよ。よく知ってるね、柚那』

「ふふん」

『早く手を洗って居間に行きなよ、いいことがあるよ』

「いいこと!?おやつ!?」

『ふふ、いってらっしゃい』



当時の柚那はまだ小学校に入って間もない女の子だ。

目を輝かせて、あっという間に過去の私たちを置いていく。

かつての私も後を追おうとしたら――――呼び止められた。



『菜子ちゃん』

『なあに?』

『今日の学校はどうだった?』



彼の言葉に、かつての私は視線を落として口をつぐんだ。



「ん?記憶の映像が止まったのか?」

「いえ、止まったわけではないはずです。毎日毎日、私はこうだったんです」



隣から白石さんの視線を感じた。

目の前のかつての蛍都さんは、何も言わず私の頭を撫でていた。



「私は確かに符術の才能、力を持っていたのですが、コントロールが全くできなかったんです」

『今日もね、叱られちゃった』

「どんな簡単な術でも、体内の魔力をうまく外に放出することができなくて」

『符術が使いたくでも力が足りない子供はたくさんいるんだよ、もったいないと思わないかって』

「妹に隠れて、泣いてばっかりだったんです」



ぽたり、と灰色の石に黒いシミができた。

ひとつ、ふたつと増えていく。



『今日はね、水の符術なのに1滴しか出なかった』

『うん』

『なのに、いじわるしてきた男の子にって言ったら、勝手に水があふれて蛇口が3つも壊れちゃったの』

『ああ……君に怪我がなくて本当によかった、本当に……』



パキ、とどこかで何かが割れる音がした。



『旧校舎の掃除のときにもね、廊下の床の木は腐ってるから危ないって先生が言ってたから、友達にって言ったら本当にボロボロになっちゃって……ともだち、怖いって泣いちゃった』

『そっか、君も怖かっただろう、可哀想に……』



ミシミシと、どこかで何かの音が聞こえた。

気にはなったが、私はどうしても彼の表情に目線を奪われていた。



『今日も菜子ちゃんは頑張ったんだよ。大丈夫、まだまだ力が不安定なだけだよ』

『本当に、本当の本当に?』

『うん、本当の本当に、僕を信じて』


『お兄ちゃん……!』



宝石の瞳のその奥にある、薄ら暗い何かが気になった。

どこかで見たことがあるけれど、いったいどこだったか、思い出せない。



「吉川さん」



隣から聞こえた低い声に私は肩を揺らして驚いた。

思わず幻影に没頭していたみたいだ、頭を押さえて軽く振れば気持ちが落ち着いていく。

なんでしょう、と隣を見れば、白石さんは記憶のほうに目を向けていなかった。


私たちが歩いてきた廊下を見ているようだ。

彼の視線を必死に追うと――――――床が一部、抜け落ちていることに気がついた。


ぽろぽろと、急に朽ちていくかのように広がっていく床の穴。

何事かと混乱する私に、白石さんは努めて冷静に言葉を発する。



「君の言霊の才能はいつ判明した?」

「え、確か吉川家に引き取られる直前だったので、この記憶の半年後かと」

「判明したのがたまたまその時期なだけで、君の言霊は当時から発現されていたのではないか?」

「…………おっしゃる通りです」



バキバキと床の穴は広がっていく。

こちらに来るかと身構えたが、私たちの足元まであと5mほどでぴたりと止む。



「端的に言えば、君は記憶で『床が壊れろ』と言い『水が溢れろ』と言った。君の『意思』が言霊発現のカギであることは間違いないな?」

「はい、おっしゃる通り……です……え、まさか」



きっとそのまさかだ。

廊下の遥か向こうから、ざあざあと水の音がする。



「俺に捕まれ!」



白石さんは私の腕を引っ張り、抱き寄せるようにして私を腕で覆うと、強引にしゃがんだ。

真夏の豪雨のような水の音がすさまじい速さで近づいてくるのを感じて、悪寒が走る。


現実の私たちが危機におちいっていても、記憶の私たちは構わず再生されていた。



『残念だな……もっと聞きたいことがたくさんあるのに、そろそろ塾に行かないと』

『蛍都お兄ちゃん!』

『ん?どうしたの?』

『もう行っちゃうの?次はいつ会える?』

『また明日会えるよ。それに、あともう少ししたら毎日会えるようになるよ。

 僕らはになるんだから』

『ふふ、うれしいな。お兄ちゃんの妹になれるんだね』

『うん、待ちきれないね!』



通り雨のような水しぶきは、私たちをぐっしょりと濡らして過ぎ去っていった。

垂れた前髪をかき上げて安堵のため息をつく白石さんに包まれたまま、私はかつての私を睨みつけていた。



もし時を戻してやり直せるなら、私は必ずこの瞬間を選ぶだろう。

人生の岐路とっても過言ではない、その言葉を封じてみせるのだ。



『ねえ、蛍都お兄ちゃん』

『ん?』



『……ふ、ははは、僕も大好きだよ!菜子ちゃん』




愛情、私だって感じたことは数えきれないほどある。

不出来な私を大切にしてくれた雪園家、目に入れても痛くないほど優しくて可愛い柚那、そして私を支え続けてくれた初恋の。

もちろん返したい強い想いはある。


でも、それをそのまま伝えてしまえば、それだけ彼ら狂わせてしまうなら、胸に秘めるべきだったのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る