想いの温度差

特殊警察局との交渉が成功してから2週間が経った。

鯉住こいずみ家への弁償として水槽の修復業者の手配に関する申請が回ってきたので、承認し経理部に回した私は、7係の執務室に足を運んだ。


扉を開ければ「あ、仮名さん」と緩い挨拶が飛んでくる。

今関ちゃんの名前を出すと、本人が部屋から出てきてどうぞと案内された。


歩きながらふと横を見ると、自席からこちらを見て頭を下げてくる吉川ちゃん。

直接警察局の、特にあの子と話をして何か思ったのかもしれないわね。

意味を含んだ視線に、私はにこりと笑顔を返した。



扉を閉めると、今関ちゃんはお茶を置いてと私にソファを勧めた。



「鯉住家の件、さっき承認しておいたわ」

「ありがとうございます」

「あれからあの家はどうかしら?」

「大水槽の弁償も確定しましたので、かなり落ち着いております。無事に工事が終われば以前と同じような良好な関係を築けるかと」

「それならよかったわ」



お茶を飲む。

渋めのそれは7係独特のものだった。

きっと今関ちゃんが治安局に来てから支え続けてきたあの子の淹れたものね。



「特殊警察局との交渉もお疲れ様。

 無事に費用負担をしてもらえてよかったわ」

「ええ、吉川がうまくやってくれました」



「相手が刑事一課でよかったわ」



今関ちゃんは微笑んだまま何も言わない。

表情に出さないようにしているのがわかりやすいわ。



「…仮名課長も人が悪いですよ」

「あーら、そうかしら?」

「刑事一課だから7係を当てて、吉川を向かわせたのですよね?」

「そんなことないわよ~。ただあなたたちの対応力の高さを買っただけよ」



飄々と言ってのけると、向かいから疑心の目が向けられた。



「そうやってはぐらかしてもわかります。

 刑事一課との交渉であれば、課長の『彼』が出るでしょう」

「そうかもしれないわねえ」

「そして吉川を指定した理由は2つあります」

「あら、何かしら?」


「1つは、彼女の『縁視』の力です。

 相手との縁から『関係性』が視えるのであれば、やり取りの中で自分が有利かどうか見定めながら交渉ができます」

「今回もそうやって説得してきたということかしら?」

「ええ、おそらく彼女は長々と説得するよりも交渉カードをさっさと出して、畳みかける方法が有効だと『視て』気づいたのでしょう」

「失せ物探しだけでなく、交渉の場でも活用したってことね、あの子らしい」


「もう1つは」



一瞬の沈黙。

少しだけ戸惑いの気配がした。



「吉川は、私のことをよく知っています。

 だから、交渉カードに『私』を使うことができます」

「あなたを使う、というと?」

「…やっぱり仮名さんは人が悪いです」



あらあら。



「…彼らにとって私の情報は貴重でしょうから」

「ふ、ふふふ、そうかもねえ」




言いたいことを言い終わったのか、今関ちゃんは自分のお茶に手をつける。

その動きに合わせて一緒に一口飲むと、はあ、と目の前からため息が聞こえた。



「ねえ、今関ちゃん」

「何でしょうか」


「お節介なのは重々承知だけれど、彼とやり直す気はないのかしら?」



静かな空間に私の声は大きく響いた。

彼女は目線を落としたまま瞳を右に左に動かして、ふふ、と笑う。


そうして顔を上げて見たその目には、確かな熱があった。



「私は、私の生き方を変えるつもりはありません」



はあ、

今度は私がため息をつく。

ソファの背もたれに寄り掛かって思わず呟いた。



「大人の恋っていうのは、ままならないものねえ」




―――――――――――――――――――――




ぶるぶると、右ポケットに入れている携帯が震えた。

仮名課長が執務室を出て行った後、私はこっそり画面を見る。


チャットメッセージが来ていた。



『この前の鯉の件、彼女が冷水を被ったと聞いた』



また携帯が震える。



『え!?この時期は寒いわよね』

『風邪を引いてないか心配だ』



まずい、既読をつけてしまった。



『吉川、どうなんだ?』



思わずため息が出そうになった。

彼らに絡まれるようになったのは、完全に誤算だった。


顔を上げれば今関さんとカケルくんが楽しそうに話をしている。

ただ、今関さんは時折こほこほと咳をしていた。


ぽちぽち、と指を動かし送信マークを押す。




『本人は元気にしていますよ。風邪は引かずに済んだようです』




事を大きくして本人に迷惑がかかるよりはずっとましだろう。


上司様の肩代わりも、部下の大切な仕事である。



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