彼女と彼と巻き込まれる私の事情
すっかり冷えたアールグレイ。
人より多いカップを眺めて私は目の前の視線から逃げていた。
「吉川さん」
逃げられなかった。
白石係長だけではない、今までほとんど反応しなかった加羅河課長まで鋭い視線を寄越してくる。
「…あの、
「私は『雫』と白石課長は幼馴染なのよ、知らなかった?」
「…なるほど、そうでしたか」
さっきよりも背中に汗をかく感覚。
これも予想外だ、2人がかりでは完全に白旗だ。
『―—――どんな手を使ってでも、ね』
今関さん、ごめん。
今からあなたを売ります。
どんな手を使ってでもって言ったよね?
許してください。
「今関係長ならお元気ですよ」
「だが多忙だろう?7係は今回のようにいろいろ頼まれごとが多いと聞く」
「まあ、そうですが、いつものことなので慣れたかと」
「とはいえ、最近部屋の電気が深夜まで消えないようだが?」
ん?え?
何で知ってるのこの人?
特殊警察局から特殊治安局の一部屋なんか、見える?
「…まあ、最近は遅いかもしれないですね」
「いつもだろう、前も見た」
だからなんで見たのか。
私が思わず怪訝そうな顔をしてしまって、加羅河課長がまあまあと白石課長の肩に手を置いた。
「
「あ、ああ…すまない、ごめんな」
突然のフランクな謝罪に私はまた動揺する。
2人とも先ほどは露ほど見せなかった素の柔らかい表情をしていた。
「…確かにもともと今関さんは遅くまで残ることが多いですし、その、徹夜もあります」
「徹夜だと?」
「7係は人が少ないので係長自ら報告書を書くこともあるんです。他の係と一緒に提出することがほとんどで、大体は当日か翌日には仕上げないといけないので」
「係長自ら…徹夜で…部下を帰して…」
「はーい、裕哉、落ち着こうねー」
仰天だ。
本当に人が変わったような態度だ。
両手を頭に乗せてぶつぶつ言う男性と楽しそうに背中を叩く女性は、茫然とする私の目の前で軽快なやりとりをしていた。
「昔から雫は無茶をするんだ…誰かが止めないと倒れてしまう!」
「大丈夫よ、今まで倒れたって連絡来てないじゃない。
きっと吉川さんが注意してくれるのよ」
「そうなのか!?」
「え!あ、そうですね、私とか…他のメンバーが助けてますね」
「そ、そうか…そうか…」
動揺しっぱなしの姿に、私は少し前の記憶を思い返していた。
なるほどね、こういうことね…と。
―――――――――――――――――――――――――
半年は前だっただろうか。
お昼休憩に入った私は廊下を歩いていると、仮名課長をばったり会った。
立ち話をしていたら、お昼を食べるなら部屋でどうかしら、と誘われて私は快諾した。
その時の私は丁度食べる場所を探していた。
「そういえば、吉川ちゃんに一応言っておこうと思ってたのよ~」
「言っておくこと、ですか?」
自作のサンドウィッチを小指を立てて食べる仮名さんは、さらりと言い放った。
「今関ちゃんの『元婚約者』が特殊警察局にいるって話」
「…………え、ええええええ!?」
久々の大声を部屋に響かせてしまった。
近くの試験管に入っていた緑色の液体がごぽっと空気を出す。
入局して以来、まったく聞いたこともなかった上司の色恋話に動揺が隠せなかった。
「え、ええ、今関さんが?婚約者?」
「吉川ちゃんってたまにすごい良い反応するわよね~」
同じように小指を立てて紅茶を一口。
仮名さんはとても楽しそうに味わっているけれど、それはコップじゃなくてビーカーだ。
小物まで可愛らしいものを揃えているかと思っていたけど意外とガサツなところがある。
「そうなのよ、今関ちゃんは特殊警察局の局員だったのは知っているかしら?」
「はい、聞いたことがあります。確か警察局の方が長いんですよね?」
そうそう、と仮名さんは笑った。
今関さんはもともと特殊警察局の事務方として入局した。
処理能力や刑事課と連携して様々な事件を解決してきたサポート力を認められ、事務方の役職に就いていた。
そして7年前、特殊治安局の7係 係長に抜擢され異動してきた、と聞いている。
「何で突然特殊治安局に異動してきたか、本当の理由は知っているかしら?」
「…いえ、聞いたことはないです」
仮名さんの微妙な表情に違和感を感じた。
なんだか悩んでいるような、悲しんでいるような。
「左遷させられたのよ」
左遷?
「『元婚約者』は今関ちゃんの幼馴染なんだけど、代々警察局の要職に就く大きい家の息子でね。
一般家庭で生まれた今関ちゃんとの婚約を、分家が大反対したの」
「まさか…」
そう、そのまさか。
と言いたげに口を開いた仮名さんの声には影が宿っていた。
「婚約に反対した分家が警察局に圧力をかけて、今関ちゃんを追い出したのよ。
しかもいわく付きの7係の係長に就任させて、周囲の賛同をひっくり返した。
あの子は彼の将来のために、別れを告げてしまったのよ」
「…そんな、ことが」
知らなかった。
言いふらすことでもないから当然とはいえ、噂ですら聞いたことがなかった。
「血筋や家を理由に破局させるなんて、あまりにも酷いですね」
「ええ、本当にね。
あの2人はとっても仲が良くて、本当に良い夫婦になったはずよ…」
研究室にある小さな窓。
仮名さんは外の青空を見て、いつもよりずっと覇気のない声で呟くように言った。
その視界の向こうにはきっとかつての姿が浮かんでいるんだろう。
私には想像もできないけれど、確かに幸せな姿だったのだろうと感じ取った。
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