交渉に孕む有象無象
「まず、現在の状況を教えてもらえるかな」
白石課長の鋭い視線を避けつつ、私はその問いにタブレットを開いて答えた。
「現在、7係と
3係の調査中に突撃してきたのは、今目の前にいる堀江係長率いる1係だった。
グリンディローの存在を全く知らなかった3係は、1係の乱闘に何もできず、水槽は破壊され鯉は『飛んで』しまっていた。
この主虹鯉、代々鯉住家が養殖する縁起のいい鯉として有名で、符術の力を持つ
―――要するに、『魔法の鯉』らしい。
様々な色が変則的に動く鱗を持っていて、水墨画のような色合いになったり、まだら模様になったり鯉によって変わる。
そしてもう1つの特徴が、『空を飛ぶ』。
水の中にいないと生きていけないのは変わらないのだけれど、息が長いので1週間は空気中でも動き回れるらしい。
水槽が大破した瞬間に飛び出した鯉たちは、地面に落ちることなく好き勝手飛んでいってしまった、という。
「内4割は回収しました。4割は結界の中にいるため回収できる予定ですが、残り2割は犠牲となりました」
私は浅く息を吸った。
「結界の外に出たのも数匹おりますが、ほとんどが焼かれたか、切られたためです」
誰の仕業か一目瞭然。
堀江係長の眉がぴくりと動いた。
「我々特殊治安局からの要請は1つのみ、水槽の修理費用の負担です。
50%、半額の負担をお願いいたします」
沈黙が流れた。
誰も表情を変えず、こちらをじっと見つめてきた。
私は時折視線を外しながら彼らを見返した。
やがて、ごほんと咳ばらいをした堀江係長が口を開く。
「我々1係の人間がやったとどうしてわかるのですか?」
「当時3係は2名、どちらも所有している武器は打撃型もしくは銃でした。両名ともわざわざ飛んできた鯉を火で焼く必要もなければ、鋭利な刃物で切る必要はございません。
大して1係は全員剣を持ち、炎の符術を得意とする局員がいたと伺っております」
「だが証拠にはならない」
「鯉住家の方から証言があります。
『警察局が戦っている最中、治安局は自分たちと鯉を守るために結界を張っていた』と」
ぐ、と声が聞こえた。
「我々警察局は危険因子の対処が何よりも優先事項だ。その後の対応まで考えていては果たせる役目も果たせないだろう」
「だからといって、自ら行ったことを責任と共に他人に押し付ける行為は、役目を本当に果たしたと言えるのでしょうか?」
「なに?」
じっと堀江係長を見つめて集中した。
ふわりと、黄土色の縁は弱弱しく揺れ始める。
「警察局の皆さまは、日々危険な相手と戦い治安を守っていただいています。ですがそれはいかなる犠牲を払ってもいい免罪符なのでしょうか?」
「それは…」
「鯉だろうと『命』です」
黄土色の縁が、どんどんと明るい黄色になっていく。
よし、このまま――――
「どんなものでも守れた『命』を蔑ろにし、責任を押し付けたことには変わりないのではありませんか?」
「特殊治安局は、事件の事後処理も役目に入っているはすだが?」
ふっと黄色の縁に影が入った。
白石課長に目線を向けると、射貫かんばかりの視線が私を刺した。
「それは…」
「確かに我々警察局の言動も浅はかだった、それは認めよう。
だがお金の話は別だ。我々に与えられた予算に『事後処理』分は与えられていない。
代わりに特殊治安局にその予算は割り当てられている以上、我々が肩代わりする理由はないのでは?」
言葉に詰まった。
この予算編成は事実だ。
この回答は来ると思っていたし、この現実が特殊治安局の一番の苦しみだった。
反論できる術がない。
戻ってしまった黄土色の縁。
こうなったらBプランだ。
「通常はそうかもしれませんが、今回は特殊です」
「…特殊、というと?」
白石課長の口調は優しいが、その声に含む圧がすごい。
でも、負けるわけにはいかない。
「現場の回復に人員が投入されすぎています」
「確か東京に在籍している7係は君を含めて4人だけだったはずだ。大した人数じゃない」
「5人です」
「5人…?」
カケルくん
灯ちゃん
ややこさん
そして私
それは、特殊警察局の文化では考えられない反論だった。
「『今関係長』が現場で対応しています」
「「「…!」」」
「皆と同じように軍服を脱ぎ、びしょ濡れになりながら、鯉を捕まえています」
「な…!」
特殊警察局は階級意識が強い。
階級すなわち役職を持つ人間は格下に対して絶対的な権力を持ち、言ってしまえば『何事も部下への指示してやらせる』ことが役目ともいえる。
なので部下と同じことをするのはプライドをかなぐり捨てたありえないこと、だったりする。
「鯉住家は代々鯉の養殖してきた歴史ある家、今回のようなことで大事な鯉を失うなど後世に残る大事件なのです。
彼らは大変怒りを感じています。『係長』自ら身をもってその怒りを受けながら誠心誠意対応いることの意味はわかりますでしょうか?」
「…」
白石係長は机の上のカップを見たまま、口を開いた。
「吉川さん、我々が出せるのは4割だ」
「…わかりました」
「堀江係長、今の言葉通りだ。
至急費用を算出、申請を」
「はっ、失礼します」
あっという間に返事をした堀江係長は立ち上がり、足早に出ていく。
最後まで表情に変化はなかったものの、縁は明るい黄色になっていた。
な、なんとかなった!
「ご検討ありがとうございます」
「今回だけだと思ってくれ」
「……持ち帰ります」
白石課長にじっと見られた。
私はすっと視線を外した。
そうと決まれば、さっさと帰ろう!いや逃げよう!
もうこんな空間にはいたくない…!
私はタブレットをたたんで立ち上がろうと足に力を入れた。
「それではs」
「待て」
「………なんでしょう」
「このまま、君を返すと思うか?
君の視る『縁』は、そう言っているとは思えないが」
………脱出失敗だ。
私はさっきからちらちらと映る、嫌な嫌な暗い紫の縁をちらりと見た。
この色は、『執着』。
「………『雫』は、どうしている?」
今関 『雫』
それは間違いなく、上司の名前。
防音が働く静間にかえった空間の中。
彼の言葉は、先ほどの本題よりもずっと力がこもっていた。
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